【完結済】彼女は強くてニューゲーム ~拾ったアンドロイドが人類最終戦略兵器だった件~

電プロ

第1話:一閃


  ―― あら、そんな所にいらっしゃったのね。ようやく見つけましたわよ。

       わたくし達の近くにいるのは分かっていたのですけど、

           そんな奥の隅っこにいるんですもの ――




 薄暗い倉庫裏の一角。ガラクタが転がり、潰れた空箱が散乱した廃棄物置き場のような場所で、少女は武器を構え、前のドアを見据える。その身には、大半が焦げて煤が付いたボロボロのドレスをまとい、低温にさらされたからなのか、頭には霜もついている。しかしそんなことも意に介さず、少女はその武器、まるでサーベルのような片刃の長い刃物を持って重心を低く据えていた。


 ドアの向こう側からカシャカシャとした機械音が近づき、やがて止まる。そしてドアロックを切断する回転カッターが、真っ赤に焼けながら火の粉を散らす。ロックが破壊され、ドアが開き始めたその瞬間。


 カギィンという金属の断末魔、凄まじい火花、衝撃とともに、バラバラになった機械部品が飛び散る。まさに一閃であった。その少女は手に持った武器の一撃で、ドアごと、4体はいたであろう攻撃ロボットを大破せしめたのである。少女の後ろには一人、構内作業用の軽宇宙服を着た人間が呆気にとられて尻餅をついていた。樹脂製のシールド越しに見るのは男の顔、それも比較的若い。青年だろうか。


<……ナク、応答し……>

<ナナク、聞こえ……か。状況を……>


 彼のかぶるヘルメット内のスピーカーから聞こえるノイズ混じりの音声が、ナナクと呼ばれた彼に聞こえないわけではない。


【攻撃ロボットに追われている】


という彼が陥ったこの状況を伝えなければならなかった。しかしその信じられない光景に、ただ言葉を失ってしまったのだ。


「い、一体、君は?」


 ナナクはかろうじて声を絞り出したが、その瞬間に少女は無言のまま素早く身を屈め、高く跳躍する。跳躍したその先に飛び込んできたのは2機のドローン。ナナクがそれを認識した時にはすでに武器を振り抜き、ドローンはバラバラの残骸として飛散していた。そしてスタッと着地する。そのまま、彼女は動かない。


 頭上では、先程のドローンの破片が隙間から差し込む外の光を浴びてキラキラと輝いていた。ナナクはつい先程まで命の危機にあったにもかかわらず、思わずその無駄のない美しい光景に見とれてしまった。そして数秒後、改めて自分の状況を思い出し、立ち上がって彼女に駆け寄っていった。


「ありがとう。助かったよ。」


 そう伝えるのがやっとだった。しかし、その少女がナナクにとって安全な存在なのかどうかなどまだ分からないのだ。事実、彼がその少女と出会って、まだ1分と経っていないのだから。それでも彼には、理由は説明できないが直感的に、彼女が仲間であるという認識を持たざるを得なかったのである。少女も武器の構えを解いて、ゆっくり立ち上がる。こちらを振り向き、目と目が合う。まるで地獄の炎を見つめてきたかのような彼女の深紅の瞳に見つめられ、ナナクは駆け寄る足を止める。


「私の名前はアリス、私は――」


 彼女は、アリスと名乗ったその少女はこう言うと、一瞬止まり、手に持ったサーベルのような武器を落としてしまった。カランカランと乾いた音が廃棄物置き場のようなその場所に残響する。そして意識を失うようにしてドサッとナナクの方へ倒れかかってきた。


「おおっと、危ない!」


 ナナクはアリスの肩を支え、かろうじて頭部が床に強打されることは防ぐことができた。


「ねえ、大丈夫?起きてよ、聞こえる?」


 しかし無反応だ。とりあえず目の前の危機は脱したようだが厄介事はほとんど減っていない。彼は一旦、今までの状況を整理してから、次の行動を考えることにした。


 ………

 ……

 …


 およそ4日前。


 ただ一人の同僚でもある上司とともに宇宙空間中の遺物回収をしているナナクが、地球衛星軌道上の大規模な構築物、設置当時に『リング』と呼ばれていたこの宇宙ステーションを偶然に発見した。その巨大な廃墟である『リング』のサイズはおよそ800m。ドーナツ型のステーション内部には中に多くの建物が設置されていた。その殆どは工場あるいは研究機関のようであった。800mと聞けば大規模ではあるが、かつて人類が地球を拠点に繁栄していた時代においては決して珍しいものではなかった。しかしここ百年でほぼ採掘し尽くしたとされるこのような遺構が、未だに手つかずで残されていることは奇跡だった。そして彼がここへ来たのは昨日に引き続き今日で2回目。本格的な調査・回収のための地図作りのためである。前日は環境測定器と送受信アンテナを入口付近へ設置しただけだったため、ステーション内部へ足を踏み入れたのは実質的には今日が初めてである。


 工場、住居、研究所、また工場、倉庫……手元の端末で更新を続ける自動地図の内容を確認し、誤りがなければそのまま登録していく。


『コウジョウ』

「工場」

『オフィス』

「はい、オフィスね。」

『コウエン』

「公園?ちょっと狭くないか?まあいいか。」

『トウロク、スル?』

「いいよ、登録で。」


端末が発する音声に答えていく。


 計測機器やそのAIが判定を間違えることはまず無く、実態としては遺跡観光のような、簡単な仕事のはずだった。百年以上放置された宇宙ステーションであり、当然、驚異となるものもない。過去に、軍用ロボットが暴走する事故があったそうだが、彼は生まれてから一度もそのような実例を聞いたことがない。歴史上の出来事という認識だ。むしろ建物の劣化による崩落事故や空気供給の部分的寸断を警戒しなければいけない。


 ところが、少なくとも彼が見回った範囲に関して言えば、不自然なほどに劣化がなかったのである。念のため、酸素濃度のグラフを確認するが、常時21%を示しており、安定している。


『イジョウナシ!イジョウナ~シ!』


 環境を確認し始めた彼の様子を察知した端末が元気良くそう叫ぶ。いちいちウルサイなぁ、と思いつつ、ナナクは無線機を使い、報告する。


「船長に無線をつないで。」

『リョウカイ、ダン船長 ト、繋ギマス。」


 呼び出し音が鳴ったと思ったらすぐに繋がったようだ。


<はいよ~、こちらダン。ナナク、順調そうだな。中は、どんな感じだ?>


 無線をつないだ相手は、ダンと呼ばれる男のようだ。船長というからにはナナクの上司なのだろう。


「見たところ劣化具合はスケール2。このまま住めるくらいだよ。綺麗すぎる。船長、今までこんな廃棄ステーションを見たことある?」


 ナナクの声が静かな構内に響く。それはマイク越しで、宇宙船で待つダンに届く。


<いや、ないな。まさか誰か住んでるんじゃねぇだろうな。まあ、宇宙語での挨拶か何かを考えておけよ。>


 ナナクが船長と呼びかけた人物から、なんとも緊張感に欠けた笑いまじりの声で返答が聞こえる。


「……。」


 ナナクは答えない。


<おいおい、冗談だよ。お前を危険な場所に送り出してるってことは分かってる。確かにいつもとは違う状況だ。慎重にいけ。>


 先ほどとは一転、真面目な印象で答える。しかし、彼が黙っていたのは決して怒っていたからではない。意外な発見があったからだ。


「農場だ。農場がある。それもすごく広い。画像を送るからちょっと見て。」


 そう言うと先程の端末を前に掲げる。


<農場だって?人が住んでたんだから野菜工場の一つや二つあるだろう。珍しくもない。>

「違うんだ船長。本物の農場なんだよ。ほら。」


 彼が興奮気味にそう伝え、中へ入っていく。船長と呼ばれた者もモニターを通してそれを見ているだろう。


<おいナナク、ちょっと待て。今日の調査はそこまでにしよう。流石に今までと勝手が違いすぎる。一旦戻って作戦会議だ。>


 しかし彼は止まらない。


「サトウキビに、こっちはコーン畑だ。パームヤシにカッサバもある。ほら、船長も見てよ。こんなのアーカイブでしか見たこと無いよ。」

<そんな事言われても分からねぇよ。植物マニアはお前だけだ。いいから戻ってこい。おい、ナナク、聞いてんのか。>


 苛立ち混じりのそんな声を無視してどんどんとその奥へ進んでいく。無理もない。ここで生育している植物は現在では見ることができないものばかりなのだ。そんな珍しい植物が沢山、それも過去に地球で人類の食料を生産していた光景とほとんど同じ状態で管理されている。


