第45話 夜の電話はどこか青春っぽい
一階ロビーに降りた俺は、テラスへ続く扉を開ける。
「おぉ……なかなか涼しくていい感じじゃないの」
夏の涼し気な風が頬を撫でた。
テラス自体はそんな広いわけではなく、椅子やテーブルといったものが置かれているわけでもない。
ボーっとゆっくり過ごす……みたいなことはできそうにないので、あくまでもリフレッシュ程度の役割だろう。
俺はテラスの端まで歩いて行き、欄干に寄りかかる。
一階ロビーからは死角になっているため、向こうから俺の姿は見えないだろう。
……あれ? てことはワンチャンここでサボれるってこと……!?
いや無理だな。
月ノ瀬に捕まって制裁を受けるのがオチだ。ぐぬぬ。
「……さて、と」
ここに来た理由はちゃんとある。
俺はポケットからスマホを取り出し、LINEを起動した。
先ほど送られてきたメッセージの主は、まさかの朝陽さんちの志乃ちゃんで。
流石に無視するわけにはいかないからここに来たけど……。
どうしたんだ?
なにかあったのか?
疑問を抱きながら、俺は志乃ちゃんに通話をかけた。
「……」
四、五秒ほど経って――
『は、はい! 朝陽志乃です……!』
上ずった可愛らしい声がスマホ越しに聞こえてきた。
俺はその言葉に思わず笑ってしまう。
むしろ志乃ちゃんじゃなかったらビックリだわ。
「ははっ、それは知ってるっての。なんでそんな緊張した感じなのよ」
『あの、まさかその……本当に電話が来るとは思ってなくて……』
「いやいや、別に電話なんて初めてじゃないだろ? この間も話したし」
まぁあのときは本気で怖かったけどね。
急に電話かかってきたと思ったらアレだぜ?
一言目で嫌な予感したもんね。
結果的に、無事に恐怖のお説教コースを回避できて良かったけど。
『そ、それは……そうですけど。なんかその……緊張しちゃって』
「緊張て。今更過ぎない?」
『私にもよく分からなくて……なんで緊張してるんだろ……』
いや知らんがな。
……ちょっとからかってみようかな。
「ほう? じゃあ切る?」
『な、なんでそうなるんですか……!? ……昴さん、意地悪です』
ムスっとした様子で志乃ちゃんは呟く。
おい。なんだこの可愛い生き物。
「冗談だって。んで、実際どうしたの。なんかあった?」
俺は空を見上げて志乃ちゃんに質問をした。
おぉ……いい感じの夜空だな。
同じ都内とは思えないほど綺麗な空だった。
電話の向こうの志乃ちゃんも、同じ空の下にいるんだよなぁ。
そう考えると不思議なものだ。
『なんか……っていうほどのものはなくて』
「あ、そうなん? でも電話ってことは、なにかしら用があったんじゃないの?」
じゃないと司じゃなくて俺っていうのが分からないし。
………。
ん?
数秒程度経っても、志乃ちゃんからは返事がなかった。
電波でも悪いのか?
「志乃ちゃん?」
念のため、もう一度名前を呼ぶ。
『……用が無いと』
あ、繋がってた。
『用が無いと……電話しちゃダメなんですか』
……あれ?
なんかちょっと怒っていらっしゃらない?
志乃ちゃんの不満そうなその声音には、小さな怒りが含まれている……ような気がした。
気がしただけで……実際はどうなのかは分かりません。はい。
「えっとー……志乃ちゃんさん?」
『なんですか』
やっぱ怒ってるってこれ。
「なんか、怒ってます……?」
『怒ってないです』
「嘘やん」
『嘘じゃないです』
その言い方は怒ってる人の言い方なの!
えぇ……なんで……?
