(51)文学の精霊
……その日は、昨日からの疲れもあり、移動はせずに、近くの森でキノコや山菜を集めたりして、ゆっくりと過ごした。
俺はジャージを直してもらう横で、エドに相談をしてみた。
「俺もスキルアップしたいんだけど、どうすればいいと思う?」
すると、エドは悪戯っぽく笑みを浮かべて即答した。
「恋をなさい」
「……こ、恋!?」
あまりに意外な返答に、俺は目を丸くした。
「れ、恋愛、って事?」
「そう」
「誰かを好きになる?」
「そういう事」
器用に破れたジャージを縫い合わせていく手付きを見ていて、ふと思い浮かんだのは、ストランド村にいた頃、グースの羽毛を入れる袋に紐を縫い付けていた、アニの不器用な仕草だった。
……確かに、この世界で知っている異性といえば、ニーナとアニとマヤしかおらず、ニーナは既婚者だし、マヤにはファイという恋人がいる。
フリーなのは、アニしかいない。
しかし、あの乱暴な尻蹴り女を恋愛対象として見るのは……いや、スタイルはいいし、けっこう可愛いところもあるけど……。
考え込んでいたら、いつの間にかジャージが縫い上がっていた。
しかも、ただ補修しただけではない。エドの着ているものみたいに、ファスナーやチェーンが追加されて、パンク風になっている。
それを着た俺を見て、エドは満足そうに言った。
「アナタ、こういう感じが似合うと思ってたのよ」
ダサいジャージがここまで変身するとは。
エドのセンスには驚くばかりだ。
エドはそんな俺の肩に手を置いて、まじまじと顔を合わせた。
「アナタの欠点は、自分に自信がないところよ。相手に嫌われないか怖くて、前に踏み出せないのね。でもね、これだけイケてるんだから、胸を張って輝きなさい。――自分を大事にできないと、仲間も大事にできないわ。そういうものよ」
きっと、昨日の俺の作戦が、あまりに自虐的だったのをたしなめているのだろう。
おれは目を伏せてうなずいた。
「ところで、ポケットに原稿用紙がなかったけど、大丈夫なの?」
エドに言われて思い出した。
……ああなる事を予見して、原稿用紙とボールペンは、パンツの中に隠しておいたのだった。
赤ペンの機嫌をものすごく損ねそうではあるが……。
「そうね、あとは、アナタの武器を、もっとアナタの味方にする事も、スキルアップになるんじゃないかしら?」
「どういう事?」
「そうね。例えば、チョーさんのお料理でおもてなしするとか」
「はあ?」
……エドに言われて、試しに書いてみた結果、俺はおったまげた。
〖 原稿用紙から出てきた文学の精霊は、とても美しく、気品高く、賢く、女神のように光り輝いていた。〗
歯の浮くようなおべっかを、冗談半分に書いたのだが、その文字が光と化して消えたものだから、俺は腰を抜かした。
――そして、光に包まれた原稿用紙から現れたのは、書いた通りの神々しいまでに美しい人だった。
紙のように白く繊細なドレスをまとって、インクのような黒髪を知的に結い上げている。
「…………」
唖然と見上げる俺を見下ろして、彼女は、赤ペンの文字のイメージそのままの口調で言った。
「これまで、何度か転生者のお供をしましたが、私を呼び出したのはあなたが初めてです」
「あ、ああ、ああああ……」
情けないほど言葉が出ない。
そんな俺に代わり、エドがにこやかにこう言った。
「いつもお世話になってるから、一度お礼をしたいって、彼が」
――その日の夕食は、いつもに増して豪勢なものだった。
チョーさん特製のオーク肉の角煮に、アニが仕留めたグースのコンフィ、マヤが生やした四季の野菜のテリーヌに、バルサの釣ったサーモンのカルパッチョを添えて……
あれ? チョーさんの料理のレパートリーも増えてる気がする。
そして極めつけは、ファイが集めてエドが仕上げた、芸術的にカットされたフルーツのオードブル。
白鳥が翼を広げている周りに花が咲き乱れている様子は、食べるのがもったいないくらいだ。
「アタシもスキルアップしたようね」
確かに、今までにない分野の開拓だ。
切り株と倒木を集めて作った即席のテーブルに、荷車の幌をテーブルクロスに敷いて、ニーナがセッティングをした。
美しい花とロウソクで彩られたそこは、もはや高級フレンチのレストランだった。
「どうぞ」
エドにエスコートされた『文学の精霊』は、切り株の椅子に座る。
その麗しいまでの姿を初めて見た、俺とエド以外のみんなは、戸惑ったようにテーブルを囲んだ。
「えー、あー、……か、彼女が、原稿用紙から出てきた赤ペン先生です」
「私は先生ではありません」
まるでAIみたいに無感情な言い方に、みんな納得したようだ。
「うちの出来損ないがお世話になってます」
バルサがそう言って頭を下げた。
ぎこちなくも和やかに始まった宴。
チョーさんの新メニューは本当に美味しかった!
