第7話
茶会も無事に終える事ができた暁は招待客を見送ってのち、執務室で書類を見ながら夕飯である照り焼きチキンのサンドイッチを食べ終えて今。自室の天蓋付きベッドに仰向けになり、少し硬いマットレスの上に敷かれたふかふかの布団の身を沈めながら、銀色のオリーブの刺繍が施された黒地の透き通るレース布を仰ぎ見ていた。
『私はあなたを殺すように命じられましたが、私にあなたを殺す意思は微塵もありません』
(油断を誘う為、と考えるのが常套だろうが)
捕らえた事がある三人の暗殺者は全員、舞春のようにとても薬物によって心身を侵されているようには見えなかった。
薬物の効果が切れる刻限が来るまでは。
突然の出来事だった。
冷静沈着だった暗殺者が突然、薬がほしいとがなり立てたかと思えば、事切れたのだ。
半日、三日、一週間と、捕えてからがなり立て、そして事切れるまでは暗殺者によって差があったのは、どこかに薬物を隠し持っていた為か、人によって持続性に差があるのか。死体を調べても薬物は検出されなかったので、本当に薬物を使われているのか、そもそもそんな薬物が本当に存在するのかさえわからなくなる。
(偽の情報を与えられても、どうしようもないしな)
『私はあなたの夢の手助けをしたいです。けれど、私は暗殺者。今迄数知れない命を葬って来ました。あなたが暗殺者は不要というのならば、私は』
(夢を叶えたら喜んで処罰を、死刑宣告を受け入れる、か)
表層は変わらない物腰やわらかな態度。
けれど確かに雰囲気が変わった。と、感じた暁は丁寧な対応を止めた。
『今すぐに死ねと言ったらどうする?』
『今すぐは無理です』
舞春は正座のまま、即断した。
夢を叶えた瞬間を見るまでは絶対に死なない、と。
(ケーキスタンドが気に入ったのか?)
暗殺を止めたいと思うほど?
ケーキスタンドが薬物に打ち勝った?
正気に戻ったから暗殺を止めたいと申し出た?
『八雲家に復讐したいか?』
『いいえ』
『八雲家に対して何を思う?』
『拾っていただいた恩があります。そのおかげで生きて来られた。感謝しています』
殺害を強いられた憎しみや怒り、絶望は垣間見えなかった。
見えなかっただけか。
言葉通りか。
『人を殺させているのにか?』
『私が生きる為には必要だったので殺した。ただそれだけの話です』
暗殺対象である自分を殺せなかったら、三人の暗殺者のように事切れるのではないか?
『薬物は使われているのか?』
『いいえ』
嘘か真か。
恩がある八雲家をかばおうとしているのか?
本当に薬物を使われていないのか?
(八雲家の当主め。情に訴えて、俺を手玉に取る気か)
可哀そうに薬物を使われて暗殺者として育てられた娘の命を使って、和平協定を潰させるつもりなのか?
娘を殺したくなければ思いのままに動け、と、八雲家の当主はそう諭しているのではないか?
このまま見殺しにするのか、おまえの守るべき大事な国民だろう、と。
『本当に薬物は使われていません。使っていません』
本当だとすれば、薬物なしで人を殺した事になる。
薬物は使われないで、心を潰されたのか。
それとも。
それとも、
薬物も使わないで、心も潰されないで、正気で、人を殺して、いたとしたら。
『とても美味しかったです』
あの恥じらいのある笑顔が嘘だとは、とても思えなかった。
本当に心地よかったのだ、見ていて。
とても丁寧に、優しく、嬉しそうに、ゆったりと食べていたから。
過ぎゆく時間がとても温かく、気が緩んだ。
(だが、彼女が知らぬ間に薬物を使われている可能性もある)
薬物が使われていなくても、使われていたとしても、命令に背いたと気がつかれれば、殺される可能性が高い。
薬物が使われていなかったら助けられるが、薬物が使われていた場合、助ける方法が、ない。
「もう、朝か」
思考に耽っていたようだ。
カーテンをしていない窓の外では、空が白み始めていた。
(2023.4.15)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます