第40話 交渉の終わり


 モイーズ伯は、筆を執ったレティシアに悪い顔のまま言った。

「コリタスの王が署名するのは、本国から書類が届いた後のことにて、早くて明日。書類が届くのが、午後でも不自然ではない。

 それを、十分に念を入れて書いてもらいたい」

 さすがにその意味は、クロヴィスにもわかった。


「まさか、ゼルンバスに人質を出すことに対し、各国で一番争いをさせる気ですか?」

「そのとおりだ。

 微妙なタイミングで、同時に3国くらいと同盟と最恵国待遇、人質派遣の調印がされることが望ましい。

 セビエはすでに同盟に前向きゆえ、もう一国くらいはゼルンバスの王室でなんとでもするだろう」

「……忠義争いを起こさせるということでしょうか。

 ですが、それはあまりに……」

「いささか、あざとくも感じますが……」

 クロヴィスとレティシアが口々に言うのに、モイーズ伯は再び笑った。


 2人に対し、モイーズ伯は噛んで含めるように言う。

「我らの目的は、天の敵に勝つことよ。違うか?

 このあざとさも、そのためのこと。一国だけを特別扱いはできぬからな。

 まぁ、天の敵が攻めてこずとも、300年のうちにはこのようなことになって、この星全体の王が決まっていただろう。それが図らずも前倒しになったということゆえ、歪みは多い。

 だが、飲み込んでいくしかあるまいよ」

「それはわかりますが、もうため息しか出ませぬ……」

 クロヴィスのため息に、モイーズ伯は温厚な顔に戻って笑った。


「クロヴィス殿、師のアベル殿は、歳相応にあざとさも身につけておられると思うが……」

「わかっておりまする。

 それはわかってはいるのですが、人の立てる策に対し、我が身の為す天眼通の術がこれほど無力とは……」

「それをきちんと知っているからこそ、アベル殿は良き魔術師であり、良き師であり、良き家臣なのだろうな」

 そう言うモイーズ伯に、クロヴィスは頷くしかない。


「はい。

 他国に来て、これほど師が慕わしくなるとは思ってもみませなんだ。

 騙そうと思えば、天眼通の術など容易く出し抜かれる……。師はそれを良くわかっておられたのですね。

 それに比べれば、レティシア殿の術はそのようなこともなく、なんとも……」

 と、クロヴィスが言うのに、レティシアは首を横に振った。


「そのようなことはありませぬ。

 クロヴィス殿、人は自分自身ですら騙すもの。

 混沌たる人の心の中から、真実を掴み取るは至難の業にて……」

「……」

 クロヴィスは返答を返せない。


 言われてみればまったくそのとおりだ。

 自分自身、明確に文に記したようにものを考えてはいない。特に悩んでいるときなどは、思考は散り散りになってしまう。

 そこに気がつかされて、まだものを「見る」自分のほうが楽なのだと思い知らされる。

 木は木、人は人、岩は岩。天眼通の術で見るものは、月の表面ですら単純なのだ。


 モイーズ伯も同じ考えに達したのだろう。

「レティシア殿も、良き師がいると良いのだが……。

 母御のフォスティーヌ殿も、他心通の術は使いこなせぬと聞くが残念なことぞ」

「いえ、クロヴィス殿が親身になってくださり、レティシアは安堵いたしております」

「……なるほどの」

 モイーズ伯のどこか困ったような返事に、レティシアは頬を赤く染めた。


「いえ、そのような……」

 レティシアは、なにかを言いかけたまま硬直した。

 もちろん、それを聞いたクロヴィスも凍りついている。というより、レティシアは上司の娘という考えがよぎったのか、こちらは、赤くなるどころか青くなっている。魔法省内でも知らぬ者がいないという、堅物ぶりが発揮されている。


 クロヴィスの表情がさらに深刻なものとなった。口には出さぬが、なにかに思い至ったらしい。

 レティシアは一瞬その顔を見て、視線を床に落としてしまう。クロヴィスの考えを読んだのだろう。

 それを見たモイーズ伯は気を回し、その場を救うために仕方なく言葉を紡いだ。


「ああ、そういう意味ではない。

 我ら世代の後を継ぐ若き者、その皆々が切磋琢磨して成長してくれることがただ単に嬉しかったのだ」

 このあたりの言葉がすぐに出るのは、歳の功である。


 内心でため息をつきながら、モイーズ伯は話を終わらせた。

「とりあえず、今は文をしたためよ。

 ゼルンバスに報告せねばならぬ」


 そう言われたレティシアが、気を取り直して流麗な筆跡で報告を記しだす。

 魔術師としては封印され、天真爛漫に育ったようでいて、教育は一流のものを授けられている。魔術師としての才に恵まれることがなかったら、良いところのお嬢さんとして、今頃は玉の輿に乗っていたのだろう。


 茫とそんなことを考えながら、モイーズ伯は気が抜けたのか、ふと疲れを自覚していた。

 溜まっている疲れが隠せなくなった時が、外交使節としての役割が果たせなくなった時である。

 約したとおりゼルンバスの王室が、モイーズ伯の領地の復興に動いてくれていることだろう。明日の調印後は国に帰り、ゆっくり眠りたいものだとモイーズ伯は願っていた。



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あとがき

ま、まだモイーズ伯へのプレゼント問題はあるのですが……

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