 興奮冷めやらぬ彼は相変わらず農場を早足で進んでいた。まるで何かを探すかのように。そのため、頭上の変化に気が付かなかったのだ。どこからともなく、キュイーンという音と共に小型のドローンが接近し、上空から監視していた。ゴウゴウと低音で響く農場用の換気ファンの音にかき消され、注意しなければ聞き逃してしまう程度の小さな飛行音だ。


「あった!すごい!」


 農場の地面に散らばる何かの実を見つけた彼は歓声を上げた。


<おい、今度は何を見つけた。なんかヤバいぞ、そこは。俺の経験上、そこに長居するのはマズい。>


 船長の声を無視してそれらを拾い上げ、更にその先のキャビネットに手を伸ばす。


「種だよ種、あっ、あっちにもたくさんある。どれだけの種類があるんだろう、信じられない!船長、今日はこれを持って帰るよ。いいよね。」


 そう言うと地面から拾ったものを自分のポケットに入れ始めた。


<今日はあくまでマッピング調査だって言っただろ。床に落ちてるモンでも、手順踏まねぇと俺が上から怒られるんだよ。いいから戻ってこい。>

「船長、帰るね。これ以上は持ちきれないや。大きいカバンを持ってくればよかった。」


 そう言うとナナクは踵を返して入口へ戻る。


<おう。いいから戻ってこい。>


 戦利品を無事に入手して少し冷静になったナナクは上空から響くノイズにようやく気づいた。上から自分を監視するドローンのローター音だ。


「船長!ごめん、見つかったみたい。今すぐ帰る。」


 しまった、気が付かれた!しかし、一体誰がみている?彼は頭をフル回転させた。考えをまとめる暇もなく、彼は全力で農場入り口へ向かい、もと来た道を帰る。


<見つかったってなんだ?何を見つけた。おい、ナナク。どうした?>


 すると、ナナクが農場のゲートをくぐった途端にビーッビーッと警報音が鳴り出す。


『キケン、キケン、ニゲテ!ニゲテ!』


 端末からもチープなロボット音声が聞こえてくる。そんな事を今更言われるまでもない。


「最短ルート検索。急いで。」


 危険を訴え続ける端末を手に持ち、最短ルートを速やかに算出する。


『ルート ヲ 検索シマシタ。目的地マデ 540mデス。』


 構内トンネル経由で閉鎖ゲートを2つ過ぎた先まで行けば良い。走れば数分だ。しかしそんなナナクの目論見は直後に覆される。通路の先、エリアを分ける閉鎖ゲートの前に、車体全体が紫色の、警備用のロボットが立ちはだかっていたのだ。2台?3台?いや、もっといる。彼は肩に掛けていた武器を取り出して構える。目標の破壊や護身に用いる多機能ライフル銃だ。速やかに安全装置を解除しパルスガンモードに設定する。高指向性の収束電磁ビームを照射する武器だ。


 素早く狙いを定めて……射撃した。


 ピーン、という発振器の音と共に目の前のロボットは動きを止めるだろうと彼は思っていた。


「そんな、まさか……!」


 驚きが思わず声に出る。ロボットは一切動きを止めなかった。明らかに命中していたはずだ。しかし表面で弾かれたビームにより周囲の照明のいくつかが強烈にフラッシュして機能を止めただけで、狙いのロボットは相変わらずこちらに向かってきている。パルスガンの直撃を受けても一切停止しない。それは武装した相手との戦闘を前提にした、軍用ロボットかあるいはそれに準ずる存在であることを意味していた。相手も武器を持っていて、こちらを攻撃してくることも十分に考えられる。それも警備ロボットの持つスタンガンのような非殺傷武器ではなく、攻撃用の武器だ。当たれば死ぬ場合もある。しかも先に攻撃を仕掛けたのはこちら側だ。形勢的にも非常に不利。このまま進むことはできない。ナナクは通路を反対側に走る。


 再び農場前へ戻ったところ、先程のドローンが上空を旋回していた。こいつがいる限り、自分の行動は筒抜けだ。撃墜するしかない。素早く銃を構え直し、ポケットから取り出した銃弾を込める。その重さに否が応にも緊張が高まる。彼が取り出したのは徹甲弾だった。


自身の運動エネルギーで何でも貫通してしまう徹甲弾は、与圧を破壊してより危険な状況を招く可能性もあるため、宇宙活動中は滅多なことでは使用しない。彼自身も実際の現場でこれを使用した経験などなかった。携帯している銃弾も僅か2発分だけである。しかしパルスガンが効かない相手となれば仕方がない。


「落ち着けば大丈夫。大丈夫。」


 自分自身にそう言い聞かせ、銃口を上に向ける。事実、自信もあった。彼がこのような最前線の職場に就けているのも射撃試験での好成績が一助になっていたし、探索・回収の任務中に破壊した警報システムや防犯ロボットも10をゆうに超える。相手が軍用のロボットであっても対処できるはずだ。軍用といえど、百年以上前の廃棄ステーションの生き残り、何も恐れることはない。


 訓練でも聞き慣れていた甲高い破裂音がステーション内部に響き渡る。それと同時に、粉々に砕けたドローンの破片がばらまかれる。


「やったぞ!」


 銃弾は見事にドローンに命中した。飛行能力を失ったそれはいくつかの塊に別れてガシャンと地面に激突する。これで自分の位置を補足するものは一旦いなくなったと、そう安心できたのは一瞬であった。


 突然、背中に強烈な衝撃を受ける。音はないがその衝撃はまるで巨大なバットで殴られたようだった。思わず倒れ込んだが、必死に後ろを振り向くと、遠くで古風なレーダーをこちらに掲げたロボットがこちらを向いて静止していた。先程のロボットがパルスガンで銃撃したのだろう。電磁波を伴うこのような攻撃は空気中では大きく減衰する。遠くからの攻撃だったため衝撃を受けて倒れる程度で済んだが、至近距離で打たれたら無事ではすまないだろう。ナナクは戦慄した。


 未だ痛みを感じる背中を必死に堪えつつ立ち上がり、姿勢を低くして走り出す。一旦物陰に隠れた後、再びルート検索を行おうと端末に目を向けると、そのディスプレイは暗転していた。おそらく先程のパルスガンの衝撃で回路のどこかが破壊されてしまったのだろう。


「どうする?」


 彼は必死に思考を巡らせる。先程のルート検索では構内トンネルを通って宇宙船へ戻る計画であった。ルート通り進み、ロボットの小隊を強行突破して進むか?