別に俺、変なこと言ってないのに……。
でもたしかに。
俺の言い方が少し他人行儀ぽかったかもしれない。
用がないと俺に連絡してこないだろ? みたいな。
もしかしたらそこに志乃ちゃんは不満を感じた可能性はある。
『はぁ……やっぱりそういうところはしっかり昴さんですね』
志乃ちゃんは呆れた様子で言った。
「ありがとう?」
『褒めてません!』
「えぇ!?」
褒められてなかったようです。
そういうところってなんだし。
しっかり昴さんってなんだし。
『まぁ、その……兄さん、どうしてるのかなって思いまして……』
なんだよ。
結局ちゃんと用があるんじゃねぇか。
志乃ちゃんのお兄ちゃん大好きっぷりに微笑ましくなる。
俺はニヤッと笑って答えてあげる。
「大丈夫。バッチリ美少女たちと仲良くやってるよ」
『や、やっぱり……!』
嘘は言っていない。
「俺たちさ、勉強とかご飯の時間とか、基本的に班単位で行動してるんだよ」
『あ、はい。そのあたりは兄さんから軽く聞きました。たしか渚先輩と一緒だとか……なんだとか』
おお、そのあたりは話してたのか。
その話をされたときの志乃ちゃん、むーってほっぺ膨らませてたんだろうなぁ。可愛い。
俺は頷いて、話を続ける。
「そそ。で、その渚とまぁいい感じに仲良くしててさ。俺もうお尻が痒くなっちゃったよね」
『……えっ、渚先輩とですか?』
「うんうん」
『渚先輩が……?』
俺の予想とは違って、なにか疑問を抱いていそうだった。
どうしたんだ?
そんなに渚が相手ってことが意外だったのか?
たしかに普段の渚は積極的に司と関わろうとしていないから、その姿が想像できないのは無理もないだろう。
そういえば志乃ちゃんと渚の絡みってあまり見ないな。
二人になったらどんな話するんだろう。ちょっと気になる。
「まぁ、そんな感じ。司は……うん、まさに相変わらずって様子だよ」
まだ合宿は一日目だ。
今日は勉強してばかりだったし、特別なにかあったわけではない。
明日以降なにかあるかもしれないし……。
ないかもしれないし……。
そこは神のみぞ知るってやつだ。
『ちょっと複雑ですけど……兄さんが楽しそうなら良かったです』
兄想いの妹ですこと。
こんな可愛い妹がいるのに、ほかにも美少女から好意を寄せられて……。
まったくもう司は……。
は? 羨ましいんだが?
『……昴さんは』
小さな声が俺を呼んだ。
「ん? なにかね」
『昴さんは……どうですか? 合宿、楽しいですか?』
「俺? 俺かぁ」
俺は今日一日のことを改めて振り返る。
朝、調子に乗ったら鬼に成敗されて。
昼飯のときは司に俺の恥ずかしい話を暴露されそうになって。実際話したのかは知らないけど。
自習のときは夜叉に危うく刺殺されかけて。
うーん。
アレだな。
「散々だったな」
『えっ。大丈夫なんですか?』
「でーじょーぶ。渚や月ノ瀬に何度か消されそうになっただけだから」
『それ大丈夫なんですか!? 昴さんちゃんと存在してます!?』
大丈夫大丈夫。いつものことだし。
ちゃんと存在してるよ。……多分。
「今日はずっと勉強漬けだったからなぁ。志乃ちゃんも来年覚悟しておけよ?」
『そう言われると今から緊張してきちゃいます……』
とはいえ志乃ちゃんなら優秀だし問題ないだろう。
懸念点なのはむしろ――
「日向がどうなるのかは……知らんけどな」
『……あまり考えたくないです』
「そこはほら、志乃ちゃん先生の出動よ」
『ちゃんと勉強してくれるかは日向次第ですよ?』
自分の知らないところでこんないろいろ言われるなんて、かわいそうに。
日向は不憫な子だぜ。
実際問題、勉強が苦手な日向が来年の合宿でどうなるか正直心配ではある、
もしかしたら覚醒して頭が良くなってる可能性も……いやないな。ないわ。あるわけないわ。
「授業受けて自習して、また授業受けて自習して……そらふざけたくなるって。おかげで散々な目にあったけど」
明日の自習の時間どうすっかなぁ。
ふざけていいかな。ダメかな。
一日経ったからリセットしてみんな許してくれないかな。
『……ふふっ、ちょっと想像できちゃいますね。みんなが勉強してる中でふざけてる昴さん』
「安心しろ。お兄ちゃんのほうはちゃんと勉強してたから。もし同じ班だったら絶対巻き込んでやったけどな」
『自信満々に言わないでください。もう』
一緒の班じゃないのが惜しいくらいだ。
のほほんと勉強してるなんて許しませんよ俺は。
少し間を空けて、志乃ちゃんは『でも』と話を続けた。
『昴さんがいたら、明るくて楽しい班になりそうだなぁ。みなさんが羨ましいです』
羨むようにそう言って。
「その結果、全然勉強できなくてテスト危なくなってもいいかい?」
『そんなこと言って……。なんだかんだで、みなさんの勉強をちゃんと見てあげたんじゃないんですか?』
……うぐ。
『あ、黙った。さては図星ですね?』
「……さ、さぁ? 俺はずっとふざけてたけど?」
『昴さんはそういうところ、キチンとしてますから。何年一緒にいると思ってるんですか?』
四、五年くらいですかね……。
それだけで俺の言動がバレてしまうとは……。
いや、地味に付き合い長いよなぁ。
中学の頃から一緒なわけで、ましてや特に関わりの深かった子なのだ。
志乃ちゃんは他人を良く見てる子だし……。
いやはや……恐るべし。
「……参りました」
これは素直にお手上げである。
『やった。参られました』
え、なにそれ可愛い。
俺も使っていい?
