第7話 川咲日向は元気に笑う

「すごかったですね! 日向!」

「いや……ホントに、すごかったな」


 第二体育館での紅白戦観戦後、俺と志乃ちゃんは帰り支度を済ませて昇降口に場所を移していた。

 志乃ちゃんは未だに興奮冷めやらぬといった感じで、鞄を持っていないの左手をギュッと胸の前で握りしめている。可愛い。


 とはいえ、志乃ちゃんが興奮してしまうのも無理はない。


 日向の紅白戦――。

 それはもう……想像以上の結果だった。


 日向はバスケが上手いことなんて当然知っている。中学時代から何度も試合を見てきたのだから。

 知っていたのに、俺は先ほど観た日向の試合に感動してしまったのだ。


「日向、去年の夏の大会ですごく目立った活躍をしまして……選抜チームにまで選ばれたんですよ?」

「え? 選抜チームって……俺らの中学、別にバスケ部強くなかったよな? 男子も女子も」

「はい。でも、キャプテンとして日向はすごく頑張ってたんです。優勝はできませんでしたが……」


 志乃ちゃんの言葉に、俺は改めて紅白戦を振り返る。


 日向のチームメイトや相手チームに同級生の顔がちらほらあったから、恐らくチームは一二年生混合だったのだろう。

 その中でも日向は最も小柄で、相手チームに吹き飛ばされないか心配だった。


 だけど。


 最も小柄な日向が、最も大きな声を出し続けていた。


 先輩相手だろうが関係なく、チームメイトを鼓舞し、ゴールが決まったときは誰よりも喜んでいた。


 誰もよりも小さな身体を、誰よりも大きく動かして。

 

 ――『さぁまだまだいけますよー! 笛が鳴るまでは試合は終わりませんからね!』

――『ドンマイです! 切り替えていきましょー!』

――『あああ惜しい! でもナイスシュートでした! 次は決まりますよ!』


 バスケは狭いコートの中を試合中常に走り回っている。

 その体力消費量といったらスポーツの中でもトップクラスだろう。


 そんな中で日向は汗を流しながら大きな声を出し続けていた。


 勝ち負けなんてどうでもいい。

 ただひたすらに、全力でバスケを楽しんでいた日向の姿に俺は不覚にも感動してしまったのだ。


 ――思えば、中学の時からアイツはそうだったな。なんて思い返して。


「ふふ、兄さんにいい報告ができますね?」


 結果として言えば、日向のチームは見事に勝利を収めていた。

 二年生に混じっていても、アイツの存在が凄まじかった。


 中盤まで負けていたが、後半からの強烈な追い上げ。

 あれは恐らく、日向の鼓舞があってもの結果だったんじゃないか?


 素人である俺が見ても、そう思える試合だった。


 これは監督に大きなアピールができたのではないだろうか。


「いやー……そうだなぁ。なんか癪だけど」

「昴さんも、ちゃんと褒めてあげてくださいね? あんなに頑張ってたんですから」

「俺が褒めたところで『うわ、昴先輩に褒められるとかホント無理なんですけど。やめてくれません?』って言うだけだぞ?」

「ちょ、ちょっとモノマネが絶妙に上手でビックリです……」


 司が褒めるとデレデレするのに、俺が褒めると怒るんだよなぁアイツ。

 気難しいヤツだぜ。


「大丈夫ですよ。きっと喜んでくれます」

「そうか?」

「ええ、そうです」


 優しい微笑みを俺に向けて志乃ちゃんは頷いた。

 

 そんなに可愛い笑顔を向けられたら……否定するにもできなくなるじゃん……。


 分かったよ、と小さく息を吐きながら頷き返した。

 頑張ってたことは事実だしな。


 ――なんて、話していると。


「志乃ー!」


 昇降口と第二体育館を繋ぐ渡り廊下。

 その入り口から志乃ちゃんをよく大きな声が聞こえてくる。


 俺たちが声の主へと顔を向けると同時に、志乃ちゃんの表情がパアァっと明るくなった。


「日向! お疲れ様、部活はもう終わり?」


 声の主、日向は息を切らしながら俺たちのところまで小走りでやってくる。

 部活が終わってすぐに来たからか、額には汗が滲み、顔は火照っていた。


「うん! 待たせちゃってごめんねー! あ、まだ残ってたんですか青葉先輩」


 志乃ちゃんとは正反対に、俺に対して適当に挨拶を済ませる。

 イラッと来た俺はニッコリと笑顔を浮かべて――。


「なにがついでじゃオラ! 誰のせいでまだ残ってると思ってるんじゃオラ! この野郎!」

「あいたたたた!!! い、痛いですってー!」

 

 両手の拳を日向の額に当て、グリグリと。

 日向は苦痛に顔を歪ませて「ギブ! ギブですー! ごめんなさい~!」と、俺の腕をバンバン叩いている。


 ったく、調子がいいヤツだよ。


 俺が解放してやると、日向はそのまま志乃ちゃんにガバっと抱き着いた。


「志乃―! 昴先輩がいじめるよ~!」

「よしよし。大変だったね~」


 志乃ちゃんママは日向の頭を優しく撫でていた。

 

 俺も撫でてもらっていいですかね? え、捕まる? あ、はいそうですよね。


「それより日向、今日すごかったね。私、観てて本当の試合みたいに興奮しちゃったよ」

「えっ!」

 

 試合の話を振られると、日向は勢いよく志乃ちゃんから離れた。

 そしてニヤニヤと嬉しそうな笑顔を浮かべ、くねくねと身体を動かし始めた。


「そ、そう~!? なーんか照れちゃうなー!」

「本当にすごかったよ。また一段とバスケ上手くなってたね、日向」

「え、えへ! えへへへ!」


 親友の褒め言葉に嬉しさMAXの日向。


 ……ふむ。この流れだったら俺が言ってもいけるんじゃないか?

