馬刀葉椎の木陰にミミズクを見つけた日:あ、「マテバシイ」って読むからね
@Qanan
第1話
あこがれの能力者から初めてもらったメールは、
ISBN 978-4816358036
ISBN 978-4829988145
たった2行だった。
それが今、根岸の駅前、マクドとドトールの間で呆然としている。私は一体何を見たのか。
きっかけは惰性でつけていたテレビ。野生動物のドキュメンタリー番組だった。「シジュウカラ」という小鳥が言葉を使って情報伝達しているそうで、その研究が紹介されていた。1単語だけではなく文章で情報発信していることが突き止められたと。
知能が高いとされるイルカやクジラでも文章でコミュニケーションとまでは行かないらしい。なのにすんごく脳みそのちっちゃい小鳥が文章を組み立てる。記憶する。なんだそれ。そこそこ大きな私の脳の立場がないではないか。
とにかくそのシジュウカラとやら、日本中どこにでもいるらしくネットに情報があふれている。住宅街にも出現するとあるが20数年横浜のはずれで生きてきて私は見たことがない。調べてみたところ、自宅からそこそこ近い戸塚の公園で探鳥会というものが催されるとのこと。早速休日に参加してみることにした。
なんたって「タン・チョウ・カイ」である。皇室の方たちのご趣味であらせられるような高貴な雰囲気も漂っている。
実際は、三脚の先端に望遠鏡を付けて、その足を閉じた状態で担いだ男性たち数名が先導役のイベントだった。公園内の要所要所で立ち止まり、三脚の脚を開いて望遠鏡で樹木などに留まっている鳥にピントを合わせる。そして初心者や望遠鏡を持っていない参加者に覗かせて鳥を見せてくれる。
公園と言っても子どもがデビューするタイプの街の公園ではなく、木が生い茂って山の中のような雰囲気さえある。
「あのぉ、シジュウカラが見たいんです」
一通りの挨拶や自己紹介を終え歩きだし、しばらくしたところで思い切って初老の男性に声をかけてみた。
「シジュウカラ? ああ、今そこでカチャカチャ啼いてるのがシジュウカラ。ちょっと待ってね、スコープに入るかなぁ」。
男性は望遠鏡(スコープ)を操作し、
「お、いたいた、早く見て、飛んじゃうから」
と私を急かした。
望遠鏡を覗いてみると黒い頭に白い頬、背中の黄色い小鳥がチョロチョロしてる! と思ったらすぐに望遠鏡のレンズの外に飛び出てどこかに行ってしまった。
「あぁ、飛んじゃったね」。
横浜アリーナでコンサートを見る用に買った小さい双眼鏡、得体の知れないメーカー製のを一応持参していたものの、高そうな趣味のお道具に適うわけもなく、しかも使い方をあまりわかってない双眼鏡で飛び回る鳥を追いかけるなんて至難の業だ。でも、見たぞ、シジュウカラ。
歩きながら肉眼だったり望遠鏡越しだったり、いろいろな鳥を紹介された。鳩から小鳥まで本当にいろいろ。しかし「そこにいる!」と教えられても私には見えないことが頻繁にあった。なんだろうこの「見えない」という衝撃。
私が持参したのと同じくらいコンパクトな双眼鏡で見えてしまう人たちは何なの? 裸眼でも見えてしまう人々は能力者?
「あの白くなってて、こうモワーっと葉っぱが生えてるとこの近くにいます!」
などと教えてはくださるものの、いや、え? どこですか? え〜〜〜?
