ムーンストーン・セレナーデ

橘薫

第一章 尊大不遜な奴

01

 大学構内の広場を、ボクは一人、ぽてぽてと横切った。今日の授業は午後から。早めに来て図書館で調べ物をしようと思ったのだ。

 空は青く澄み渡り、うっすらと雲がたなびいている。そよ風が頬をくすぐり、ボクの長めの前髪をさらりと動かすから慌てて押さえた。

 広場のベンチには、学生生活を謳歌しているらしいキラッキラの連中が寛いでいる。その、きゃっきゃうふふと楽しげな様子に負けないよう負のオーラを全身に纏わせ、ボクはそそくさと歩いた。

 ふと、足元が目に入る。ああ、このスニーカー、だいぶくたびれてきたな。あちこちに穴が開いている。そろそろ新調したいけれど、今月の仕送りとアルバイト代で生活はカツカツだ。ボクはふう、とため息を付き、誰とも目を合わせないよう今まで以上に俯いた。

「よ、晶(あきら)」

 背中から突然声をかけられてびくん、と反応する。恐る恐る振り返ると高校からの唯一の友人、佐原琥珀(さはらこはく)がにこにこと手を振っていた。

「なんだ、琥珀か」

「なんだとはなんだよ」

 琥珀は大学デビューだ。

 高校のときはぽっちゃりとした冴えない奴だったのに、春休みに筋トレに目覚めて短期間で体格を変え、髪をブリーチし、ファッションも変えた。入学式の日、七五三みたいなスーツを着たボクの前に琥珀は、お姉さんに入学祝いで買ってもらったというブランドもののスーツで颯爽と現れたのだ。ボクはそれが琥珀だとはまったく気づかず、知らない人に絡まれたと思い込んで逃げ腰へっぴり腰で対応したのだけれど。

「晶、どこ行くの」

「図書館」

「今日、午後講義入ってたっけ」

「あるけど」

「何時まで」

 なんだか琥珀、いつもと違う。ボクに誘いをかけるときは単刀直入に用事を告げるやつなのに、今日は様子を窺われている気がする。

「今日は六限までだし、その後はバイトがあるからすぐ家に帰る」

「バイトってあれだっけ」

 琥珀が目線を空に上げる。思い出せないことを思い出そうとするときの琥珀の癖だ。

「パワーストーン磨き」

「そうそれ!」

 琥珀がにっと笑った。あ、これは何か良くないことを考えているときの表情だ。

「忙しいから今日は付き合えないよ」

 それでなくとも人混みが苦手なボクなのに、琥珀はしょっちゅう誘いをかけてくる。サークルや同学年の子たちとの飲み会が中心だけれども、ボクは陰キャだし飲み会に出るようなタイプじゃない、それ以前にまだ十九。お酒が飲める年齢じゃない。

「今日は飲み会じゃないよ、紹介したい人がいてさ」

 これは危険な匂いがする。琥珀が「紹介したい」というときは大概なにか問題がある。この前紹介された、同じサークルの三年生だという水帆(みずほ)先輩は正直、面倒くさかった……。

「この前みたいな感じだったら、遠慮する」

「今度は違うって!」

 先手を打って断ったのに、そのまま去ろうとしたボクの手を琥珀はぐっと掴んだ。その瞬間にばん!と映像が入ってきた。

 身長、180センチは越えていそうな男性。一重の切れ長の目が怖い。坊主じゃないか。しかも、髪色が金髪だ。耳にはピアスがじゃらじゃらついている。これは噂に聞く「輩」。絶対に関わりたくない相手だ。

「誰かに会わせたいっていうならお断りだよ」

「待って、話だけでも聞いてよ」

「聞かない。もう行かないと」

「待ってよ、晶」

 ボクは琥珀に構わず歩き出した。早足。できるだけ早くその場を離れたい。

 琥珀の手に触れられたときに浮かんだ男の映像は、まるでボクに引き付けられるようにいつまでもついてきて、ボクは時々それを振り払う仕草をして、周りから不気味がられた。

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