 

 俺はすっかり油断しきっている日向に向けて――。


「ホント、誰よりも頑張ってたよお前。すごかった」


 素直に思った気持ちを伝えた。

 

 すると。


「えっ」


 つい数秒前でデレデレしていた日向の表情が固まる。

 そのまま三秒程経ったあと、凄い勢いで俺に背を向けた。


「…………ふ、ふん! 昴先輩に褒められても嬉しくないんですから!」  

 

 ………。

 

 おい、志乃ちゃん。


 俺は抗議の視線を志乃ちゃんに向ける。

 しかし志乃ちゃんは、そんな日向を見て微笑ましそうに見ていた。


 折角褒めてやったのにコイツは……またグリグリの刑に処してやろうか?


 生意気な後輩をどうしてやろうかと考えていると、その本人はわざとらしく咳払いをして、ゆっくりとこちらを向いた。


「せ、先輩は司先輩に伝えてくれればそれでいいんです! 分かりました!?」


 顔を俺にズイっと近付けて。

 気のせいか、その顔は先ほどより少し赤くなっているような……。


 俺はその額に軽くデコピンしてやる。


「いたっ」

「はいはい、分かってるよ。俺はあくまで司の代わり、だもんな」

「そ、そうです! わ、分かってるならいいんです!」


 日向は両手を額を抑えてプイっと顔を逸らす。


「あの……昴さん」


 見兼ねた志乃ちゃんが俺に声をかける。

 

 が、志乃ちゃんが俺になにを言いたいのかは分かっている。

 日向のこの態度についてだろう。


「大丈夫だよ、志乃ちゃん。分かってるから」

「……ふふ、そうですか。それなら安心です」


 あいにく、俺はどこぞのラブコメ主人公のように鈍感ではない。

 なぜ日向がこんなツンツンした態度を取っているかなんて、当然分かっている。


 照れ隠し。


 本当にコイツは……分かりやすいヤツだ。


「ちょ、ちょっと二人してなに意味深な話してるんですかー! あたしも混ぜてくださいよ~!」

「ん? 月末のテストが楽しみだねって話だったんだけど? お前も興味あった?」

「ふふっ。うん、そうだよ日向? 一緒にテストについて話す?」

「えっ! そ、それは……ちょっと日向的には参加したくないかなー……なんて」


 アハ、アハハ……とわざとらしく笑う日向に、志乃ちゃんは優しい笑顔を向けた。


「部活も大切だけど、勉強も頑張ろうね? ――日向?」

「ぐはっ!」


 志乃ちゃんの圧攻撃! 日向に効果抜群だ!

 

 この様子を見るに、やはり日向は勉強に苦戦しているのだと理解した。


 二人にとっては今回のテストが高校初めてのテストになる。

 ほどほどに頑張ってほしいものだ。


 志乃ちゃんに関してはまったく心配していないが、問題は日向だな。

 一発目のテストで赤点取りましたー! なんてことはさすがに勘弁願いたい。


 もしそうなったとしたら、志乃ちゃんの雷が落ちること間違いなし。


「さてと。ずっとここで喋ってるのはアレだし、そろそろ帰るか」

「あ、そうですね! 私もご一緒していいですか?」

「もちろん。無事に送り届けないと司に殺されるからな」

「なんですかそれ、もう」


 司と俺は幼馴染ということもあり、自宅の距離はそれなりに近い。

 徒歩だったら十数分くらいで、お互いの家を行くことができるだろう


 当たり前だが、志乃ちゃんは司と同じ家に住んでいるため、帰り道も大体一緒である。

 中学時代も一緒に帰ったことなんて何回もあるし、今更意識することはない。


「そういえば昴さんはテスト大丈夫なんですか?」

「ふっ、任せてくれたまえよ。こう見えてそこそこの成績なんでね」

「そうでしたね。私も頑張らないと……!」


 俺と志乃ちゃんが並んで歩き出そうとしたとき――。


「まままま、待ってください~!」


 日向が俺たちを制した。


「昴先輩と志乃を二人になんてできませんから、あたしも一緒に行きます!」


 日向が慌てて俺と志乃ちゃんの間に割って入る。

 

 志乃ちゃんを男と二人きりにすることを心配しているのだろう。

 相手が昔馴染みの俺だということはもちろん把握しているはずだが、かといっては男ではあることには変わらない。


 日向なりに志乃ちゃんを大切に想っている証拠だなぁ。

 

「大丈夫だって日向。そんな嫉妬しなくても、お前とも後日二人きりで帰ってあげ――」

「あ、ほんとに先輩とかどうでもいいんで。あたしが心配しているのは志乃なんで」

 

 ……。


 だからお前、スンっと真顔になるのやめてくれない?

 普段表情が豊かな分、なんか怖いんだって。


 俺の冗談を一刀両断した日向は、志乃ちゃんを引っ張るようにして歩き出し「大丈夫だよ、志乃」と声をかけていた。


 おいコラ、なにに対しての大丈夫だそれ。


 はぁ……と深いため息をついて下を向く。


 バスケ頑張ってたなぁ、感動したなぁ……って気持ちどっかに吹っ飛んだわ。


「せんぱーい! なにしてるんですか置いていきますよー!」


 顔を上げると、すでに靴に履き替えた二人を俺を呼んでいた。

 

 人の気も知らず、呑気である。


「へいへい、今行きますよ」


 まぁ、でも。

 退屈はしないけどな。


 俺は二人に向かって歩き出す。


 こうして激動だった今日という日が終了した。


 ――月ノ瀬玲という転校生の存在によって、朝陽司を巡るヒロインレースが大きく動き出すことになる。


 そんな予感が、渦巻いていた。

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