そして食事の途中、エドが持ち出してきたものに、一同は驚いた。
「お・サ・ケ♪」
「ど、どこでそんなものを!?」
「ブドウを集めて発酵させてたの。そろそろ飲み頃よ」
……一応、未成年は生絞りジュースで、エド特性ワインは大人だけだ。
「久しぶりのアルコールは効くな!」
「本当に美味しいわ」
バルサとニーナ夫妻は酒豪らしく、ガンガン楽しんでいる。
チョーさんもほろ酔いでご機嫌だ。
――そして、一番酔っているのは、文学の精霊さん……。
「ずっと原稿用紙に押し込められててさ、窮屈だったのよね」
カットフルーツをツマミに、文学の精霊はクダを巻きはじめる。
「一応、立場としては、ヘルヘイムの女神であるヘル様の部下って事になってるの。でも、実際は転生者の使用人って感じじゃない? それにさぁ、原稿用紙を武器に与えられるような変人って、本当付き合いにくいの。突拍子もない事ばっかり書いてくるから、この世界のルールブックと照らし合わせて、実現可能か確認するのが、もう大変で……」
……この世界のルールブック?
俺はハッとしたが、エドの視線で口にするのを止めた。
――なるほど。
エドの目的は、文学の精霊を酔わせて、この世界の秘密を聞き出す事だったのだ!
エドは直接質問するような事はしない。
「分かるわぁ」
と同意しつつ、うまく話を合わせる。
「アタシも昔は美容師だったじゃない? 華やかな世界のようだけど、法律やら業界内の独自ルールやら、色々と大変だったわ~」
「そうそう! 何かトラブルがある度に、ルールブックのページが増えていくの。本当勘弁だわ」
「アタシが生きてる頃に勤めてたサロンじゃ、『お客さんの容姿を褒めてはいけない』ってのがあったの。本当に美しい人だと、いくら容姿を褒めたところで『ふーん』って感じだし、容姿が良くないのに自覚がある人をヘタに褒めたりしたら、逆に信用をなくしちゃうもの。だから、『お似合いですよ』って言うのよ」
……エドの業界裏話は勉強になる。
「こっちの世界にも、変わったルールってあるの?」
さりげないエドの質問だが、それが得られたら、俺たちにとっては非常に大きな収穫だ。
けれど、あまり真剣に聞き耳を立てていて、文学の精霊に怪しまれてはいけない。俺はさりげなさを装って、ジュースに口をつけた。
すると、文学の精霊は「うーん」と少し考えた後、こう答えた。
「ルールと言っても、校正の基準に使うためのものだから、当たり前の事ばかりよ。例えば、『ヘル様を直接呼び出すのはダメ』とか、『転生者を食べても、食べた転生者の寿命は食べた者に加算されない』とか」
「そ、そんな事、やった人がいるのね……」
「本当、物書きって変わった人が多いから。そうね、あとは……」
空になったワイングラスを弄びながら、文学の精霊は言った。
「――『ルールブックで禁止されている行為をした転生者は、死ぬ』、とか」
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