第12話 光

 アルヘイムソル。

 わたしと魔王は北の大地で殲滅戦を始めていた。

 森に逃げていく民間人に向けてドラゴンが駆けていく。

 火を散らし、森を焼く。

 くすぶった思いを抱きながら、森が焼けていく。

 肺を焼く煙りが十万し、人をただれた遺体へと変えていく。

 もう嫌だ。もう嫌だ。

 もう、嫌だ!

 こんなのはわたしが望んだことじゃない。

 わたしがしたいのは――!

 アーク・ドラゴンが、アース・ドラゴンが、アイス・ドラゴンが身をよじり、その力をこちらに向ける。

 わたしが悪いんだ!

 攻撃がこちらに向くと魔王は障壁魔法を放ち、その全ての攻撃を受け止める。

 それも怪我一つなしで。

「何をやっている!?」

「わたしは、わたしが嫌い!!」

「バカやろう!」

 魔王は催眠魔法を強め、わたしを気絶させる。


 ☆


 目覚めると、そこは幌馬車の荷台だった。

「お前。なんでそんなにも殺すことに躊躇う?」

「普通は躊躇うでしょ」

 わたしはサタンから目を背ける。

 魔王が何を思っているのかは知らない。

 でもわたしの力を悪用しないで欲しい。

 わたしに与えられた力は本来このようなことに使うべきじゃないんだ。

 そう思っていても、魔王は違う価値観をもっている。

 これじゃ、話し合いにもならない。

 そう思い、言葉を紡ぐことをやめた。

「何を考えているかは知らんが、お前は沢山の人を殺した。その事実は変わらない。否定したがっているが、お前も俺と同類なんだよ」

「……」

「お前は多くの人の運命に介在している。もう戻ることなどできない」

「うるさい。わたしはあのペットショップで静かに暮らしていたのに!」

 わたしは魔王の視線を振り払い、荷台から降りる。

 湖の畔でわたしはスカートをたくし上げて水浴びをする。

 もうわたしは戻れないのかな……。

 森から嫌なにおいが立ちこめてくる。

 この辺りの森も焼けているらしい。

 逃げおおせた白き狼が一匹、湖畔に佇む。

「キミ、は……?」

 狼は青い衣をまとい、わたしに話しかけてくる。

《我はフェンリル。この森を統べるもの。何をした人間》

《す、すみません。謝って済む問題でもないかもですが、わたしの意思ではないのです》

《……本気でそんな戯れ言を聞くと思うか?》

《……》

 数秒、黙り込むわたし。

《ふ。本当らしいな。お前からは威圧的な感覚はない。きっと利用されているのだろう》

 分かってくれたらしい。

 少なくとも、ここで殺されることはない――。

《だが、貴様がこの惨状を引き起こした。それを黙って逃がすほど阿呆ではない》

 ビクッと身体が震える。

《死が怖いか。ならなぜ戦場に出てくる》

《さっきも言った。自分の意思ではないと》

《なら、貴様の本当の意思を見せてくれ》

《本当の、意思……?》

《お主は何をしたい。何を求めている?》

 分からない。

 すぐに答えの見える話ではないと思う。

 すーっと身体を近寄せるフェンリル。

 その鋭い爪牙がわたしを切り裂く。

 そんな幻影が見えた。

 だが、

「何をしている。貴様はこっちだ」

 魔王が横からわたしを抱きかかえる。

 そしてフェンリルの首をねじ切る魔王。

「貴様。俺が簡単に殺せるとでも思ったのか?」

 首だけになったフェンリルは口を開く。

「は。貴様を殺すためなら、その娘も使う」

「そろそろ死ぬやつに教えるものか」

 サタンはそう言い、わたしを抱きかかえたまま、幌馬車に連れ込む。

「明日はもっと広い範囲を焼く。逃げたものは残らず殺す」

「どう、して……?」

「生き残った者がいれば、やがて復讐のために俺に立ち向かってくる。それを止める」

 殲滅すれば怒りも憎しみも湧かない。

 湧かないけど……。

 でもそれって……。

 悲しいよ。

 じわりと広がっていく悲しみの渦。

 どうしてこんなにもわたしは弱いのだろう。

 すぐに操られて、すぐに攻撃を始める。

 これでは本当にだ。殺人マシーンだ。

 もう嫌だ。