 だめだ、無謀すぎる。接近するとまたパルスガンの攻撃を受けかねない。大きく回り込んでこの区画を抜けてから、当初のルートへ戻ろう。念の為、残り一発の徹甲弾をライフルに込め、物陰を飛び出す。ガシャガシャというロボットの歩行音が遠くから聞こえる。


 彼は決して特別な軍事訓練を受けたことがあるわけではない。しかしそれでも、銃を扱うライセンスを取得する際に、悪意あるロボットや犯罪者から身を守るための振る舞いや戦い方の実技講習も受講していた。付け焼き刃ではあるが、役に立つかもしれない。いや、こういうときにこそ役立てなければいけない。


 物陰を探しながら次々と場所を移動していく。先程はパルスガン攻撃であったが、金属銃弾を撃ってくる可能性も十分に考えられる。したがって容易に貫通されてしまうフェンスや木箱のようなものの裏に隠れてはいけない。コンクリートか頑丈な鉄製の物体を探さなければいけないのだが、不幸にもここは宇宙ステーションである。そのような重量物は稀だ。効果的な隠れ場所がない場合の答えは――


「とにかく早く逃げる。」


 動き回る相手を狙撃するには相当な訓練が必要で、またロボットであっても不規則に動き回る物体を狙い続けるには強固な据え付けなどの準備が必要だ。今、彼を追っているロボットがそのような機構を持っているとは考えにくい。先程の地図表示を思い出しながら農場を離れて大きく回り込み、エリアを仕切るゲートが見えて来た。


 ここを抜ければなんとかなる。そう思ったとき、ゲートの影から先程のロボット小隊が現れたのだ。その距離、およそ20m。


「先回りだって!?どうして……?」


 どうして、そんな高度な判断ができるのか?自分の宇宙船はこの先のエリアにあり、自分はそこを目指して逃げている。そのような状況を総合的に判断すればこのゲートで待ち伏せするのは合理的だが、自律ロボットにそのような高度な判断ができるとは思えない。


 司令者がいる?


 人間かもしれないし、AIかもしれない。綺麗に整備されたこのステーション内部を見る限り、いずれも考えうる。しかし深く考えている余裕はない。ロボットのうち一台が動作を止めて、レーダーをこちらに向けた。


「うわぁぁっ!」


 撃たれる!そう思ったナナクは反射的にライフルを構え、銃口を向け、トリガーを引く。再び乾いた音が構内に響き、ロボットのうち一台が姿勢を崩した。至近弾を浴びたそのロボットにとっては致命傷だろう。残りのロボットが素早く散開し、こちらを向き直す。もう彼の銃弾は残っていない。しかしまだ抵抗する手段はある。


 彼は腰にぶら下がった小石ほどの大きさの白い玉を引きちぎり、ロボットの小隊に向けて投げつけた。その直後、炸裂音とともに煙で包まれる。錯乱用の煙幕弾だ。


 これで十数秒の時間は稼げるはずだ。がむしゃらに走り出した。また遠くから狙われるかもしれない。上層は危険だ。地下へ、地下へ、と逃げ出す。時々息を潜めて様子をうかがうが、時々ロボットの歩行音が聞こえる。こちらを正確に追いかけているのだろう。勝手に進むなというダン船長の忠告を聞いておけばよかった。彼がそう後悔した頃、見るからに厳重な扉を発見した。


【危険:この先は環境管理エリア外】


 何かの外なのだろうが、よく分からない。しかし危険とは言っても今の状況よりさらに悪くなるというのは考えにくい。幸いにも鍵はかかっていないようだった。大きなドアノブを回すとガチャリと手に感触があり、連動しているロックが解除された。


ホコリが溜まっていたのか、ゴリゴリと音を立てながら重いドアを全力で開け、急いで中に入る。中に入った途端にヘルメット内部からピーピーと警報音が鳴り始めた。同時に宇宙服のシールドが自動的に閉まる。環境異常の警報だ。


【酸素濃度、既定値以下(6.2%)】

【気温、既定値以下(-16℃)】


 ヘルメット内のヘッドアップディスプレイにそう表示される。人間ではあっという間に気を失い、数分以内に死亡してしまう環境だ。危険と表記があった理由はこれだろう。周囲を見渡すと巨大な配管が縦横に走り、ゴウゴウと音が聞こえる。きっとここは宇宙ステーションの最外縁部。配管類は構内の環境を維持している巨大な機器類なのだろう。異質な環境に身が引き締まる。アルミ合金製の階段を一段飛ばしで駆け上がっていくと、突然階段が崩れ、下に転落した。


 全身に痛みが走るが、大した高さではなく、大きな怪我はないようだ。軽作業用とはいえ宇宙服は頑丈だ。運良く下にあったパイプの切れ端や不規則に積まれた空き箱で衝撃が分散されたのかもしれない。


 しかし状況は悪くなる一方である。今、自分が場所もわからず、ロボットの小隊に追われ、先を進む道ももうない。


「誰か、助けてくれー!」


 そう叫ぶが、その声が反響するばかりで反応はない。しかし、自らの死を意識した頃、彼はソレを発見した。


「えっ?人影?」


 彼が転落したすぐ目の前、ゴミやガラクタの散らばる横に、一人の少女が壁にもたれかかるように座っていたのである。その全身は傷だらけでホコリに覆われており、さらによく見ると左腕に大怪我を……いや、既に左腕を失っているようだった。最初にソレを人だと認識した瞬間は、死体だと思った。そして間もなく自分もそうなってしまうのかと。


 ところが――


 指先と首、まぶたがわずかに動いた気がした。そこからパラッパラッと砂粒か氷粒のようなものがこぼれ落ちた。ナナクは必死にソレに、彼女に駆け寄り、肩を掴んで訴えかけた。


「お願いだ、起きてくれ!僕はここから出たいだけなんだ!」


 ほぼ死んだように動かない彼女に訴えかけたところで、どうにかなるものでもない。少し考えれば気づくようなことだが、彼にはその余裕すらなかった。しかし、まるで奇跡でも起きたように、彼女は立ち上がった。上から糸で引かれた人形のように、一定の速度で、ゆっくりと。


 その少女の目はまだ虚ろだったが、ナナクを捉えていた。


「攻撃ロボットに追われているんだ。このままだと殺されてしまう。助けてくれ。」


 ナナクは再び彼女にそう訴える。少しの静寂の後、さきほど彼を追っていたロボットの小隊の足音が壁の向こうを通過する。


 追いつかれた!


 そうナナクが思うと同時に、虚ろだったその少女の両目ははっきりとナナクを見つめ、目線をドアの方へ移すとともに、右手で彼を横へ押しやる。彼女の右手にはいつの間にか、サーベルのような武器が握られていた。


 そして――


 武器を構え……、一閃、跳躍、もう一度、空気ごと切り裂くような斬撃。


 不意の反撃を受けて一瞬で壊滅したロボット小隊と、斬撃に吸い込まれるように飛び込んだドローンの破片が散らばっていた。


「私の名前はアリス、私は――」


 そう言いながら彼女は気を失い、抱きかかえたのが、ナナクであった。


 ………

 ……

 …


 彼はここに着いてからの自分の行動を思い返してみたが、やはり状況がつかめない。しかし、直近の緊急事態であった彼を追うロボットはもういない。足音ももう聞こえない。目の前で気を失っているこの少女、アリスと名乗った彼女に助けられたのは間違いない。よく見ると自分よりもずっと小柄で身長も150cmもない。背負って帰れない重さではなさそうだ。


「一旦、僕の宇宙船に帰るよ。いいね?」


 そう声をかけると一歩一歩、帰り道を目指して、先程逃げて駆け下りてきた地下の通路を戻っていった。それ以降はロボットが襲ってくることはなかった。一体あのロボットは何だったのだろうか。


