R.B.ブッコローの『伝書ミミズク春に飛ぶ』

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伝書ミミズク春に飛ぶ(前編)

 四月の青い空に、ちぎれ飛んだ綿雲が所在なさげに漂っていた。

「はぁ……」

 ぼくは何度目かのため息をついた。

 空から振り返ると、放課後の教室はやけに暗く見えた。四角い、退屈な光景だ。


「どうした少年」

「うわっ!」

 いきなり、横から声をかけられた。思わず飛び退きそうになって、窓枠に捕まる。

「そんなに驚かなくてもいいでしょ」

 いつの間にか、隣の窓枠に一羽の鳥がとまっていた。


 鳥……だと、思う。

 たぶん。


 丸っこくてオレンジ色。ツノみたいな羽角うかくはビビッドでカラフル。

 太いくちばしがしゃべる時にはパカパカと動いている。


「もの憂げーにため息ついてる姿が見えちゃったから、ついお節介を焼きに来ちゃったゼ」

「えーっと……だ、誰ですか?」

「名前はR.B.ブッコロー……ただのミミズクさっ……」

「ただのミミズクはしゃべらないと思うんだけど」

「好奇心が高じて本と触れあううちに人間の言葉を覚えたの」

「ほんとに?」

「まあそれは置いといて……」

 自称ミミズクは、ふたつの翼を使って器用に「置いといて」のジェスチャーをしてみせた。妙に人間っぽい。


「なんか悩んでるんでしょ? ブッコローさんに話してごらん」

「いや、でも……」

「鳥類には悩みは話せないって言うんですか? おおっ?」

 ぎょろついた目のついた顔をずいっと突き出してすごまれる。

「うっ……」

 強い圧を感じると、つい押し負けてしまう。もともと気が強いほうじゃないし、しゃべるミミズク(自称)の存在感で驚いていたせいもある。だから、ついついその口車に乗ってしまった。


 そう。そのときのぼくは、すこしうわついてたんだと思う。

 じゃなきゃ、初対面のミミズクに相談なんかするはずない。


「じゃあ、言うけど……」

「うんうん?」

「ぼく、この学校の生徒会に入ってて。って言っても雑用みたいなものだけど」

「辞めたいの?」

「いやっ、そんなことないよ。4月からはじめたばっかりだけど、けっこう楽しいし。で、この前、意見交換会っていうのがあって……」

「意見交換会って?」

「近くの学校と交流をする……ってことになってるけど、生徒会どうしでしゃべることなんてないし。ディベート……みたいなのをして」


「ほうほう……あっこれはミミズクらしい鳴き声のアピールじゃないから」

 彼(?)の好奇心は本物みたいで、身を乗り出してぼくの話を聞いていた。そのぶん、大きな顔が迫ってきていて、ぼくはのけぞるみたいに後退しかけていた。

「それだけだったんだけど」

「ははーん」

 ミミズクの目がきらめいた。

「恋だな?」

「……なんでそう思うの?」

「ふだん出会わない人と会って思い悩むって言ったらそれしかないでしょーが!」


 まるで心を読んでるみたいに言い当てられてしまった……と思ったけど、後から考えれば、きっとそれだけぼくが分かりやすいリアクションをしてたんだろう。

「相手はどんな人なのよ?」

「う、うん。向こうの学校の生徒会長で、すごく頭がいい人なんだ。どんな反論にもズバッと切り返してて、それが格好良くて……」

 話していると、その時のことを思い出してくる。ドキドキするような、恥ずかしくなるような。妙な感じだ。目頭が熱くなってきた。


「お近づきになりたいんだ?」

「そ、そんな大それたこと考えてないよ。だいたい、名前もわからないし……」

「名前ぐらい言ってたんじゃないの?」

「交流会の最初の方で言ってたけど……すぐ終わると思って聞き流してたから」

「それでため息ついて途方に暮れてたってわけ?」

「いいでしょ、別に。ブッキヨーには関係ないよ」

「ブッコローな! どっちかというと器用なほうだわ」

 ブッコローは体に対して短すぎる翼を羽ばたかせて、浮き上がった。


「ちょっと待っててよ、いいもの持ってくるから」



  💌



 どこへともなく飛んで行ったブッコローは、またどこからともなく戻ってきた。

 春空の青色の中で、丸いオレンジがふらふらしながら飛んでくるのはどことなくシュールで、夢でも見てるんじゃないかと思った。


「ぶはーっ! こんな重いもの持ってくるんじゃなかった!」

 足に掴んで運んできたものを机の上に置くなり、ブッコローはひっくり返って転がった。

「自分で持ってくるって言ったんじゃん」

「よく考えたらブッコローは体重2キロしかないのよ! 500グラムでも体重の4分の1っ! 人間だったら10キロの米持ってるようなもんよ! あなた10キロの米持って飛べますかってハナシ!」

「飛べないからよく分からないけど……何を持って来たの?」

「開けてみ」


 ブッコローがヘトヘトになりながら運んで来たのは、ポシェットだかポーチだとかいわれるサイズのバッグだか小物入れだか……ぼくはそういう分類には詳しくないけど、とにかく中にモノを入れて持ち運ぶためのものだ。

