5.病人
「これは、大分拙いね」
医師はそう呟いた。
「体も熱いし、喉も腫れてるな」
医師の眼前には熱にうなされ、横たわるに落ち着かない様子の女が居た。
都市の中心の外れ、城壁の中でも川と接した運河の近く。
鉄鉱石や木炭の積荷が行き来する波止場の傍にある建物連。
鍛冶場を纏める親方の母屋。
日頃は窯を燃やす鞴の音と鋼を鍛える音等で騒がしいが、今はその声も密やかになっている。
「どれ位続いているのかね?」
医師は依頼人に訊ねる。
「熱はここ2・3日で……」
医師を連れてきた男は、それだけ述べ、それ以上は言うべきを失う。
「少し診てみても?」
「ああ、どうぞ……」
医師は返事を聞くより前に剣を履いたベルトを外して上着を脱ぎ、それらを従者に預けるとチュニックの袖を捲りながら、横たわる女の様子を見始める。
腕を完全に捲り終えると、従者が持ってきた革のエプロンと手袋を嵌め、鳥の顔の様な革のマスクを着ける。
革製品は皆表面に亜麻仁油が塗られ、鈍く光っていた。
「そ……そんなに悪いので……?」
それを見た都市民の男は、その雰囲気に押され、医師に問う。
『なに、念の為。最近はまた疫病も見られるからね』
巨大の嘴の中に詰められた薬草の層を通してくぐもった医師の声が応える。
短い杖を使いながら女の毛布をはぎ、ガラスを嵌めた除き穴から様子を診る。
『少し、体も診ますよ?』
「あ……あぁ……」
暫く様子を診ると、今度は女のチュニックを捲り、鼠蹊部などを確認する。
『ふむ……』
その後、医師は杖を置き、マスクを外す。
『疫病はなさそうだ』
そう呟くと、手袋はそのままに触診を行う。
「あぁ……なるほど……?」
暫く診た後、立ち上がると依頼人の方を向き、手袋を外す。
「出産したときに悪いものが血に混じって入ったようですな」
そう依頼人に告げる。
「薬を出しましょう。ええっと、薬の種類は……」
医師はどの薬を持ってこさせるか記憶を辿る。
「はい!これでしょう?」
そこにソラが乾燥した薬草等が入った瓶を持ってくる。
「テシル苔と青黴とコオロギの粉末、だよね?」
「苔とカビとコオロギ?大丈夫なのか?そんなのを体に入れて?おじょうちゃん、間違ってないかい?」
鍛冶屋の声は疑問に溢れていた。
「おお、よく憶えていたな」
医師は感心してそれらの瓶を受け取る。
「本当にこれで良いのか?」
鍛冶屋は不安げに医師に訊ねる。
「ああ、アイオーンにもプレーローマとアルコーンが使うのとで差がある様に、苔や黴にも慈愛なるものとダイモーンの遣いとがあるんだ」
医師は瓶の中身を見ながら説明を続ける。
「これは、ちゃんと慈愛なる物だよ」
「なら良いんだが……」
「ああ、後はお湯を沸かして馬の唾液を持ってきてくれ給え。フェレリウスさん。それを混ぜて飲ませれば大丈夫だ」
「あ……ああ……今用意させる」
フェレリウスと呼ばれた依頼人は奴隷に馬の唾液と湯の手配をさせる。
それを確認すると、医師はテーブルを借り、それぞれの薬を適量乳鉢に入れ、すり潰し始める。
暫くゴリゴリと乳鉢と乳棒は擦れ合う音と女のうなされる声だけが場に響いた。
ときおり、遠くで馬が鳴き、荷揚げや積込みをする水夫の声が聞こえる。
少女は、手持ち無沙汰からリュラの調弦を始めた。
薬を調合する音。
鉄床を打つ音。
畜獣の声。
人々の掛け声。
音程を確認する音。
そんな中、女のうめき声が一段と強くなる。
「よーしよし、今薬を飲ませるからなぁ」
医師はそう言うと調合した薬を女の元へ持っていく。
ソラは女がそれを溢さぬ様、口の横に手拭いを添え、軽く女の額を抑えた。
女がその薬を嚥下したのを確認すると、医師はフェレリウスの方へ向き直り、一通りの説明をする。
「直ぐに効く訳ではないから、気を楽にできるよう、支えて上げて」