 あの頃に帰りたい。

 もう何も考えずに生きていたあの頃に。


「さあ、ショータイムだ」

 魔王がそう言うと、数百のドラゴンがわたしを通して空を駆る。

 世界を滅ぼせる力。

 否。

 滅ぼすつもりの魔王。

 こんなのについていっても地獄なだけだ。

 排他的で、誰も寄せ付けない。

 事実、魔王城でも従者はサタンの顔色をうかがうばかりで、仲良くしようとは思っていなかった。

 それはまさに奴隷商人と奴隷の関係。

 前時代的な悪習と文化的な秩序を破壊する者。

 サタンはその一人だ。

 ずっと前から独りぼっちで、そのことにも気がつけずにいる――可哀想な人。

 愛も知らず、友との語らいも、遊ぶ事も知らない。

 悲しい人だ。

 その悲しみから救うことなんてできるのだろう?

 そうだ。わたしはペットショップの店員だ。

 彼ら、動物は人を癒やし、愛を与える。

 愛せば愛するだけ、愛をくれる。

 すべては愛によって世界は救われていく。

 愛は全ての根源。

 全ての動力。

 愛がなければ流行病も、戦争も乗り越えることなんてできなかった。

 だから――。

 わたしの視界はまっ赤に染め上げられていく。

 世界が血で染まっていく。

 森林街に僅かに隠れたエルフの子どもたちをドラゴンが追い詰めていく。

 いやだ。

 いやだ。いやだ。いやだ!

 血のような赤い燐光が零れ落ち、身をよじると、さらに燐光が漏れる。

 青い燐光をした一匹の聖獣が姿を現す。

「フェンリル――っ!」

《我に返れ! アリス=ロードスター!!》

 声を荒げるフェンリル。その身体にはビーストテイマーの支配下にある光を放つ。

 だが抵抗できるだけの力があるフェンリルだ。

 そう易々と落ちたりはしない。

 わたしはサタンの支配下にあるわたしだが、抵抗を始めた。

 燐光が青と赤に別れ、燦々と輝きを放つ。

 世界が彩られていく。

 むせかえるような白煙。あちこちに散らばる瓦礫。燃える木々。

 だが、青と赤の光りが交じり合い、翠色の光を放つ。それが野に草木を花を咲かせていく。

 荒れ果てた野に、だ。

 世界が変わっていく。

「なんだ? この現象は?」

 魔王サタンがうろたえるように呟く。

 彼の初めて見せた顔だ。

 わたしとフェンリルは呼応し、互いの力を発揮している。

 迫る火の手をただただ待つしかなかった兄妹が、ぼけっとしている。

 草木が芽吹き、地に宿る。

 誰もが世界が変わったと言うだろう。

 光のその先にあるものは……?

 わたしはその深淵を覗こうとした――

 その瞬間――

 わたしには酷く気持ち悪い気分になり、吐き気がした。

 そしてナイフで切られるように頭が痛くなり、その場にくずおれる。

 支配下に置いていたドラゴンたちはその場で荒れ狂い、火球や氷塊を放つ。

 パニックになったドラゴンたちは何も得るものなどない戦いに身を投じる。

 無理矢理支配していた反動か、ドラゴンは世界を滅ぼすように攻撃を行い続ける。

 それが命令であるかのように……。

 正気に戻ったわたしは周囲に《ビーストテイマー》の力を放つ。

 青い燐光が空間を支配する。

 ドラゴンを包み込む光。

 異形の存在であるわたしがドラゴンを再度、支配する。

 でもそれは攻撃させるためじゃない。

 落ち着かせるためだ。

 ドラゴンは百近くいる。その一匹一匹と対話を試みる。

 力を抑え込むドラゴンもいるが、反動で混乱しているものも多い。

 鼻血がドクドクと流れ出し、脈拍が早くなる。

 浅い呼吸を整える時間もなく、ドラゴンを説得していく。

 力の使い方、間違えるわけにはいかないの。

 フェンリルも気遣わしげにこちらを見やる。

 森に逃れていた人々もその奇跡を目にした。

 世界を変える光。

 命の輝き。

 暖かく、そして優しい光。

 慈愛の心。


 やがて光は消え、元通りのアルヘイムソルが戻ってきた。

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