 ナナクはアリスと名乗った少女を抱えて宇宙船まで戻ってきた。宇宙船のハッチの前まで戻ってくると、彼自身が解錠操作をするまでもなく、ハッチのロックが開いた。厳重な二重のハッチを通ってナナクは宇宙船の中へと帰還した。背中には武器を握ったまま気を失っている少女を背負っている。


「ナナク!ナナクだな!戻ってきたんだな。このバカ野郎が、心配かけさせやがって。」


 無事に自分の宇宙船に戻ってきたナナクを迎えたのは、ダン船長の安堵と怒りの混ざった罵声であった。


「船長、そんなことより、この人をお願い。この人に助けてもらったんだ。」


 ダンはナナクが抱える人物に目を留める。


「おいおい、なんだよこの小娘は。……とにかく運べばいいんだな。」

「ありがとう、後で細かい説明はちゃんとするから。」


 ナナクが背負って帰ってきた少女はダンに抱きかかえられて、船内へと連れられていった。


 ………

 ……

 …


 ベッドと小さな棚しか無い殺風景な部屋に少女が眠っている。


「ん……う……。」


 錆びついて固まってしまったかのように重いまぶたを少しずつ開けて、周囲を見る。彼女はゆっくりと起き上がろうとしたが、縛り付けられているのだろうか、身動きを取ることができない。


 なぜ自分はこんなところで寝かされているのか?頭が働かず、ほとんど思い出せない。しかし、一つだけ、決して忘れてはいけないと強固に意識に刻みつけた言葉があった。


 それは――


「っ!」


 言葉を発しようと思った途端にバタンと大きな音でドアが開き、一人の青年が駆け込んできた。


「目を覚ましたんだね。3日も寝ていたから、もう死んでしまったのかと思って。」


 少女はその青年に目を向ける。


「あ、ごめんね、今外すから。」


 そう言うと彼女の体を固定していたベルトのようなものを外し、背中に手を添えて上体を起こすのを手伝ってやった。


「あのさ、君は一体……、いや自己紹介が先だね。僕はナナク・ハルマン。この宇宙船で、遺物回収をしているんだ。もうひとり、ダン船長って僕の上司がいるんだけど、もうすぐ来ると思う。」


 ナナクと名乗るその青年が早口でまくしたてる。


「それにしても、君は僕の命の恩人だよ。まさかあのステーションに軍用ロボットが……いやそんなことよりも、君があんなに強いなんて、君は一体……誰なの?」


 そう促され、少女は先ほど口に出そうとした言葉を思い出す。


「私の名前はアリス。私は――」


 彼女はアリスと名乗り、その言葉の続きを言いかけたとき、再びドアからバタンと大きな音がして遮られる。


「ナナク。そいつが動いたって本当か!?」


 壮年の男性がそう叫びながら入ってきた。しかし、ナナクはアリスを見たまま声をかける。


「あ、驚かしてごめんね、この人が今話したダン船長って人。」


「ナナク、気をつけろ。こいつがまともかどうかも分かんねぇからな。」


 ダン船長はそう言うとナナクの腕を引っ張る。


「船長、何度も言ってるけど大丈夫だって。この子はアリスっていうみたい。気分はどう?大丈夫?」


 警戒するダンとは対象的に、ナナクは優しそうに語りかける。そしてアリスがその問いに答える。


「うん、平気。」

「そうか、良かった。でも君はなぜ、あんな所に倒れていたの?」

「あんなところ?」


 アリスが首を傾げる。


「もしかして、なんも覚えてねぇんじゃねぇか?お前が助かったときだって、すぐに倒れたんだろ?」


 ダンの指摘は的確だった。


「えーっと、ごめんなさい。よく覚えていないんです。誰かに呼ばれて、変な夢を見ていたような。そんな感じで……。」

「じゃあ、君のおうちがどこか、覚えてる?」


 ナナクが聞くが、アリスが首を横に振る。


「そうか。じゃあさ、しばらくここに泊まりなよ。僕たちもすぐに出発する予定じゃないんだ。ねえ船長、いいでしょう?」

「まあ、いいけどよ。最後まで責任持てよ?」


 責任、という言葉に一瞬驚いたが、特に深い意味はないのだと気づき、説明を続ける。


「アリス、ちょっと狭いけど、一旦ここを君の部屋にしよう。今は目が覚めたばかりだから、後で船内を案内するよ。」


 そう聞いたアリスは意識して姿勢を正し、目をしっかり開き、改めて周囲の状況を把握しようとした。目覚めたばかりとは言え、ぼーっとしている余裕がある状況ではないのかもしれない。


「そうだ、ここはどこ?船内って言ったけど、ここは海の上なのかしら?」


 海、という言葉に二人は何か気がついたのか顔を見合わせる。彼女のその問いに、ナナクではなくダンが答える。


「ここは宇宙船、ジャクソン・ヘモウスだ。俺たちは大昔に廃棄された宇宙ステーションや人工衛星のゴミから、有価物を探し出す仕事をしてる。んで、今いるのは第3軌道のレイヤー5。先週見つけたでっけぇ廃棄ステーションに接舷してる。」


 そしてナナクが続ける。


「あと、僕たちはフリーランスだから安心して。政府の調査隊みたいに、君をすぐ警察に引き渡したりするつもりもないから、ゆっくりしているといいよ。」

「そうだな、そんなに危険性はなさそうだし、なんか手伝ってもらうことにするか。この船の乗組員は二人だけなんだけどよ、手が足りなくて大変なんだ。えーっと、アリスだっけ?仕事は後で説明しよう。」

「あーあー、船長の人使いは荒いからなー。」

「何がだよ、お前だって船の水素代くらい稼いでから言えよ。」


 二人の話の意味が全くわからない。彼女はそう思った。しかもそれは二人の慣れた掛け合いに圧倒されたのではなく、また単なる記憶喪失というのでもなく、二人の話がまるで別世界のことであるように聞こえるのだ。


 しかしあえて、彼女は分かったような分からないような、中途半端な表情をしながらこう答えた。


「ダンさん。ここは宇宙船なんですね。皆さんに会う前、私はどこにいたんですか?」

「ああ、今俺達がいる廃棄ステーションの奥の方だってさ。ナナクがそこで、お前を見つけて担いできたってわけ。すんげぇ勢いでロボットをぶった斬ったって聞いたんだけど、本当に覚えてねぇのか?」


 アリスはそんな夢を見ていたような気がするが、あれは夢ではなかったということか。それ以前の出来事は、彼らに聞いても分からなさそうだ。徐々に頭が働き出してきたが、未だに記憶はおぼろげだ。そして彼女は改めて何かを探すように周囲を見渡す。


 地図か時計はないのか、そうでなくてもせめて今いる場所が分かる情報はないか。彼らの説明では自分の状況がまるで理解できない。二人の話が全て正しいとすると、彼女が知っている前提知識と大きく異なる状況に陥っている。個人が宇宙ロケットを持ち、しかもフリーで仕事をやりながら宇宙空間を自由に行き来している。彼女の感覚では、宇宙にそんなに気軽に往来できるところではない。しかし彼らは、まるで漁船で漁に出ているかのような口ぶりだ。


 これらの疑問を直接彼らに問いかけるのは簡単なこと。しかし、下手に自分の正体を明かすのも避けられるならばそうしたい。そもそも自分が何者で、なぜここにいるのかも、まだよく分かっていないのだから。彼女はそう考えながら黙って周りを見渡していた。


 そんなアリスの様子を見たナナクは、勘違いしたのか、彼女に小さなカップを差し出す。


「おなか空いてるよね、きっと。とりあえずこれ飲んで、元気になったらデッキまで来てよ。」


 アリスがカップの中を見ると、薄いクリーム色の液体が注がれていた。これが何かは思い出せず、よく分からなかったが、何故か違和感はなかった。一口飲んで、味に問題がないことを確認してから全てを一気に飲み干す。よほど空腹だったのだろうか、力が湧いてくる気がした。


