第224話 9月の風は頬を撫で、徐々に涼しさを帯びていく

「そういえば昴さん、演劇の脚本? は大丈夫なんですか?」


 誕生日プレゼントを渡して少しばかり話したあと、話題が変わる。


 思い出したように問いかけられた内容に、俺は「あー」と声をあげて頷いた。


 脚本……そうかそうか。


 有木と会ったアレから、脚本周りのことを志乃ちゃんにあまり話していなかった。


「そこそこってところかな。渚に手伝ってもらいながら進んでるよ」

「渚先輩に……。そう……ですか」

「うんうん。けどまぁ、素人だからいろいろ苦戦はしてるけどね」


 内容の方向性を固めた俺は、時間を見つけてはコツコツと自分なりに書き進めていた。


 学校から帰ったあとや、土日の暇な時間などなど……。


 行き詰まったり、ほどよく進んだりしたら渚に連絡して見てもらう。


 困ったときは有木に連絡してアドバイスをもらうなど、使えるもんを上手く使いながら順調に形に出来ていた。


 このペースでいけば、汐里祭の準備が本格的に始まる来月の初め頃には、クラスの連中に見せることが出来るだろう。


 これから添削することを含めても、初挑戦にしてはなかなか頑張っているほうだと思う。知らんけど。


「いいなぁ……」


 ボソッとこぼれた、志乃ちゃんの呟き。


「私も……昴さんや兄さんたちと一緒に、そういうことしてみたかったです」

「そればかりはどうしてもなぁ……。ほら、来年になったら日向と一緒にできるじゃん?」

「それはそうですけど、昴さんたちとも一緒にやりたかったです。日向も似たようなこと言ってましたよ? やだやだーって」

「簡単に想像できるな」


 駄々っ子日向ちゃんはむしろ解釈一致である。


 とはいえ自分が慕っている人たちと、なにか特別なことがやりたい、特別なものを作りたいっていう気持ちは……まぁ分からんでもない。


 しかしながら、無理なものは無理だから仕方ないわけで……。


 志乃ちゃんと日向には、来年好きなことを思う存分やってもらうとしよう。ついでによっちゃんも一緒に。


 ……よっちゃん、大丈夫か? あの子、カップリング喫茶がやりたいとか言い出さない? 客を一方的にカップリングしない?


