覆面
鈴木秋辰
覆面
「ホワイトハウスへ向かえ」
おれは耳を疑った。しかし、聞き返す余裕はない。突きつけられた拳銃は鉛のようにずしりと重くのしかかるような黒色をしていた。だから、それがおもちゃではなく本物の拳銃だと素人目でも直感する事ができた。
それに先刻、操縦室へ乗り込んできた覆面の連中のリーダー格と思しき男に見せつけられた映像が何度も脳裏に浮かび上がる。昨日三人で映画を観ていた平和なリビングは無惨にも荒らされ、最愛の妻と娘は乱暴に縛り上げられていた。娘は必死におれの名を呼んでいた。妻は口にタオルを詰めこまれ声を上げることはできないようだった。だが、その眼はすがる様に、そして訴えかけるように画面越しのおれを捉えていた。
「返事をしろ。もう一度言う、ホワイトハウスに行くんだ」後頭部に冷たい銃口が押しつけられた。
「さもなくば……」銃を持っているのは太った覆面だ。
「わかった。わかったよ。言う通りするだから勘弁してくれ」おれはそいつが何かを言い切る前にそう叫んだ。さもなくば、一体どうなるかなんて聞きたくもない。
「乗客にアナウンスだけさせてくれ。無用な混乱を招くのはあんた達も避けたいはずだろ」おれはアナウンス用のマイクをコンソールパネルから外して口元に寄せた。「いいだろう。だが、くれぐれも妙な真似を」
「わかってる!」おれはリーダー格の覆面が話きる前に叫び声で言葉を遮った。そして、また余計な口を挟まれる前にそのままアナウンスを始めた。
「本日も新幹線をご利用いただきまして誠にありがとうございます。この電車はのぞみ号東京駅行き、途中の停車駅は新横浜、品川でしたが、予定を変更いたしまして、ホワイトハウスへ向かいます。Ladies and gentleman, welcome to the Shinkansen.
This is the NOZOMI superexpress bound for Tokyo. We will be stopping……」
毎日のようにしていたアナウンスだったのでこんな状況でもすらすらと言葉が出てくる。話しながらおれは必死に考えを巡らせていた。乗り込んできた三人の覆面たち。ホワイトハウス。間違いなくあのホワイトハウスだろう。こいつらは本物の拳銃を持っている。テロリストだ。ホワイトハウスに突っ込む自爆テロを画策することくらい平気でやるのだろう。畜生。だが一体どうしておれなのだ。どうして新幹線なんだ。こいつらはどうかしているのか。畜生。畜生。
「……この電車は、全席禁煙となっております。おタバコを吸われるお客様は、喫煙ルームをご利用ください。普通車の喫煙ルームは、3号車、7号車、15号車、グリーン車の喫煙ルームは、10号車にあります。」
「よし、ではホワイトハウスまでの運転はこのままお前にしてもらう」太った覆面がアナウンスが終わって息継ぎをする間もなく話しかけてきた。「おれたちに運転できる奴はいないからな、逆らうような真似をしたら家族がただじゃ済まされないぞ」
リーダー格の覆面が補足する様に説明を加えた。「お前には自分が行う予定の操作を逐一声に出してもらう。勝手な事をして逃げ出そうとしても無駄だ」
「わかりました」舌打ちは心の内にとどめてひとまずは従う事にする。
「これから、品川駅で京急本線の羽田空港行きに乗り換えます」
「いいだろう」リーダー格の覆面が頷いた。
「また、何かする場合必ず伝えろ。いいな」これまで一言も話していなかった背の高い覆面が口を聞いた。さしずめ参謀といった所なのだろう。
かくして、おれたちは品川駅にて下車した。新幹線ではホワイトハウスへは行けない。そのことについて覆面達も異論は無いようだった。こいつらはどうかしている。
名古屋から乗ってきた覆面のテロリスト達は東京の土地勘が無いようで乗り口まで俺に案内をさせた。
ホームにて電車を待つ事数分、羽田空港行の電車に乗り込む前、背の高い覆面が俺に覆面を差し出した。リーダー格の覆面が突きつけるスマートフォンの中では娘が必死に叫んでいる。おれは無言のままその意味を汲み取った。
私は耳を疑った。しかし、リーダー格の覆面に見せられた映像に写っていた。椅子に縛られた女性は間違いなく私の母だった。猫背の覆面は言う通りにしておけば悪いようにはしないと言っていた。こいつは嫌に物腰が低い。下っ端だろうか。ひとまずは従った方が良さそうだ。突然乗り込んできた四人の覆面たち、テロリストだ。私は彼らに従うことになってしまった。
「ご乗車ありがとうございます……当列車は……変更いたしまして……ホワイトハウスへ……」
かくして、私たちは羽田空港へと降り立った。この人たちは京急ではホワイトハウスへ行けない事を理解しているらしい。初めから旅客機をハイジャックしてくれれば良かったではないか。国内線ターミナルにある中華料理屋で軽食を済ませるとちょうど良い時間だった。リーダー格の覆面に従うままスムーズに搭乗手続きを済ませた後、国際線の保安検査場を抜けた先でリーダー格の覆面から覆面を手渡された。つまり、そういうことなのだろう。私はこれからハイジャックをする。