「血に悪いモンが混じったのなら、悪い血は抜かなくていいのか?」
「それは大丈夫。寧ろ今は産褥期で血が足りないから、さっきの薬で清めていく」
「な、ならいいんだが……」
疑問と応えを重ねていると、女のうめき声は更に大きくなる。
「おい、本当にいいのか?」
フェレリウスの言葉に焦りが混じる。
「大丈夫だ。2・3日置かれたのが今出てるだけだ」
医師はただ淡々とそう告げる。
「何だ!オレが悪いって云うのか!?」
夫の語調が極端に荒くなる。
「違う!誰も悪くない!」
医師は咄嗟に掌を相手に向けると、強い発音でその言葉を制してしまう。
「落ち着いてくれ」
それから、ゆっくりと大きく息を吐き、目を閉じながら手を降ろす。
「落ち着けだぁ!?人のカカァに得体の知れないモン入れてか!?」
フェレリウスの顔はここで更に赤くなる。
女は何事か言わんと声を発するが、それは言葉になっていなかった。
「ほら!余計に苦しんでる!」
フェレリウスはそれを見て更に勢いを増す。
「だから!これは何もしてなくてもこうなったモノで、寧ろ処置してなければもっと苦しんでたんだ!」
医師も語調を強め、それでもなお説明はしようと試みる。
しかし、その鳶色の瞳の揺らめきは日頃のそれとは異なる波長で揺れ始めていた。
「何だと!?自分の腕の悪いのを人のせいにしようってのか!?バカにしくさって!」
男2人の語気の荒げるに連れて女の呻き声も強くなっていく。
怒号。
呻き声。
苦悶。
鳴き声。
喧噪。
叫び声。
その場の一切が次々と混沌に呑まれ、自身の光を失っていく。
一切が混沌と焦燥、諍いに向かい、墜ちつつあった。
フェレリウスは遂に腰の剣に手を掛ける。
「止し給え!」
それを見て医師は更に強い語気でその行動を制そうとする。
「その剣を!その紋章を解く事の意味が解っているのだろうね!?」
医師にそれを指摘され、鍛冶屋の手が暫し止まる。
「分らねぇと思うのか?」
鍛冶屋は医師に言葉を返す。
「君も私もこの都市の都市民であり、共に『組合員』だ」
そう言って医師も自身の腰に履いた剣の紋章を鍛冶屋に見せる。
「だから、ここで争う理由も無い。それは解るね?」
「だからって、名誉に対する侮辱を見過ごす理由にもならねぇ。それも分るな?」
医師の質問に、鍛冶屋は同じ形の質問で返す。
フェレリウスの妻の呻きはますます強くなる。
「ほら!あんなに苦しんでやがる!」
鍛冶屋は妻の方を大仰な身振りで示し、大見栄を切る。
「どうやら話合いはここまでの様だな」
医師は深くため息を吐き目を閉じ、再度開いた時には鍛冶屋を見据える。
1人は啖呵を切り、1人は溜め息を吐く。
2人の男の熱く、冷たい息づかい。
そこに、リュラから奏でられる旋律が混じる。
それは最初、とても幽かに、静かであった。
幽かに。
静かに。
周囲の音に呑み込まれ、掻き消される程に。
僅かに。
ゆっくりと。
しかし、変則的ではあるが規則的な拍子が段々と重なり、次第にそのテンポを増すに連れ、その存在感は増していく。
ベースとメロディが段々と複雑に絡み合い、しかし調和は取れて行く。
その調和が増すに連れ、その音の塊の中に情緒的熱量が圧縮されて行く。
密かに。
確実に。
その掻き消されていた音に最初に反応したのは、病床の女であった。
先ず、呻きが止まり、浅く速かった呼吸は徐々に落ち着きを取り戻し始める。
次いで、汗も引き始め、緊張から不自然に曲がった関節はゆっくりと弛緩し、静脈の浮いていた手足に赤みが差し始める。
次にそのハーモニーに反応を始めたのは、鶏や畜獣達であった。
それまで母屋の気配に影響され、混沌の内に鳴き喚き、互いに諍い出した鳥獣は、満足いくまで食べたかの様に落ち着き始める。
