四人目 隠れ鬼
「暗くなったら、隠れ鬼やっちゃ駄目だよ」
あれはいつのことだったでしょう。確か私が七つ前の時でした。隠れ鬼、というのはかくれんぼのことでしてね、私の地域では隠れる人が鬼なんですよ。
見つかったらお仕舞い。
そういう遊びでした。隠れる子は鬼のつもりで本気で隠れるのです。
見つかったら、退治されてしまうから。そう思うと怖さが増して、面白かったのですよ。
でも、ある時、夢中になっていたらいつの間にか日が暮れましてねぇ。黄昏時です。誰ぞ彼と問う程に人の顔の見分けがつかなくなる時間ですよ。
あたりは真っ赤でしてね、橙色の景色が目の前に色濃い影と共に広がるんです。
怖い、というより寂しくなりました。
それでですね、私はまだ、隠れていたんです。鬼の私を探している人が嫌いな子でしてね、鼻を明かしてやりたかったんですよ。
その子が泣きながら私の名前を呼ぶまで、出ないつもりだったんです。
そうして橙色の景色が消え始めた頃でしょうか。
見知らぬ子に注意されたんです。
私は目を丸くしてその子を見ておりました。見たことがないのです。でも、着ているものが綺麗な服でしたから、良いところの子なのでしょうね。
七三分けの顔のたいそう、良い子でした。
そう。不思議でしょう?
あんなに暗かったのに、その子の顔は見えていたんですよ。
私は嫌いな子が私をまだ探している声が聞こえてくるものですから、その子に向かって言ったんです。
嫌だって。
そしたらその子、仕方ないなぁって言って、私の隣に座ったんです。
正直言いますとね、心細かったので嬉しかったんですよ。知らない子とはいえ、隣に人がいるのは心強いものですからね。
それで、いくつかお話したんです。
他愛もない話ですよ。花が綺麗だとか、兄が怖いんだとか、それでもね、何を話して何を返されたか覚えているんです。
やがて泣き声が聞こえてきましてね、私はやったぞ、と思いました。
それでその子にお礼を言おうと思ったんですけどね、居なかったんですよ。
帰ってしまったのかな、と私は気にせずにいました。鬼が勝ったんですから、その時は気にしなかったんですよ。
はは。あの後、母にかなり叱られましたよ。それはもう夕食抜きでした。
今も覚えているのはですね、あることがあったからなんですよ。
それから私は幼年学校を経て、士官学校に入りました。三男なので、家督を継ぐ必要がなかったんです。ですから、お国の為になることを、と軍人になることにしたのです。
親は大層、喜びましたよ。
太平洋の波の上……。ああ、懐かしいですね。まだ覚えているものですね。そこでもかくれんぼをしましてね、驚いたのはそこでは隠れる人が鬼ではないんです。だから隠れ鬼とは言わないんですって。ああ、そういうものなのだなぁ、と思いまして。
でも、士官学校のかくれんぼはですね、大の男が体を小さくして隠れるんです。
面白かったですよ。規律に厳しい学校でしたけどね、そういうお茶目な日常もあったのですよ。
その後ですね。あんなに怖いかくれんぼはありませんでした。
戦時中のことですよ。遠い、異国です。彼らの住む土地をね、荒らしたんですから、そりゃ私たちのことをよく思いませんよ。
隠れながら逃げているうちに暗くなってね。
黄昏時です。ああ、こっちでも夕日はあるんだなぁ、と馬鹿なことを思いました。逃げているうちに一人になって、その時に小さい頃の隠れ鬼を思い出したんです。
不謹慎でしょう?
でもあの時、私が見ていたのは走馬灯だったのかもしれません。実際に危なかったですから。
異国の言葉でがなる彼らの声を聞きながら、ああ、我が国は負けるのだと思ったのです。
当時なら非国民と罵られたことでしょうね。
そしたら、隣にですね、その子がいたんです。
そうです。小さい頃に隠れ鬼をやった、その子です。
ふふ。懐かしいですね。
いやあ、もう、懐かしい。
ああ、あなたもこちらに配属されたのですか、と小声で囁きながら話しましてね。
部下に逃げられたこと等、話しましたよ。情けないでしょう? 私はどうしてもね、人を殴れなくて、部下に舐められてましたから。
でもその子はね、私に向かって言うんです。
人を殴らなかったから、あなたは生きているのですよ、と。
私、何を言われているか分からなくて、目を丸くしておりました。そしたらその子、にっこり微笑みましてね。その顔が子どもの笑っているようで私はなんだか、安堵したのです。
「君は、これから先、隠れ鬼をやっちゃ駄目だよ」
私はぼんやりと彼の顔を見つめながら、いつの間にか眠ってしまったようなんです。
不思議ですよね。
そこからの記憶が欠落しているのです。
私はいつの間にか船の上にいましたから。ただ、同期の話を聞くと、私は部下を引き連れて帰ってきたそうなんです。無我夢中だったのでしょうねえ。私も部下も、交流してから逃げている間のことを、覚えていないのですよ。
でもね、私、その子が助けてくれたんだと思っているのです。だから生きていて、こうしてあなたと話すことが出来る。
そうですね……。
その子に、また、会いたいものですねえ。
おや、ほら、お母さんがお呼びですよ。
さて、お話はこれでお仕舞いです。
また、遊びにおいで。
**
祖父から話を聞いた数日後のことだった。
祖父がいなくなったと母から聞いた私はしばらくの間、その場に立ち尽くしていた。
孫とかくれんぼをしている最中のことだったそうだ。夕暮れの中で泣きながら帰ってきた子どもは、おじいちゃんがつれてかれちゃった、と泣いていたそうだ。
まだ小さい子どもだったから、うまく言葉がまわらなかったのだろう、と人さらいの可能性はないと判断された。
おおかた、隠れているうちにどこかで足を滑らせ、落ちたのだろうということだった。両親も、町の人も、勿論、警察の人も行方不明だと言っているけど、それでも信じ難いと思っているのが分かる。
祖父は体を弱くしていた上に戦争で痛めた足でまともに歩くことが出来なかったからだ。なのに、孫に付き合ってかくれんぼをしていたなんて、呆けたのだろうか、と囁かれていた。
祖父から話を聞いた私は、もしかして、と思った。
祖父は、自ら約束を破ったのかもしれない。それとも、あの日の命を返しに行ったのだろうか。
名前も知らぬその子に手を引かれ歩く祖父の姿が見える。祖父は嬉しそうに微笑んでいる。
あれから十数年経った今も、祖父は見つかっていない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます