第4話 四回目の朝
目が覚める。ほとんど同時に、教会の朝の鐘の音が聞こえてきた。
私は跳ね起きた。ベッドの中でじっとしていることなどできない。私の生活も、私自身も大きく変化して、朝という一日のスタートラインに立っている。心には、わが命を奪おうとした妻、クリスティーヌへの激しい怒りしか残っていない。私はいまや、一人の復讐者だ。
すぐに身支度を整え、一階にある銃の保管庫へと急いだ。今日の狩猟のために、手入れは済ませてある。私は猟銃を手にして、弾を込めた。
大股で、ふたたび階段へと向かう。階段の手前で、いつものようにジェームズに出会った。
「おはようございます、旦那さ……!!」
ジェームズは私と、私の抱えている猟銃を見てぎょっとした表情になった。おそらく私はこのとき、まさに悪鬼のごとき顔をしていただろう。なにも言わず、ジェームズを押しのけるようにして階段を上がった。
「旦那様! セバスチャン様! お待ちください! どうなされたのですか!? どうか落ち着いて!」
ジェームズの狼狽した声と足音が、後ろから追いかけてくる。私は構わず、一気に階段を駆け上がり、憎き妻、クリスティーヌの寝室へ向かった。
騒ぎに気づいたのだろう。クリスティーヌが寝室から現れた。寝間着の上にガウンを羽織っただけの姿である。ただならぬ私の様子を見て、顔が青ざめる。私はクリスティーヌに銃口を向けた。
「この裏切り者が。よくも、私を殺そうとしてくれたな!」
計画が露見したことを知ったクリスティーヌの表情がこわばる。だがもともとの勝気な性格からか、彼女は開き直り、挑戦的な眼差しで睨み返してくる。
「ばれてしまったようね。残念だわ」
「なぜだ? 私はおまえを愛していた。欲しいものは買ってやったし、王侯のようにとはいかずとも、子爵夫人として恥ずかしい生活はさせなかったはずだ! なにが不満だというのだ?」
クリスティーヌは冷笑した。
「あなたのような、貴族意識に凝り固まった人にはわからないでしょうね。わたしには、それが我慢できなかったのよ。私は好きな服を着て、気の合う人たちと自由に出かけたり、自由におしゃべりしたり、自由に恋をしたりする、そういう生活がしたいのよ。お決まりのドレスを着て、興味のないゴシップ話を聞く毎日なんてもう飽き飽きだわ」
「ばかなことを! ならばなぜ私と結婚したのだ?」
「あなたのようなお坊ちゃんなら、簡単に篭絡できて、わたしの望む自由な生活が手に入ると思ったからよ。でも、あなたは予想以上に貴族だった。結局、最大の失敗はあなたを見誤って結婚してしまったことね。妻の申し出では離婚できないから、わたしが自由になるにはあなたを殺すしかなくなったのよ!」
もう限界だった。聞くに堪えない。この女は最初から、私を利用しようとしていたのだ。
私の頭の中で、なにかが弾けた。私は引き金を引いた。いざとなれば、自分はきっと躊躇するだろうと思っていたのに、少しもそんな感情はおきなかった。うすうす、クリスティーヌの心が自分から離れていることに気づいていたからかもしれない。屋敷中に轟音が響きわたった。
「なんということを!」
背後で叫び声がした。ジェームズだった。血まみれのクリスティーヌに駆け寄る。
「奥様! クリスティーヌ様! だれか、医者を早く!」
大声で助けを呼ぶジェームズに背を向け、私はふらつきながら屋敷を後にした。
何時間が経ったかわからない。私は逃げるでもなく、隠れるでもなく、ぼんやりとなにも考えられないまま、領地内をさまよっていた。正確には、元領地と言うべきだろう。所領は消してしまったのだから。
「見つけたぞ、セバスチャン!」
聞きなれた声がして、私はわれに返った。振り向いた先には、ジェームズが猟銃をかまえて立っていた。
「よくも、俺のクリスティーヌを! おまえなど、もう主人ではない。報いを受けるがいい!」
ジェームズの言葉で、私は悟った。そうか、そういうことか。クリスティーヌが最後に言った、自由に恋がしたいとは、こういう意味だったか。
ジェームズが私を狩猟に誘い出し、クリスティーヌが狙撃する。それならば、時間も場所も思い通りに設定できる。妻と、最も信頼する使用人に同時に裏切られていたわけだ。
私が妻を撃ったときと同じく、ジェームズもまた躊躇なく引き金を引いた。轟音がとどろく。私は腹部に焼けるような痛みを感じ、衝撃であおむけに倒れた。
私の顔を、あの女が覗きこんでいる。女はもう、正体を隠そうともしない。頭にはねじれた山羊のような二本の角が伸び、、背にはコウモリのような漆黒の翼が生えていた。微笑をたたえたその顔は、たとえようもなく淫猥だった。
「以前にも説明したでしょう? 今日の運命は、今日の行動では変えられないのよ。犯人である奥様を今日殺しても、貴方が今日死ぬ運命は変えられない」
「……おまえは、こうなることを知っていたのか?」
「さあ、どうかしらね。この姿を見れば、わたしが決して善なる者ではないことがわかるでしょう?」
「……私は、どうしたらいい?」
女は微笑した。
「貴方の好きにしたらいいわ。なにを消せば死を回避できるかは、もうわかっているはず」
「私はすべてを失った。これ以上、生きる必要があるのか?」
「このままだと、貴方は妻殺しの犯罪者として死ななければならないわね。そんな不名誉が、我慢できるかしら?」
この女は、全部わかっているのだ。私が、そんな不名誉に耐えられない人間であることも全部。もはや私は、女の望む選択をするしかないのだ。
「……クリスティーヌとジェームズを消してくれ。私を構成する要素から、あの二人の存在を消してほしい」
女悪魔は満面の笑みを浮かべた。ゆっくりと覆いかぶさってくる。頭がおかしくなりそうな、なんともいえない甘い体臭。私はその甘美な地獄の香りを、むさぼるように嗅いだ。唇と唇が触れあった。意識が急速に薄れていく。
「とても素敵だったわ、セバスチャン。また会いましょう」
薄れゆく意識の中で、女悪魔がそう言うのがたしかに聞こえた。
そして私の意識は、暗い闇の底へと吸い込まれていった。
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