ゲルダたち

鈴木秋辰

ゲルダたち

ゲルダは村で一番の狩りの名手であった。

これはゲルダの父もそうであった。そして、ゲルダの父の父も。そしてその、ゲルダの父の父の父もそうであったと聞いている。

そのためゲルダは村の女性に人気があった。これはゲルダの父もそうであった。そしてゲルダの父の父も。そしてその、ゲルダの父の父の父もそうであったと聞いている。

今年の風の月の終わりにゲルダは二人目の妻を娶った。ゲルダの父もゲルダと同じ歳の時にそうしたという。今、ゲルダの父には五人の妻がいた。

これはゲルダが父のようになりたいだとか、ずっと続いてきたことに対してそれに倣うべきであると感じたからだとか、そういった理由から起こった事ではなかった。ゲルダたちの生き方は現象そのものだった。風が吹くように。風が葉を揺らすように。落ちた葉が水面に波紋を広げるように。あらゆることは起こるから起こる。それは現象に過ぎない。ゲルダ達もまた現象に生きていた。だからゲルダは父に倣っただとか、あるいはそれが必要だとかでは決してなかった。その行為に意味はなく。また、行為ですらなく。ただ父と同じように結婚をしたという現象に過ぎなかった。ただ風が吹くように生き。風が葉を揺らすように生き。落ちた葉が水面を揺らすように生きているだけだった。

それから何年かの月日が経った。ゲルダには息子がいた。ゲルダの息子は風の月の終わりに二人目の妻を娶った。その時、ゲルダには五人の妻がいた。

妻を娶る時。狩人は狩りに赴く。大きな獲物を獲るのだ。結婚に使う狩りの道具は特別だった。弓は自分のものではなく父のものを使う。そして、五人の母達から一本ずつ矢をもらう。矢の羽根はそれぞれ異なる色をしていた。森に住む極彩色の鳥から取れる羽だ。一番目の母は赤、二番目は黄、三番目は緑、四番目は青、最後となる五番目は紫。虹の外側から内側へと色が移り変わるように五人の母の矢は色を変えている。どの矢が獲物を仕留めたのかを知るためだ。そして矢は必ず一番目の母の赤い矢から放つのだ。こうしてゲルダの息子はゲルダの弓と母達の五本の矢を携え、森へ分け入った。

村の周りは全て森に囲まれていた。それがこの世界にとっての世界の全てであり、また永遠でもあった。村も森に囲まれた中で久遠の時を刻み続けてきた。当然、村の人々は森のことは熟知していた。だが、全てを知る事はできない。彼らは狩猟や採集のために森へ入る。獣や果実を手に入れた後、彼らは村へと帰投する。彼らの知る森は村から手が届く範囲での森だった。その外側は未知であった。しかし、その外側を知る必要はなかった。森の向こうには森が広がっており、その向こうにも森が。また無限が、宇宙が、闇が、そんな森が無限に広がっていることを彼らは、否、彼らの魂が本質的に理解をしていた。これもまた森に囲まれた中で悠久を培った村の血脈の成す現象なのだろう。

深い森の奥の奥、ゲルダの息子は獣を追っていた。森には霧が出ていた。日の沈む時間はまだ先であったが、あたりは薄暗く、森の深淵はその闇を広く漂わせていた。

獣を追い、森の深奥へと沈みゆく。狩りにおいて、最も重要なのは初めの一矢である。それを外そうものなら獣は一目散に逃げていくだろう。だからゲルダの息子がいくら五本の矢を持っているからといって、無闇にそれを放つわけにはいかないのだ。

追跡にあたって、獣の気配は極めて希薄であった。霧のせいもあるだろう。

だが、狩人であるゲルダの息子もまた同じだった。獲物に対してかなり距離を縮めたはずだが、まだ気取られてはいない。

現象として生きる村の一族である彼らに『狩りをする』、『獲物を追う』行為は意志を伴った行動ではない。ただ森の一部として。葉が揺れ、風が吹き、ゲルダの息子が歩く。森の中でそんな現象が繰り返されているだけなのだ。現象の発生を気取ることはできない。

妙だった。接近により獣の気配は非常に強まっているにも関わらず、その獣の正体を、輪郭を掴む事ができなかった。霧の仕業か。だが、狩人であるゲルダの息子がここまで近づいたのにも関わらず、その実態を掴めないのはなんとも妙な事であった。

しかし、この距離であれば間違いはない。狙える。ゲルダの息子は弓を構えると一番目の母の赤い矢を番える。獣は。まだそこにいる。息を止める。弓を引き絞る。まだ。もっと引き絞る。今だ。手を離す。

刹那、背後より放たれた矢がゲルダの息子の頬を掠めた。とっさに身を屈めた視界の端に捉えた矢羽根は赤い色をしていた。ゲルダの息子が放った矢は。どうなった。獣はまだ先にいる。立っている。外した。

背後から放たれた矢も気がかりだがそれどころではない。結婚の獣を逃すわけにはいかない。急ぎ、二番目の母の黄色い矢を弓に番える。焦っていた

今、ゲルダの息子には明確な意思があった。彼はいつしか現象ではなくなっていたのだ。獣もまた、背後から忍び寄る狩人に気が付いたのだろう。獣の動きは激しくなり、村とは反対の森の深淵へと駆け出した。この矢を外すわけにはいかない。一撃で急所を射抜くのはもはや難しいだろう。しかし、まだ矢はある。一矢、確実に当てる事で布石とする。ゲルダの息子は再び息を止める。思い切り弓を引き絞る。放つ。外した。次だ。三番目、緑の矢を番える。また、息を止める。森は静かだった。引き絞る。放つ。手応え。獣の気配が消えた。命中した。それも急所だ。

また、その時。ゲルダの息子の心臓を緑の矢が貫いていた。三番目の母の矢である。ゲルダの息子は息絶えた。命が終わる。死ぬ。まさしく現象であった。狩りの中、現象を捨て意思を持ったゲルダの息子は最期にまた現象へと還っていった。

三番目の緑の矢に続き四番目の青い矢も外した。しかし、ゲルダの息子に焦りはなかった。風のように、水のように五番目の紫の矢を番え、放つ。それは命中し、獣を仕留めた。ゲルダの息子の前には四人の獣の骸が横たわっていた。それは森の奥へと順に並び、ゲルダの息子を森の宇宙の深淵へと誘うかのようだった。だが、ゲルダの息子は村へと引き返した。証拠の獲物も、矢も不要だった。

ゲルダには五人の妻がいた。ゲルダの息子には五人の母がいた。母は子を産む。五人のゲルダの息子。五人の私。私。私私。私私私私私私私私。村へと戻る頃、私は現象ではなくなっていた。理由を知り。意思を持っていた。現象だったゲルダの息子は皆死んだ。そして私が生まれた。

その後、私は二番目の妻との婚姻の儀をあげた。私は妻に笑いかけた。それは風が吹くように、風が葉を揺らすように、落ちた葉が水面を揺らすように笑ったのではなく。私が笑いたいから笑ったのだ。私が狩りへと赴くことはもうなかった。

そのかわり、一番目の妻との間に既に産まれていたゲルダの息子の息子に狩りを教えた。

ゲルダの息子の息子は村一番の狩りの名手になった。

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ゲルダたち 鈴木秋辰 @chrono8extreme

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