第30話 遥か遠き誰かの記憶Ⅸ

「何で……何でだよ……!」


 夜空に包まれた孤独な大地に、一人の少年の慟哭が響く。

 その声を聴く者は誰もいない。

 誰の耳にも届かない孤独な叫び。

 分かっていても、叫ばずにはいられなかった。


「この世界は、僕たちが創った世界だ……。彼女も、この世界の存在として定義しなおした。出来ることは全部やった……! それでも……それでも、世界は彼女を殺すのか!?」


 少年の腕の中で眠る、リィエラと呼ばれた美しい黄金の髪を持つ少女は、何の反応も示さない。

 ただ静かに、眠り続けていた。


「彼女が何をしたって言うんだ!? 俺たちは、被害者だ!! 死ぬべきなのは、俺たちをこんな目に遭わせた人間たちだろ!!」


 少年の悲しみに呼応するかのように、空は鳴き、悲しみの雨が降り始めた。


「何で、何で……何で、少しくらいの幸せも許してくれないんだ……!」


 風は吹き荒れ、暗雲が夜空を覆い、星も月も、一つの明かりも届かない暗闇。

 二人が幸せに暮らすために創り上げた世界が、この時ばかりは逃げ場のない牢獄に感じた。


「神様……お願いします……。リィエラを……彼女だけは助けてあげてください……。僕はどんな目に遭ってもいい……! だから、彼女を、助けてください……」


 頬を伝う雨の雫。

 濡れないように、必死に覆い被さって守っていた彼女の頬に雫が落ちる。

 しかし、彼の叫びに答えるものはいない。

 世界を創り出したものを神と呼ぶのなら、今この世界における神は、少年なのだ。

 その少年が救えない以上、リィエラのことを救えるものはどこにもいない。

 だが、願わなければ、縋らなければ、彼の心は壊れてしまう。


「は、はは……」


 少年の口から、諦めにも似た乾いた笑いが零れる。

 雨風の冷たさよりも、彼女の亡骸の冷たさが少年の心を凍えさせていく。


「ははははははははははははははははははははははは!!」


 もうどうすることも出来ない。

 それを認めてしまった瞬間、少年の心は完全に壊れてしまった。

 泣きながら笑い続ける少年。

 そんな彼に救いの手を差し伸べるものはいない。


「あぁー、いいさ。だったら、僕のやるべきことは一つだけだ」


 少年は、リィエラを強く抱きしめた。

 腕の中で眠る、彼女の美しい寝顔を見ながら、空に手を伸ばす。


「僕たちをこんな目に遭わせて、僕たちの運命をぐちゃぐちゃにしたあいつらを許さない……!」


 少年の憎悪は雨雲を裂き、再び夜空が二人を照らす。


「この世界の──『リラ』の唯一神として、死にたいと思うことすら生ぬるい、本当の地獄を……絶望を、お前たち人間に教えてやる!!」


 彼の憎悪ごと、その存在を覆い隠すように、夜空が二人を包み込む。

 そして、門が閉じる音と共に、二人の姿は虚空に消えていった。



「──っ!」


 長い夢から目覚め、飛び起きたシオン。


「っはぁ、はぁ……」


 粗く息を吐きながら、額の汗を拭う。

 あの戦いから、二週間が経過しようとしていた。

 ボロボロの身体を引きずり、近くの町の宿に転がり込んだ三人は、気絶する様に眠りについた。

 次に目が覚めたのは三日後のことだった。

 食事を取り、傷の手当てをし、出発はもう少し傷が癒えてからにすることにした三人は、各々の過ごし方をしていた。


 「また、この夢か……」


 戦いを終えてから、シオンは眠るたびに悪夢にうなされていた。

 その原因は、霊魔種リベラにカギを渡されたことだった。

 カギを受け取った瞬間、シオンの頭の中には神と名乗る少年の記憶が流れ込んできていた。

 そして、何故かそれは、シオンだけに起きた現象だった。

 イリスやカノに鍵を渡してみても、同じ現象は起きなかった。

 どうしてシオンにだけ、彼の記憶が見えたのか分からない。


「人間たちに、地獄と絶望を……」


 ただ、この記憶が真実なのだとしたら、この世界の神は、人間に強く激しい憎悪と怒りを抱いている。

 『人間種』ではなく、『地球上の人間に』対してだ。

 そう思う根拠は、シオンが地球で見た最後のメッセージが理由だ。

