遺書

ナタデココ

遺書

私は、小説を書くことが好きです。


「将来は立派な小説家になれていますか?」この書き出しから始まる、何の面白みもない手紙をタイムカプセルに入れたのは小学校の卒業式が行われる二日前でした。今でも覚えています。立派な小説家に、なんて書いてしまう時点で才能などありません。立派とは何でしょうか。私がなぜ小説家を目指しているのか、それすらも分かりません。教科書に載りたかったからなのか、お金が欲しかったからなのか、大勢の人にチヤホヤされてコイツが好みの作家なのだと言われたかったからなのか。


しかし、私には『承認欲求』というものがあまりありません。書き上げた小説のほとんどが自分の中で完結しています。自分以外の人間に見せるなどありえません。何故でしょう、私が書く小説に価値なんてものはないからです。自分にとっては素敵で素晴らしい作品でも、自分以外の人間にとってはどうでも良く感じられてしまうからです。


ですが、そんな私でも、時折小説をネットにあげることがあります。決まっています、現実から逃げたくなった時です。承認欲求というものを持っていない私が、承認欲求を頼りにして逃げたくなった時です。私の書いた小説に価値がないことは分かりきっていますから、今さら誰にも読まれなかろうが、人の目に触れなかろうがどうでも良いです。私の中で身勝手に承認欲求だけが満たされればいいのです。なんて効率的な永久機関なんでしょう? こんな自分語りは退屈で仕方がないでしょうね。私の人生は私にとっては素敵で素晴らしいものでも、他人からしてみればどうでも良く感じられるでしょうからね。


ところで、平等とは難しいものです。言い訳がいくらでも通用しますから。あれとこれとを平等にしなかったのはあちらに愛があったからだ、こちらに厳しくあたりたかったからだ、お前に価値がないからだ。当然です。世の中は平等になどできていません。私たちに一番身近な例を挙げるのならば、人間でしょう。人間なんて不平等の最たるものではありませんか。この世に生まれ落ちたその瞬間から、価値が変動し続けるんですから……。


それはそうと、先日、私は庭に咲いている赤色のシクラメンを摘んだのです。部屋に飾っておくために。やっぱり、綺麗なものが欲しいじゃないですか。虫に花弁が少し食われていた花は除けました、綺麗じゃないですから。背丈が他のに比べて短いやつも除けました、見ていて心地よくはありませんから。花の気持ちを考えてみれば、それこそ心地よくなどないでしょうね。選ばれない、そのことがどれだけ悔しくて辛いことなのか、私は何となく分かっているつもりです。でも、思うのです。選ばれない花になったお前にも責任はある。お前が全て悪い、自業自得じゃないか。しかし、その花だって好きで虫に花弁を食われたわけじゃない。上手く背丈を伸ばせなかったわけじゃない。当然です、世の中は平等になどできていませんから。みんながみんな虫に花弁を食われれば、背丈を十分に伸ばせなかったら、それはそれで見栄えが良くないでしょう。ラッキーなやつもいればアンラッキーなやつもいる、そうやって均衡は保たれていくと思うのです。悪いことではありません、貴方が悪いのではありません。全ては、平等になどさせてくれやしない世の中が悪いのですから。私も貴方も、世の中の誰も悪くはありませんよ。そうだとも。


才能ってなんでしょう。才能のあるなしは誰が決めるのでしょう、自分が決めても良いものなのでしょうか。……どうでもいいです、こんな話。才能なんてものを気にするだけ無駄です。才能が、なんてことを言い出すやつほど才能がありませんからね。


ある朝、私は目を覚ましました。


目覚まし時計の音が遅れて聞こえます。ふとベッドの傍にあるサイドテーブルを見やると、そこには赤色の目覚まし時計と青色の目覚まし時計が置かれていました。青色の目覚まし時計を止めます。赤と青ならば、好みは青ですから。赤色の目覚まし時計は音をけたたましく鳴り響かせ続けていますが、私には関係ないです。選ばれなかったやつが悪いのですから。私は赤色なんて、これっぽっちも好みじゃないですからね。


身支度を済ませます。着替えをして、カバンを持って、深呼吸をして。ところで、皆さんは酸素と窒素どちらが好きなのでしょう。私は酸素が好きです、自分を生かしてくれるから。どうでもいいですね。