キョロキョロしていたところに前からひとりでやってきた青年、いかにも常連といった風情でやはり三脚を肩に担いでいる。私が参加してるチームのリーダー役の中年男性がその青年に声をかけた。
「なんかいた?」
「ヤマシギもヒクイナもいないです。タシギがチラチラ。猛禽もナシ。なんですかね、今年は鳥が少ないのか」
先程から聞いたことのない鳥の名前を次から次へと連呼され、脳が記憶することを拒否しスルーを決め込んでるところにまた新たな聞いたことのないワードの羅列。ベテランらしき中年男性がくたびれた図鑑をめくって「ほらこれ」と該当する鳥のイラストを私に見せてくれるがもうお腹いっぱいです。青年は「じゃ、今日はこれから八景にでも行こうかと思って」と言い残し去っていった。
その日はシジュウカラが何回か見られたから良し、他の鳥と比べてひときわ多いとされる啼き方(しゃべり方)のバリエーションも聞けたから良し、雄と雌は胸のネクタイみたいな黒い線の幅が違う、というポイントがわかったのも良し、と一件落着して帰宅した次の朝。家の前から聞こえてきたのは、まごうことなきシジュウカラのさえずりだった。前日戸塚で聞いたばかりなのではっきりわかる。
カーディガンを引っ掛けて玄関から出てみれば、たしかに門扉横の木からシジュウカラの声はする。するのだが葉に隠れてシジュウカラの姿は見えない。というか、もしかしたら見る人が見たら見えるのではないだろうか。
ちょうど隣の奥さんが出がけで「あらシジュウカラ、今日も来たのね」だと。
なんだ……わざわざ出かけなくてもここにいるんじゃん。気が付かなかった……こんな近くに……「青い鳥はすぐ近くに」を体感してしまった、青くないけど。しかも鳥マニアってほどでもなさげな奥さんでさえ知っている……。探鳥会に参加しなければ一生気付けなかったかもしれないほど私はボサっと生きているということか。
そして。
ほとんど耳の横から声がしているように聞こえるシジュウカラの姿を見られない自分に悔しさがこみ上げてきてしまった。気が付けばあちこちからいろいろな鳥の声がする。今朝になって急に耳の詰まりが取れたように鳥の声が聞こえ始めた。私は今まで何を聞いてきたのだろう。
現状、私は人に頼らないと鳥を見つけるのが難しい。道の真ん中を堂々と歩いている鳩、今、目の前にいるのがキジバト、というのは昨日教えてもらった新知識だが、こんなところにもいたんだ、という驚きはさておき、鳩くらいはさすがに見えるとしても木の中、藪の中から鳥を探し出すのはひとりでは難しいのだ。いやぁ、この趣味あたしにゃ向いてないわ。野生動物恐るべし。
それから幾日かたったある日、またテレビである。今度は「シマエナガ」特集。
ものすごく可愛い。あざとく可愛い。自分が可愛いとわかっていてポーズとってるよね、この子たち。かくして私は白い小鳥にやられてしまった。
調べてみたところシマエナガは日本では北海道にしかいないらしい。津軽海峡を渡ってこいよ! と思ったが、シマエナガから「シマ」をとった「エナガ」という鳥は関東平野にもいるそうで(と言うよりもエナガに「シマ」を付けてシマエナガ、が正解)。本州の子は真っ白な妖精ではなく落武者みたいな髪型……頭の模様をしているが、それはそれで可愛い。しかしシジュウカラと違って住宅街で気楽に見られるものでもないらしい。
また探鳥会に行ってみようかな? 見られるかな、エナガ。
高校のときのサークル仲間、渡邉を誘ってみたが思い切り断られた。
彼女はシマエナガなぞとっくに「押さえてる」そうで、シマエナガブームに出遅れた私は「いまさら?」と言われてしまった。
「でも現物を見たいと思わない?」
「いや……てゆーか、それ、なんかアイドルに対する欲望みたいだよね」
「そうかもしれん……」。
彼女は、古典文芸サークルとは名ばかりのマンガとアニメのサークルからただひとり大学の国文学部に進んでホントに古典を学んだ人だ。今は書店員をしながらボーイズグループの推し活に励み、アイドルにも一家言ある人である。
「いきなり野鳥ってのが21世紀に昭和を生きるヒロちゃんぽいよね。だいたいその集い、若者いるの?」
「いな〜い……あ! いた! 若めの男子、一応いたよ! まあきっとオタクなんだろけど」。
通常、まだ若いと言って差し支えのないそれなりの女性が、男性多めの、女性は中年以上のみのイベントにひとりで参加したらなんとなく気まずいと言うか、妙なチヤホヤ感が生じてしまったりするものではないかと思うが、探鳥会とは基本的に鳥のことしか考えないイベントだった。他の探鳥会がどうだかは知らないが、とにかくあの集いは霊長類ヒトのことなどあまり考えていないのがかえって気楽だった。
というわけで、再び戸塚の公園の探鳥会に参加した。一緒に歩くグループに先日の若めの男子の顔も見えた。
「斎藤さん、オレ、結局スワロ買うことにしました」
男子は中年男性であるところの斎藤さんに何やら報告している。え? 今スワロって言いました?
「あのぉ、スワロってスワロフスキーですか?」
思わず口を挟んでしまった。
ちょっと待ってよ、もしかして? この鳥にしか興味のなさそうな愛想のない男子にスワロのキラッキラしたジュエリーを贈る相手がいるってこと? 少々動揺していると斎藤さんが笑いながら、
「スワロフスキーはオーストリアのガラス屋でね、その技術でグループ会社が双眼鏡なんかも作ってるんだよ。松原くん、どのモデル買うの?」
だと。なんですとー! というわけで若めの男子であるところの松原さんは奮発してスワロの高額双眼鏡をゲットしようとしている、とのことだった。
「あのー、双眼鏡ってものによってそんなに違うんでしょうか」
と聞くと
「ぜーんぜん違うね。えっと……」
「岡崎です」
「あ、そうそう、岡崎さんみたいな初心者はまだそれでもいいかもしれないけれど、もっと鳥に興味が湧いてきたらもうちょっといいのを買った方がいいよ」
と斎藤さん。キラキラじゃないスワロがこの世に存在していてしかも高性能で高価格、というのを知っただけでも今日来た甲斐があった、じゃなくて私はエナガが見たいんだった。
が、本日の最大の驚きは「ウグイスは鶯色じゃない」ということだったのだ。
私が「え? ウグイス?」と思った鳥は「メジロ」という名であった。ものすごく可愛い。きれい。ヤバい。語彙喪失。
初心者あるあるの間違いと言えばウグイスとメジロ、と言われているほど日本のそこらじゅうで誤解が生じているらしい。鳥だけにトリ違い、といったのは斎藤さん。そしてなんとメジロも季節によってはフツーに街にいるそうだ。斎藤さんによると「こないだも麹町の会社の前の街路樹を群れで過ぎてったよ」らしい。
さらにもうひとつの驚きはメジロもシジュウカラもスズメより小さいということだ。スズメのことを世界最小と思いこんでた私は、ホントに何も見ずに生きていた。野生は山奥や大草原にしかないという先入観でフィルターされた世界をただ表層で感じていただけなのだ。
さてこの探鳥会のグループ、交わされる言葉の端々を追えば、中年老年の男性たちには皆妻子があるようだった。こんなディープな趣味を持っていて一体どこで女性と出会ってどうやって結婚まで漕ぎつけたのだろう。奥様が野鳥趣味って人はいなさそうだし20世紀は実に牧歌的な時代だったんだろうか。
などと思っていると中年女性軍団から「あ! エナガ!」の声が上がった。
「ほらほら、結構群れてる! 見えますか?」
と私に目配せしてくれたその先、いくつもの小さいツブテがパサパサと飛び込む一本の木を指差した。
「見えます? エナガ」
「これはスコープに入れるのはちょっと難しいなぁ」。
必死になってツブテ、つまりエナガを裸眼で追いかけるが逆光ということもあって見えにくい。
「ほらあのピラカンサ、赤い実がたくさんなってるところの右側、Yの字に枝が分かれてる、そこをちょっと右上に行ったところ、いるでしょ?」
と松原さん。言われるがままに小さい赤い実から目で辿ると、いた〜〜〜!