 まさかびっくり箱ではないと思うけど、おそるおそる開けてみた。ブッコローはすっかり疲れて、机の上に横になっている。


「えっと……これは?」

「あー、見ただけじゃわかんない? ほら、細長いのが入ってるだろ?」

「うん。きらきらしてる」

 ブッコローの言う通り、ポーチ(と呼ぶことにする)の中からは透明な棒のようなものが現れた。細かい模様が入っていて、先はドリルのように溝がついてとがっている。

「それはガラスペン。近くにあるちっちゃいビンにインクが入ってるから、ペン先をつけて書くんだ」

 なんと、ブッコローが持ってきたのは筆記具だったのだ。


「ペンとインクなんてもらっても……」

「さすがにわかるでしょォ。書けって言ってんの。ラブレターを!」

 ポーチの中からさらに何枚かの紙が出てきた。罫線がうっすらと入っている……便箋びんせんというやつだ。

「ラブレターって、そんな大げさな」

「手紙書くだけじゃんよォ」

 ブッコローは――たぶん他人事だから――楽しそうだ。


「書いたって名前がわからないから届かないよ」

「名前はわからなくても学校がわかってて生徒会長なら、届けられるだろ」

「誰が……」

 と、聞いたのが決定的だった。ミミズクは翼の先で自分を示していた。

「隣の学校くらい、空を飛べばすぐだぜっ……!」



  💌



「わ、ほんとにインクを吸ってる」

毛細管現象もうさいかんげんしょうって言うの」

 ブッコローの押しに負けて、ぼくは机に向かっていた。きらきらしたガラスペンの先を瓶の中のインクにつけると、ペン先の溝にインクが入り込んだのが分かった。透明なペンに色が移るように、ガラスに青い色がついている。


「どう書けばいいか……」

「とりあえず『生徒会長様へ』って書いてみ」

 ここまで来て「やっぱりやめる」と言えるほど反骨心があればよかったんだけど。

 ガラスペンの尖ったペン先を紙に滑らせる。繊維の隆起にほんのすこし引っかかるみたいな感触だ。シャーペンやボールペンなら書き慣れてるけど、さっきつけたインクが書いた通りに跡を残すのは、不思議な感じがする。


「生徒会長様、なんて、ヘンに思われないかな」

「ヘンに思わせたほうが印象に残っていいの」

 ブッコローに監視されている気分だ。

「文字を書き始めたら、ペン先の赴くままに心に浮かんでくる言葉があるでしょ?」

「ない」

「やっぱり?」

「何にも思い浮かばないよ」

「それじゃあ、真の本リアルブックの力を借りて、ブッコローさんが書き方を教えてあげよう」


 ブッコローは小脇に抱えていた本を広げた。

「ラブレターの本なんてあるの?」

「どんな本でもあるものなの」

 ガラスペンの先を虚空にさまよわせながら、ぼくはブッコローの話を聞いていた。


「ラブレターに書くべきことはみっつ。説明、紹介、質問」

「それだけ言われても」

「ひとつずつ教えるから。まず、ラブレターで絶対に書かなきゃいけないことがあるっしょ?」

「……それは、あるけど……書けないよ、そんなこと」

 好きです、なんて。


「そう! だから、書かなくてもいいの」

「でも、ラブレター……なんでしょ?」

 好きだって伝えるために描くんじゃないの?


「そのまま書くんじゃなくて、なんで手紙を出そうと思ったか説明するってことよ」

「説明?」

「いまどき、手紙を書くなんてよっぽどのことなんだから、好きなんて直接書かなくたって伝わるのよ。でも驚かせないように、どういう理由で手紙を書こうと思ったかを言えばいいの」

「それは……」

「会った時に何か思うところがあったんでしょうよ。そのことをショージキに書けばいいってこと。それがひとつめの『説得』ってワケ」


 ぼくは大半が白いままの便せんをじっと見つめた。

「……ブッコローは読まないよね?」

「人の手紙を盗み読むなんてマネはしないゼ」

 ビミョーに不安だったけど、その言葉を信じることにした。


「ふたつめは、『紹介』。つまり、自分のことを知ってもらうってこと」

「知ってもらうことなんてないよ」

「相手に何かひとつでも覚えてもらわないと読み損になるっしょ。クスッとさせるだけでもいいんだって」

「手紙で面白がらせるなんてそうとう難しいと思うけど」

「スベっても引っかかりがないよりはマシじゃんよぉ」


 自分のことを書くのは恥ずかしいけど、たしかに一方的な気持ちだけが書かれていても困らせてしまいそうだ。

 ぼくは意を決して、ペンを走らせた。書いているうちに、顔が熱くなってくる。


「さ、最後のひとつは?」

「返事が欲しいだろォ?」

「ま、まあ、そりゃあ」

「だから、返事が書きやすくなるようなことを聞くのサ」

「返事しやすい質問かあ……」

 やっぱり聞くべきことがあるよね。うん。なんだか、だんだん手紙らしくなってきた気がする。


「ふう……」

 書き上げた便せんを眺める。

 字はあまり上手じゃないけど、ガラスペンと青いインクのおかげだろうか。ふしぎと味がある文字に見える気がする。

「ふわ……ぁ。書けた?」

「寝てた?」

「春眠暁を覚えずってやつよ」

 ぼくが手紙を書くのを待っている間に、ウトウトしてしまったらしい。


「本当に運んでくれる……の?」

 今さらだけど、自分が手紙を書けたことが信じられない気分だ。少し前までは悩んでいたのに。ブッコローがぼくの勇気を奮い立たせてくれた……のかもしれない。

「まぁまぁ、ドーンと任せとけって。体力も回復したし!」

 寝ていたことの言い訳を準備してくれたらしい。


「ほら、封筒に入れて! あとはブッコローさんに任せなさいよ」

「だ、大丈夫なんだよね?」

「大船に乗れたーと思っておきなさいって! レターだけに」

「えっ?」

 こうして、ブッコローはぼくが書いた手紙を抱え、春の空を飛んでいったのだった。

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