第27話 傷だらけの三人

 何も見えない暗闇。

 怨嗟の声の嵐の中、誰かの必死な声が聞こえた気がした。

 あれは一体、誰の声なのだろうか。

 そもそも自分はどうして、目を閉じているのだろうか。


「……そうだ。確か、クレス兄さんに負けて……」


 自分がどうして意識を失っているのか、徐々に思い出し始めるイリス。

 彼女の放った一撃は、クレスの持つ葬具によって無効化された。

 そして、大技を放ったことで生まれた隙を突かれ、イリスは敗北し、意識を失った。

 ということは、自分は彼に殺され、地獄にでも落ちたのだろうか。

 いや。力が全てのあの男が、あの状況で自分を殺すとは考えにくい。

 自分以上にこの葬具を使いこなせる者はいない。

 今回の損失を埋め合わせるために、クレスはイリスを連れて帰る以外の選択肢はない。

 だとすれば、この爆発音は何なのだろう。

 誰かがクレスと戦っているのだろうか。

 誰が、何のために?

 その行為に何の意味があるのだろうか。

 こんな自分のために、誰が戦ってくれているのだろうか。

 何も分からない。分からないけれど。

 ──ああ。どうしてだろう。

 さっき聞こえた声はもう聴きたくないと思った。

 彼女が苦しそう、辛そうにしているのは、無性に嫌だった。

 だから、いい加減、目を覚まさないと。

 痛みと倦怠感を抱えながら、怨嗟の嵐を超えたイリスは、ゆっくりと目を覚ます。

 すると、誰かが戦っている音が聞こえてきた。

 自分の存在を気取られない方がいいだろうと思い、視線だけ動かし、状況を確認する。


「え……?」


 そして、イリスは、信じられないものを目撃した。


「何で……」


 彼女の目に映ったのは、影を纏いクレスと戦うシオンの姿だった。

 どうしてシオンが戦っているのか。

 そもそも、あの影は自分を襲った霊魔種の力。

 彼女がそれを使っている理由は定かではない。

 確かなことは、戦いとは無縁な彼女が血を流しながら、懸命に戦い続けていることだけだった。

 そして、もう一つ気になることは、クレスの両の瞳に浮かび上がる光輪。

 あれは霊魔種が魔法を行使している際のサイン。

 人間種であるクレスにはあり得ない。

 イリスの攻撃を無効化した葬具も見当たらない。

 自分が意識を失っている間に何が起きたのか全く分からない。

 ただ、クレスの顔にある火傷などから察するに、クレスは既に敗北。

 今のシオンは、彼の身体を乗っ取った霊魔種と戦っているのではないだろうか。

 そして、幾度の戦場を経験しているイリスは、このままではシオンが殺されると理解していた。

 それを理解したところで、今自分が飛び出しても、死体が二つに増えるだけ。

 イリスに残された戦闘可能時間は残り少ない。

 今は、何があろうとも、動くべきではない。

 必ずイリスの力が必要となる場面が来る。

 その時まで、息を潜め待ち続ける。

 それが、今のイリスに出来ることだった。



「本当に、どうしてそんなにボロボロになるまで戦っちゃうのかなぁ……。引き際を見極めることも大事なことだよ……?」


「イリス……!」


 手のかかる弟を見るような眼で、困ったように微笑むイリス。

 そんなイリスの姿を見たシオンは、涙が溢れて止まらなかった。

 イリスが生きていることへの喜び。

 そして、彼女を再び戦場に駆り立ててしまった自分の無力への悔しさ。

 彼女の涙には色々な感情がこもっていた。


「……でも、きっと私のために戦ってくれてたんだよね」


 全てを見ていたわけではないが、彼女の傷が全てを物語っている。


「ありがとうね、シオン」


 ボロボロと涙を流すシオンの頭を、イリスは優しく撫でた。


「あなたも、ありがとうね」


 そして、二人の間で不機嫌そうにするカノの頭も優しく撫でる。


「……気安く触らないで。私はシオンに力を貸しただけ。あなたを助けたわけじゃないから」


 その手を、カノは優しく払いのけた。

 彼女のことは気に入らないが、彼女の助けがなければ、二人とも死んでいた。

 それが分かっている彼女は、イリスにきつく当たることが出来ず、不満そうな顔をしていた。


「それで、今、どういう状況? 何となく理解してるつもりだけど、手短に説明できる?」


「リベラっていう霊魔種があいつの身体を乗っ取った!」


「……! やっぱり、そうなんだ」


 シオンの端的な説明は、イリスの推測と見事に一致した。


「ああ、そういうことだ」


「……あら。少し見ない間に、随分とお変わりになりましたね、兄さん」


 納得したイリスの背後を取るように、前方にいたはずのリベラの声が響く。

