第54話 必然たる偶然


 戦争は技術を発展させる。

 それは、ゼルンバスの魔術師の術の連携についても同じだった。


 だがこれは、偶然が重なっていたことが大きい。

 フォスティーヌとレティシアが母娘だったこと。

 レティシアが、魔術に目覚めた暴走状態から脱していなかったこと。

 フォスティーヌがゼルンバスの魔術師として、術の連携に慣れていたこと。

 フォスティーヌとレティシアの術が同じ他心通でありながら、サトリとサトラレの真逆だったこと。

 この4つだ。


 魔術は、各魔術師の体内の魔素を消費して施術されるものだ。

 なので、常に定められた魔術を使い続けている、魔術師の体内の魔素は常に不足している。さらに、自らの術に目覚めたときは、その術の暴走によって体内の魔素が使い果たされて床につく羽目にもなる。

 これは、魔術師なら誰もが抱えている問題なのだ。


 なので、魔術師は全員、体内の魔素の管理を自己責任として厳密に教育される。そして同時に、魔術師同士で体内の魔素のやり取りをすることはタブーと教えられる。

 そうしておかないと、魔素を搾取する魔術師と、魔素供給に使われる家畜と堕した魔術師が作られてしまうからだ。魔素の使い過ぎは死をも招くことと考え合わせれば、生き血を吸うような嫌悪感を魔術師たちが覚えるのも無理はなかった。タブー化したのは当然のことだったのだ。

 アベルとクロヴィスのような、良好な師弟関係でもそれは変わらない。


 だが今回、レティシアは未だに自らの他心通の術を制御できていなかった。

 周囲の人間の思考が一方的に読み込まれてしまっている、暴走状態のままだったのだ。その状態で母娘は再会を喜び、思わず娘の手を取ってしまつたフォスティーヌは、レティシアに体内の魔素を吸い取られることになった。


 今まで、暴走状態の魔術師の手を取った者などいなかった。

 魔術師でなければ、体内に微量にしかない魔素を根こそぎにされて命を失いかねない。

 魔術師であれば、魔素のやり取りのタブーに反するし、自らに課せられた魔術の使用ができなくなるかもしれない。そしてなにより、外部から魔素の供給がされると暴走状態が止まらなくなって、さらに本人が苦しむことを一番良く知っている存在でもある。

 ましてや堅物のクロヴィスがレティシアの手を握ることなど、考えられないことだ。もちろん、これは別の意味で、である。

 結局、レティシアの体内の魔素は枯渇し、極度の飢餓状態だったのだ。


 フォスティーヌはこのとき、体内の魔素を奪われながらも冷静だった。

 これは、相手が実の娘だったからというのが大きい。嫌悪感もなかったし、怒りも湧かなかった。

 そしてその冷静さが、母から娘への魔素の流れが単純なものではないことに気が付かせた。


 フォスティーヌは体内の魔素を奪われながら、レティシア体内の魔素の消費状況の波をリアルタイムに感じていた。そしてその波は版画のように反転して、レティシアの術をフォスティーヌに転写した。


 つまり、こういうことだ。

 消費量と供給量は常に一致するものだ。レティシアが術で消費している魔素の増減の波を、供給側のフォスティーヌは間接的に体験したのである

 あくまで、レティシアの他心通の術と同じものが使えるようになったわけではない。


 娘の手を取った瞬間、周囲の人間の思考が流れ込んできたフォスティーヌは、すぐさま起きていることを看破した。

 優秀な魔術師であったからこそだし、自分の術の真逆だったことからより具体的な理解ができたというのもある。

 そしてすぐに優秀な魔術師でもあるフォスティーヌは、タブーを破らない方法を思いついた。


 極めて簡単なことだ。

 魔素を流したくはない。

 だが、魔素の波だけは流したい。

 この条件を満たす、うってつけの媒介物はすでに存在している。


 魔素を貯めるキャップである。

 キャップからは2本の線が出ており、片方からは魔素が流れ出し、片方からは流れ出さない。だが、同時に両方を握らないと魔素の取り出しはできない。

「さながら乾電池のようだ」と、ダコールがこれを知ったら言ったであろう。


 キャップの中身は、金箔を薄い雲母で挟んで何重にも重ねたものである。だから金箔同士は触れ合っていない。だから魔素は流れない。だが重ねられた金箔は相互に干渉し、魔素を貯める。そして、この干渉は一通方向ではない。重ねられた双方の金箔が干渉しあっている。


 だから、この2本の線を母と娘で1本ずつ持ったとき、この魔素の流れの制御の問題はあっけなく解決した。キャップの中の金箔は相互に干渉しあい、魔素を流すことなくその波だけは精密に伝えたのだ。

 日頃から魔法省の長として上級魔法を使い、キャップを使用することの多いフォスティーヌは、この特徴を熟知していた。

 すべては必然のごとく、発見されたのだった。



 そこで、フォスティーヌとレティシアは、今度は意図的に自らの持つ他心通の術を組み合わせることができるか試みることにした。

 フォスティーヌは、自分が考えていることを他人に知らせることができる。

 レティシアは、他人が考えていることを知ることができる。

 この2つを直接の魔素波のやりとりの上で組み合わせて運用できれば、それは神の出現に近い奇跡的効果が期待できる。

 

 その結果は絶大だった。

 前回、天眼通のアベルに補助してもらいながら、フォスティーヌは他の魔術師に指示を出し、天からの大岩を防いだ。

 次回も同じ必要に迫られたら、天眼通のアベルや天耳通リゼットの見たり聞いたりしたものをそのままレティシアが他心通の術で受け取り、キャップを介して一元的にフォスティーヌに送り込むことができる。

 フォスティーヌは、その情報を総合的に判断し、即座に召喚派遣や天足通の魔術師に他心通で指示を出す。

 目、耳、脳、そして手足と、1人の人間が行動するように、魔法を使うことができる。つまり、魔術の連携とその実行精度と必要時間の短縮において、数段の進歩が見られたのだ。



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あとがき

技術の進歩って、こういう必然たる偶然がきっかけになるってありますよね。

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