畳の記憶を辿れば

ろくろわ

忘却の彼方

「おばぁの家を片付けるから手伝いに来い」

 と父に言われたのは、少し暖かくなってきた四月最初の日曜日だった。

 小さい頃はよく親に連れられ遊びに行っていた祖母の家も歳を重ねるごとに行かなくなり、久し振りに見た祖母の家は外観こそ昔のままだったが中は家具も荷物も少なくなりバリアフリーに改装された私の知らない家だった。

 月日の流れをそんな所から感じていた私に父の声が聞こえた。

「おい、政義まさよし玄関そんなとこにボサッと立ってないで早く手伝え。大きな荷物はもう運んでおいたから」

「あぁ、分かったよ」

 家の中で作業をしている父に、私はどこか遠くに返すような返事をしながら祖母の家に上がった。

 子供の頃追いかけをしながら走り回った家は思ったより狭く、私は部屋の中を一つずつ見てまわり作業中の父を探した。

 当時から古くて歩くと軋んでいた廊下も和室だった部屋も新しい床に張り替えられていたが、リビングだった場所の身長を測って柱に刻まれた跡や掛け時計はそのままだった。

「おぅ、政義。大方荷物は外に出したから後はここのテーブルと椅子、時計なんか全部外に出してくれ。それが終わったらおばぁの寝室の床と窓を拭いてくれ」

 父はそんなリビングで小物をまとめながら私の方を見ずに話しかけた。

 私は掛け時計を外しながら幼少期に祖母の家に泊まった夜、この掛け時計の音が怖かったのを思い出した。昔ながらの鳩時計は、毎回三十分には一回。丁度の時間にはその時の刻分の鐘と鳩が飛び出す時計。

 祖母の家は夜は静かで時計の針の音が大きく、夜中十一時には十一回分の鳩が飛び出す、それが怖かった。今思えばそれのどこが怖かったかも思い出せないが。

 変わってしまったと思っていた祖母の家には意外と当時のものが残っているものだと片付けをしながら思った。


 小さな小物や大方の荷物を運ぶと拭き掃除をするため、私は祖母の寝室だった場所に向かった。

 祖母の寝室にも何もなく、畳が敷き詰められていただけだった。私はしゃがみこむと濡らした雑巾を絞り、畳を一枚ずつ拭いていった。

 その色褪せた畳の中の一枚に四ヶ所、日焼けしてへこんだ跡のあるものを見つけた。

 何だろうと近づきその跡に触れようとしたとき、耳元で糸の走る音が聞こえた。

(チッ、シャラララー。カタン。チッ、シャラララー。カタン)

 しゃがんでいる私の横を幼少の小さき私が走り抜けていく。


 思い出した。


 この畳の跡は機織はたおり器の跡だ。さっきまで何も無かった祖母の部屋に大きな機織り器や着物をしまっていたタンス、床に敷かれた布団が見えた。

 時計の音は嫌いだった。

 でも祖母の織る機織はたおりの音は好きだった。幾つもの糸が右から左に。左から右に走り抜け、この度にシャラララーと心地好い音がなっていた。そうして重なった糸をカタンと押し固めて反物にして行く。祖母は決して触らせてくれなかったけど小さな模様が少しずつ出来ていく様は退屈な祖母の家でいつまでも見ていられるものだった。


(カタン)


 糸を止める音が聞こえたと同時に祖母の部屋には何もなくなった。

 さっき見えた機を織る祖母もその近くにいた幼少の私も、大きな機織り器も。


 昔はどこの家からも聞こえていた機を織る音は今はもう聞こえない。


 私は色褪せた畳に残る日焼けした跡を指でそっと撫でた。

 遠くでまたシャラララーと糸の走る音が聞こえた。そんな気がした。




 了

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