第4話 幼馴染:小鳥遊明奈視点

 新しく出来たカフェ。この店の一推しらしいアイスラテを一口飲んでテーブルに置くと、カランと氷が鳴る。


「駿。来週出すレポート、めっちゃだるくない?」

「俺はもう終わったぞ」

「え、ずるい! ねぇ、駿、お願いがあるんだけど」

「手伝わないからな?」

「まだなにも言ってないじゃない」


 すげなく断られてしまった。なんて勘の鋭い奴。


「おかしいなー。上目遣いでお願いすればいけるって教えてくれたのに」

「誰だよ、そんな変なこと教えた奴」

「由紀〜。駿は私に甘いから絶対いけるって言ってた」

「あいつめ……」


 否定しないのは事実だからだと思う。この一年、駿から告白されて、どれだけ大事にしてくれているかは充分伝わってきた。……過去の傷も癒やされるほどに。


 「今度会ったら絶対口封じしてやる」となにやら物騒なことを呟く駿。相変わらず口が悪い。こういうところはずっと昔から変わらないね。


 なんとなく懐かしい気分になって笑みが溢れた。


「なに笑ってんだよ」

「べっつに〜?」

「はぁ?」


 睨んでくるけど、そんなことは慣れたもの。まったく怖くない。可笑しくてさらに笑っていると、駿のスマホが鳴った。


 スマホの画面を見て、少しだけ目を見開く駿。ゆっくりとスマホを耳元に運ぶ。


「はい」


 真剣な顔。様子が変。そんな緊張する相手?


「……え?! 要の記憶が戻った?」 

「っ!?」


 思わず息を呑む。久しぶりに駿の口から出てきたその名前は、私と駿の大事な、凄く大事な幼馴染。その人の名前だ。


「はい。はい。わかりました。これから向かいます」


 スマホを切って、僅かな笑みと明るい表情でこちらを見た。


「明奈。要の記憶が戻ったって!」

「ほ、本当に?」

「ああ、嘘じゃない。今おばさんから連絡あって。前に記憶が戻った時は連絡して欲しいって伝えておいただろ? 覚えてくれていたみたいでさ」

「どこにいるの?」

「県立病院。検査受けてるみたいだけど、会えるって」

「早く行かなきゃ!」

「ああ。急いで行くぞ」


 せっかくのデートではあったけど、それどころではない。いまいち現実感のないまま、お会計を済ませて駅に向かう。


(要が。要が……!)


 あの日から、まったく会わなくなってしまった要。どんな顔して会えばいいんだろう? 

 かつて私が好きだった人。久しぶり聞いた名前に要との記憶が掘り起こされていく。


 電車に揺られる中、なんとなく要との思い出を振り返っていた。


 暁要。私の記憶の1番最初から存在していて、私の人生のほとんどのイベントに登場する人物。要と駿はそのくらい昔から居て当然の存在だった。


 気付いた時には3人一緒で、何をするにもいつも3人。学校でも放課後でも、遊ぶのも怒られるのも。常に3人セットと周りから思われるくらい一緒にいた。


 要は時々からかってくるけど、いつも優しくて私を助けてくれて、昔から私の憧れの存在だった。


「明奈」


 ふとした時に私の名前を呼ぶ、その優しい言い方が好きだった。

 目が合うと薄く笑みが浮かぶその反応がたまらなかった。


 幼い心ながらに、要のことが好きなんだと自覚したのは今でも覚えている。


 もし、なんて考えるのは不毛なことだけど、要が記憶を失わなかったなら、要と付き合っていた未来もあったのかもしれない。けど、そんなことはありえない。


 全てはあの日。あの事故のあった日。あの日で全部変わってしまった。


 要の記憶喪失。初めてそのことを聞いた時は一瞬自分の耳を疑った。記憶喪失なんて、漫画やアニメ、ドラマみたいなフィクションの世界のものだと思っていたから。


 だけど、頭に包帯を巻いてベッドに座る要を見てすぐに、記憶喪失が事実だと確信した。


 私を見る暗い瞳。警戒する顔の強張り。明るく優しかった時の要の面影は一切なかった。


「……誰だ?」

「誰って……。私だよ? 明奈だよ? 覚えて、ないの……?」

「……悪い、覚えてない」


 あの時の会話は今でも鮮明に覚えている。無機質で無骨で、まるで別人になってしまったみたいなあの感覚は、苦く重く今でも胸の中で眠ってる。


 お医者さん曰く、記憶はいつ戻るか分からないという話だった。すぐに戻るかもしれないし、ずっと戻らないかもしれない。ただ、昔の思い出に触れていれば、刺激になって思い出す可能性は高まるかもしれない、と。


 それを聞いて、私と駿はできるだけ一緒に過ごすことにした。

 元々要の一大事で見捨てる気なんてさらさらなかったし、記憶を取り戻す助けになるなら、いくらでも力になる想いは強かった。


 けど、それが要には負担だったんだと思う。


 大学に通い始め、要が学食で食べてる姿を見つけて話しかけにいった。


「要〜、何食べてるの?」

「……カレー」

「昔から好きだったものね」

「別に」


 話しかけても前みたいに優しい返事は返ってこない。ちょこっとだけ適当な返事が返ってくるだけ。


 あるいは別な日。授業が一緒の時に要を誘い行った時。


「要」

「……なに」

「次の授業同じだし、一緒に行かない?」

「いい。一人で行くから」


 冷たい視線。苦手なものを見つめる目。話しかければ話しかけるほどに、要の態度が冷たくなっていく。


「ねえねえ。今度どこか一緒に出かけない?」

「行かない」


 折れていく。要の鋭い視線が私を射抜く度に話しかける勇気が消えていく。


「最近話せてないし、1時間だけでも話そうよ」

「忙しいから無理」


 折れていく。今まで聞いたことのない冷えた声を聞くたびに、胸が苦しくなる。


「……要。元気?」

「別に。どっちでもいいだろ」


 折れていく。もう知らない要の声が、視線が、辛かった。


 そしてとうとうあの日、決定的になった。


「あのさ。いい加減話しかけるのやめろ。あんたが俺に記憶を取り戻させたいのは分かるけど、戻らないんだから諦めてくれ」

「でも、なにかきっかけになって戻るかもしれないし……」

「……はっきり言って俺が嫌なんだよ。過去を知ってる人と関わるの。俺が知らないことを楽しそうに話されても全然分からないし、応えてあげられないことが辛いんだよ。もう、話しかけないでくれ」


 それだけ言い残して去っていった。あれから、私も駿も要を見かけても話しかけることをやめた。


 あの日以来、要と話していない。

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