「おいしいですね、これ。味は……上手く表現できないけど。」


 アリスがカップの中身を飲む姿をナナクとダンの二人が凝視する。それに気づいたアリスが問い返す。


「え?どうしたんですか?」

「あー、いや、口に合ったならばいいんだ。」


 ちょっと慌てたような仕草でダンが返す。


「そうだナナク、こいつの服、どうする?こんなボロボロの格好で動き回らせるわけにも行かねぇだろ。」


 ダンは無理やり話題を変えるようにナナクに問いかける。


「じゃあ、倉庫の中からアリスが着られそうな服を探してくるよ。査定価格が出ないようなアイテムならば勝手に使ってもいいでしょ?」

「ああ、それで頼む。俺は一旦デッキへ戻るから、後は頼んだぞ。」


 そう言って二人はアリスが寝かされていた小部屋から出ていった。彼女は言われて初めて気がついたが、その身なりはひどいものだった。服の大半は煤で汚れ、また一部は焼け焦げてなくなっている。肩の部分は僅かに残った紐でつながっている程度で、もう一擦り二摺りしたらストンとはだけてしまいそうだ。なにか着られるものを用意してくれるという話だったので、彼女はおとなしくその場で待っていることにした。


 アリス一人が残されたその小部屋は再び静寂に包まれる。先程飲んだ物が栄養になったのだろうか、思考がかなり明瞭に働くようになってきた。自分の状況を速やかに分析する。


 自分は何かの事件か事故に巻き込まれて意識を失い、長期間にわたって眠っていた。そして3日前にナナクと名乗る青年にここまで担ぎ込まれた。それ以前の記憶にいくつかの欠損があるが、いずれ思い出すだろう。これについては不思議と楽観視していた。今いるのが宇宙船というのもブラフではなさそうだ。というのも、ナナクとダンが外に出る際にドアの向こうには小窓があり、そこを通して暗闇の中に明るく輝く太陽がちらっと見えたのだった。このような景色は宇宙空間でしか見られないものである。体の感覚も少しずつ戻ってきたが、相変わらず左腕に違和感がある。と言うより感覚がない。左手に目をやると……。


「え?ない!」


 左腕がない。彼女に全く心当たりはなかった。左腕を大きく失うような怪我や手術の記憶もない。元々なかったのか?いやそんな事があるのだろうか。困惑を隠しきれないまま右手で肩の部分を触ると、鈍い痛みが走る。傷が治ったような、そんな感じだった。彼らが治療してくれたのだろうか。


 総合的に考えて出た結論は――


「詳しくは分からないけど、『助かった』のね。」


 彼らの話だと、自身が眠っていたのはとても安全とは言い難い場所で、今いるこの場所のほうがずっとマシだ。先程の二人、ダンとナナクが何者なのかまだよくわからないが、わざわざ目覚めるまで待ってから話しかけたことからすれば、自分に危害を加える気はなさそうである。気を失っている間はベルトのようなもので拘束されていたようだがそれも解いてくれた。逃げようと思えば逃げられるが、なおさらここから無理に逃げ出したりする必要もないだろう。


 知りたいことはたくさんあったが、まずは身の回りを整えるのが先決だろう。急を要する状況でもない。アリスはその場でゆっくり立ち上がった。上の方に小さな窓があるのを見つけたからだ。その小さな窓から外を見ると、真っ暗な空と、煌めく星々が見えた。地面や地上の様子は全く見えない。やはりここは宇宙空間なのだろう。少しでも周りの様子をうかがおうと頭を動かすと、斜め上の方には建物のような設備のような、とにかく大きな物体が見えた。先程彼らが話していた宇宙ステーションというものだろうか。


 再び腰を下ろして耳を澄ます。遠くの方でゴゴゴと低音で響く機械音が聞こえるだけで、ひたすらに静かな場所だ。アリスは先程のカップに再び目を向ける。先程の液体が、まだ少しカップの底に残っている。カップを手に取り残りをいただく。なんとも形容しがたい味がしたが、決して不快ではなく、むしろどれだけあっても飲み干せそうな代物だ。栄養剤か何かなのだろう。飲み切った栄養剤が自分の体に染み入るのを感じながら、アリスはその場で目を閉じた。ナナクかダンか、二人が戻って来た時に自分のことをなんと話せばいいのか、と考えながら。


 ………

 ……

 …


 宇宙船の出入り口付近の一画、壁一面にキャビネットが敷き詰められている倉庫のような部屋で、ナナクは思案していた。


「サイズが合う服はこれしか無いか……」


 ぼろぼろになったアリスの服を着替えさせるために、ナナクは探しものをしていた。ダンからは、ゼロ査定品、つまり転売価値がつかないものから選ぶように言われている。査定済みのものを使って良いならば、過去の現場で見つけた年代物のパンツやシャツ、ジャケットなどもあったが、これらは意外に高額な値が付く場合があるので侮れない。結局、骨董品ではなく、かつ日用品でも実用品でもないという、どうにも使いみちのないものから選ぶ他なかった。これは難しい。


 ナナクはその中からやっと一つを選び出し、ざっと畳んで袋にしまう。そして宇宙船の最上部にあるデッキと呼ばれる部屋へ移動する。


 デッキでは、その先頭部のコックピットに座ったダンが難しそうな顔をしながらモニターを眺めていた。その部屋の天井部をグルッと囲むように横長のモニターが囲っている。デッキと言っても、ここは宇宙船であり、もちろん屋外ではない。テーブルや椅子が並び、コックピット周辺のゴツゴツした機器類を無視すればリビングルームのようにも見える空間だ。ナナクが帰ってきたことを示す自動ドアの開閉音を聞いたダンは、振り向きながら問う。


「ナナク、どう思う?」

「あ、これね?合うサイズの服がこれしか無くて。」

「そうじゃねぇよ。あいつの話だよ。」


 ダンはナナクの回答に呆れ返り、さらにこう続ける。


「あれを飲んだな。」

「そうだね。おいしいって言ってたし、あの子も少し元気になったみたいだよ。」


 アリスが飲んだ白い飲み物の話をしているのだろう。


「しかし、わざわざカップに入れて渡す必要無ぇだろ。ミルクか何かと勘違いされたらどうするんだよ。気にせず飲んだから良かったけどよ。」

「いや、缶のまま渡すのもかわいそうだと思って。」

「お前にとっちゃ命の恩人に違い無ぇけど、あんまり肩入れすんじゃねぇぞ。」


 ダンはそう言うと立ち上がり、ナナクの向かいに位置する椅子にどかっと座り直す。そしてテーブルの真ん中にある空いた箱に手を伸ばす。


「しかしまあ、あれを飲んで特に異常がない、それどころかきちんと効いてる、となったら。結論は一つだ。」


 ダンはそう言いながら箱の中からペンダントのようなものを拾い上げ、話を続ける。


「しかしナナク。お前のその話が本当だってことなら、とんでもねぇもん拾ってきたな。」


 ダンはペンダントを改めて眺め、刻印を確認する。


【AL-0000 NAME:Alice ALICE-Frame】


こう記載されていた。


「だって仕方がないじゃないか。」


 ナナクが弱い口調でそう反論した。そうだ、仕方がなかった。彼女に出会ってなければきっと今頃、自分は死んでいた。ナナクでさえ、アリスが何者か全くわからない状況で彼女に助けられ、そして連れて帰ってきたのだから。