互いが互いに警戒を示し、威嚇し合っていたその目や四肢は、ゆっくりと解きほぐされ、母屋から流れる調和に自ら参加を始める。
それまで、凍てつく様に張りつめていた母屋の空気は段々と暖かみを増し、窓からの光も全体を照らし出す様に変化していく。
この空気の変化に最後に反応したのは、互いに剣を抜こうとしていた男2人であった。
2人に当る陽が力を増すに連れ、寧ろ互いの影を深くしていた2人はしかし、その影が混然となる頃、互いの顔が光に包まれつつある事に気付き始める。
そこへ、少女の歌声が重なって行く。
その声はリュラと共鳴し、壁に反射し、人々に、母屋に、畜獣に、空間に響いて行く。
その響きがそれぞれに影響を与え、そこに調和が生まれ、その場を包摂して行く。
少女を中心に、その場には暖かい光が満ちて行く。
病人。
畜獣。
諍う男2人。
生ける者。
皆、そこに包まれ、調和の内に互いに共鳴しあい、心地よいグルーヴを創り出す。
そのグルーヴの波が去り、暫しの余韻。
余韻の後、先ずは医師が気を取り戻す。
「あ……あぁ、これは失敬。つい攻撃的になり過ぎた」
そして、漸くそれだけを呟く。
「あ……あぁ……えっと、こっちも色々勘違いしたようだ」
次に、鍛冶屋が言葉を発する。
「あ!
「あ、あぁ、山は超えた様だな」
2人の男は自然と笑い合っていた。
「お父さん!これ!」
その2人と病人1人の処へ、少女が1人、ビンを持って近づく。
中には調合された薬が入っていた。
「ああ、ソラ。ありがとう」
医師はそれを受け取り、中身を確認すると、鍛冶屋に渡す。
「普通はここまで直ぐには効果はでないのだが、まあ、良かったよ」
そう言って、再度病人の方を確認する。
「落ち着いているようだし、取り敢えずそれで数日分の薬になるから、朝晩、日に2度飲ませるといい」
説明を続けながら医師はチュニックの袖口を紐で留めると、従者に上着を羽織せる。
「あ、ありがとうございます、アポテケウス
フェレリウスは形式的な礼を述べた。
「それで、お代は……?」
「ああ、君の処は今大変なのだろう?『組合』でも聞いているよ」
アポテケウスと呼ばれた壮年は上着に並んだ真鍮のホックを一つ一つ嵌め、腰のベルトを留めながら応える。
「取り敢えず、薬代の5ディナーロだけ貰えれば、残りの9ディナーロは気が向いた時に『組合』の方に入れておいて貰えれば良いよ。一応『記録係』に伝えておくけど、期日は設けない事にしておく」
「ああ、助かる」
フェレリウスは安堵した様に声を漏らした。
「お父さん!お仕事終わった?」
2人の商談現場へリュラを抱えたソラが駆け寄ってくる。
「ああ、終わったよ。ソラには色々助けて貰ったな」
「うん!皆んなが安心だと嬉しいもんね!」
そう言ってソラは胸元のリュラを見せ付ける様に大きく胸を張る。
その際、金糸の刺繍で装飾された生成りの頭巾がフワリと揺れた。
「そうだな。偉いぞ!」
父はリュラの位置をずらすと娘を抱き抱える。
鳶色と赤褐色の瞳の光が明るさを増していた。
+
「今回は本当に色々助かった」
鍛冶場の母家の前に停めてある馬車に乗ろうとしているアポテケウスに向かい、再度フェレリウスは礼を述べる。
医師の後ろでは、乳母に促されたソラが先に馬車に乗りこんで行った。
「何。病人は助かればそれで良いさ」
医師は鍛冶屋に向かい、気にする事はない、と伝え、鍛冶屋の背中に腕を回すと、掌で軽く叩く。
「すまない。ところで……」
鍛冶屋は話の流れを変える様に体を乗り出し、医師の耳の近くに口を寄せた。
「あんたが『
緑色の目は鳶色の眼を見据えた。
「『教皇派』?私が?」
口髭の形が大きく変わる程、アポテケウスは顔だけで笑った。
「ああ……あんたは『組合』の他の連中とは日頃の動きも違うし、薬の事もよく知ってる……それも良く効くのを」
「仕事を褒めて貰えるのは嬉しいよ」
