アーバンモダンギア
霜路
外観 1
文章には、読むのに適した速度があるという。
読む人には各々の自由があるのだから、その自由を奪うために、世の文章には
統一博物館長選挙という見出しは目が滑る。
バスターミナル火災、二人搬送という見出しは程々。
アイドル事務所のスキャンダルは…、目障りということにしよう。
青年の指がタブレットの画面を左右に滑る。次、次、とスワイプされる記事の良し悪し。中身までは読まれない。指の滑りは摩擦力次第だ。
ティスリル。
ティスリル、という地名が青年の指を止めた。
この列車が向かう
列車が揺れる。
(ま、観光だからね)
タップ。
ティスリル港湾駅グルメ特集。銘菓、ラーメン、ハンバーガー。雑多に並べられた写真は色とりどりのコンテナに見立てたレイアウト。港湾都市の活気と交雑を余すことなく伝えてくれる。
(美味しいものから食べたいわけで)
なにせ旅行中、お腹の空きはなにより貴重なリソースだ。今日は朝食もほどほどに済ませている。駅に着く頃にはブランチの時間帯だが、混むようならテイクアウトできる軽いものにしようか。
「――きゅい?」
タブレットに没頭していると、頭上の荷棚からアルミ色の蛇が垂れてきて、青年の顔を覗き込んだ。甘えたがり。鼻先で青年の額を小突く。
その隣で、丸っこいフォルムのちびも荷棚から顔を出した。こっちはタブレットの料理写真に夢中なようだ。短い手足で荷棚から身を乗り出そうとして、落っこちた。
むぎゅ、とクッションが潰れるみたいに膝に墜落する。もちもちの身体を青年がつまみ上げると、しゅるしゅるとアルミ色の蛇がちびに巻き付いて荷棚へと回収していった。
この二匹は「ギア」と呼ばれる半生物だ。博物学の第四界。人に身近な不思議な生き物。
この列車に乗る人は皆ギアを連れている。隣の人は肩に金細工のフクロウを乗せている。そのまた隣の人は足下にビニールの犬を侍らせている。運転席の隣では浮遊するネズミに計器を見せていて、缶ジュースを載せた車販もギアだ。
ギアは通常の動植物ではないし、かといって石や鉱物の類でもない。
謎が多いのだ。
分かっているのは、人間社会の出来上がったあとに生まれたこと。人間社会によく溶け込んでいるのは、皆、知っている。
さて、青年の連れた二匹はふたたび荷棚の上だ。
二匹の一方、アルミ色の蛇はミニュームベロという。
ミニュームベロは荷物の守り番として、おとなしく青年のつむじを眺めている。根本的な退屈を感じているが、あくび、暇なときはじっとできる性分だ。時折がまんが利かなくなって青年をつつきに行くのも愛嬌。チロチロと舌を出す。
もちもちしたもう一方、丸っこいちびはモチビという。
モチビを突き動かしているのは食い意地だ。青年のつむじになんて興味はない。また性懲りもなくタブレットのグルメ特集を覗き見に行くが、ここは狭い荷棚。青年に近い良いところはリュックサックに占拠されていて、足場のへりで窮屈にするしかない。荷物にしがみつこうというのはミニュームベロに拒否された。
ちょうど列車がカーブに差し掛かった。
遠心力がモチビの背中をとんと押す。
不安定で狭い足場。物に掴まってもいなかったから、転落するのは必然だった。ミニュームベロが止めようとするが間に合わない。慌ててかざされた青年の手もすり抜けて、あえなくモチビは落下した。
むぎゅっむぎゅっと気の抜けた音を鳴らして、タブレットを巻き込んで通路に転がっていった。
ある女性の靴にぶつかる。
青年の席はボックスシートの通路側。通路を挟んで、ちょうど鏡写しの位置にその女性は座っていた。
女性は一人で四人掛けのボックスシートを占有している。女性自体はまあ常識的な一人分のサイズであって、残りの空間をみちみちに埋めているのは、彼女を取り巻く大型のギアだ。
継ぎ目のない清潔な白赤のテクスチャ。それが巨大なムカデのフォルムを包んでいる。見るものに違和感を抱かせるカラーリングとデザインの錯誤的な接続。造形の不快感を抜きにしても、単純なサイズからして客車に連れ込むには不向きな大きさだ。手荷物相当のモチビたちとは比べるまでもない、白赤の巨大なムカデ。
ぎろり、とムカデの強面がモチビを睨みつけた。それでモチビが「モ〜〜〜〜ッ!?」と、なんとも情けない悲鳴を上げるものだから、ムカデの方もかえって申し訳無さそうに狼狽えてしまう。
青年がモチビを抱き上げた。
「すみません、うちの子が……!」
青年の対応は少しばかり大げさで、もちもちがローファーに触れたくらいで「お怪我はないですか」なんて、傍から見れば滑稽だったかもしれない。自覚してか身振り手振りもぎこちない。
当の女性は、茫然というべきか、泰然というべきか、とにかく反応が薄い。
それがかえって見ていて心配になる。というのも連れているギアの白赤は医療関係の色だからだ。多数の節、多数の機能、多数の併発、…。筋の通ったナラティブを見出してしまう。ぼーっとしているのは発熱でもあってそのせいじゃないか、と。
幸い不調などは無いようだった。
青年がいくつか話題をふるうちに、このぼんやりとした状態が彼女の素面だということが、なんとなくわかってきた。
「お仕事ですか?」
「……いえ。…………旅行、です」
「へえ、この時期に。実は僕もなんですよ」
何事もないとわかって世間話に切り替えている。
車窓の下に小さめのスーツケースが二つ。ちょうど補色のグリーンとピンクだ。ボックスシートを占有しているのだから、どちらも彼女のだろう。日帰りではなさそうだ。
この時期は観光業のピークから外れている。ティスリルに限らず全国的に慌ただしく、イベントやらを開催している余裕がないのだ。交通機関が空いているのを狙い目と言ってはばからない旅行者も少数いるが。
こうして「旅行者」が二人、これほど近くに居合わせたのは数奇なめぐり合わせだった。
とはいえ、それだけだ。
この二人は旧知の間柄というわけでもなく、おたがいに名乗りもしなければ、話し続けることもない。
適当なところで会話を打ち切って、青年が席に戻ろうとしたとき、女性は通路の床のある一点に目線を向けた。
「タブレット……」
「おっと。ありがとうございます」
モチビが転落したときに一緒に取り落していた青年のタブレット。青年が拾い上げると、暗くなっていた画面が、ふっと輝度を取り戻す。色とりどりの料理の写真、駅構内のテナントの特集ページが表示されたままだ。
女性が言う。
「お昼ごはん……」
その女性は、タブレットを見て、言うのだ。
「何を、食べればいいんでしょうか」
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