「あ〜〜! いましたいました!」。
かくして枝をつつきながら首をかしげるエナガを無事に双眼鏡で見ることができたわけだ。
このあとも松原さんのツボを押さえた説明のおかげで次々と鳥たちを双眼鏡に入れることができた。前回見つけるのを諦めたタシギというヤツも無事に見られた。アーモンド型の瞳が超可愛らしいシギの仲間である。
今日、この世に存在することすら知らなかった鳥たちを見つけられたのはほとんど松原さんのおかげだった。具体的な位置の説明をとっさにできるのは才能と言っても差し支えないのだろう。他の参加者も「さすが松原くん」と盛んに感心していた。この能力、マジ憧れる。まるでスワロのようにキラキラ輝く能力ではないか。
が、私の双眼鏡は妙に光を反射して、いいところで鳥ちゃんたちが見にくいことこの上ない事態も頻発。買うかなぁ、双眼鏡。
「あのぉ、双眼鏡って、とりあえず私くらいの人は何買ったらいいんですか?」
「そうねぇ、倍率ねぇ、10倍だとちょっと大変かな? 最初は8倍くらいでいいと思うよ」
と斎藤さん。
「だいたい3万円くらいからなら……」
「さ、さんまん!」
瞳孔が開く私。
「斎藤さん、そういうこと言うからまた初心者が怖気づいちゃうんじゃない、私のなんてAmazonで1万円しなかったわよ〜」
と中年女性。
結論は、1万円も出せばお値段なりのものは買える。ただし名前を知ってる日本のブランドが無難。野鳥の世界で双眼鏡を使うにはコツがあるので練習は必要。
ちなみに何人か持ってる人がいて気になっていた超デカい望遠レンズのデジタルカメラはまた別の特殊技能が必要で、特殊な沼とのことだった。
「あぁ、あと図鑑ですかね。こないだメルカリに学研のLIVE、っていう子ども向けのがあって思わず買っちゃったんですが、斎藤さんが使ってるそれはどうですか?」
「これ? 日本野鳥の会のだよ。鳥見用のは子どもの図鑑とは違うからねぇ。松原くんが詳しいよ、集めてるもんね、なんかオススメある?」
「ん〜、持ち歩かないで家で見るだけならブンイチのヤツ、デカくて重いけど見やすいっす。あと、イラストより写真の図鑑のほうが合ってる人もいるかな。正確なタイトルとかは今すぐにはわかりませんけど。岡崎さん、LINEは?」
「それが……昔LINE詐欺に引っかかって周りにすっごい迷惑かけたのと、そのあとまた盛大な誤爆をやらかして大顰蹙で家族から禁止されてます……スイマセン……メルカリも弟に頼んでます……メールならなんとか……」
「あー、ならメールします、アドレスください。オレも普段は通知全部切ってるから、鳥見のときにうるさいんで、だからレスポンスは悪いです」。
といった流れで私のもとにたった2行、図書コードのみのメールが送られてきたのであった。
後日、それを参考に図鑑を買い、また教えられた通りの双眼鏡をAmazonで買いもした。投資した金額的にももう引き下がることはできない。見るんだ、鳥。
探鳥会で引っかかった言葉に「ドウテイ」というものがある。なんのことはない「同定」で、見た鳥について「あれはムクドリ」などと名称を特定することなのだが、「ドウテイお願いしまーす!」などの言葉が飛び交う現場に最初はギョッとしたものだ。時折、同定に図鑑を利用したりもする。なので図鑑を読む能力ってのもあるのではないかと思った。
能力はカケラもないが図鑑を眺めているのは楽しい。ビロードキンクロ? なんだこれ、ふざけてる? みたいな鳥もいれば、ぜひとも出会いたい可愛らしい鳥もいっぱいいる。
とにかく練習だ。双眼鏡を使いこなさなくては。
次の休み、横浜駅周辺で買い物をした帰りの午後、私は久々に山手駅で降りた。
駅前のコンビニでペットボトルのお茶を買う。ここから先は登山である。
以前伯父が「横浜は坂だらけだから住人には健脚が多い」と言ったら、横浜の短大卒の伯母も「誰もハイヒールなんて履いてなかったわ」と付け加えた。坂と言うより横浜はもはや登山である。
本日の山手登山、3合目くらいですでに後悔の念が生じ始める。なぜ徒歩なのか、自分。磯子の我が家も5合目くらいだがバスから降りて坂をちょっと下ったところにある。駅から登るくらいならタクシーを使うので基本、山登りはしたくない。
