世紀末の恐竜
鈴木秋辰
世紀末の恐竜
恐竜の写真が撮影されたのは郊外の里山の一つだった。
撮影したのはハイキングに来ていた家族、5歳になる一人息子の少年がいたずらにシャッターを切ったフィルムカメラの最後の一枚に恐竜は収められていた。その写真は細い山道を挟む木立の奥へ駆けて行く緑色の巨大な後ろ足と周りの木々と違わぬ太さを持った尻尾を捉えていた。肝心の胴体と頭部は茂みの奥へ隠れてしまっていた。また、こどもがいたずらに撮影したものだから写真そのものもひどくブレていた。しかし、ブレたことによって引き伸ばされた景色が今まさに人に見えて森へ逃げ込まんとする未知の生物の焦燥を真に迫るものとしており、むしろその写真の説得性が増しているように感じられた。その家族、父親と母親の近所での評判はあまり良いものではなかった。そもそも、彼らがハイキングに向かった里山はレジャーとして開放されている土地ではなく、平たく言ってしまえば不法侵入であった。そして、その手の人間には必ずと言っていいほど持ち合わせていた功名心が彼らにもあった。彼らはその写真をテレビ局や新聞社、オカルト雑誌へと送りつけたのだった。
世紀末も近い昨今、世間は宇宙人だU F Oだとそう言った娯楽にひどく敏感であった。ところが恐竜となるとまた少し毛色が違ったのであろう。その家族が一番期待していたテレビ局がその写真を特集することはなかった。
一方、その写真と目撃情報を受け取ったオカルト雑誌社。彼らはその恐竜写真を大々的に取り上げることにした。写真とともに各界の専門家のインタビューを掲載したのだ。この後ろ足の特徴は間違いなく太古の昔に生息していた恐竜に違いないと名も知らぬ大学の怪しげな古生物学者。こどもの背丈から撮影された写真なのだから遠近感の関係でトカゲの類が大きく見えてしまっているのだろうと野鳥撮影家。この写真には絶滅してしまった生物の怨念がこもっていると霊能者。
記事はそれなりに話題になった。里山が都心から車を使えばそう遠くないことも幸いし、退屈な大学生のグループや若いアベックが肝試し気分で実際にその里山へ訪れたのだった。そこでオカルト雑誌社はこのネタはまだ使えるぞと更なる特集を組んだのだった。
そんな折、この里山に古くから住んでいた老夫婦、おじいさんの方はしばらく前から病に伏せってしまってしまい、寝たきりの生活をしていた。普段はおばあさんと一緒に食事の準備をしていたのだが、動けなくなってからはおばあさんが懸命に食事を運び、繋ぎ止めるようにその世話をしていた。だが、連日続く夜中の見物客のエンジン音が心臓に響くのだろうか。おじいさんは毎晩ビクビク震えながら眠れない夜を過ごし、ある晩ぐわっと短い悲鳴を上げてそれっきりになってしまった。おばあさんもまたおじいさんを失って気が動転してしまったのか、毎晩何かを探すように山の中を徘徊するようになっていた。
そんなことは知る由もないオカルト雑誌、二度目の特集はさらなる大成功。実際に肝試しに行った連中からの投書を掲載しより一層の反響を呼んでいた。中には夜の木々の合間をフラフラと徘徊する何者かの影を目撃したというものもあった。
こうなるともはやテレビ局も黙ってはいない。だがオカルト雑誌社もこの特ダネを他に渡すはわけにはいかない。そこでオカルト雑誌の編集長、なんと丸ごとその山を買い上げてしまった。そもそも不法侵入紛いの肝試しであったわけだったがこれで堂々と大々的な取材を敢行できるのである。
かくして取材決行。二人組の若手記者がやたらと大きい不相応に立派なカメラをそれぞれ携えて乗り込んだ。しかし、結果は散々、それらしき野生動物の写真なども撮ることができず、エピソードも何か奥から草木を掻き分けるような音がして近づいてみたが何も見つけることができなかっただとかその程度だった。これでは大損である。編集長はその二人の記者をこっ酷く叱り付けた。だが、その二人の記者にも言い分があった。俺たちの前に肝試しで来ていた行儀の悪い学生や若者が自然を踏み荒らし、飲み食いをしたあとのゴミや紙屑を捨てて散らかしていったのだ。聞くところによればその里山は自然に恵まれ、野生動物も多く生息していたらしい。それゆえに未だ発見されていない生物がいたとてなんら不思議ではないと。だが連中のせいで山は荒らされ野生動物の影もなく、フェイクに使えそうな他の動物の写真さえままならなかったのだ。