自分は耳を疑った。無論パイロットという職業柄、こういった事態を想像したことが無いと言えば嘘になる。乗り込んできた五人の覆面の要求。だが縛り付けられていた妻と、そしてそのお腹の中にいる息子の事を思うととても平静でいる事はできなかった。それに副機長。彼は本当に死んでしまったようだった。神経質そうな覆面の男が拳銃で……彼の様子を見るに誤って発砲してしまったようだ。それを見た猫背の覆面はひどく怯えていたようだ。こいつらは素人だろう。だが、こいつは違う。背の高い覆面、多分こいつがリーダーだろう。彼の手にするスマートホンの画面の中には妻が閉じ込められている。自分にはもうどうすることも出来なかった。「本日は当機をご搭乗いただき……」
おれはテロリストがホワイトハウスハウスへ行けというものだからすっかり機体ごとホワイトハウスに突っ込むものだと思いこんでいた。だから驚いた。リーダー格の男は着陸した旅客機を取り囲んでいた機動隊に流暢な英語で何かを呼びかけ包囲を解いた、そして突きつけたスマートフォンにはもちろん、縛りつけられたファーストレディが映っていた。
リーダー格の覆面と大統領との会話においておれが聞き取れた単語は「NASA」だけだった。今は覆面をつけた大統領と共にエアフォースワンに乗っている。乗っているのはおれたちだけなのでアナウンスはもはや必要ない。今や不思議とこの状況が当たり前の事のように思えていた。おれはどうかしちまったんだろう。
私が聞いた話を要約するとこうなる。今、我々が乗っているのは米国が極秘に開発していた最新鋭の有人火星航行シャトルで火星の地下には冷戦期からこれまた極秘にコンタクトを取り続けてきた火星人の都市があるそうだ。覆面をつけた大統領がこんな話をするものだから私には彼がまるで安っぽい洋画S Fの悪役のように見えた。こいつらはどうかしているのだろう。そして私はどうかしてしまったのだろう。
火星人はゆでだこみたいな連中だった。強いて例えるならば人生ゲームのピンだろうか。真っ赤な赤い球体から三本の赤い棒が伸びてその球体を支えている。背丈はおれたち人間とあまり変わらない。何やら火星の代表のような火星人にリーダー格の覆面が画面を見せると真っ赤なゆでだこは真っ青になった。それでもって俺たちは火星人の恒星間ロケットに乗っているわけだ。ちなみにリーダー格の覆面が見せた写真に映る火星人の球体を支える棒は二本だけだった。つまり今、一緒にこの船に乗っている火星代表覆面ゆでだこの三本の棒のいずれかはペニスと見ていいだろう。なんてことだ自分はどうかしてしまったようだ。あははははは。
今やおれたちがどこまでやってきたのか想像もつかない。広い宇宙社会の中で英会話がいかに無意味なのか思い知らされたし、今やリーダー格の覆面はまごうことなきおれたちのリーダーだった。
だが不思議と不安を感じることはなかった。名古屋人、東京人の境目はとうに失われ日本人となり、アメリカ人とは同じ地球人であり、ゆでだことは共に太陽の子らだった。それから様々な乗り物を乗り換え、様々な外星人と出会った。だが、それらはみな一様に同じ銀河の出身であり、銀河団の出身であり、なにより同じ宇宙で誕生した奇跡の生命の仲間だった。そして、おれたちは皆同じ覆面を被っていた。
とうとう目的地は目前に迫った。マイクロブラックホールをエンジンとする艦内では多次元展開された空間に床、壁、天井、前、後ろ、上、下、今、昨日、明日と所狭しに覆面の乗組員が立っている。そして誰もが窓の外、白く輝く一つの惑星を見つめていた。
先頭に立つリーダーの覆面がかぶる覆面はいつもより湿って見えた。涙だろうか。
白い惑星にはただひたすら白い平原が広がっていた。着陸の後、我々は体粒子分解テレポーターによって全員同時かつ一瞬で果てしない白の平野へと降り立った。我々は見知らぬ星の様子に目を奪われた。そんな我々をよそにリーダーは平原に降り立つと共に駆け出していた。彼の目指す白い平野の果て。その中央に一人の覆面をした女性が椅子に縛り付けられていた。ついにそこへと至ったリーダーは彼女の縄を解き、それから強く抱きしめた。
「心配をかけてすまなかった」リーダーは泣いていた。
「ずっと、待っていたわ」彼女もまた泣いていた。
「結婚しよう」
「ええ」
我々は同胞の愛を心から祝福した。
その後、覆面たちはそれぞれの愛するものを救うため、宇宙の果てへと再び旅立って行った。彼らがハイジャックを繰り返す度、彼らの同胞は増えていく。やがて宇宙は一つへと……
覆面 鈴木秋辰 @chrono8extreme
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