第23話:皇后・二
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「ああ、面白かったわ」
瑪妃はその後侍女に昔の棋譜を持ってこさせ、私たちはそれを見ながら談話を楽しんだ。最初は遠慮していた私も、いつしか瑪妃の嬉しそうな様子に引き込まれて専門的な話までしていた。失われた石宗の「龍在湖中潜伏、鳳在天上飛翔」の陣形については、瑪妃は古い資料を引っ張り出してきて、議論になったことさえあった。
「ここまで棋戦について深く話せたのは、皇后様が初めてです」
「私もよ。あなた以外だと楊師くらいかしら。あの人はあまり興味がないみたいだから、無理強いできないし」
瑪妃が少しだけ残念そうな顔をする。「あの人」が誰であるかはすぐに分かった。
「一局打ちたいけど、今からそうしたら夜が明けてしまうから我慢ね。夜更かしは美容の大敵よ」
「陛下がお望みでしたら、いつでも」
私がそう言っても、瑪妃は鷹揚に笑うだけだった。
「まあまあ。こういうのは余韻を楽しむものよ。それにしても――」
彼女は卓から小柄な体を少しだけこちらに乗り出した。
「私が世間で言われているような生意気な小娘、あるいは皇帝を籠絡する毒婦じゃなくて驚いた? 正直に答えていいわよ」
確かに、巷での瑪妃の評判はよくない。医官の娘風情が皇后の座で好き放題に振る舞っているだけでなく、皇帝をたぶらかしているとまで言われている。しかし、今私の目の前にいる瑪妃は、とても噂通りの毒婦とは思えなかった。
「――私も、了家から淘家に嫁いだ女です」
慎重に私は言葉を選ぶ。
「ええ、知ってるわ」
「夫のユエンは、了家の女は気位が高く贅沢三昧だと聞いていたそうです。そして私もまた、淘家は金しか頭にない守銭奴と聞かされてました」
「どちらも違ったようね」
瑪妃はよく分かると言わんばかりにうなずく。
「ユエンは私を思いやって下さる素晴らしい夫です。私もまた、夫にふさわしい妻であると自負しております」
私は彼女の顔を見る。
「皇后様。噂というものは当てにならないと、私はこの身で知っておりました」
ややあって、瑪妃はにっこりと笑った。
「あなたは賢いわね。了理夏。書物だけ読んで賢くなった気でいる人間ではなくて、経験に基づいた知恵を使いこなしているわ」
そう言ってから、彼女はわずかに声量を下げる。
「ここからは、女同士の秘密よ」
「はい」
「もちろん、あなたに何かあっても困らない程度のことしか教えないけどね」
そう言われてほっとした。皇后と親しくなるのは悪くないけれども、結果了家の娘であっても身に余る難事の相談をされるのはいささか厄介だ。実家は捲土重来とばかりに飛びつくだろうけれども、ユエンのところに余計な気苦労を持ち込みたくなかったからだ。
「――陛下は、少し体調が悪いご様子なの」
瑪妃の簡潔で当たり障りのない言葉には、万感の思いが込められていた。
「……そうですか」
私はそうとしか言えなかった。「少し」とはどれくらいなのか。病なのか老化なのか。肉体の不調か心の不調か。そして……自然の成り行きなのか、誰かの陰謀なのか。そのどれも、私が知ってはいけないことだ。
「私は医官の娘よ。そこらの医者よりはずっと陛下のお体のことが分かっているつもり。長い政務はお辛い様子だし、形式張ったことはなるべく減らしてあげたいわ」
瑪妃の言葉に嘘の気配は感じられなかった。
「瑪妃様は、陛下のことを心から慕っておられるのですね」
私がそう言うと、ほんの少しだけ瑪妃は照れた様子で言葉を続ける。
「一時期養子だったこともあって父親みたいなお方だけど、一応私だって妻よ。夫を支えたいと思っているし、お心を悩ます心労は一つでも多く取ってあげたいの。あなたと同じよ」
心の中を読まれたようで、私は頬が赤くなる。そして、はたと気付いた。
「もしや、皇后様はわざとわがままな寵姫を演じておられるのでは……」
瑪妃がお飾りではなくあれこれと口を出すのは、皇帝を助けるため。側でじゃれつくのは、常に威厳を保たねばならない皇帝の負担を減らすため。そして二人揃って政治にいい加減な態度を取るのは演技で、最終的に円滑に皇太子に権力の座を譲渡させるため。……そう考えるとしっくり来る。
「それは、あなたの憶測。そういうことにしておきなさい」
私の推測を、瑪妃は笑って受け流した。確かに、真実を知ってしまったらそれは重責だ。うっかり私が口を滑らせてしまったら大ごとになりかねない。
「それにしても、あなたと夫の圓来は本当に仲がよいのね。今日の棋戦であなたの手を握って隣に座る彼、とても素敵だったわ」
さりげなく彼女は話題を変える。
「もっとも、私の曹白様も立派でしょう? もう少し痩せて下さるともっと男前なんだけど」
「お互い、夫を自慢できるのは幸せですね」
私も空気を読んで、それ以上の追求を止める。
「ええ。心から互いを想い合う二人の関係を、あなたならなんて言う?」
「偕老同穴、でしょうか?」
瑪妃は首を左右に振った。
「もっと簡単な言葉よ。それはね――」
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