住宅街という名の山道を登ったり降りたりしつつ、ペットボトルのお茶を1/3くらい消費したらようやく見えてきた「COMMANDER U.S. FLEET ACTIVITIES YOKOSUKA」の大きな看板。根岸の森林公園にやってきたのだ。ウチは根岸寄りの磯子でこちらに来ることは滅多にないため久しぶりである。
第二次世界大戦前に競馬場の観覧席だったというレンガ造りの巨大な建造物が堂々とそそり立つ。戦後米軍に接収されていたが後に日本に返還され、今でもその名残がある。
ウチの父が子どもの頃探検したときは「夕方で暗くて怖かった」「まだ公園なんて整備されていなかった」そうだ。あまりのインパクトのためか、この場所は個人利用以外は撮影禁止になっているほどである。
当時の競馬コースがあったであろうあたりが今は芝生が広がる公園となっていてその周囲が樹木で固められている。私の目的は双眼鏡の練習だ。女子とはいえ家族連れが多く遊んでいる公園内で双眼鏡を振り回していたら怪しさ全開である。どこか人がいない木陰はないものかと探しにかかる。
かつて観覧席があった建物の下は今は金網の柵が巡らされていて、馬が走るコースの形跡はかけらもない。その柵沿いに続く林の中であればどうやら人はおらず、鳥は無理でも木の枝なら動かないので双眼鏡の練習にはなりそうである。そんな私をからかうように頭上でヒヨドリがキーキー啼いている。うるさい。
人目を避けて少し進むと目の前に大木が現れた。公園が整備されたときに植樹されたとして樹齢40年くらい? 太い枝が横に向かって生えたりして、相当な年季である。よぉし、この木で双眼鏡の練習だ。
まず、両目の間隔に合わせて双眼鏡を開く。次に左目だけで覗いて真ん中のリングでピントを合わせ、続いて右目で覗いて右のレンズに付いているリングを回してピントを合わせる。遠かったり近かったりを調整するには真ん中のリングを回す、ので右側のリングは一度合わせたらほとんど触れる必要はない。ということを知らないでいた人に「見えにくい」なんて言われた古い方の双眼鏡には気の毒だがこちらのほうが断然見易い。値段以上の差がある。
しばし遠いところ、近めのところにピントを合わせる練習をしていたらバサバサっと頭上より少し前方で音がした。カラスかな? カラスも本州このあたりには「ハシブトガラス」と「ハシボソガラス」がいて種類が違うんだったな、どれどれ、同定してみるか、と音のした場所に双眼鏡を向けてみて「え」と声が出た。
派手なオレンジ色をしたフクロウ? もしかしてミミズク? が枝の中ほどに止まりこちらを見ている気がするが逆光で顔のあたりがよく見えない。こういうとき不用意に動くと鳥が逃げてしまうのは学習済み。あまりの近さで双眼鏡を構えたまま身動きが取れなくなってしまった。
フクロウ? もしかしてミミズク? なイキモノは何か音声を発している。「ホホウ」なんていう有り体なものではなく、なんだろう、例えるならNHKのチコちゃん……? みたいな、「音声は替えてあります」な、犯罪組織の匿名の証言者みたいな音を発してるよ。
例えば「ブッポウソウ(仏法僧)」という鳥の名前は、その鳥の鳴き声がブッポウソウと聞こえるからブッポウソウになった、など、鳴き声の空耳から安直に命名された鳥は意外とたくさんいるらしい。
その例から言えばこのフクロウ or ミミズクの鳴き声は「赤いボールペン!」と聞こえなくもない。そんな鳥の名前は嫌だな。
空耳と思っているといろいろなバリエーションが聞こえてくる。
「右回り!」「馬券!」「右回り!」「赤いボールペン!」
競馬場にいるという刷り込みからか競馬用語の羅列にすら聞こえる。高度な言語コミュニケーションである、ふふふ。
笑ってる場合ではなく、とにかく特徴を記憶してあとで図鑑で調べなくては! と観察しようとするものの、ますます逆光で羽の先くらいしか見えない。こちらを警戒するそぶりはなく、なんならあちらからこちらに少しずつにじり寄っているようにも感じる。双眼鏡越しで距離感が掴めない。もしかしなくても相手は猛禽類。鋭い爪とくちばしで襲われたらどうしようという恐怖も首をもたげる。ヤバいヤバい……! えぇっと、横浜にもフクロウ or ミミズクっているよね? これはありうる状況だよね? 珍しくないよね? 知らんうちに時空の狭間にワープとかしてないよね、私。
