菊乃、黄泉より参る! よみがえり少女と天下の降魔師

翁 まひろ/角川文庫 キャラクター文芸

 また、雪が降りはじめた。

 長いこと床に伏していると、外のかすかな変化にも敏感になる。

 とくに雪はすぐにわかる。雪片が音を食うのか、降りはじめると辺りがふっと静かになるからだ。

 きくは薄く目を開け、ぼんやりと顔を横に向けた。

 わずかに開いた障子の隙間から、見慣れた庭が見える。

 思ったとおりだ。すでに白く積もった庭に、あらたな雪が舞いはじめていた。薄雲を通した弱々しい光の中、きらめきながらつの花の降るさまはたいそう美しく、菊乃は感嘆の息をこぼした。

 そしてふと、まもなくだ、と悟る。

 まもなくこの身は死に至る。最後の息を吐きだして、黄泉よみへと旅立つのだ。

 死は恐ろしいものではなかった。ここに来るまでには苦しみもかつとうもあったが、いざそのときを迎えると、不思議なほどに心が軽かった。

 きっとそういうものなのだろう。病に伏せてから今日まで、すこしずつ感情の火が消えていく感覚があった。恐れが、不安が、焦りが、苦しみが、あるいは喜びまでもが先んじて黄泉へと向かい、最後には重たい体だけが残されている。

 ──いや、ひとつだけ、まだ旅立てずにいる感情があった。

(あの子は、きっと泣くだろう)

 幼い息子の泣き顔が脳裏をよぎった。

(すまない。ぜんろう……)

 そのせつ、薄れゆく意識がなにかをとらえた。

 淡い日差し。金色に輝く雪片。誰かが池のほとりに立っている。

(ああ……)

 細めた目から涙が零れおちた。ひとつきりの心残りが光となって消えていく。

 菊乃はほほえみを浮かべ、静かにまぶたを閉じた。


 もはや未練はない。

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