第2話 現実

 裸体の女の子。思わず後ずさる。


「うわっ」


 ベッドから落ちた。床を打った鈍い音が部屋に響く。腰が痛いがそれどころじゃない。なんだ、これ。


 知らない女の子がゆっくり瞳を開けた。


「……もう、なにしてるんですか、要くん」


 宝石のような瞳が闇夜に光る。どこかとろんと口調が拙い。こしこしと白い手で目を擦り、俺と視線が交わった。僅かに口元が緩む。


「大丈夫ですか? 相変わらず寝相が悪いですね」


 呆れたため息の中にどこか親しげな雰囲気が滲む。訳が分からない。


「だ、誰……?」

「なにふざけてるんですか? 眠いんですから、そういうのは朝にしてください」

「いや、本当に分からないんだけど。てか、ここどこ?」


 目の前の女の子は誰なのか。なんで親しげなのか。今の状況はなんなのか。最後……、そう。最後、俺は車に轢かれたはず。それが……。


(怖い)


 誘拐? 監禁? 意味の分からない状況に取り巻かれる今の状況が、怖い。なんなんだ、これ。どうしてこんな場所に。こんな知らない人と。


 ばくばくと脈打つ心臓がうるさい。息が苦しい。


(と、とにかく服を着て……)


 幸い相手に俺への害意は見られない。とりあえず裸はまずい。暗闇の中でもカーテンが薄いせいか月明かりで部屋はなんとか見えた。


 床に脱ぎ捨てられた男物の服があった。もちろん見覚えはない。真っ黒で地味で俺の趣味じゃない。だが、着ないよりはましだろう。


 下着は見当たらなかったが、立ち上がってとりあえずズボンに足を通す。


「あの、要くん……?」


 ベッドから起き上がり、女の子が白い手を伸ばしてきた。ひんやりとした感触が腕から伝わる。


「っ!?」


 思わず、身を引く。バランスを崩して床に倒れた。急に触ってくるなんて聞いてない。思わず女の子の顔を見れば、なぜが酷くびっくりしたように目を丸くしていた。


「ど、どうかしましたか? 様子がおかしいですよ?」


 震える声が耳に届く。だけど、気にしてる余裕はない。急いで上落ちていたパーカーを羽織る。

 かちゃかちゃと手が震えて何度もチャックを締めることに失敗したが、漸く前を締めることが出来た。


「か、帰る」

「え?」


 部屋に扉は一つしかないので、玄関の方向はすぐに見当がついた。急足で部屋を横切る。


「ま、待ってください。どうしたんですか? なんで急に?」


 後ろから付いてくる気配は感じたけど、これ以上ここに居たくない。こんな訳のわからない場所、早く出ないと。家に帰れば、きっとなにかが分かるはず。


 玄関には明らかに一つだけ男物の靴があった。履くともちろんピッタリ足に合う。


 玄関を開ける直前、手を握られた。反射で腕を引く。


「は、離してくれ」


 解かれる左手。すぐに玄関を飛び出す。扉が閉まる直前、呆然と立ち尽く女の子の顔がやけに脳裏に残った。


「はっ、はっ、はっ」


 無我夢中で夜の住宅街を走る。知らない風景。知らない匂い。知らない街並み。道も場所も全く分からない。


(なんなんだ、これ。なにが起きてるんだよ)


 右を見ても左を見ても、知らないものだらけ。自分の記憶にあるものは一切ない。一体なにが起こっているのか分からないまま、ひたすら走り続ける。


 しばらく走ったところで、ポケットから電子音が鳴った。足を止めて取り出す。


『大丈夫ですか? 急用ですか? 空下千冬』


 見たことのないスマホ。通知は普段使っていたMINEのメッセージで送り相手は知らない名前。

 ロックがかかっているかと思ったが、顔認証は俺の顔で開いた。


「は? 本当に?」


 いくつか見知ったアプリ達の背景には、さっきの女の子と自分が写っている。仲良さそうに顔を寄せて。こんな記憶は俺にはない。


(とりあえず今の場所を……)


 気になることは沢山あるが、まずはここがどこなのか。そこからだろう。地図アプリを開けば、住んでいた県の隣の県。俺が通う予定の大学がある県だ。


「なんでこんなところに……」


 嫌な予感がする。背中が寒い。喉が渇く。疼く嫌な動悸を抑えて、唾を飲む。こくりと生唾が喉を通る。


 恐る恐る指をスライドさせる。表示されたのは今日の日付。


「っ……!」


 俺の記憶にある日付から3年が経っていた。


 

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