第6話 しばしの別れ

 萌と悠が散歩から家に戻ると、萌の母が慌てて出てきた。


「萌! 園田君の新幹線、何時? お昼食べる時間ある?」


「あるよ。15時台だから」


「よかった。後、お父さんがねぶた漬を買ってきてくれたから、園田君の実家にも持って行って」


 ねぶた漬は数の子や昆布、スルメの細切りが醤油漬けされている点では松前漬けと同じだけど、きゅうりや大根も入っているのが違う。でも同じような醤油漬の津軽漬には、きゅうりは入っていないから、きゅうり嫌いのリコも食べられる。


 萌は野菜が入っているねぶた漬や津軽漬のほうが松前漬より好きだ。青森県人の身びいきかもしれないけど、野菜が入ってると得したような気がするし、身体にもいいと思う。だから萌はねぶた漬か津軽漬を帰省の時に持ち帰るか、冷凍で送ってもらっている。悠も萌に感化されてねぶた漬や津軽漬が大好物になった。


 萌の父が買ってきてくれたねぶた漬は冷凍ものだから、保冷バッグに保冷剤を沢山入れて持って行っても、青森から千葉に着く頃には当然のことながら溶けている。そういうのを気にして口に入れたくない人もいることは知っているので、萌は両親のいない所で悠にこっそり聞いてみた。


「悠、うちの親が悠の実家にってねぶた漬を買ってくれたんだけど、4時間以上保冷剤入れた保冷バッグで持って行っても悠の親は気にしない?」


「大丈夫。うちの親はそういうの気にしないよ。なんなら賞味期限切れた調味料とかも平気で使ってるし」


「そうなの。じゃあ、ねぶた漬、持って行ってね」


 悠は萌に礼を言って、もちろん萌の両親にも感謝を伝えた。


 萌の実家での時間はあっという間に過ぎてまた萌の父に新青森駅まで送ってもらう時間になった。萌ももちろん一緒に車に乗っていく。


「お義父とうさん、ありがとうございました。よいお年をお迎え下さい」


「……ご両親にもよろしく伝えて下さい」


「お父さん、私、改札まで送っていくね」


「いいけど、駐車場無料なのは30分以内だからな。すぐに戻って来いよ」


 萌の父が未来の義息子にもう『お義父とうさん』と呼ばれてどう思ったのか、2人仲良く駅舎へ入って行く後ろ姿を見てどう思ったのか、2人はそんなことには全く思い至らなかった。ただひたすら、改札前で別れを惜しんだ。たった数日間のこととはいえ、毎日会っている2人には長い別れのように思えた。


「悠、気を付けて帰ってね。千葉に着いたらメッセちょうだい」


「うん。萌も正月明け、気をつけて帰って来るんだよ」


 萌の父が駐車場無料の制限時間30分を気にしていたので、名残惜しかったけど、2人は改札機の前で仕方なく別れた。


「萌、じゃあ、もうそろそろ行くね」


「うん。気をつけて」


 悠はスマホを改札機にかざして構内に入って行った。


「悠!」


 萌が呼ぶと、悠は振り返った。萌が改札機のほうに近づくと、悠も戻って来たが、2人の間を改札機が阻んだ。


「萌……」


「悠……」


 悠は改札機越しに萌の両肩を引き寄せて顔を近づけた。改札機のエラー音にも構わず、2人の唇が重なりそうな瞬間に駅員の注意が聞こえた。


「お客様、すみません! 他の方の邪魔になりますので、改札機から離れていただけますか?」


「あっ、は、はいっ、すみません!」


 悠は顔が真っ赤なまま、プラットフォームに向かって行った。


 萌は悠の姿が見えなくなると、踵(きびす)を返して駐車場へ急いだ。頬がまだ赤いのは自覚していたけど、外の冷気でどうせ頬が赤くなって父親には不自然に思われないはずだと思った。


 でも、照れて赤くなるのと冷気で頬が赤くなるのでは表情が違う。少なくとも近しい人間にはその違いはわかる。それに加えて萌は愛しい悠と数日でも離れ離れになるのが悲しくて仕方ないのを隠せなかった。そんなことが全部、父親にお見通しなのを萌は思ってもみなかった。

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