どれくらい時間がたったか、フクロウ or ミミズクは急に羽をバサバサし始めたかと思うと、公園の向こう側、「馬の博物館」の方に飛んでいってしまった。そのときチラッと頭の上にトンガリが見えたのでおそらくミミズクだろう。
とにかく今観察したポイントを羅列して松原さんにメールしてみることにした。個人的メアドを把握している野鳥関係者が松原さん以外いないので仕方がない。メール送信後ヘナヘナと木によりかかり、お茶をすすっているとスマホの通知が鳴り松原さんだ。思いがけないクイックなレスポンスである。
「多分カゴ抜け。警察に届けて」
カゴ抜けとは、動物園やペットなど飼育されていたのが逃げ出した個体のことを指す業界(?)用語である。
私は「わかりました」と松原さんに返事して、できるだけ詳しい状況がわかるようにとミミズクが止まっていた樹木の名前を調べ始めた。スマホのカメラを向ければ簡単にわかるなんて便利な世の中、というのもあまりにも樹木の名前を知らない私が探鳥会で教えてもらったことのひとつである。米軍の跡地でアメリカのネットサービスに感心する図式だ。
この木はどうやら「マテバシイ」というらしい。漢字で書くと「馬刀葉椎」。名前の由来は諸説あるようだが、競馬場跡に生えてるから馬刀葉椎、ってのはどうですか? などと悠長なことを言ってる場合ではない。 私は海の見える急な坂とそこから続く階段を転がり落ちるようにして山下本牧磯子線、すなわち横浜市主要地方道82号に出た。そこには交番がある。
交番で事情を告げたところ邪険にされず丁寧に対応された。何かあったら連絡するということで、ドッと肩の荷をおろした気分になりゆるゆると根岸の駅まで歩いた。
イヤしかし待てよ。あんなにオレンジ色した鳥って、たしかにカワセミの腹などそんな色をしているがヤツは全身がそう見えたぞ。学研LIVEの鳥図鑑の表紙のフクロウだってオレンジといえばオレンジだが、さっき見たのはそんなもんじゃなくオレンジだった。鳥の羽の色は「構造色」といって、カラスもメジロも実際の色素ではなく光の加減でそう見えてる、って言われてもオレンジはオレンジだったじゃないか。しかもすごく大きかった。双眼鏡越しでよくわからなかったけれど人の上半身くらいの大きさはなかったか? カラスなんかより大きかったんじゃないか? しかもあの音声。
私は一体何を見たのか。
マクドとドトールの間で呆然としていても仕方がないので、とりあえずドトールでバスを待つことにした。ミラノサンドを頬張りながら「オレンジ ミミズク」で検索してもよくわからない。
よく考えたらドトールすぐそこの駅前にも交番があるのに、慌てていて山の麓の警察に行ってしまったんだった。どうかしてるなぁ。
その3日後、警察より連絡あり、所有者が無事にミミズクを見つけて保護したとのことだった。
所有者は「山手のドルフィン(大昔ユーミンの曲に登場したことがあるらしい)」の近くに住む中年夫婦で窓を開けたスキに逃げられてしまった、公園も探し回ったが見つけられないでいた、念の為私が遭遇した場所に行ってみたらビンゴであえなく御用となった、鳥の種類はワシミミズク、名前は「ブッコロー」。と聞いて検索してみたら私が見たのとはかなり違うフツーに大きいミミズクが現れた。それじゃない。
てな話を同級生の渡邉にしたら「なにそれ、ラブコメ要素ゼロの異世界モノ? 安直なラノベだってそんな設定にしない」と笑われた。
探鳥会で再び顔を合わせた松原さんは「ワシミミズク、横浜の自然界にはいないから。いるならギリ北海道」とあっさり。へぇ、エナガみたいに「シマミミズク」って呼ばないんだ。
ついでに「日本の野鳥の個人での飼育は特別な許可がない限り法律で禁止されてるから、それは外国産」らしい。
あの日メールの返信が早かったのはたまたま鳥見の帰りの飛行機の中にいたからだそうだ。てゆーか鳥を見るためにわざわざ飛行機に乗ってどこかに行くのか、とんでもないな。
そんな私は結局ほぼ月イチで探鳥会に参加する身となってしまった。野鳥はどこにでもいるから毎日楽しめて安上がりでもある。
後で知ったことだが、根岸の競馬場のコースは本当に右回りだったらしい。
馬刀葉椎の木陰にミミズクを見つけた日:あ、「マテバシイ」って読むからね @Qanan
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