第85話 王の決断
恐怖の中で、ゲレオン准教授は呻く。
「そこまで言うなら、その本質を教えてくれ。
死ぬ前に、生命とはなにか、せめてそれを私に教えてくれ」
「……また意味のないことを。
知れども誰にも伝えられぬ『知』など、聞いてなんの役に立つというのか?
聞けば、満足して死ねるとでも思ったか?
そもそもその満足に、意味があるとでも言うのか?
さらに、語られたことをお前は理解できるのか?
語られたことが真実であると、どう証明する?
言うこと為すこと、お前たちの行動と精神はすべてが無意味というものだな」
自らの知に自信を抱いてきたゲレオン准教授にとって、酷な指摘が立て続けにされる。心を折り尽くされたゲレオン准教授は、すでに涙すら出ない虚ろな顔になっていた。
そして、そう断じた声は、どこまでも変わらずに威厳に満ち、冷酷で、恐怖そのものだった。
− − − − − − − − − − − − − −
玉座の間。
『……生命とはなにかを知ろうとして、自然科学だけでなく、人文科学も含めてさまざまにアプローチしてきた歴史が我々にはある。
だが、生命は見えず、触れられず、失われたら戻らず、測定もできない。
脈や脳波なども、肉体の動きから生命を推し量っていて、生命自体を計っているわけではない自覚はあるのだが……』
オリジナルからほぼタイムラグもないままに、レティシアの口から言葉が紡がれる。
内務省の長、マリエットがその耳で聞いた言葉を、そのまま他心通の術で受けて口にしているのだ。
「回答待て」
即座の王の言葉は、即魔法省の長、フォスティーヌの動きを止めた。同時に、その意を受けたマリエットも止まる。
天の敵からの使者に対するのに、最終的にマリエットが選ばれたのはこのためである。
レティシアは、他心通の術で他人が考えていることを知ることができる。さながらサトリのように、だ。
フォスティーヌも、他心通の術で自分が考えていることを他人に知らせることができる。さながらサトラレのように、だ。
レティシアがマリエットの感覚をトレースして伝え、玉座の間の合議がされ、結論をフォスティーヌがそのままマリエットに送り込む。
つまり、フォスティーヌとレティシアが女性であるなら、その他心通の術の対象も女性の方が感覚を共有でき連携しやすい。そして、閣僚ともいうべきゼルンバスの王の臣下7人のうち、女性はフォスティーヌ以外ではマリエットしかいない。
「あやつらの世界では、まったく魔素がないと考えられていることになるな。
或いは、我々に似た身体を持っているように見えるが、魔素を感じる感覚が全くないのかもしれぬ。
自らも生き物であるはずなのに、生命そのものを構成する魔素を、まったく理解していないとは驚きだが……」
「御意。
前々から魔術を知らぬかもとは推測されていても、ここまで認知されておらぬとなると……」
大臣ヴァレールの言葉に、王は一瞬考え込んだ。
「ならば、あやつをそのまま拘束しろ。
このままでは、天の敵と相互の関係は築けぬ。
そもそも、これでは取引にならぬ。
我々はあやつらの言う科学というのがわからぬでもないが、あやつらは魔術と魔素をまったく知らぬ。これでは、こちらの魔素の知識が、一方的に渡るだけとなってしまうではないか。
ならばまず、あやつの知ることをすべて吐き出させ、それから処遇は考えよう。手段は問わぬ。洗いざらい吐かせろ。
フォスティーヌ、レティシア、あやつの心の底まで見通せ。
だが、決して殺してはならぬ」
軽く頷いたのみで返事がないのは、フォスティーヌ、レティシア共に術の最中で、返答の余裕すらないからだ。
方法を問わぬとなれば、天からの敵の使者は、念入りに恐怖の本質を知ることになるだろう。
通常の拷問は、肉体の損壊に伴う痛みによる恐怖が口を開く鍵となる。だが、魔素を理解しているフォスティーヌが拷問するとなれば、心にダイレクトに恐怖を与える手段を取る。そのあとは、拷問した方に依存させることすらも自在だ。
また、この方法を採れば、イメージを与えれば勝手に相手の方が言語化してくれる。異言語であっても何ら問題はないのだ。
これは、決して表立って語られることのない、魔素の、魔術の薄暗い利用法なのである。
さらに実を言えば、レティシアがいる以上、必ずしも喋らせる必要すらない。恐怖で余裕を奪い、余計な想念を削ぎ落とした上で、知りたいことを一言問うだけでよい。持っている知識を、頭の中に想起させられれば十分なのだから。
だが、レティシアの存在を隠すためには、話させねばならぬ。その分、天からの敵の使者は、余計な恐怖を味わうことになるだろう。
そして、「拘束せよ」という、王の命令に声を出して応じたのは、大将軍フィリベールだけである。
「すでに飛竜旅団が配置についております。
そこへ、天耳通の術のリゼットが割って入った。
「お待ち下さい。
話に割り込みしこと、お許しを。
あの者は、絶えずからくりと話して指示を出しておりました。
今もそれが続いております。
あの者の乗っているからくりから、使者の席に指向して、声が出ているのです。
ゆえに翼竜に襲わせる際は、決して声を出ささせてはなりませぬ。どれほど短いものであったとしても、でございます」
それを聞いた王は、改めて命を下した。
「リゼット、よくやった。
では、大事を取って進める。
まずはマリエットに伝えよ。
『あやつをからくりの外に出せ』と。さすれば、からくりに声が届くこともなかろうし、指示も聞こえないであろう。
翼竜を使うのはそれからぞ。
間をおくと怪しまれる。即座にかかれ」
「御意!」
慌ただしくフォスティーヌがマリエットに王命を伝え、伝令が飛竜旅団の団長のいる中庭に面した部屋に向けて走った。
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あとがき
殺すな、には、さらなる意味があるのです……
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