『昴さんは……蓮見先輩と月ノ瀬先輩が一緒なんですよね?』
「ああ、そうだよ。クラスの二大美少女をガッチリゲットしちゃってね。ハッハッハ!」
『……それは楽しそうですね』
「おうよ、楽しい楽しい」
思えばそうだよね。
二年二組が誇る美少女双璧がどっちも一緒の班なんだよね。
……普通ならラブコメ始まるパターンだよね?
合宿でクラスの二大美少女と一緒の班になっちゃったうえにラブコメも始まったんだが?
みたいなライトノベル書けるレベルだよねこれ。
なお、実際のところラブコメは始まらない模様。
『……む』
「志乃ちゃん?」
返事が止まる。
あ、あれ? またこのパターン?
かと思ったら……。
『――いいなぁ』
……おん?
いいなぁ……って言った今?
それはまたもや予想外の返事だった。
小さな声ではあったが、ギリギリ俺の耳に届いている。
「なにが?」
『え?』
「え?」
思わず聞き返すも、むしろこっちが聞かれて。
え? はこっちなんだけど?
なんで志乃ちゃんがそっち側なの?
俺の聞き間違いだった?
『……あの。私、なんて言ってました……?』
まさかの無自覚っ!
「いいなぁって言ってたけど……」
『えっ……。私、なんで……』
やめて志乃ちゃん!
無自覚系までお兄ちゃんのマネしなくていいから!
あれは作中に一人だから許されるのであって、二人以上いたらただの厄介者だから!
無自覚対無自覚の会話とか絶対地獄だから!
「良く分からんけど……楽しそうでいいなぁってことかな?」
知らんけど。
で、出たぁ! 無責任秘技!
『そう……ですね。そうだと思います!』
思いますて。
まぁいいや。
「来年日向と一緒に楽しめばいいよ。……日向が楽しいのかは別だけどな。勉強的な意味で」
一緒の班になる男子のことは事前にしっかり調べておこう。
可愛い可愛い志乃ちゃんに手を出そうものなら、俺と司のダブルお兄ちゃんが出動するからね。
『あはは……。最近、こういうの多くて……なんでだろ』
こういうの、とは無意識にポロっと口にしちゃうことだろうか。
「その調子だともしかしたら、うっかり司に『……お兄ちゃん好き』とか言っちゃうかもね?」
ちょっと胸キュン的な告白ですねぇ!
ラブコメでも見かけるけど、不意に女の子に好きとか言われたら卒倒するわ。
男なら一度はそんな妄想するよね。
『~~!! す、昴さん!』
おおぅ……。
大きな声に思わずスマホを耳から遠ざける。
絶対顔真っ赤にしてるんだろうなぁ。
にしても、無意識に口にしちゃうことかぁ。もちろん自覚は無しで。
なにか原因とかあるんだろうか?
うーむ……俺には分からんぜ。
「それにしても、志乃ちゃんさ」
『……はい。なんです?』
あ、まだちょっと怒ってる。可愛い。
「このタイミングで聞くのもアレなんだけど。合宿のことを聞くだけだったら、別に司に電話すりゃ良かったんじゃね? 兄さん合宿どう~みたいな」
今の話を聞いている限りでは、別に俺ではなくてもいい気はする。
司に直接聞くのが恥ずかしい……という意味があるのなら、たしかに俺が適任ではあるが。
とはいえ質問自体は恥ずかしい内容でもないし、司もちゃんと答えてくれるだろう。
というか、きっと司も志乃ちゃんから電話がきたら嬉しいはずだし。
話を振り出しに戻すようで志乃ちゃんには申し訳ないけど……、単純な疑問として聞いてみた。
『そ、それはー……』
志乃ちゃんは言い辛そうしていた。
おっと。まさかもっとちゃんとした理由があるのか?
「それは?」
俺は聞き返す。
『それは……その』
その?
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