あれだけ大金を払って手に入れた宝の山がただのゴミ山とあってはこの雑誌社の経営さえ危うい。編集長並びに記者たち編集部は頭を抱えた。そこで、思案の末に編集長が導き出した作戦は山にゴミを散らかして行った若者たちから金を巻き上げることだった。
かくして『恐竜ハンティング』の開催はいよいよ明日に控えていた。しかし、季節外れの台風が編集部の次なる敵であった。
遡ること数週間前、倒産の危機へ陥ったオカルト雑誌社の起死回生の一手はその里山でのイベントの開催であった。つまり、きのこ狩りツアーならぬ恐竜狩りツアーをしてやろうというのだ。結局その一枚だけだった初めの家族が撮ってきた恐竜の写真を大きく誌面に貼り出し、誇大広告もいいところに恐竜目撃情報を吹聴してまわり電話で予約を受け付けた。反響はそれなり、これならばもう少しで損失を回収できそうだと今度は縁日のシーズンが終わって暇そうにしていた屋台料理の連中に電話をかけた。ここまで来るともはや軽いお祭りと言っても過言ではなかった。ギャラはいらないから歌わせてくれと頼みに来る三流歌手。さらには夏に中止になった花火大会の花火が余ってるからここで使わせ
てくれと言う花火屋まで現れ始めた。
これならいけると思った矢先の台風による連日の大雨。天気予報によれば台風の進路は逸れていったらしいがまだ晴れると決まったわけじゃない。結局オカルト雑誌編集部はオカルト雑誌らしく古今東西の神々に祈りながら当日を迎える羽目となった。
『恐竜ハンティング』当日、編集部の祈りのおかげかこの日は朝からの晴天であった。昨晩の雨露を滴らせた秋真っ盛りの紅葉は見事なものであった。実際、ツアーが始まる夕刻には予約客以外にも大勢の見物客が訪れており、編集部もこれはしめたぞと言わんばかりに飛び入り参加料だと値段をつり上げて追加のツアー参加者を集めていた。屋台も盛況で俺たちは恐竜狩りじゃなくて紅葉狩りだと酒を飲み始める奴もいた。美しい紅葉と屋台料理のおかげか三流歌手のヘタクソ歌謡曲も皆いいぞいいぞと手を叩きながら心底愉快そうに聴き入っている。その後ろでは鉢巻きとはっぴ姿の花火屋の連中がせっせと打ち上げの準備を進めていた。ここまで盛り上がるとむしろ準備が甘かったのはオカルト雑誌編集部の方でツアー以外に何も用意していなかったのでそこらにゴミを放るやつ、あげく立ち小便をする奴まで現れる始末。
しかし、今はそれどころではない、目の前の儲けを逃す手はないのだと編集長の号令で、日も傾きかけて雰囲気が出てきたあたりでツアーを開始することにした。ツアーと言っても特別なにか案内をするわけではなく、一人一つ安物のフィルムカメラを渡してそれで恐竜を撮影して来いというものである。そして、フィルムは編集部で回収、良い写真があったら名前付きで誌面で紹介してやるという企画だ。これならばこちらが用意するのは会社の倉庫に眠っていた型落ちの古いフィルムカメラだけ、もし本当に恐竜の写真が撮れたのならば誌面で特集してぼろ儲け、まさに一石二鳥である。
予約客と飛び入り客それぞれの点呼と引き換えにフィルムカメラを渡し、花火が上がる八時を下山予定と伝え参加者を一斉に山へ送り出した。祭りの雰囲気に酔っているのか参加者たちは我先にと山の中へ駆け込んで行く。中には背中に猟銃を担いでいる奴までいた。そんな参加者たちを見送った後、俺たちも汚名挽回と言わんばかりに例の二人組若手記者もカメラ片手に山へ飛び込んで行った。彼らの役割は参加者たちの監督であったが参加者の熱気に当てられたのか二人ももしかしたらなにか本当に凄いものが撮れるのではないかとそんな気になっていた。
