「はるか遠くその遠く」

第1話

僕が愛した人は僕を愛してくれませんでした。

忘れられぬ恋があるとして、いつまで忘れられないでいれるのだろうか。

それをいつも考える。


僕が佐々木来人に恋をしたのはいつだろう。もう覚えていない。でも、彼のふとした笑みに体が震えた。それが「光」みたいで眩しくて、敵わなくて、どうしようもなかった。そうなりたかった。

でも、それは私にとって「恋の匂い」でした。言い換えれば一目惚れというものでしょうか。今まで可愛い女の子が好きだった「はず」なのに、いつの間にか彼に心を奪われていた。


彼の姿はダヴィデ像のように見えるのです。ギリシャ彫刻のように鼻筋が通って、艶やかで美しい。

どうして僕がそのようになれないのかと思うと同時に、僕が「鑑賞」する側にいることができるのがある種の幸福だと思うのです。どうしてなのかは自分自身で分かっているようで、分かっていないのかもしれません。安心感を得ていたからなのかもしれません。自分自身が感じる事のできる最大限の幸福を目一杯に感じていたと記憶しています。


どこかぎこちない仕草。いつも少し鞄が空いて抜けている。でも、彼の瞳に吸い込まれそうで。その太陽のような無邪気で屈託のないその笑みも、その声も。日焼けした首筋も。フルーツの香りの制汗剤の匂いも。少し筋肉がついてすらっと長い腕も。たくましい太腿も。ゴツゴツとした膝も。かかとがすり切れた白の靴下も。彼が落書きをしたプリントも

その全てが愛しかった。大切だった。

どうしようもなく好きだった。愛していた、と思う。自分自身でも不思議に思うくらい彼のことばかり考えていた。好きになるとその人の全てが美しく見える、とよく言うがまさしくその通りだと思った。


僕は鈴中祐希。中学3年。無理やり自分を形容するならば「陰キャ」という分類だと思う。身長が高い訳でもない。運動は全くできない。自分でも思う。細すぎるくらいの腹回りで、色白。他の人に自慢できることと言えば勉強が少しできるくらい。小学生の時くらいには、もうすでに自分自身がゲイであることを認識していたと思う。何人かは片想いをしていた気がする。

僕が佐々木と初めて話したのは、3年の始業式の日だった。彼のことは、クラスメートの会話から何となく名前だけは聞いたことがあった。彼は僕の前にもう既に座っていた。同じサッカー部のクラスメート3人と楽しそうに話をしていた。とても笑っていた。好きなサッカー選手の話をしていたのか、いつかの欧州リーグの試合について話をしていたのか、僕はスポーツに全く興味が無いので分からなかった。でも、彼の笑みになぜか惹かれた。何も汚れを知らないような純粋な笑みだった。笑顔だった。

一通り式も終わり教室での自己紹介も済み、帰りの支度をしようとリックに筆箱やプリントを入れている時だった。ゴンッ。走って教室を出ようとした佐々木の体が僕の机にぶつかった。

「ごめん、大丈夫?」

「う、うん。大丈夫だよ。」

「よかった。ごめんね。」

彼とほんの一瞬目が合った。その瞳に吸い込まれるのかと思った。

おいー、気をつけろよー。そう同じサッカー部の連中が言った。

よそ見してたわー、と彼が言った。彼の鞄はチャックが少し空いていた。


それから数ヶ月、いつの間にか彼を見つめていた。もちろん彼にバレないように。でも、あなたを見つめる僕が嫌いだった。反吐が出るくらい。だって、僕の願いなんて叶いもしないと分かっているのだから。時々、彼が話しかけてくれる。その度に僕は体が硬くなり、何も話せなくなってしまう。でも、この人と同じ空間にいられるのなら。それならそれでも良いのかもしれない。あわよくば付き合うことも。いや、ダメだ。そんなことは。そんなことはない。ない。

