絆~失われた記憶
和泉将樹@猫部
邂逅
同じ顔の二人
第1話 脱走
に ・ げ ・ な ・ さ ・ い
突然頭に響いたその言葉は、少女の全思考を支配した。
幾重にも重ねられていた意識の奥底から、全てを貫いてきたかのように表層へと突然響いた声。
それは、それまでのすべての思考を一瞬で完全に被い尽くしていた。
全行動・全思考がその言葉に従わなければならないという本能だけに全て埋め尽くされる。その直前までの思考・意志は完全に失われていた。
ただ、その声の指示する、たった一言だけ。
それを実行するためだけに、少女は全能力を解放していた。
少女はすべての――自分の理性も含めた――制止を振り切って、逃げ出した。
何から逃げるのか。そもそも逃げるべきなのか。それすらも分からない。
ただ、この場所にいてはならない。声はそういう意味だと、少女の中で、それだけは疑いようのない真実だと確信できる。
何度も、外からの声と自分の理性が、行動を止めるように警告する。
だが、それらは今の少女には何の効力も意味もなかった。
ただ走る。いや、走っているだけではない。半ば浮いている。
なぜそんなことが出来るかなど疑問を持つことはない。ただ、自分には今そうできるというのが分かっている。だから、なんら疑問を持たなかった。
廊下を駆け抜け、いくつものシャッターを潜り抜けてただひたすら外を目指す。
途中、制止しようとする人が自分の前に現れた気がするが、そんなものは意に介すことなく一瞬で駆け抜ける。
何度目かのシャッターと扉を潜り抜け、建物の外に出た。
外は夜の帳が暗黒の色で空を染め上げていたが、建物周辺はライトに照らされていて非常に明るく、視界に困ることはない。少女は
あと少し。あの壁を越えれば良い。
壁の遥か手前で跳躍する。少女の体は、その身の数倍ある壁を、飛び越えるに足る高さまで浮き上がった。移動する速度は、そのままに。きれいな放物線を描いて、少女の体が壁を越えようとしたその時。
少女に、光が突き刺さった。
焼けるような痛みを感じた直後、少女の体勢が崩れる。まるでスローモーションのように少女の体は、深い闇の底に落ちた。
いくつかの光が、少女を追うように闇に消える。
冷たい冬の水が、少女を
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
気付いたのは、焼けるような痛みから。
ゴミ溜め同然のようなその場所は、実際にゴミ溜めなのだろう。
しかしそれでも、少女の四肢はまだ動かすことができ――そして、前に進むことができた。
ここがどこだかは、もう分からない。
あの時の衝動は、まだ続いていた。
だから、歩く。
少しでも――から離れて。少しでも遠くへ――逃げるために――
力が抜けた。
体内感覚では、現在は昼のはずだが、今空を覆うのは黒い雲。
冷たい雨が、容赦なく体を打ち付けていた。
暗い、都市の底のようなこの場所は、瓦礫めいたものが多く、雨を避けられる場所に困らないはずだが――雨に打たれることすらどうでもよかった。
意識が麻痺していく。
ずぶ濡れになって体にぴったり張り付いた服の感覚も、雨の感覚もすでにない。
体温低下。
心肺機能低下。
PSY値下限値以下にダウン。
生命維持に支障。
自分の中の何かが、自分の状態を正確に分析して警告を出し、然るべき対処法を次々とはじき出す。
しかし、全て無視した。
もう、どうでもいい。
ただ、眠りたかった。
足はもう動かない。
少女は、崩れるように瓦礫の中に倒れ込んだ。
雨は止むことなく少女の体を打ち続けていた。
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