「でだ、あんたが『賢者』、それも『教皇派』の『賢者』と連んでるんじゃないか、って噂があるんだ……」
これを聞き、医師はとうとう笑い声さえ出す。
「いや失敬。私が『賢者』と繋がりがあるだなんて、これは凄い冗談だ」
遂には哄笑を上げてしまう。
「なるほど?もしそうなら、今日君に剣を握られる前に、もっと落ち着く『
ひとしきり笑った後、何とか息を整える。
その笑いぶりにフェレリウスは呆気に取られてしまう。
「いや、失敬、失敬」
そうしてアポテケウスは大きく息を吸うと、呼吸を整える。
「いやぁ、しかしアレには緊張したよ。なるほど『教皇派』と疑われてたのか」
「いや、あれはほんとすまねぇ」
そうして、今度は2人で笑い合う。
「お父さん!楽しそうだけどどうしたの?」
その2人を馬車から見ていたソラが声を掛けてくる。
瞳は大きく煌めき、濃く、長いまつ毛は大きく外に向かっている。
「ああ、すまない、ソラ、今から出るから」
アポテケウスはソラに声を掛けると、フェラリウスを見ながら馬車へと向かう。
「では、また様子が変わったら連絡してくれ給え」
閉まる馬車のドアから医師はそう声をかけた。
動き出した馬車を見送りながら、フェレリウスは側にいた丁稚を身振りで呼ぶ。
丁稚が側に来ると小声で指示を伝える。
「『カラス』に伝えろ。『あの馬車を追え』と」
+
馬車は都市の中を行く。
城壁と川、遠浅の
その自然と人工の要害により外敵から身を守り、或いは海賊には打って出る自由都市国家。
教皇領と皇帝領、教会にも世俗の権力にも属さない自治の都市。
ウェニーキア自由都市。
その政治の中心となる
誰人も受け容れる都市ではあるが、しかし誰人もが自由都市民になれる訳ではなかった。
同時に都市はその機能を維持する為に、奴隷を始めとした「不自由な人々」を必要ともしていた。
そんな政治と経済、両方の「中心」から弾かれ、「周辺」に追いやられた人々が過ごす区域。
馬車はそこを進んでいた。
丘と港の間の幾つかの大通りは馬車が円滑に通れる様、石畳も整備され、通信と流通を支えると同時に、都市民相手の商売や製造を営む人々の窓口にもなっており、明るい雰囲気に包まれている。
他方、裏通りに入ると、
日々の生存を日払いでなんとかしている者や、週払いの家賃の工面に追い立てられる者が大半である。
通常、この様な場所が存在する場合、罪と悪徳とが跋扈するものだが、ここではその限りではなかった。
それは、一つには「警備隊」の保安活動に依り、無法者は壁外追放になる事も要因の一つであった。
壁の外の自由な無法に晒されるよりも、壁の内の治安と秩序の窮乏に耐え忍ぶ方が、未だ人間には楽な様である。
そんな暗く、細く、静かな路地を進んでいく。
御者と召使とはあの鳥のマスクを着けて。
例え、治安と秩序があろうと、それが健康的な生活環境の維持に寄与するとは限らず、寧ろ日々の疲れから公衆衛生の維持には気が回らなくなる事が多い様で、そここにはネズミや害虫が我が物顔で歩いていた。
馬車は陽の刺さないせいで常に泥濘んでいる、異臭を放つ地面から重い水音を立てて進む。
その轍は刻まれてはそこにトロリとした汚泥が押し寄せ即座に消していった。
馬車が暫く進んだ後、同じく鳥の仮面を着けた親子は二重にガラスを通して外を見る。
『この前よりも状況が悪いな……』
父はそう呟く。
『そうなの?』
娘も興味を示し訊ねる。
『ああ、ご覧。ほら、あそこ』
そう言って父は路地の片隅を指で指し示す。
そこには数匹のネズミがいた。
1匹は大きく、残りは小さい。
それらの害獣は、何に憚る事も無く、のんびりと周囲を漁っていた。
『ネズミがドンドン増えている』
『増えると悪いの?』