「別に怒ってねぇよ。ただな、あんなもん拾ったって市の連中に知れたら大騒ぎになる。だから責任持てって言ったんだよ。」

「わ……分かったよ。でも、どうするの?」

「とりあえずキープ。ここのステーションの調査も必要だし、あいつの正体もまだよく分かんねぇ。それに、めちゃくちゃ強ぇってんならお前の護衛にでもなってもらえ。」


 ナナクは少し安心したような顔を見せ、こう切り返す。


「ところで、あの子には普段は何をあげればいいんだろう。」

「あー、メシか。あいつ自身に聞いたほうが早いんじゃねぇか?最悪、さっきと同じ缶ならばまだ何本かあるから、それで維持しよう。」

「うん。それじゃアリスを呼んでくるね。この着替えも渡してこないといけないし。」


 そう言ってナナクはデッキを出ていった。


 ………

 ……

 …


「アリス。開けるよ?いい?」

「え?あ、はい、どうぞ。」


 小部屋で待っていたアリスは突然の声かけに少し驚きながら、返事をする。ガチャリという音と共にナナクが入ってくる。右手には何かの袋を持っている。


「君が着られそうな服があったから、持ってきたんだ。」


 そう言って袋を彼女に手渡す。


「そうだ、アリス。君には何を食べさせればいいの?」

「え?」


 ナナクの不思議な質問にアリスは一瞬戸惑ってしまう。そして質問の真の意味を理解した彼女は必死に取り繕うようにこう答える。


「あ、お腹の具合を心配してくれているのね。でももう平気ですよ。」

「いや、そうではなくて……。」


 ナナクが遮ろうとするがアリスは続ける。


「念の為、しばらくは消化の良さそうのものの方が良いですかね。あと、割と好き嫌いはない方です。肉でも野菜でも。アレルギーも特には無いかなー。」

「え?肉でも野菜でも?……ま、まあそれなら、いいや。後で何か用意するよ。」


 勢いに圧倒されたナナクは特に追求することなく、次の話題へ移る。


「そうだ、今渡した服に着替えなよ。ちょっと変わったデザインだけど、気にしないで。シャワー室はこの部屋を出て右側にあるから。」


 そう言って手を差し出す。


「行こう。起きられる?」


 アリスは身を乗り出してナナクの手を掴む。思いのほか細く柔らかい指先に彼は思わずドキッとしてしまう。


「ナナクさん、助けてくれてありがとう。」


 不意に聞いた感謝の言葉。助けてもらったのは自分の方であり、むしろ感謝の言葉をこちらから伝えなければならないと思っていただけに、ナナクにとっては意外だった。


「いや、こちらこそ。助かったよ。」


 立ち上がったアリスの顔が近づく。最初に会ったときも思ったが、彼女の深紅の瞳に吸い込まれそうになる。不思議な感覚だ。思わず一歩下がってしまう。整った顔つきの、掛け値なしに美少女なのだが、女性経験豊富とは言えないナナクにとっては近づきがたい威圧感にもなってしまうのだった。いや、単に美しさだけから感じられるものではないのかも知れない。一瞬で兵器級のロボットを殲滅したその強さと、一見華奢なこの美少女とのギャップが、ナナクに威圧感を覚えさせてしまうのだろう。


 彼の戸惑いがアリスに伝わったのか、どうしたの?とでも言いたそうな目つきで彼を見つめる。


「その服に着替えたら、デッキまで来てよ。デッキはそこの階段上がって一番上の部屋。行けばわかると思う。そこで、このあとどうするか船長と相談しよう。」


 はっと気づいたナナクはそう言うと部屋を出て階段を登っていってしまった。ナナクがいなくなったあと、アリスは彼から手渡された袋を開けてみる。布がクシャッと丸められて入っているようだが、その下には固い板状の何かが入っているようだ。服と聞いていたのだが、ちょっとよくわからない。まずは体をきれいにしてから着替えようと思い、まずはナナクに案内されたとおりシャワー室へ向かっていった。


 ………

 ……

 …


「うまく誤魔化せたかしら。」


 シャワー室にたどり着いたアリスは焼け焦げてボロボロになっていた服を脱ぎながら思案していた。現状の把握がまだできていないこの状況で自分の正体が知られるのは避けたい。彼女はそう考えていたのだが、廃棄ステーションに一人で倒れていたという状況から、色々と疑われてしまうのは無理もない。極力、目立った行動はしないほうが良いだろう。暫くは監視されるような状況が続くだろうが、必要以上に警戒しては逆効果。見た目相応の女の子としての振る舞いが必要だ。


 そう結論づけて改めて自分の体を見回す。自身に心当たりはないものの、服が焼け焦げるほどの高温に晒されたからなのか、体にも煤汚れが大量に付着していた。念の為にシャワー室に監視カメラなどがないかどうか警戒しながら、服をすべて脱いで全身を確認する。幸いにも火傷や怪我はしていないようだ。


 シャワーのバルブをひねってお湯を出す。少しぬるいような気がしたが、冷えていた体が徐々に温まってくる。全身洗い流せる十分な水量はあったのだが、それでもこびりついた煤汚れを落とす事はできないようだ。やはりシャワーの温度が低いのかと思い、ダイヤルを目一杯ひねって温度を上げる。


 ふと「節水」の文字が目に入る。改めて宇宙船の中なのだということを思い出し、急いで全身を洗い流す。煤汚れもなんとか落ちたようだ。シャワーを止めてタオルで体を拭きながら先程ナナクから渡された袋の中を開け、服を取り出してみた。厚手の生地の赤いワンピースのようだが、他にもまだ入っているようだ。金属製の大きなお盆のようなものが2つあり、組み合わさる形状になっている。


「これは鎧?」


 なぜ服の中に鎧のようなものが入っているのか分からないが、話を聞く限りここはロボットが襲いかかってくる危険な場所なのだった。身を守る道具が必要なのだろうとアリスは自分を納得させて、胴体を覆うようなその鎧を取り付ける。片腕でなんとか着ようとすると、どうしても時間がかかる。袋の底にはもう一枚の布が入っており、これはマントのようだ。身につけた鎧よく見ると肩の部分にボタンが付いており、ここに着用できる構造だ。多少の寒さを感じるこの宇宙船では防寒具として悪くないだろう。デザイナーの意図通りに肩のボタンを取り付け、背中を覆うようにマントを着る。


 シャワー室には鏡がなかったため、アリスは自分がどのような姿になっているのかいまいち把握できなかったのだが、少なくとも以前のボロボロの服よりはマシであろう。ナナクが階段の上のデッキに来るように言っていたことを思い出し、シャワー室を出て目的の場所へ向かうことにした。


 ………

 ……

 …


「ナナク、ちゃんとここの場所、伝えてきたんだよな。来るの遅すぎねぇか?」

「大丈夫だよ。女の子だからシャワーも着替えも時間かかるんだよ、きっと。」

「女の子、って。まあそう言えねぇことも……けど、それ関係あるか?」


 ナナクとダンの二人がデッキで話している。


「すいません、デッキってここですか?」


 自動ドアの開くウィーンという音と共にアリスが入ってきた。


「おう、遅いじゃねぇか。集合場所はここだって……なんだよその格好は!」

「え?どこかおかしいですか?」


 ダンの驚く顔を見てアリスは困惑する。鏡がなかったので自分がどうなっているかわからないのだが、どこか変なのだろうか。


「ナナクお前、どういう服の選び方したんだよ!」

「サイズ合うのこれしかなかったんだ。」

「だからといって、こんなさぁ……。」


 アリスが身に着けていたのは厚手のワンピースに胴体を覆う鎧、そしてマントである。まるで中世の騎士のような佇まいである。騎士のような、というよりむしろ騎士のコスチュームといって良い。演劇用の小道具か何かだろうか。


