第10話 修行するのも新米の仕事
職人の朝は早い。
冒険者の朝は早くなる。
アリスティアから見ると先達になるらしい誰かさんの言葉である。
一切賛成はできないものの、鉱山労働者は昼と夜の区別がつくのだろうかと、考えてはみる。
「弁当、ある。食べると昼になる」
「食べ忘れたら朝に取り残されるわけですか」
「終業まで、身体、保たない」
「あれだけ食べるのにですか……」
朝になって再び、少年少女は白翼商会の建物に集まった。
ヴィヴィアンが窓から、外を歩く労働者達を一瞥して慄く。
昨夜の酒場で出ていた料理の量を思い返しているらしかった。
その隣で眠たげな顔をするレオナルドは、真似しなくていいからな、と低い声で言った。
「おやレオナルド、まだ二日目ですよ。そんな疲れるようなことありました?」
「盛りだくさんだったと思うぞ俺はよ」
「兄様、本当に怪我はないのですよね……?」
「わたしは、ダメだが、医者の、腕は良い」
「前にも似たようなことがあったとしか思えない反応でしたね」
レオナルドに怪我を負わせる、かもしれなかったグロクは申し訳なさそうに言った。
これだけ需要があれば、流れの薬師が来ていそうだが、そちらには頼っていない。
グロクは自身が強力な再生能力を持つトロールであるにも関わらず、自分たち白翼商会で、魔法の使える医者を雇っていた。
アリスティアが知る限り、珍しいことだ。
「理不尽だな、とは思ったが、アリスティアほどじゃない。心配無用って思えるだけ働いてやるさ」
「その、比較は、おすすめしない」
「え、アリスティアさん何かやっていたのですか?」
「ヴィーを拾うまでにいろいろ。結果が気に入らないならヴィーはもらっていきますけど」
「なんでそうなる、絶対やらん」
レオナルドは努めてアリスティアへ渋い顔をした。
グロクの暴走が危なかったのは確かだ。
当たり所が悪ければ人間なんて簡単に死ぬ。
それでも彼を責め立てない理由はいくつかあるが、一番は責めても沼に嵌まるだけだからだ。
アリスティアがした、トロールに関する説明と彼の性格を鑑みれば、グロクは誰かが気を逸らすまで何日でも自責し続けるだろう。
「誰も得しねえよ」
「そこまで言われるほど、まだひどいことをしていないんですけどね!」
「これから、する、のか」
「その必要があれば。ただ、今日のところは正攻法でいきます」
「正攻法」
ヴィヴィアンが息を呑んだ音がした。
レオナルドはアリスティアが"まだ"と表現したのに一抹の不安を覚えた。
グロクは、共通語がわからない"魔物としての"トロールがよくする変顔になった。
「グロク?」
「……ああ、いや、聞こえて、いる。正攻法は、進めているが」
「昨日の結論を一言で言えば、それでは追いつかなさそうだ、だろ?」
「別に手段をひとつに限ることはないでしょう。私たちなら他の商会がやりたくてもやれない方法で最短ルートを狙えます」
「そんな方法が……!?」
「俺は嫌な予感がしてきた」
ヴィヴィアンの盛り上がりは、恐らく天然だろうなとアリスティアは目算をつけた。
ひどいことという言葉からの逃避かもしれないけれど。
アリスティアは、もったいつけて、何秒か歩いたあと、おもむろに彼女の肩に手を置いた。
やる気があるのは良いことだ。
商会のためになるなら、と困惑しながらも承諾してくれた医師に、アリスティアが感謝の言葉を述べた。
レオナルドは、礼が言えたのかと驚くより、この女が自分のことをただ雑に扱っている可能性に思い至った。
その前をグロクが、岩を転がしながら横切る。
岩はレオナルドの身長の半分はある。
「確かに正攻法なのは認めるが、そう上手くいくもんなのか?」
「占いや方位磁石よりは。ただ、知識も経験もない魔法使いがそうすぐに身につけられるかって話なら、心配はもっともです」
アリスティアとレオナルドの視線の先には、グロクが転がした岩に囲まれるヴィヴィアンがいる。
