第9話 初めての再会
約束したカフェの店内は、想像以上に賑わっていた。
老若男女、色んな人が滞在しているが、特に自分と同年代らしき人たちが多くいる。
もしかしたら、自分と同じ大学の人もいるかもしれない。
大学の近くなら相手の空下さんからも来やすいだろうと思い、適当にここを指定してみた。
これだけ賑やかなら会話をしても問題ないだろう。
(はぁ……)
勢いで承諾したけど、当日になって緊張してくるとは。あまり気分も落ち着かなくて、早く家を出た結果、30分以上早く着いてしまった。
入った時に注文したコーヒーを一口飲む。僅かに緩くなった温かみが、喉を抜けていく。
一体何を聞けばいいのか。いや、どう話を聞き出せばいいのか。
こんな状況なんて当然だけど初めてで、最初の対応すら危うい。早く来て欲しいような気もするけど、来てもらっては困る気もして、複雑な気分だ。
カランッと入店のベルが鳴る。入口付近に目を向けると、一人の女の子が誰かを探すようにと周りを見回していた。
こっちを捉えると、ゆっくり動いていた頭の動きがぴたりと止まった。
絹のような銀髪が窓からの日差しに照らされて、宝石のように煌めいている。淡墨色の水晶を思わせる純蘭な瞳に、やけに強く惹き込まれた。
彼女は一瞬視線を彷徨わせて、きゅっと口を引き結ぶ。もう一度こっちを見ると、確かな足取りで近寄ってきた。
近くで見る彼女は、遠目で見た時以上に儚い可憐さを纏って見える。
「えっと、空下さんでいいんだよね?」
スマホの写真フォルダには、彼女と自分が仲良さそうにしている写真が何枚も保存されていた。
実物が来たということは、彼女が空下さんで合っているはず。
確かめる意味で問いかけると、彼女は一瞬だけへにゃりと眉を下げた。だがすぐに元に戻ったので、自分の気のせいかもしれない。
「……はい。空下千冬です。初めまして、ということでいいんですよね?」
「っ。うん」
どう説明したらいいか悩んでいたけど、空下さんは今の状況を多少は分かっているらしい。
空下さんにテーブルを挟んだ逆側の席を座るように案内して、向かい合うように座った。
「僕が記憶を取り戻したことは分かっているって認識で合ってる?」
「はい。その代わりにこの三年間の記憶がないことも」
「それが分かっているなら話が早いね」
一体どうしてそんなことまで分かっているのか。前の僕がそのことを話していたのだろうか?
「空下さんの言う通り、この三年間の記憶が無いんだ。正直、空下さんのことも覚えてなくて……。ごめん」
「……謝らないでください。そうなんだろうなとはこの二日間でなんとなく察していましたから」
淡々と告げる空下さんからは感情は全く読み取れない。テーブルの上を彷徨わせるその視線はなにを見ているのか。
僅かに目が伏せられて、長い睫毛だけがよく見える。
「それで、三年間のこと聞きたくて。幼馴染に聞いたら空下さんが一番詳しく知ってるみたいだったから」
「そう、ですね。確かに、私が一番長く一緒にいましたから。私が要くんと付き合っていたことはもう知ってますよね?」
「……うん」
どんな顔をすればいいのか分からない。彼女にとって自分は彼氏で、でももう知らない別人になっていて。
ただ頷くしかなく、空下さんは困ったようにぎこちない笑みを浮かべた。
それから空下さんは、三年間の俺との思い出を語り始めた。
空下さんと自分の馴れ初めや周囲の交友関係の話、幼馴染と疎遠になった経緯など。
他にもかなり真面目に勉強に取り組んでいて、単位は取り終わっていることや熱中していたゲームの話も。
どれも楽しそうに話していて、空下さんが微笑んでいる顔を初めて見た。
きっと幸せだったのだろう。かけがえのない日々だったに違いない。けれど、相手が自分のことだとは全く思えなかった。一切、引っかかる感覚さえなかった。
空下さんは話し合えると、こちらを窺うように上目遣いに見る。
「……どれか覚えてることとかありましたか?」
「……ううん。ごめん。やっぱり覚えてないや」
「そう、ですか」
僅かに空下さんの表情が僅かに陰る。テーブルの上に置かれた空下さんの手がきゅうっと固く握られた。
「私が知っていることはこれくらいです」
「そっか。ありがとう」
「いえ……」
沈黙が木霊する。なにか言葉を探すがなかなか見つからない。ひたすら針だけが動いていく。
固まった時間を割くように、空下さんがゆっくり顔を上げる。
「……これからのことですけど、一つだけ聞かせてもらってもいいですか?」
「うん」
「要くんは小鳥遊さんが好きなんですよね?」
「え、なんでそれを……」
あまりに突然すぎて、あからさまな反応をしてしまった。こんなのはバレバレに決まってる。
あまりに分かりやすかったみたいで、空下さんは少しだけ表情を崩す。
「前のあなたが教えてくれました。記憶を無くす前は、幼馴染の人が好きだったみたいだって。残されていた写真とか手紙とかで察したみたいです」
「そ、そっか」
好きな人が駿以外にバレたことがないので、かなり恥ずかしい。込み上げた熱が頬に籠っている。
「その反応ですと、本当みたいですね」
「うん、そうだね……」
嘘をつくつもりはない。もう諦めるしかないのだとしても、この気持ちだけは隠す気にはなれなかった。少なくとも空下さんを前にして。
「残念ながら明奈は駿と付き合っているからもう無駄なんだけどね」
「そんな……。でも、好きなんですよね?」
「そうだね。もう諦めるしかないんだろうけど、まだ忘れられないから」
昨日知ったことなのだ。すぐに気持ちを切り替えるなんて出来るはずもない。自分でも分かるほどの苦笑いが勝手に零れた。
「小鳥遊さんのどんなところが好きなんですか?」
「そりゃあ、いっぱいあるよ。例えば揶揄うと怒るところとか、結構口が悪いけど本当は優しいところとか、こっそり努力してるところとか」
話すたびに明奈との思い出が蘇る。幼い頃から高校生まで。明奈の知らない一面を知るたびにどんどん惹かれていって、気付けば好きになっていた。
「あと、やっぱり笑った顔は一番好きかな。笑うと目が無くなる感じがめちゃくちゃ好きなんだよね……ってなに話してるんだろ、俺」
諦めなきゃいかない人のことを、なんでこんなに語っているのか。
格好悪い気がして、右手で頭の後ろを掻くと、空下さんは薄い笑みを浮かべた。
「本当に好きなんですね」
しみじみと呟くような声。じんわりと辺りに木霊する。
空下さんは瞼を閉じながら頷いて、それからゆっくりもう一度瞼を開けた。真っ直ぐな瞳がこっちを捉える。
「……要くん、別れましょうか」
「え……」
「要くんも知らない人が急に彼女と言われても困るでしょう?」
「それは……」
困っているのは事実だ。だけどそれを本人に言うのは憚られる。
「空下さんはそれでいいの?」
他に選択肢はないのは分かっている。けれど聞かずにはいられなかった。
すると、空下さんは僅かに見守るように目を細めた。
「いいんです。分かっていましたから。ここに来る時には覚悟してきましたし」
なぜか胸が痛くなった。空下さんの声が変わったわけではない。様子もなにも変わっていない。けれど、心が締め付けられた。
「小鳥遊さんが好きな要くんのこと見て、踏ん切りがつきました」
一度息を呑む。
そして。
何か大事なものを紡ぐように。かけがえのないものと決別するように。言葉を吐露した。
「だから、要くん。別れてください」
空下さんは泣くように笑った。
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