「アリス、大きさもピッタリだったね。似合ってるよ。」

「そう?ありがとう。」


 ダンの表情を見て不安だったアリスであったが、ナナクの評価を聞いて安心した。その場でくるりと一周りする。


「本人がそれでいいって言うなら、まあいいが……、とりあえずそこに座れ。話がある。」


 ダンからそう言われたアリスは、身を引き締める。恐る恐る一番近くの椅子にゆっくりと座る。


「べつにこれから煮て食ってやろうって話じゃねえんだ。気楽に聞いてくれ。」


 そう言いながら空中に指を走らせる。そして何かをつまんでポイッと投げるような仕草をした。そして指の動作の先にある頭上の大型ディスプレイに図が表示された。黒い背景に、無数のカラフルな曲線が描かれている。


「今出してるのは航行図な。っ言ってもわかんねえか……。まあいい。今、俺達がいるのがここだ。」


 ディスプレイに現れた指のマークが図上のとある点を示す。


「で、お前がいたのがここ。雪玉の周回軌道に浮かんでる、廃棄ステーションの中だ。」


 ダンが前方に掲げた指をくるくる回すと図が拡大し、先程の点の横にドーナツのようなアイコンが現れた。そのアイコン上に指マークが移動する。


「一応もう一回聞くが、なんであんなところにいたのか、覚えてるか?」

「いいえ、全然覚えてないんです。」

「ねえアリス。君はあの宇宙ステーションに住んでたんだよね?」


 今度はナナクが問いかける。アリスはしばし沈黙する。彼らの言う廃棄された宇宙ステーションとやらに本当にさっぱり心当たりがない。記憶喪失などではなく、本当に訪れたことすら無いと言い切る自信があった。


「いいえ、本当にわからないんです。」


 正直にアリスはそう答える。


「じゃあ、どこから来たの?」


 ナナクの問いかけにアリスはふと横を向き、デッキの窓の外を見る。その目線の先には太陽の光を浴びて真っ白に光る大きな惑星があった。その惑星の中央部には緑や青に色づいた帯状の部分がある。


 アリスは先程ダンが『雪玉』と発言したことをはっきりと覚えていた。そしてそれは眼前に広がる白い惑星のことを指していることは明白だった。この風景に見覚えがある。彼女の不安は確信へと変わった。自分は過去にあの場所にいた。自身が『最後のロケット』で打ち上げられるまでは。


 しかしアリスは黙って窓の外をずっと見つめる。そんな様子を見たダンとナナクは、目を合わせ、無言で頷く。


「あー、分かった分かった。つまり、さっぱり何も覚えてねぇってことだな。」

「名前だけでも覚えててよかったね。それも忘れていたら、どう呼んだらいいか分からなかったよ。」

「まあいい、暫くはここにおいてやる。ただし、さっきも言ったが、この船にタダ飯食らいを置いとく余裕はねぇ。仕事はしっかりしてもらうぞ。あと、ここの船長は俺だ。指示には従ってもらうからそのつもりで。特に緊急時はな。でねぇと命に関わる。」

「はい、わかりました!ありがとうございます!」


 アリスは元気よく返事をする。


「じゃあナナク、あとは任せたぞ。」


 そう言ってダンはふたたびデッキ前方の操縦席へ戻る。


「えっとね、アリス、いい?さっき船長と話したんだけど、一応君は僕の部下というか後輩というか、そんな感じになるから。今から仕事について説明しようと思う。」

「はい、ナナク先輩。」

「そんなに余所余所しい呼び方しなくていいよ。ナナクってそのまま呼んでくれていいからさ。」


 そう言って右手を前に差し出しこう言った。


「アリス、宇宙船ジャクソン・ヘモウスへようこそ。これからよろしく。」


 アリスはその手を握り、こう返す。


「こちらこそ、よろしくね、ナナク。」


 アリスが二人に出会ってから初めての笑顔を見せた。それを見たナナクの顔が思わずほころぶ。先程操縦席へ座ったダンは、上半身を大きくひねってこちらを向いて片肘をつき、二人のやり取りを見ていた。


「おーいナナク、そいつが可愛いからって変な気は起こすなよ。」

「お、起こさないよ!本人の前でいきなり何を言い出すのさ。」

「そう言えば就業規則にセクハラ処罰規定は書いてなかったなー。まあいいや、もしナナクに変な事されたら全力でドツイていいからな。」

「えっと……、はい……。」


 アリスは二人のやり取りに気圧されてしまう。上司と部下の関係と聞いていたが、おそらくそれ以上の信頼関係がこの二人にはあるのだろう。どこか懐かしさとも憧れとも思える不思議な感情も沸き起こる。


「アリス、早速だけどついてきて。」


「はい。」


 二人は揃ってデッキから出ていった。一人残されたダンはコックピットの席に深く座り直してつぶやいた。


「ナナクが拾ってきたあいつ、まさか本当に動き出すとはな。ヤベェことに巻き込まれなきゃいいんだが……。」


そして不安をかき消すように日常の事務業務に手を付け始めるのだった。


………

……


 宇宙船の出入り口付近でナナクとアリスが端末を開きながら話をしていた。


「――それで、開けるときはこのボタンを押すんだ。」


 出入りの方法を伝えているようだった。ナナクがハッチの横のパネルを操作すると、シューという音がしてゆっくりとハッチが開く。


「そうだ、順番が前後してしまうけど、外で活動するときには、警備のシステムやロボットがあるかもしれないから、護身用の武器を必ず持っていないといけない。ちょっと倉庫まで戻ろう。」

「はい。」


 二人は宇宙船内の倉庫まで行くと、ナナクは自分の多機能ライフル銃を持ち出していた。そしてハッチまで戻ってくる。


「こうやって一応周りを見て……あれ、なんだ?」


 ナナクは遠くの方に小さなドローンが飛んでいるのを見つけていた。彼は先日ロボットに追いかけ回されたことを思い出し、恐怖におののいた。多機能ライフルを素早く構えてパルスガンモードで射撃した。その小さなドローンは中の回路が破壊されたのか、そのまま床面に落下した。