恐竜狩りの一団が乗り込んで行った山の様子はまるで恐怖で怯えているのかのようだった。大在の人間が起こす地鳴らしに震え、冷や汗が吹き出すように鳥たちの群れが山から逃げ去って空を覆い、夕空は黒い羽毛の帳が瞬きするようにしばしば光を失った。残された数少ない野生動物たちも同様であった。人間たちから逃れようと必死に山の反対側へ駆け出していた。
その最後尾にいたのはあのおばあさんだった。山育ちゆえの強靭な足腰は見る影もなく、ぜえぜえと肩を震わせながら走っていた。
恐竜を追う最前線を走っているのは猟銃を担いだ青年だった。彼は山頂ほど近い窪みから反対側へ駆け下りていく獣の一団の最後尾に巨大な緑の尾を左右に振りながら走る見た事もない獣を捉えた。
恐竜だ。彼は直感した。恐竜はその強靭な足腰に似合わない、まるで酷く老いているかのように体を震わせながら走っていた。彼は反射的に銃を構えた。その気配を感じ取ったのか恐竜が振り向く。眼が合った。
恐竜の瞳は琥珀でできていた。その色は黄色くまるで太古へ通じているかのように深く透き通っていた。そして、その中に閉じ込められていたのは青年自身の姿だった。
我慢はできなかった。限界だった。彼は引き金をひいた。銃声。命中。恐竜は振り向いていたが為に青年に対して正面に晒していた脇腹に銃弾を受け、大きくのけぞった。
恐竜はもはやこれまでと悟ったのだろうか。だが、それでも倒れることはなく、獣の一段ともツアー参加者が押し寄せるともまた違う方向へ走り出した。
青年とそれに追いついてその様子をレンズ越しに見ていた若手記者二人組もすかさず恐竜の後を追いかけるべく駆け出そうとした。しかしその瞬間、轟音と共に今まさに太陽が沈まんとしている空に花が咲いた。花火だった。記者の一人が慌てて腕時計を確認する。おかしい、八時までにはあと40分近くある。「違う。さっきの鉄砲の音を花火と勘違いして慌てて次の花火を打ち始めやがったんだ」もう一人の記者が叫ぶ。だがもはやそんなことは些細な問題だった。三人は再び恐竜を追いかけるべく駆け出した。だがしかし、それはまたしても阻まれた。三人はもはや立っていることさえままならなかった。地面が傾き始めていたのだ。連日の大雨で緩くなっていた地面を大勢の人間が揺らしてまわり。最後には花火の轟音の衝撃がとどめになったのだろう。
「地滑りだ!」
おばあさんは懸命に走っていた。胸から血が流れ出ていることなど既に忘れていた。走ることは気持ちが良かった。おじいさんが元気だった頃はよくこうやって一緒にこの山を駆け回っていたことを思い出した。彼に駆け足で勝てたことは一度も無かったなあ。得物に最初に噛みつくのはいつも彼が先だったかしら。
そんなことを考えながら走っているといつの間にか山を抜けていた。視界は開け、ただひたすら広い平野が広がっていた。懐かしいシダ植物と裸子植物が生茂り、大河の脇では四足の草食恐竜が水を飲んでいる。左右を見回せばいつの間にかかつての群れの仲間たちが共に駆けている。そして、隣にはおじいさんがいた。久しぶりの狩りなのだ。群れは目一杯、脚を動かして河で水浴びを始めた草食恐竜の一団へ突進した。
草食恐竜へ追いつくとそこは見慣れた里山の崖下だった。崖の一部が突出してひさしのようになっている部分の真下におじいさんとおばあさんは巣を作っていた。そこにはおじいさんの骸が横たわっていた。緑の立派だった尻尾はすっかりと血の気が失せて今は暗い灰色をしていた。おばあさんもまた、ゆっくりと力なく、おじいさんのそばに横たわった。それからすぐに土の波が押し寄せ、二匹を押し流し、そして埋めた。
こうして世紀末の秋は終わり、冬も過ぎた。そして新世紀を迎えた。今度あそこにもでかいショッピングモールができるらしい。
世紀末の恐竜 鈴木秋辰 @chrono8extreme
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