『ああ、あいつ等は家から家へドンドン悪い物をバラまくダイモーンの様な奴らだ。このままではいずれまた疫病が酷い事になるぞ』
そう言いながら外を見ていると、父は一つの窓に気付く。
それは、特に変わった処のない、この区域では良くある、漆喰が剥がれ、部分的に剥き出しになった煉瓦に囲まれた木枠の窓である。
違うのは、開けられた鎧戸の処に一輪の白い花が挿してある事だけであった。
医師はそれを確認すると、剣の柄頭で馬車の壁を叩き、御者に合図を送る。
その合図を受け、御者は手綱を繰り、速度を落とす。
移動速度が落ちるのに合わせ、医師は窓の少し開け、同じく一輪の白い花を挿した小さな木箱をその窓に投げ入れる。
それが窓に入った事を確認すると、直様窓を閉め、再度御者に合図を送る。
『何を入れたの?』
娘は訊ねる。
『ん?ああ、薬だよ』
『お薬?』
『そう。この辺りは貧しくて医者にかかれない人も多いからね』
父はここで溜め息をつく。
『でも、こうやって手を打っていかないと、たちまち都市全体が疫病に呑み込まれてしまうんだ。逆に言えば、この辺りに住んでる人が気兼ねなく医者にかかれるようにすれば、もっと安全なんだけどね』
医師は剣の柄頭の上に置いた手の上に自分の顎を乗せる。
『どうしたものかな……?』
そう、漏らす。
『大丈夫だよ。お父さんなら』
出口の無い考えの迷宮に入り込み始めた父の腕に手を添えると、娘はそう断言する。
それは、静かではあったが、確固たる力を備えていた。
『大丈夫なのかい?』
父は優しく聞き返す。
『うん!だって、今この街はドンドン広がっているんでしょ?そしたら、もっとお薬とかが手に入りやすくなるから、その分多くの人がお医者さんにかかれるようになるんじゃないの?』
少女は明快に応える。
医師はしばらく絶句する。
『そうしたら、お父さんはそれを助ければ、もっと多くの人がお薬を作れるから、みんな安心でしょ?』
ガラス越しにも、その赤褐色の目は輝いているのが判った。
馬車の軋む音。
汚泥を進む音。
蹄鉄が沈む音。
『それは、誰かから聞いたのかい?』
父の声は、くぐもっていた。
『ううん?』
少女は首を振る。
鳥の顔が大きく揺れる。
『どうしてそう思うんだい?』
父の声は淡々としていた。
『だって、そうでしょ?』
少女の声は輝いていた。
父の溜め息。
『ソラ、良く聞きなさい?』
鳥の顔が横の鳥の顔に向く。
『うん』
嘴を向けられた鳥の顔も、嘴をそちらに向ける。
『それは、他の人に言ってはいけないよ?』
父は、それだけ告げる。
『どうして?』
娘もそれだけ返す。
父は大きく溜め息を吐く。
『いいかい?慥かにこの都市は発展しているし、東方との商売も拡大している』
ここで一息入れる。
『でも、その恩恵は、必ずしもウェニーキア全体に齎される訳ではないんだ。いや、寧ろ、差は大きくなるだろう』
『どうして?みんなが豊かになったほうが、国も良くなるのに?』
少女の明朗な質問は続く。
『その方が『有利』だと思う人もいるんだ。残念ながらね』
医師はここで再度溜め息をつく。
『でも……』
少女の声から明るさが失せていく。
『いいかい?だから、そんな事を他で言ってはいけないよ?』
壮年の声には堅さが増していく。
『でも……』
少女は説得の言葉を探す。
『いいね?』
壮年は交渉の言葉を断つ。
俯いた鳥の仮面に向かう大きな鳥の仮面の目は、ガラスで反射して見えなかった。
『……うん』
小さな鳥の仮面は、それだけ呟く。
『お家の中で、私にだけ言うのは、大丈夫だから』
アポテケウスの声には軟らかさが戻る。
『うん』
ソラの声にも明るさが戻る。
大通りに戻り、日暮れに向かって行く馬車を「カラス」が見詰めていた。
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