再びの『かしら(かしらん)』考

 以前にも書いた、文章の語尾が『かしら(かしらん)』で終わる文体。

 この言葉の歴史についてはもう繰り返し書かないけれど、今となっては女性も使わなくなっている口調。但し『使わなくなっている』というのは日常会話の中の話であって、文章の中では今でもちょくちょく見掛ける。


 嘗て『かしら(かしらん)』が男性の口調としても認識されていた時代は、プロの書く気軽な随筆のようなものによく見られたと思うが、現在はプロの物書きよりもアマの書か手の方が多用しているように感じる。


 アマと言っても、一般レベルで誰も彼も使うものではない。飽くまでも、作家志望者とか、文章を読むのも書くのも好きな人とか、もっとはっきり言ってしまえば、或る種の意識高い系『文筆オタク人格』ではないかと感じる。何ならカクヨム内でも見掛ける(『かしら(かしらん)』を多用しているので女性かと思っていたら実は――というアクシデントもあるようだ)。


 文章表現には現在でも何処か格調のようなものが付随している。ラノベやウェブ小説は兎も角、文芸と言われると硬く感じるし、文士なんて言い方も存在する程で、「文字が書けるからって誰でも文章が書ける訳ではございません」という高等な衣を纏っているようなイメージがある。


 先に書いたように『かしら(かしらん)』は古き良き物書きの時代を喚起させるところがある。『かしら(かしらん)』を使うと、物書きの端くれになったような錯覚を起こさせるのではないか。まさか普段の日常会話でも多用しているとは思えない。飽くまでもエッセイ的表現の一貫としてだろう。


 偶に見掛ける『しませう(=しましょう)』という『文学女子なので敢えて使ってますの』フレーズにも同様のニュアンスを感じ、過剰に落語家を意識して「せつは○○でげす」などと口走る落語研究会おちけん部員を彷彿とさせる。


 ここまで書いて来て、悪口のように聞こえるかも知れないけれど、単に茶化しているだけです――。

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