医者が何事か講釈しているが、それでも、探査魔法の練習風景には見えない。
岩三つを同時に破壊しろと、無茶を言われてる新米冒険者――と言う方が通じやすいだろう。
「国軍で出世するなら三つ同時破壊は要求されるでしょうけど」
「実際にそれを見せられたら泣くかもしれねえ。お題はあの岩のうち、鉄鉱石が含まれているものを選べ、だよな」
「ええ。トロールなら鼻で見つけられるぐらいです」
「医者先生を呼んだのは?」
「あの人達は身体の状態把握に探査魔法を使います。治癒魔法とか言っても、呪文を唱えたらあとはいい感じにしてくれる、わけではないらしいので」
その医者先生が、二の腕ほどの長さの杖をヴィヴィアンの手首に当てている。
レオナルドには何が起こったのかさっぱりだが、二人揃って驚いた顔になり、医者の方が一歩後ずさった。
思わずそちらへ足を踏み出したレオナルドは、アリスティアに足を引っかけられた。
「今のはなんかあっただろおい!」
「気にしなくていいですよ。たぶん、ヴィーが探査魔法を弾いただけなので」
「俺が言うと情けねえけど、魔法のことなんかろくに教えられてないんだぜ」
「でしょうね!」
レオナルドはかろうじて転倒を回避すると、アリスティアを睨めつけた。
でしょうね、なんてニッコニコになる要素がどこにあるのか、レオナルドには計りかねる。
「すごく単純に言うと、魔法というのは欲求や願望通りに世界の法則を書き換える力のことです。火を放ちたいとか」
「口に出すだけで出来たら大惨事だな?」
「その通り、火の起こし方を知っていないといけません。まあ、知っていれば誰でも使えるわけでもないのが残念なところですが」
そういうこいつは魔法が使えるのだろうか、とレオナルドは思った。
アリスティアはヴィヴィアンに視線を向けていて、こちらを見ていない。
その横顔は、本当に残念がっていたり、羨ましがっているようには見えない。
「呪文を唱えたらどんな火が起こるか、実際に見てからの方が成功率は上がると言われてます」
「それで、実際にどう探査されるのか、身を以て体験してもらった、ってことか。けど、人間の身体と山は違うだろ?」
「あんたは魔法に向いてなさそうですね」
「……まあ、叶うわけがない、って考えがちなのはあるかもな」
レオナルドもヴィヴィアンの方へ視線を戻すと、二つの岩に片手ずつ手を押し当てて、目を閉じる彼女の姿があった。
手本役になった医師は、邪魔をしないように離れていく。
何も知らずに見れば、岩に挟まれて瞑想している変な娘だ。
アリスティアの説明が全てではないだろうが、願望と表現されると、叶って欲しい。
「知りたい。人間の欲求としてはごく初歩、でも一回で成功するほど簡単でもありません」
ヴィヴィアンがなぜ探査魔法を弾いたのか。
あるいは何故アリスティアがそう考えたのか。
レオナルドには、意識に上らなかったようだった。
技術として対抗する方法はある。
スパイとしてのアリスティアはその方法を心得ている。
アリスティアが考えるに、ヴィヴィアンが代わりに持つのは、己を探られたくないという強い拒絶の意思だ。
レオナルドに知られて良い感情ではなさそうだった。
「しばらくかかるでしょうから、軽く坑道の見回りに出ましょう。酒場では魔物の話は出なかったので、元々いないのかもしれませんけど」
だから、レオナルドが余計なことに気づかないうちに、アリスティアは踵を返す。
レオナルドが、ヴィヴィアンをもう一度見て、そういうものかと後に続こうとする。
その瞬間、二人の足元を、チリッとした、痺れるような感覚が襲った。
アリスティアが怪訝な面持ちになって、爆発音が響くまで。
熟練の映画スタッフが計ったかのような、絶妙なワンテンポだった。
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