 だが、凍てつくような殺意と共に、変貌したクレスをイリスは見つめていた。

 先手を取ったはずなのに、彼女と目が合う異常事態。

 焦った彼は右腕を振り下ろすが、それよりも早く、彼女は盾を展開し、彼の身体を弾き飛ばした。


「ちっ!」


「認識の偽装ってところかな。厄介だね」


 斬撃は、障壁に阻まれ、彼女たちを切り刻むことは出来なかった。

 息を潜め、静かにシオンの戦いを観察していたイリスは、彼の魔法を何となく理解していた。

 そして、その弱点も。


「二人とも、まだ戦える?」


 リベラとの距離を取ることに成功したイリスは、シオンとカノに問いかける。


「もちろん……!」


「何を強がってるのかなぁ、シ・オ・ン?」


「いってぇえ!!」


 すぐさま返事をしたシオンを、カノは睨みつけ、傷口をつつく。

 その痛みに、彼女はたまらず絶叫する。


「魔力もほぼない! 身体もボロボロ! どこをどう見たら戦えるって判断になるわけ!?」


「二人がいるから。オレ一人じゃないから。……だから、大丈夫」


 カノの怒りに、シオンはそう答えた。

 自分一人ならどうにもならないことは分かっている。

 でも、今のシオンは一人じゃない。

 カノもイリスも一緒だ。

 その言葉に、イリスは笑顔を浮かべ、カノは呆れた表情を見せた。


「……イリスは、大丈夫なの?」


 自分のことよりも、シオンはイリスの身を案じていた。

 彼女の怪我は、どう見てもシオン以上に酷い有様で、立っているのもやっとのように見えた。

 それにもしも、リベラが語っていた葬具の話が、全て真実なのだとしたら。

 これ以上、イリスを戦わせてはいけないのではないか。


「大丈夫……ってわけでもないけど、あとちょっとくらいなら平気だよ」


 彼女の言葉に嘘はなかった。

 一切、平気なわけではない。

 クレスとの戦いで負った傷は痛むし、葬具の声は彼と戦う前よりずっとひどくなっていた。

 それでも、ほんの少し戦うくらいならば平気なくらいの余力はあった。


「……分かった。でも、無理だけはしないでね……?」


 そして、そう言われてしまったら、シオンに彼女を止めることは出来なかった。

 シオンとカノだけでは、イリスの助けなしにリベラに勝つことは不可能だから。

 今も、イリスがいなければ、リベラの斬撃を防ぐことも出来ずにいた。


「うん。ありがとうね、シオン」


 だから、彼女の気持ちに感謝するしかなかった。


「……それで? 何の策もなしに頭数だけ増やしたところで意味ないと思うんだけど」


「それに関しては大丈夫。私の推測が間違ってなければ、私達が勝てる」


「その根拠は?」


 一切の迷いがない、勝利を確信したイリスの言葉。

 その自信はどこから来るのか、カノは疑問だった。


「今もこの盾を砕こうとしてる必死さ、かな」


 そして、イリスも、何の根拠もない軽はずみな言動をしたりしない。


「あの霊魔種が、私たちに勝てるほどの力を有してるなら、ここまで必死に盾を砕こうとはしないと思わない?」


「それは……確かに」


「でしょ?」


 イリスの発言に、カノは納得する。

 先ほどまで、自分たちを余裕そうに追い詰めていた彼が、ここまで必死になる理由はない。

 あるとすれば、今この状況が自分の不利に繋がる理由があるから。


「イリスが来たから?」


「ううん。私が邪魔だっていうなら、意識を失ってるうちに殺せばいいだけ。多分、あいつが警戒してるのはシオンたちだよ」


「え?」


「私達を……?」


 イリスの言葉に、シオンとカノは首を傾げる。

 そんな二人に、彼女は自分の推測と作戦を提示する。


「──っていうわけなんだけど、どうかな?」


「……なるほどね。一か八かだけど、このまま殺されるくらいなら賭ける価値はあるかも」


 イリスの話を聞こえたカノは、まるで一緒に戦っていたかのような的を射た推測と作戦に恐ろしさを感じていた。

 それと同時に、彼女の推測も作戦も、命を賭けるに値するものだと考えていた。


「……うん。やろう! イリスの作戦を、カノが大丈夫って言ったんだ。だったら絶対に大丈夫。あいつを倒して、みんなで生きて帰ろう……!」


「もちろん!」


「当然でしょ」


 シオンの覚悟と決意に満ちた言葉に、二人は答える。

 傷だらけの三人は、生きるために、旅を続けるために、笑顔の明日を迎えるために、リベラを打ち倒すための作戦を開始した。

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