部屋を出る時、ふと足元を見やると、そこに赤色のシクラメンが落ちていました。先日摘んだばかりの綺麗だったはずの赤色のシクラメンは床に落ちているだけなのにひどく汚れてしまったように感じられるのです。拾おうとして、やめました。綺麗じゃないからです。花自体が何も変わっていなくても、床に落ちている花というのはあまり綺麗に思えないからです。私は綺麗なものが好きです。綺麗ではないものは好きじゃないです。だから、選びません。不公平だと思いますか? でもそれが、『個性』というやつなのではありませんか? ですが、調子にのってはいけません。この国は『個性』を出しすぎると途端にみんなから仲間外れにされてしまいますからね。器用に生きないと。


部屋を出ると、すぐそこにリビングまで繋がる階段があります。一段一段、慎重に降りていきます。なんだか気分が悪いですね。階段を下るというのはものすごく気分が悪くなります。まるで自ら望んで堕落していっているようです。これもまた自業自得なのですか? 自業自得の『自業』ってなんですか?

私にとっては死ぬほどどうでもいい業でも、私以外の人にとっては死ぬほど興味のそそられる業かもしれないじゃないですか。業ってなんでしょう、業のあるなしは誰が決めるんでしょう。自分が決めても良いものなのでしょうか。もう、どうでもいいですね、こんな話。


一応、リビングに行ってダイニングテーブルを見てみます。いつもの光景です。あの人の皿にはおいしそうな私の食欲をそそるパンが置いてあっても、私の皿にはただのパンが置かれているだけです。愛情ってなんでしょう、フリカケみたいなものなんでしょうか。別に誰からも量が制限されないからこそ厄介なんでしょうね。あの人のパンには愛情というおいしさがのっているように見えるけれど、自分のパンには愛情というおいしさがのっているようには見えないのです。これっぽっちも。他の人のものが羨ましく思えてしまっているだけでしょうか。私が愛情というものに気付きにくい性質なだけなのでしょうか。それならば、こんな生きにくい性質の人間になってしまったのはとても残念です。やはり、この世の中は平等なんかじゃありません。ちっとも。ええ、ちっとも。他人に与えられる愛情と自分に与えられる愛情が全く同じ量に見える人間が、この世にはいるということですか。それは凄いですね。凄いと思います。もはやこんなこと、どうでも良くなってしまうくらいに。


長くなりました、もう家を出ます。


あの人に挨拶をして、猫の尾を眺めて、鳥の羽を撫でて、私は玄関に立ちます。黒色の革靴と焦げ茶色の革靴がありましたが、今日は焦げ茶色の革靴を履きました。焦げ茶色の気分だったからです。所詮、人間は焦げ茶色の気分で平等を不平等にしてしまう生き物なんですよね。悲しくって情けなくってたまらないです。心底どうでもいいです。


ああ、大丈夫です。もう家を出ますから。


心配なんて……結構ですよ。家を出ることくらい、この私にでもできますから。ああ、そうそう。私はいつも一歩目を右足から出すんです。でも、どうしようかな。今日は左足の気分ですから、左足から出しましょうか。でも、そんなことをすると右足が不憫で仕方がないですよね。両足を同時に出してみましょうか。ああでも、それはいけません、こんな朝っぱらから飛び跳ねるなんて見栄えがよくありませんから。綺麗でいなくちゃいけませんからね。個性なんてものは出さずに、一人だけ飛び出ずに、綺麗な生き方をしなくちゃいけません、それがこの世のルールです。不平等な世の中で私たちは平等な生き方をしていかなきゃならないんです。何故かって?私や貴方には才能がないからですよ。


長くなりました、家を出ます。


今日は挨拶をせずに外に出ました。左足から。

気分がいいです。本日は焦げ茶色と左足の気分です。


最後になりますが、この手紙を受け取ったらどうか私に言ってくださいね。行ってらっしゃいと。


やはり私、承認欲求というものを持っています。この両手からいっぱいいっぱい溢れてしまうくらい。


私、貴方に認められないと生きていけません。


私、貴方に認められないと死ぬことすらできません。


行ってきますは言いませんでしたが、行ってらっしゃいは言われたい生き物なのです。


私というのは。


だからどうか、頼みましたよ──。


***********************


長ったらしくて仕方のない、自分語りばかりの長文を流し読みして、私は静かに呟いた。


「……なんだこれ」


死ぬほど退屈でどうでもいい彼からの手紙に、私は死ぬほど素敵で素晴らしい返信をした。


──おかえりなさい、と。









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