「すごい。」


 アリスは素直に驚いていた。ナナクはしたり顔で話す。


「あー、びっくりした。まぁこんな風に何が出てくるかわからないから、外に出るときは気をつけてね。」

「でも、勝手に壊して怒られたりしないんですか?」


 アリスの疑問は当然だ。飛んでいるドローンを勝手に破壊したら大事になる。


「無人の廃棄ステーションだから誰の持ち物でもない。それを回収するのが僕たち仕事なんだ。だから大丈夫だよ。」


 二人はその後外に出てから、ハッチの開閉動作と点検作業の続きを行った。


「それじゃ武器をしまいに行こう。一応このフロアより上には武器は持ち込めないことになってるんだ。実際は結構適当かもしれないけどね。」


 二人は再び宇宙船の奥の倉庫の方へ入っていった。ナナクは武器を鍵付きキャビネットにしまうと、そのまま他の設備の説明を始め、最後にハッチの場所までまた戻ってきた。


「――というわけで、ハッチを締めた際は必ずこの二重ロックを入れること。」


ナナクはアリスへ通常業務の最後の説明をしているようだった。


「ハッチのオープン時間は原則180秒以内。やむを得ず開口時間がこれを超える場合でも、決して無人状態にしないこと。いいね。」

「はい、わかりました。」

「重要だから確認するけど、長時間あるいは無人で開放してはいけない理由は?」

「空気が漏れる場合があることと、不審者が侵入する可能性があるから。」

「その通り。実際、何年か前に泥棒に入られたことがあって大騒ぎになったんだよ。」


 今の説明を聞いたアリスは一つ気になることがあった。


「あれ?さっきからずっとここ開けたまま裏の方へ回って説明をしていたけど平気なんですか?」

「あー、本当はだめなんだけど、君にこうやって説明するのに仕方がないのと、こんなところで不審者なんていないだろうし。いいよ。」

「もし変な人を見つけたら、大声で助けを呼びますね。」


 アリスはそう言うが、実際そのような必要がないであろうことはわかっていた。あくまで話を合わせるためだ。


「そうしてほしい。そうしたら船長と僕でとっ捕まえてあげるよ。」


 そうやり取りしながら、二人に笑みが溢れる。


「じゃあ、そろそろ夕飯の準備をしようかな。ちょっと待ってて。」


 そう言うと端末を取り出して通話ボタンを押した。


「船長。説明がだいたい終わったから夕飯の準備しようと思うんだけど、今日は豪華にしていい?」

「え?別に構わねぇけど、なんで?」


 通話先のダンの声が聞こえる。


「アリスの歓迎会?的な事をしようと思って。」

「あぁ、なるほど。いいぞ、任せる。」


 通話を終えたナナクはアリスの方へ向き直す。


「アリス、さっき話した食料庫から、肉の入ったパックと、麺棒を持ってきてほしいんだ。今日は肉ビザを焼こうと思う。」

「へぇー、美味しそうですね。楽しみです。」


 アリスの返答を聞いてナナクは安心した。先程彼女は何でも食べられると言っていたが本当なのか疑っていた。しかしこう言うからには本当に大丈夫なのだろう。


「じゃあ、僕は先にキッチンに行って別の準備をしているね。アリスの初仕事だ。しっかり頼むよ。」

「はい。わかりました。」


 だがナナクは何か一つ不満そうだった。


「アリス、その話し方なんだけど、そんな改まった言い方じゃなくてさ、もっと砕けた感じでいいよ。僕は上司というよりただの同僚なんだから。」

「えーっと、でしたら……じゃなくて、ええ、お肉のパックと、綿棒ね。任せて。こんな感じでいいかしら?」

「そうそう、それでいい。気をつけて。」


 そう言って、ナナクは上のフロアのキッチンへ、アリスは奥の冷蔵倉庫の方へ向かっていった。


 ………

 ……

 …


「えーっと、肉のパックと麺棒、肉のパックと……、っと、これかしら?」


 アリスはそうつぶやきながら赤みがかった透明袋に入ったものを手に取る。


「これでいいのかしら。」


 彼女は困惑した。確かにその袋には【食用肉】と書いてある。しかしその見た目は彼女が想像していた肉と雰囲気が異なるのだ。一体何の肉なのだろうか。そもそも食用肉という書き方自体が不思議である。普通は牛肉とか鶏肉とか大豆肉とか、そういう書き方がされるものだ。ここは宇宙船だから培養肉か何かなのかもしれないと勝手に結論付けながら、なんとなく裏面を確認したとき、一つの表記に目が奪われた。


【製造 2366年09月】


「うわぁーー」


 それを見て思わず叫び声を上げてしまったが、すぐに片手で口を抑える。こんな些細な事で大声を上げたと思われる訳にはいかない。もちろん肉自体のことではない、「2366年」という製造表記である。少なくとも彼女が今いる現在はそれより後、ということになる。


「24世紀……嘘でしょ……」


 全身から力が抜けて反対側の壁にもたれかかる。


「2159年からの経過期間は、207年!」


 驚きのあまり、やたら大きな声で独り言を言ってしまう。先ほどダンが『雪玉』と呼んだその惑星から、アリスがロケットで打ち上げられたのが西暦2159年。これははっきり思い出した。そこから先は全く記憶がない。


 ダンやナナクの話によると、自分は宇宙ステーションの端のようなところで倒れていたらしい。まさか207年間そこに居たのだろうか。それは今のところ誰にもわからない。また、先程の二人の話を聞いていたときの疑問、個人が宇宙船で自由に移動できる理由も理解できた。単に「そういう時代」なのだと。そうであるならば、自分の存在が彼らにとって異質なのは自明であった。宇宙ステーションで倒れていたという時点ですでに十分に不審であるのだが、まるでタイムスリップした時代人となれば、異質極まる。大体、207年という期間をどう説明したら良いか悩む。自分の正体を隠しながら理解してもらうのは不可能だろう。


 この話は自分からはせず、記憶喪失だという話に合わせてうまくごまかしたほうがいい。そのように考えをまとめ、平静を装って作業を続けることにした。ナナクから渡されたカゴに先程の肉の包装パックを入れ、別の引き出しから麺棒を取り出す。ピザの生地でも広げるのだろう。長いのと短いの、2本あるようだが、どちらを使うか悩んだアリスは二本とも持っていくことにした。使わない方は後で戻しに来ればいい。そしてナナクの待つキッチンへ行こうとしたときに、入り口脇の通路へ、何かが逃げ込んでいくような姿が見えた。


「何かしら。ナナク?」


 呼びかけてみるが返答はない。食料庫を出て、物陰を追う。その瞬間――


「来る!」


 右側から高速で接近する物体を警告するような、視覚とも聴覚とも違う不思議な感覚がアリスを襲う。とっさに手に持っていた短い方の麺棒でそれを迎撃する。パンという短い破裂音のあとに麺棒の半分が木のチップとなって砕け散った。殆ど無意識の動きだった。改めて右側に目線を向けると、銃口をこちらに向けた戦闘用ロボットがいた。なぜこんなところに攻撃能力を持つロボットがいるのか?先程ナナクに設備の話を聞いていたときにハッチを長時間開けっ放しにしていたときに侵入したのか?しかし、そんなことを考えるのは後回しだ。アリスは不思議と誰かに教えられるまでもなく、眼の前のそのロボットを瞬時に分析できた。全高はおよそ70cmでクローラ型。俊敏な動きはできないタイプ。先程の警戒感は恐らくロックオンのアラートで、麺棒で迎撃したのはその銃弾だろう。再び心の中にアラートが鳴る。銃身をよく見ると、次の銃弾の装填動作に入っている。


『即座に制圧すべし』


 瞬間的にそう判断し、長い方の麺棒を持って踏み込む。おおきく振りかぶって狙うのはロボットのカメラとT字に張り出したアンテナ部分。大きな動作により十分に加速された木製の麺棒は、音速を超える速度となってロボットの上部へ叩きつけられる。先程よりさらに大きいガシャンという衝撃音が宇宙船内に響き渡る。


 その小型の戦闘用ロボットは大した装甲板で守られているわけではない。たとえ木製の棒であっても超音速で叩きつけられれば、硬い柔らかいは関係ない。その運動エネルギーのみで大破せしめるのである。バラバラに砕かれた樹脂や金属片が、そのあまりのエネルギーで炭化しつつある木片とともに弾け飛ぶ。流石に本体をバラバラにするほどの威力はないが、重要な制御部分を失ったその戦闘ロボットは沈黙した。


 安堵した次の瞬間、しまったと思った。不審者、もとい不審ロボットが侵入したことはいい。ナナクと二人で船長に謝れば良い。問題は、麺棒を使ったとは言え、実質丸腰で戦闘用ロボットを破壊してしまったことを一体どう説明したら良いのだろうか。


「おーい、どうした!何が起こった!」


 悩んでいるうちに、カンカンカンという階段を降りる音と共に、ダンが呼びかけてきた。


「アリス!大丈夫?」


 続いてナナクも降りてきた。破壊されたロボットの横に、肉のパックの入ったかごを持ってアリスが立ち尽くす。


「おい、なんだよそれは……。」


 ダンが問う。


「えーっと、夕飯のお肉……ですか?」


 カゴを前にクイっと突き出しながらアリスはそう答えるが、ダンとナナクの二人は固まっていた。


 ………

 ……

 …

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