君は友達
@hasamamarimo
第1話
話が違う。
脳裏に初めに浮かんだ言葉はこの一言だった。
マンションのベランダ一つ分程先にある窓からは、ここに来る時と同じ雲一つない青い空が広がり、新緑に輝く木々達を絶妙なコントラストで彩っているのが見える。
市街地よりも随分と標高の高いこの場所に建てられた建物の三階からの景色。眼下には広めの駐車場が整備されており、時折エンジン音が聞こえる以外はおよそ喧噪とはかけ離れていそうな場所だった。
謳い文句通りの雄大な自然。都会に疲れたサラリーマンやオフィスレディ達が、一度は足を運びたくなるような眺めかも知れない。少し開かれた窓から吹き込む風は穏やかで、薄手のカーテンを軽くたなびかせている。
ただし、それらの景色は綺麗に分割されていた。
高さは二メートル程だろうか。鉄製のパイプが十五センチずつくらいの間隔で規則正しく横に並び、目の前にあるであろう壁の一面の代わりをしている。格子となったそれの前に立つ俺は、さながら卵切り器に置かれたゆで卵のようだ。
生まれて初めて目にする巨大な鉄格子に、俺は不安よりも深い興味を覚え、そのうちの一本を握ってみた。ひんやりとした感触が右手に伝わり、高揚していた気分が少しだけ冷えた気がした。
右手側には、いつぞや未だ若かったころの部屋においてあった安物のマットレスを、更に横半分に切ったような薄い緑のマットが置いてある。器械体操の練習をするのには丁度よさそうだ。
俺の背後をついて歩いてきた屈強な男が、それに雑にベッドメイキングを施しはじめる。傍らにはクリーム色の病衣も置いてあった。男と共に来た若い女性の看護師が、それを丁重に俺に渡す。
「それじゃあ、先ずはこれに着替えて。トイレはこれね」
事務的な声に視線を左に移すと、床に穴を空け、今や久しく見ていない和式の簡易式の便器が埋まっていた。
「見たところ自分でできますね」
俺は鼻で笑った。当たり前だろう。このしっかりとした足取りを見てくれ。だいたいこの部屋に来るまでも、わざわざご丁寧に寄り添ってくれなくても良かったんだ。お前らが俺の眼鏡さえ奪わなければ。
おもむろに歩き、その前に立ってから、どうだと言わんばかりの態度で言い切る。
「大丈夫です」
それを確認した看護師は「それじゃあ後程また来ます」と言って、連れ立ってきた男と退室しようとして鉄製の扉に手をかけた。その背中に俺は軽口をたたく。
「あの、多分誰もが言っている事だと思ってはいるんですけどね」
怪訝な顔で振り向いた彼女に俺は続けた。
「〝最後の一杯〟とかってないんですかね」
困ったような苦笑いと共に、重そうな音を立てて扉は閉まった。
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