第三話 子は遭遇する

 

 ◆◆◆


 昔からお願いされると断れない性格だった。

 そのままズルズルと面倒事を押し付けられて、嫌なのに受け入れるしかできなくて。


 体も声も周りのみんなよりも小さかったし、そのおかげで優しくしてもらうことだってあったけど、それよりも嫌な記憶の方がたくさんあって。

 だから誰も知り合いのいないこの学校で、今度こそはそんな自分を変えていこうと、そう思っていたのに。


 入学したばかりの間もない時期なのに、もうこんなことになってしまうのはあまりにも酷すぎると思った。


 今日から班ごとの掃除が始まって、遅れて同じ班の子に迷惑かけないようにといの1番に中庭まで急いできたのに。

 掃除しながら待てども、誰も来ることはなかった。


 もしかしたらもうすぐ誰か遅れてくるかもなんて思いつつ、タイミングを失ったままで、一人寂しく掃除を続けていたんのだけど。

 中庭全部の掃除なんて一人で簡単に終わるわけがなく、泣きそうになりながらセコセコ手を動かしていた、そんなとき。


 お昼休みにしか賑わないようなそんな人気のない中庭に、神様、ではなく神さんは現れた。


「あの……」


 だれかの声が耳に届き、やっと来てくれただなんて見当違いの喜びを抱いて振り返ったけど、そこにいた人の顔を見た瞬間、驚きで呼吸が本当に止まった。


 オバケや幽霊なんか大の苦手だけど、きっと本物の幽霊を見てもここまで驚かなかっただろう。

 それほどまでに急なその人の登場は心臓に悪かった。


 同じクラスの『神さん』。


 名前からもう目を惹くのに、そんなことは些細なことだと断言できるほどにとてつもなく可愛い女の子。

 入寮した日からあまりにも目立ち、名前と顔の神々しさから、誰も軽々に近寄ることのできていないクラスメイトがそこにいた。


 今日まで誰かと一緒にいるところを見たことがなく、けれども孤立しているわけではなく。

 たった数日も経たずして、むしろ孤高の存在なのだと疑わずにはいられないような、そんなみんなの憧れの的になったすごい人なのである。


 実は芸能人だとかアイドルだとかって言われても絶対に納得してしまうほどに顔が可愛い。

 同じ女の子として憧れるけど、そんな憧憬を抱くことさえ烏滸がましいとさえ感じてしまう。


 高嶺の花さえ自ら喜んで髪飾りになりにいくような神さんだ。

 当然自分には話しかけれるような勇気もなかったため、今までは寮でも教室でも遠くから眺めていることしかできなかった。


 そんな神さんが突然目の前に現れたのだ。

 そりゃ呼吸どころか心臓もとまりそうになっても仕方ないだろう。


「あ、あの……」


 神さんが話しかけている。

 多分他に人もいないから、おそらく自分に向かって。


「……っ……っ」


 何か言おうにも言葉は一切出てくることなく、パクパク口を開け閉めしながら息を吐くことしかできなかった。

 よりにもよって神さんの眼前でこんな醜態を晒すなんて、恥ずかしさからさらに顔が紅潮し何も考えられなくなっていった。


 顔も合わせられなくなり、身を翻して一心不乱に箒で地面を掃いた。


 声をかけてもらったのにそんな失礼な態度をとってしまったのだ。

 呆れられて去っていってしまっても仕方がないだろう。


 自分の意気地のなさに泣きそうになりつつも、背後の気配にだけは気を向けていたけども、神さんは私のそばを離れていくことはなかった。


「一人で掃除してるの?」


 離れないどころか、まだ声をかけてくれる。


 振り向くことは出来ず、だけどもせめて返事は返そうと、コクコクと何度かうなずくことは出来た。


「…それは、ひどいね」


 正直あなたが現れるまでは自分もかなり悲しかったし、少しは不満を抱いていたけれど、神さんの降臨によってそれ以上の感情で一人掃除とか全部些細なことになってしまった。


 同情してくれるような言葉をかけてもらっても、なんの反応も返すことができないまま。

 さらには神さんに背を向けたままで、同じ場所を竹箒で掃き続けたまま、幾許かの空虚な時間が流れた。


 今までの自分を変えようと、せっかくの新天地に飛び込んだクセにこの様は情けなすぎると凹んでいると、後ろにいた神さんが歩き去っていく足音が耳に届いた。

 ひとりぼっちの掃除を強いられて惨めなだけでなく、マトモに顔も合わせて話せないような子なんて、そりゃ見限られて当然だろう。


 だけどその足音が告げる事実は、掃除を押し付けられた現実や、過去の情けない私や、これからだってずっと情けないままだという未来を無理矢理にも実感させるに十分すぎる威力を秘めていた。


 せめて、せめてと神さんの足音が聞こえなくなるまで耐えて。

 耳にその音が届かなくなるや、皮切りに聞こえてきたのは、私の情けのない嗚咽する声だった。


 ひとりぼっちの中庭に、私の啜り泣く声だけが静かに漏れて消えていった。


◇◇◇

 

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