 ……。


 適当に言ったけどカップリング喫茶ってなんだろう。


「ま、アレだな。ぜひ当日は二年二組の演劇を観に来てくれ。お兄さんの雄姿と、月ノ瀬先輩の美少女っぷりが見られるかもしれないぞ」


 そのための脚本を俺が仕上げないといけないのだが……。それは頑張るしかない。


 素材は最強だから、あとはその魅力を活かせるものを書き上げるだけだ。


「渚先輩や蓮見先輩は、やっぱり出ないんですか?」

「ああ。渚は俺の補助だし、蓮見は衣装担当だからな。それに本人たちも出る気はないみたいだし」


 演技云々は置いておいて、渚も蓮見もビジュアルはめっちゃ良いんだから舞台映えすると思うんだけどなぁ。


 出来ないものを要求しても仕方ないから、裏方として精一杯励んでもらおう。


「……補助」


 目を伏せた志乃ちゃん、小さな呟き。


「渚先輩が羨ましいです」

「おっと……それはどうして?」

「だって、補助ってことは昴さんと関わる時間が多いってことですよね? 手伝ってもらってるーって言ってましたし」

「そりゃ……そうだけど……」


 羨ましい、と来たか。


 こちらを見る志乃ちゃんの表情は『ザ・不満』といった様子で、僅かに頬が膨らんでいた。可愛い。


 どうして不満げなのかは……考えるまでもなく――


「私、嫉妬してます」


 ……律儀にしっかり教えてくれました。


 細かい心情は分からないが、志乃ちゃんは渚のことを意識している節がある。


 最近仲が良さげなのも、そういった感情から来ているのかもしれない。


 たしかにアイツとはなにかと関わることが多いけど……。


 俺と渚との間に、そんな青春めいたものは一切存在しない。それどころかお互いに否定し合っているくらいだ。


「それ、渚が聞いたら怒る案件だな」

「……そうでしょうか?」

「そうだろ。『は? なんでこいつに嫉妬なんかするの? てか誰』とか言ってそのまま俺を海に沈めるぞ」

「あ、あの……。なんで渚先輩の真似、そんなに上手なんですか……?」

「ふふん、普段から散々グサグサ言われてるからな。気付いたら出来るようになった」


 そうかそうか、志乃ちゃんが聞いてもいい感じに真似が上手くなったか。


 今度本人にも披露してやろっと。そのまま埋められそうだけど。


 俺が消息不明になったら、アイツに消されたと思ってくれ。


 多分、海か土に埋まってる。


「じゃあ……昴さん」


 志乃ちゃんは両手を組み、一度息を吐く。


「なんぞや」

「汐里祭の日、一緒に回ってください」

「え、一緒に?」

「はい。もちろん演劇の準備とかあると思うので、少しだけでいいんです」


 おいおい。美少女と文化祭を一緒に回るとか、それもうラブコメの定番イベントじゃねぇか。


 どうしたものかな……。


 個人的な気持ちで言うのならば、司や日向、月ノ瀬たちと回ってほしい。


 俺の気持ちとしては、ほかのクラスがなにをやっているかとか、ワイワイ遊んで思い出作りとか、そういったものに興味はない。


 大事なのは俺の思い出ではなく、彼らの思い出だ。


 それを言ったところで、志乃ちゃんの考えが変わらないことくらい分かっているけど……。


 俺と過ごすことで、志乃ちゃんにとって思い出になるのならば――


「少しだけ……私に昴さんの時間をください」


 断られるかもしれない。


 志乃ちゃんの揺れた瞳からは、そんな気持ちが窺える。


「別にいいよ」

「……えっ! いいんですか!?」


 サラッと答えると、志乃ちゃんが嬉しそうに声をあげた。


「うむ。期間は二日あるし、時間を見つけてどこかで一緒に回ろうか」

「やった!」


 ギュッと拳を握って喜びを表現している姿がなんとも可愛らしい。そして可愛い。つまり可愛い。


 その様子を見ていて、思う。


 ……こうして志乃ちゃんの『お願い』を聞けるのは、いつまでなのだろう。こうして俺に笑顔を向けてくれるのは、いつまでなのだろう。


 だったらせめて……今だけは。


 可愛い妹分のために……。


「楽しみだなぁ……!」


 先ほどまでの不満や不安はどこへ行ったのか、志乃ちゃんはニコニコ上機嫌モードに変わっていた。


 空に向かって大きく伸びをして、来月に待ち受ける汐里祭に思いをはせている。


「もう十月になりますよ、昴さん」

「だなぁ。あっという間だぜ」

「それに十月が過ぎたら、今年の終わりもすぐそこです」


 十一月、十二月……そして新年。


 あと数ヶ月もすれば新年だと思うと、時間の流れというのは本当に早い。


 五月に月ノ瀬が転校してきたと思ったら、気が付けばもう汐里祭の季節がやってきている。


 月ノ瀬に関してはもう馴染み過ぎて、去年からクラスメイトだったんじゃないかって、疑いたくなるほどだ。


 さまざまな出会いや経験を通じて、俺たちは今ここに立っている……というわけだな。


「十二月はクリスマスもありますからね」

「あ、そうじゃん」

「兄さんはもちろんですけど、昴さんとも一緒に過ごしたいなぁ……」

「……。そりゃ、光栄なことで」


 未来のことは分からない。


 明日の俺がどうなっているのか、明後日の彼らがどうなっているのか。


 分かる者なんて、誰もいない。


 しかし――ただ一つだけ。


 分かる……いや、分かってものがある。


「昴さんっ」

「ほいほい?」


 俺たちがずっと見たかった笑顔。

 

 俺たちがずっと守ってきた笑顔。

 

 時間をかけて……ようやく取り戻した笑顔。




「これからもたくさん――楽しい思い出を作りましょうね!」


 


 その笑顔を俺は――





「……おう」





 ことになる。





 ぬるい風が――俺たちの間をすり抜けた。


 日が経てば、それらは少しずつ涼しげなものへと変化し、秋の到来を俺たちに知らせる。


 そして、いずれは冬を……雪を運ぶ冷たい風となる。


 そのとき俺は――どこに立っているのだろうか。


 彼らは――なにをしているのだろうか。


 想いは。

 道は。

 関係性は。


 どこまで、変化しているのだろうか。


 いずれにしても――きっと。


 終幕終わりはもう、すぐそこまで訪れている。 

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