夏になった。なぜか男子は制服でも体育着でも暑くなるとまくりたがる。クラスの中心にいる「陽キャ」の奴ら(特に男子)は首筋が日焼けしている。奴らはフルーツの香りの制汗剤を使い、臭いを消そうとする。佐々木の少し筋肉がついてすらっとした腕。たくましい太腿。かかとがすり切れた白の靴下も体育着の間から見えた。

もちろん好意を彼に伝えてはいけない。もう一つ彼に伝えてはいけないことがある。彼を思い浮かべながらオナニーをしていた。

触ってしまったら汚れてしまう。触ってしまったら消えてしまう。本当はそんなことは無いのだけれど、どこかで自制をしていた。だから、せめて妄想の中では粘膜の中の中まで触れていたかった。

彼のことを考えると、胸がドキドキした。でも、それ以上に僕の陰茎が次第に大きくなっていった。はじめはよく分からなかったけれど、もしかしたらこれが「恋」とかいうものなのかもしれないと思うようになった。このドキドキ感は、女子でも感じたことがある。でも、僕が感じた性的興奮は彼が初めてだった。いつも自室で妄想しながらしていた。時にはクラスLINEで回った彼の写真を保存して、それを見ていた。そばにティッシュ(時々トイレットペーパーを千切って持っていった)を置いてリラックスしながらしていた。帰宅してから、今日見た彼の姿を思い浮かべた。暑くなると体育はプールの授業になる。不審がられない程度に彼の着替え姿や水着姿を見ていた。どんな姿でも興奮した。


彼が自室にやってきたことを想像する。少しずつスマホを見ている彼と距離を詰めていく。毎日どこのニュースサイトを開いても「今日は夏日になる予想です。熱中症対策をしっかりと行いましょう。」と同じことを書いている。心地良い程度に冷房が効いている。彼に訊く。

「一つだけ聞いてもいい?」

「ん?急にどうした。」

「一つだけお願いをきいてほしいんだ」

「お願い?」

「うん。佐々木とキスしたい。」

「え?何言ってるんだよ。俺ら男同士だぜ。」

「でも、したい。一度だけでいいから。だって佐々木だってまだキスしたことないでしょ?」

「う、うん。まぁ確かにそうだけどさ。」

「じゃあ、いい?」

「まっ…まぁ。」

僕は間髪入れず彼にキスをした。数秒だった。けれど、それは「瞬間」にも感じた。「永遠」にも感じた。数分間だったような気もするし、数時間だったような気もする。

何回か唇を重ねた。僕は彼が着ていた黒のTシャツを持ち上げ、彼の乳首を舌で舐め回した。汗をかいていたせいか、塩の味がした。彼は体をくねらせ、逃げようとする。彼の反応が楽しくて、彼を自分の支配下に置きたくて舐め続けた。次に彼の短パンを脱がせ、下着を降ろした。彼の陰茎を口に含んだ。硬く膨らんで大きくなっていくのが口の中で分かった。舌で先端を舐めた。そして咥えたまま上下に舐めた。彼が、ダメっ、ダメっと言っているのが聞こえた。飴を舐めるように先端を舌でなぞりとった。

僕は彼に「ねぇ、挿れてみる?初めては女の子がいい?」と聞いた。

「色々、その、さ、道具とか、あるなら、したい、かも。」

前、ポルノサイトで見て、コンドームを使って自慰行為をしたくて残りがあった。

僕は着ていたTシャツも、ズボンも下着も脱いだ。

「小指でもいいから、挿れる前に指で拡げて」そう僕が言ったら彼は小指を入れた。

もちろん僕も「初体験」だったから、違和感があった。でも、それ以上に彼と時間を共有していることが嬉しかった。ポルノサイトの動画で僕も彼も一通りの流れは知っていたから、確認をし合いながらしていった。