 シオンに送られてきたメッセージには、『君に、「死にたい」という感情の意味を、本当の絶望を刻み込んであげよう』と書かれていた。

 あのメッセージと記憶の中の少年の言葉が似通ってたのは、偶然ではないだろう。

 だとしたら、人間たちは彼らに何をしたのだろうか。

 この復讐は、無差別なのか、特定の人物だけ狙っているのか。

 どちらにせよ、もしかしたら、この世界にいる人間はシオンだけではないのかもしれない。


「あー! もう、分からないっ!!」


 シオンは毎日そのことを考え続けていたが、手掛かりが少ないこの状況で答えが出るはずもない。


「シオン? もう起きてる?」


 頭を抱え、髪をぐしゃぐしゃしていると、ドアをノックする音が響く。


「おーきーてーるーよー!」


「おはよう……って、どうしたのその髪の毛! 爆発してるよ!?」


 ドアを開けて部屋に入ってきたイリスは、シオンの頭を見て驚く。


「いやぁ……色々考えてたら、頭パンクしちゃって……」


「頭パンクしたから、髪の毛が爆発したの?」


「えっと、それとこれとは別なんだけど……」


 斜め上を行くイリスの理解に、シオンは少しだけ戸惑い、冷静になる。


「……また、夢見たの?」


「……うん」


「そっか」


 夢を見始めてから一週間が経った頃。

 異変に気が付いたイリスやカノに問い質され、二人には彼女が見た記憶を簡単に説明していた。

 二人はその話を聞いても、特に何かが変わることはなく、シオンが話さない限り、二人は記憶について聞いてくることはなかった。

 彼女たちの気遣いに感謝しながら、二人の優しさに甘えてばかりいてはいけないと少し考えていた。


「とりあえず、ご飯食べよ? お腹空いてたら、余計に気が滅入るし」


 イリスは、そんなシオンの手を握り、朝食に誘った。

 何を考えるにしても、食事を取らなければ、思考もままならない。

 それに、傷を治すためにも、しっかりと栄養を取る必要がある。


「……うん。ありがとう、イリス」


 彼女の暖かな優しさに感謝しながら、彼女と共に部屋を出ようとする。


「そういえば、カノちゃんは大丈夫そう?」


 その前に、イリスが思い出したように、カノの名前を口に出した。


「んー……。ここ数日、呼びかけても返事がないんだよね。置いておいたご飯は食べてるみたいだし、多分、用があったら出てくると思うけど」


 この数日間、シオンが呼び掛けても、彼女は影の中から出てくる様子がなかった。

 心配ではあるが、彼女の性格上、心配しすぎると逆に怒りかねない。

 それに、彼女の状態は、契約のおかげで何となく把握できている。


「そっか。シオンが言うなら大丈夫だね」


 イリスもそのことを知っているため、それ以上何も言うことはなかった。

 二人は、他愛もない話をしながら、食事をするため、部屋を後にした。



「──」


 暗く深い影の中。

 シオンとイリスが会話している裏で、カノは影の奥底に佇んでいた。

 彼女の影ではなく、自分自身の影の深淵。

 そこには、巨大な門のように立ちはだかる、漆黒の扉があった。

 だが、それは今まであったものではない。

 否。正確には、今まであったのかどうかは定かではない。

 ただ、シオンが霊魔種リベラからカギを受け取った時、カノの影の深淵に、この扉が出現した。

 そう。あの時、異変が起きていたのはシオンだけではなかった。

 これが一体何なのかは、全く分からない。

 分かることは、この扉と自分の存在意義がイコールであるということ。

 根拠はないが、そう確信していた。

 王が持つカギと全て集めると霊魔種の不老不死を取り戻せるというリベラの話。

 そして、シオンに流れ込んだ神の記憶、カノの影の中に出現した扉。

 明らかに無関係とは思えないが、シオンと同じく、推察するにはまだ材料が足りない。


「私は、一体、何のために……」


 自分は何者なのか。どうして生まれてきたのか。

 霊魔種として明らかに欠落している自分は、何をすべきなのか。

 カノは扉に手を当て、静かに考え込むのだった。

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