わたしの秘密

kanaria

第1話

「俺が死んじゃったらどうする?」

「悲しい」

「そうじゃなくてさ」

「えぇ、どういうこと?」

他愛のない会話だった。ただお互いがお互いを好きであることを示すだけのただの記号のような会話。『悲しい』俺にとってはその答えだけでも嬉しかった。でも、彼女は違う。彼女は小さい頃から体が弱かったらしい。入院する前にも何度か体調を崩して学校を休んで病院にかかることがあった。端的に言えば彼女は余命幾許もない状況下にいる。一寸先は死だ。崖っぷちに立たされている、それも彼女だけが俺はこの苦しみを二分して背負うことができない。それが苦しい。どれだけ心を痛めても、どれだけ言葉で寄り添っても、そのどれもが無駄だと一蹴するかの如く時間は刻々と迫っているのだ。

「そういえば、先生が今度外出許可出してくれるって」

「そっか、良かった。また、咲人とデート出来るんだ」

「デートって結婚してもデートって言うの?」

「変わんないでしょ、付き合ってるときも結婚してからも!海、行きたいなあ」

「海ね、分かった」

ここ最近はみつきの体調は安定していた。抗がん剤の副作用がかなりきていたみたいで精神的にも参っていたはずなのだが。これも何かの良いきっかけになって、きっと改善に繋がるはずだ。

「そうだ、私も言っとこうかな」

「どうした?急に」

「私ね。死んだら会いたい人がいるんだ」

「死んだら?おじいちゃんとか?」

「うーん、ちょっと違うかな」

「じゃあ誰なんだよ」

「ナイショ」


 7月20日午前10時26分。享年24歳。癌による闘病生活も虚しく無情にも彼女は帰らぬ人となった。

「咲人君、ほんとにありがとうなあ」

ハンカチで瞼を抑えながら涙を流す義父の言葉に返す言葉が無かった。何に対してのありがとうなのか心底理解出来なかった。何に感謝しているんだろう彼女は救われてなんかいないのにどうして俺にそんな言葉をかけるんだ。もっと、もっと、恨みでもなんでも吐きかけてくれよ。何もしてやれなかった俺に感謝なんてしないでくれよ。

「お父さん、、、咲人さん、娘と最後まで一緒にいてくれて本当にありがとうございました」

心に余裕がなくなると人の思考はどうにも悪い方向へ走りがちだ。今まさにそれを実感している。状況を整理できないうちはこの言葉はあまりにもきつい。

「では、みつきさんを安置所までお連れ致します」

俺はただ彼女が扉の奥へ行ってしまうのをただ見ていることしか出来なかった。

 家に帰って最初にシャワーを浴びた。どこかで見たことがあったのを思い出したのだ。シャワーを浴びると落ち着いて頭の中が整理出来ると。一人になってシャワーを浴びていると過去の自分たちの笑い声が反響して段々と彼女の死が現実であることを教えてくれた。こういう時シャワーはすごく便利だと知った。

「いただきます」

夜は簡単に弁当で済ませた。至る所で彼女との思い出を反芻して気を抜けばすぐに涙が溢れそうになる。嫌だった、泣けば済む訳じゃないのに堪らなくなることが心底嫌だった。俺は彼女ほど強くない。彼女がいなければ立てないほどに弱く脆い。これまでの生きる意味を奪われて、どうすればこの足で歩けるのかも忘れてしまいそうなほどに。その日は夢を見なかった。

 7月27日。彼女の葬式が執り行われた。一人娘であったこともありかなり気合の入った式だった。彼女の遺影を取り囲むように色鮮やかな花が祭壇を飾っている。供花は八基。両親、俺、学校、病院、お世話になった先生から豪華な花が飾られている。開式は11時、1時間前から親族は集まり始めていた。

「咲人君、大丈夫かい」

彼女の祖母をはじめ親戚の人には全員声をかけられた。皆口を揃えて同じ言葉を言っていた。大丈夫なわけない。

30分も経てば参列する人が揃いはじめ彼女の友達も多く来ていた。特別な容姿を持っていたわけでも特別な力を持っていたわけでもない。彼女はただ分け隔てなく優しかった。その証拠に多くの人が彼女の死を悼んでいる。頭も良かったし器用だった彼女は誰の目から見ても優秀だった。ただ神は二物を与えなかった。この世界は平等ではないどれだけ善人であろうとも無情にある日突然に奪うのだ。このことを経て俺は神など存在しないことを悟った。式も大詰めになり花を手向けた。彼女を囲う花々は色とりどりでとても綺麗だった。

「最後に喪主様からお言葉を頂戴致します」

「皆さん本日はみつきの、妻の葬儀に参列頂きありがとうございました。妻は24歳という若さで旅立ってしまいました。やるせない気持ちでいっぱいで押し潰されそうです」

つらつらと俺は語った。3分ほど話をした。鼻を啜る音や嗚咽を聞いてそれでも消えないこの違和感は何か。程なくして火葬場へ到着した。炉へ入り彼女が燃えていく様を俺はまた見ていた。そこでようやく思い出したのだ。この違和感の正体を。彼女は生前こう言っていた。

『死んでから会いたい人がいる』

死んでから。これが比喩でないとすれば既に死んでいる人物。俺の知る中で彼女の友人や同級生が亡くなった話は耳にしていない。であれば、親族やそれに類する誰かということになるか。あるいは自分が知らない誰か。俺が彼女と知り合う前の誰か。死んででも会いたいほどの誰か。俺の心臓は強く高鳴っていた、でもこれは心地の良いものではなくもっとマイナスの最低の疑いを含んでいた。

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