紫を蹴る
矢庭竜
幼い花嫁
貧相な体。
花嫁の幽閉室、もとい控え室を訪ねたヒヨウは眉をひそめた。父が気に入るかどうか、不安が頭をかすめる。
十代半ばと聞いていたが見た目はもっと幼い。ぶ厚い花嫁衣装に着られているみたいな薄い体。赤と白の化粧で彩られた顔も、黒目がちな大きな目が子供みたいだ。
嫁入り道具を持参する余裕は彼女の家にはない。部屋に並べられた新品の家具調度は、タンスも鏡台も、鏡台の引き出しに詰め込まれた宝飾品も、すべてヒ家が用意した。そんな中で幼さの残る花嫁は、自分自身調度品のひとつですとでも言うように、身動きもせず座っていた。
こんな仏頂面の木像を彫る彫刻師は食っていけないだろうなとヒヨウは苦笑する。借金の形に老人に嫁ぐとなれば、笑ってなんていられないだろうけど。
ヒヨウだって子供をいじめたいわけじゃない。しかし、父の命令は絶対だ。酒を飲みたいと言われ急いで買ってきた少年時代が、嫁が欲しいと言われ急いで探してくる中年時代に変わっただけ。ずっと同じことをしている。
成功した商家の主とはいえ、悪い噂の多い年寄りに望んで嫁ぐ女は見つからない。かくしてヒ家に借りがあり、年頃の娘がいる家を探したところ、見つけたのがこの娘の実家だった。ラコクという年の割にしわの多い男は、過酷な強制労働をちらつかせると、あっさり娘を差し出した。自分は年寄りで骨がもろい、すぐに働きつぶれて死んでしまう、それは勘弁してほしいと、よく動く舌で弱々しい言葉を並べながら。
「おい」
そんなことを思い出しながら、ヒヨウは置物みたいに座る娘に声をかけた。控え室の中からこちらを見返す顔は怯えを抑え込むように目元がひくついている。ちょっと大きな声でも出したらひくつきが涙を押し出すだろう。ヒヨウは声量に気を払いながら説明した。
「あと数時間で、あんたはうちの親父の花嫁になるわけだ。でなきゃお父さんが死ぬ目に遭うからな、まあ孝行娘の義務だと思ってあきらめてくれ。ほら見ての通りうちには金はあるし、苦労はさせないからよ」
話せば話すほど目元のひくつきが大きくなる。これは式の前に化粧を直させることになるかなと、面倒くさく思いながら、ヒヨウは部屋を見回した。そのとき、
「それ、消すなら、私が吸いたい」
少女が初めて口を開いた。
震えを飲み込んだような不自然に低い声だ。視線の先にはヒヨウの右手がある。その手に光る金づくりのキセルのことを言っているらしい。灰皿を探しているとヒヨウの視線で気づいたのか。ひくついた目をしているくせに、よく人を見ている。
確か年は、十四とか言っていたが。
「ガキのくせにタバコか、不良だな」
「ふ、不良?」
少女は眉間にしわを寄せた。ちょっとしたからかいのつもりだったが、なにやら怒らせてしまったようだ。
「吸うのは初めてだよ。でも私の状況はあなたがいちばんよく知ってるはず。覚悟を決めるために一服して落ち着きたい。それが、不良?」
考えてみれば、『ちょっとしたからかい』がコップの水をこぼす最後の一滴になるような状況にこの娘は置かれているのだった。
傲慢を反省するとともに、ヒヨウは改めてつくづくと娘の顔を眺めた。おどおど泣き暮らすものと思ったら、覚悟を決めるつもりがあるのか。怯えた小動物みたいな顔は、よく見れば瞳に燃えるような色を隠し、きつく結んだ口元からも意志の強さが読み取れた。
渡されたキセルを娘はおぼつかなげにくわえた。吸ったことはないと言った通り、慣れない様子で一気に吸いこみ、当然むせて苦しそうに咳き込む。しかし文句も言わず再び挑戦する姿に、ヒヨウはワクワクする予感を覚えた。二度目は上手く煙を味わい、紫煙が小柄な姿を覆うようにたゆたった。
「度胸があるな。母と呼ぶには幼すぎるが、妹ぐらいには思ってやっていいぜ」
それは、ヒ家での待遇を保障するという親切心のつもりだった。名目上は義母と息子だが、兄妹分のように面倒を見てやろう、と。しかし娘の方はありがたそうでも何でもなく、相変わらず力を入れすぎた目元をヒヨウに向けた。
「あの、ひとつ聞きたい。あなたは『親に忠実ないい子』?」
質問の意図がわからず首を傾げる。
「まあそうだな。こうして親父の嫁探しに奔走したくらいだ」
「そっか。だったら、息子だと思うことにする。それならあなたに命令できる」
少女は煙を吸う合間に言った。淡々とした言葉にヒヨウは一瞬呆れ、続いて笑いをこぼし、最後に笑いながら膝を打った。傑作だ。
ちっぽけな体躯に幼い顔つきで、はるかに年上であるヒヨウを前に、自分が上に立つつもりでいるのか。口だけ立派な、とは思わなかった。口だけの人間は大口を叩く場所を選ぶ。籠に閉じ込められた仔鼠同然の立場で竜を相手に虚勢を張りはしない。
これだけ肝が据わっていて、まだ十四歳だというじゃないか。きちんと育てれば面白い大物になるかもしれない。ヒ家のような小金持ちなど乗っ取られてしまうかもしれないな。それもいい。父の鼻を明かすことを、ヒヨウは生まれて初めて考えた。
「式までは時間がある。ゆるりと過ごしてくれ、『母上』」
皮肉交じりに言い部屋を出る。もちろん外から鍵をかけることは忘れずに。
しかし、遠い未来に思いをはせて浮かれていたのが災いしたか。閉じた扉の内側で呟かれた言葉を、ヒヨウは聞き逃していた。
「『親に忠実ないい子』か」
紫煙とともに吐き出された言葉を。
「私とは違うな」
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