7.追放
馬の駆ける音。
蹄鉄は石畳を強く打ち付け、ギャロッピング以上の速度で駆け抜ける。
馬の白いのもあり、それは霹靂を伴う稲妻の様であった。
騎上にはアポテケウス。
上着のホックは外し,腰のベルトだけで留めたまま馬に乗っている。
鞍から軽く体を浮かし、衝撃を逃す。
腰の剣が激しく揺れる。
その後ろからは黒馬に跨る黒地に髑髏と大剣のマント、頭には白銀の兜を被った集団が3騎。
槍を構え連携を組み突き抜ける。
兜と穂先の輝きが黒雲の雷光の様に煌めき動く。
白い騎士を先頭に4人の騎士が大通りを駆け抜け、丘の街から港湾に向かいダウンヒルを全力で疾走する。
大通りには果物や作物、港からの荷揚げ品を内陸へ運ぶ荷馬車に溢れ、両脇には屋台も見られる。
平和な午後の晴天を4騎の霹靂が一閃していく。
混み合い始めると、アポケテウスは剣を抜き、前方の酒樽を運ぶ荷馬車のロープを追い抜きざまに切りつける。
縛を放たれた酒樽は道に転がり踊り、中身のエールを盛大に射出する。
放たれた樽とエールが黒い1団の馬を驚かせ、足止めする。
「失敬!これで埋め合わせてくれ!」
アポケテウスはそう叫ぶとディナーリ銀貨を数枚、怒りから抗議と呪詛の声を上げる酒樽の主に投げ渡し、そのまま走り去る。
銀貨を受け取った主はそれを確認すると、何事か強がりを見せ、その後銀貨を見ながらニンマリと笑う。
彼の後ろでは足止めを喰らった黒い騎兵の一団が残りの酒樽と荷馬車を破壊して通り過ぎて行った。
アポテケウスの馬は速度をやや落として狭い路地に入る。
そこは左右に生活用の裏口やゴミ置き場が並び、道幅以上に通れる範囲は狭かった。
騎士団の3騎もその後を追い、一列になってその路地に入って行く。
一団が入った直後、先頭の馬が倒れ、騎士は落馬し、汚泥に塗れた。
後続の騎士は手綱を強く引き馬を止めるが、驚いた馬が跳ね、嘶きを上げる。
先に進入したアポケテウスが周辺の物を倒し、簡易の罠を仕掛けていた。
「薬を配るのがそんなに悪いのかよ」
衝突音と嘶きを後ろに、そう呟きながら医師は速度を落として路地を進む。
上空の青空を無視する様に路地は影に覆われ、馬の足元からはグチャグチャといつまでも乾かない汚泥の重い水音がなり続ける。
姑く路地を進むと、いつぞやの白い一輪の花の窓が見えてくる。
アポケテウスの馬はその手前の角で一度曲がり、壁の影に身を潜めて後続がいない事を確かめてから改めてその窓のある部屋の裏口の前に行き、馬を停める。
裏口の前には腐りかけた板が敷かれ、申訳程度に泥よけの役割を主張していた。
アポケテウスはその板目掛け馬を降りる。
着地したとき板はブニと曲がり、着地の衝撃は板の周囲の汚泥を跳ね上げた。
直ぐに出られる様、馬の手綱は緩く繋ぐ。
それから、渡し木の先にある裏口の祖末な木戸を数回、特殊なリズムでノックする。
返事はない。
「あれ?」
アポケテウスは思わず漏らす。
もう一度同じリズムでノックする。
『どなた?』
中から女の声が返ってくる。
アポケテウスはもう一度同じリズムでノックする。
『どうぞ』
中から女の声で招かれる。
「アザーラ、こっちは大丈夫だったかい?」
そう言いながら、アポケテウスは木戸を開ける。
「ようこそ、お待ちしてたよ、医師殿」
それは男の声。
黒い髭を口の回りに蓄え、大鴉の羽飾りの着いた黒い帽子に黒と紫の混紡のマントの男。
マントには薔薇を咥えた髑髏と大検の刺繍。
ウェニーキア自由都市騎士団、騎士団長。
「やはり、な」
アポケテウスは部屋に入るより先に抜いてきた剣を騎士団長に向ける。
「おいおい、未だ剣を抜いていない相手に切っ先を突きつけるのは、流石に無礼じゃないかね?」
騎士団長は黒い手袋に覆われた両手を挙げてみせる。
「それに……」
そう言うと後ろに視線を送る。
その視線の先、路地の壁を幾度も反射して漸く届いた陽光の中、そこに一人の女が横座りにさせられ、その周囲には剣を抜いた同じく黒マントの男が数人立っていた。
緋色のローブを羽織ってはいるが、腰紐は無く、腰紐の代わりに後ろ手に回された手枷に繋がった縄がローブを纏めていた。