ゴムを着けた彼の「モノ」が入ってきた。少しずつ少しずつ一緒になっていく、一つになっていく感覚があった。

彼は腰を動かして僕は突かれた。

「あっ、男だけど十分気持ちいい。気抜いたら、出るっ」

そう彼は言いながら腰を動かし続けた。だんだんと激しくなっていった。

「ごめん、出るっ…!。」


意識が現実に戻ってきた。想像が「消えた」。

「んっ、はぁっ、らい、とっ、ダメっ。」

そう言いながら僕は白濁色の粘液を出した。少し息が荒くなっていた。僕はティッシュを箱から2枚取り出して、へその辺りを拭い、ティッシュを丸めた。もう一度ティッシュを数枚取り出して、陰茎の辺りをこぼれないように拭った。先端を拭うと情けないような高い声が出てしまう。何も役目を果たすことなく散っていく精子たちを不憫に思う。ごめんな、と。

下着を履き、部屋着のスウェットに足を通す。いつも少しの快感と、とてつもない気怠さと孤独感を感じる。

「何してんだろ。」そう独り言を呟いた。


彼への好意はずっと続いていた。夏が終わり、秋が過ぎ、冬が終わりに近づいていく3月の上旬、受験が終わり、後は卒業を待つだけになった。

放課後、担任と話をしていたので帰りが遅くなった。昇降口には誰もいなかった。僕は靴を履き、校門を出た。少し先に男女が話をしながら歩いているのが見えた。もしや、と思った。信じたくない。嘘であってほしかった。佐々木来人が同じサッカー部の女子のマネージャーと付き合っているということは同級生の噂話で何となく聞いていた。でも、そんな訳はない、誰かが面白がって流したに違いない、と思いたかった。でも、2人は仲睦まじく話をしながら歩いていた。体を密着させながら。手を繋ぎながら。心のどこかで、もしかしたら僕も恋愛対象になるかもしれない。もしかしたらワンチャン的な何かがあるんじゃないかとそう願っていた。でも、そんな期待は一瞬にして根元から音を立てて崩れ去った。彼はとても楽しそうだった。今まで見たことないくらいの笑顔で彼女と話をしていた。


そして卒業式当日。僕は数日前から考えていた。僕の心に秘めた想いを、「好き」という気持ちを彼に伝えるのか、ということを。

式や最後のホームルームが終わり、決して同級生と会うのが最後でもないのに最後の「ように」中学生活を勝手に振り返って泣いている女子達が卒業アルバムの最後のページに寄せ書きを書き、泣きながらクラスメートと写真を撮っている。

卒業証書や通知表を鞄の中に入れ、トイレに向かった。周りを見渡しても佐々木はいなかった。彼が同じクラスのサッカー部の奴らと落書きしたプリントしか彼の机になかった。

トイレをしようとすると、ちょうど佐々木が手を洗っていた。今しかない、と思った。これを逃したら一生後悔する。もし彼に自分の好意を伝えたら、周りから何か言われるかもしれない。そう思ったけれど、卒業をしたら中学の奴らと会うこともないし、連絡先も誰とも交換していなかったので(中学の途中からスマホを持ち始めたけれど、同級生から「連絡先教えてよ」と言われても「いや、スマホ持ってないから、ごめん」と嘘をつくくらい彼奴等と連絡先なんて交換したくなかった)気にすることもなかった。

「ねぇ、佐々木くん」

「ん?鈴中何か用?」

「あのさ…。ささ…、いや、来人のことがずっと好きでした。気持ち悪いかもしれないけど。別に付き合いたいとかそういう訳じゃないんだ。ただ気持ちを伝えたかっただけなんだ。ありがとう。じゃ。」

そう言って走って男子トイレから出た。

「おい!鈴中!」

佐々木の声は聞こえていた。でも、止まったらダメな気がした。幸か不幸か一緒に帰る友人がいなかったから、階段を駆け降り走って校門を出た。

校庭の桜は咲き始めていたけれど、そんなのを見る余裕は無かった。

勝手に好きになって、勝手に片思いして、勝手に失恋するんだよ。どうやったって叶いもしないのに。

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