頭巾もなく、褐色の肌にかかる豊かにうねる黒髪、その黒髪の間から覗く強い赤褐色の瞳が、弱い陽光の中でも強く見えた。
「この東方女がどうなっても良いのかな?」
騎士団長はアポケテウスが緋色の女を見たのを確認すると、片頬を上げて笑いながら医師の方を見る。
「何故ここが?」
アポケテウスは医師の質問には応えず、自分の質問を被せる。
「我々は『騎士団』だぞ?それも、元々は『傭兵団』だ。『カラス』を見縊ってもらっては困るね?」
騎士団長も自分の質問が無視された事は意に介さず、そのまま話を続ける。
「『光あれ《フィアト・ルクス》』!」
緋色の女がそう唱える。
途端に女の手から光が溢れ出し、部屋全体を照らす。
その光に兵士が目を眩ませている隙にアポケテウスは女に駆け寄り、縄を切る。
「『
男の声と共に、光は失せた。
否、「元に戻った」。
その声は黒いローブを羽織った男の物であった。
「『記録係』も連れてきたのか……」
アポケテウスは忌々しげに騎士団長を見る。
その視線の先には自分の首元に添えられた大剣の刃も見える。
「もし本当に『賢者』だったら大変だからね」
騎士団長は首を竦めて返事をする。
「しかし、困るなぁ……」
騎士団長はここで大仰に溜め息を吐く。
「まさか本当に『賢者』、それも東方の『賢者』との関係を持っていただなんて……」
そう言って兵士が女から奪った紙片を見る。
「この何だか分らない模様にこれだけの力があるのだから、いや、実に『邪魔』だなぁ……」
黒衣の男は誰を見るともなく、首を横に振る。
「いや、実に『邪魔』だ……」
そして、また、大仰に溜め息を吐く。
医師も女も、何も言わずの事の成り行きを見ている。
「さて、困ったついでに取引なのだが……」
騎士団長はゆっくりと話を続ける。
相変わらずアポケテウスの方は見ていない。
「本来ならば、『賢者』やその関係者は、一族郎党、その奴隷も含めて皆殺し、となるのだがぁ……」
ここで一息置く。
「どうにも今は東方との取引で色々忙しいらしく、『商会』としてはあまり派手にしたくないそうだ」
ここでようやくアポケテウスの鳶色の目を見る。
「また、『組合』としても、組合員同士で色々と揉めたり、まして『賢者』との関係があったなんて事は、帝国にも知られたくないらしい……」
黒い瞳は鳶色の瞳を捕らえる。
「でだ、そこで提案なのだが……」
ここでもたっぷりと間を開ける。
「君とのその東方女が『不貞関係』になったかどで、石打ち位で終わらせてもらえると、君の娘や妻を、使用人や奴隷もろとも広場で火あぶりにせず追放程度で済み、『騎士団』としても楽なのだがぁ……」
黒い瞳は再度、鳶色の瞳を見据える
「どうだろう?」
アポケテウスは騎士団長を見据えながら考える。
光は失っていなかった。
「ああ、そうそう、既に君の奥さんの了承は得ているから、安心したまえ」
その光に追い打ちをかけるように、騎士団長は追加の情報を与える。
「リウィアが……?」
医師は、混乱したようにそれだけ呟く。
「この場所を教えてくれたのも、君の奥方だよ」
騎士団長はさらに重ねる。
「何でも、君の『不貞』を疑い、密偵を出していたそうだ。まあ、結果としてそれより悪い事にはなっていたようだが。で、我々のこの『お願い』もすんなり聞き入れてくれたよ。いや、実に『賢い』奥さんだ」
ここは早口で話す。
「そうか……リウィアが……」
ここでアポケテウスの光が鈍る。
暫しの沈黙。
「すまない。アザーラ……」
医師は、そう呟く。
「大丈夫。大丈夫だから」
アザーラと呼ばれた緋色の女は、アポケテウスにそれだけ声をかけた。
「いや、実に『賢い』一家でこちらも助かるよ。流石『賢者』と関係をもつだけの事はある」
騎士団長は兵士にアポケテウスとアザーラを拘束させながら、満足気にそう言った。
+
かくて、少女と母、壁の外に追放さる。
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