駄洒落で戯れる

「さむ〜」

「オヤジくさっ」

「つまんね」

 駄洒落がいつのか。


 古来から日本人は言葉遊びが好きなようだ。和歌には『掛け言葉』があり、江戸の世も『判じ物』が隆盛していた。これらは言わば広義の駄洒落だろう。


 駄洒落は予てから知的作業の側面が強く、『上手い=面白い』であり、『笑える』というのは副次的評価に過ぎない筈である。『爆笑トーク』『リアクション芸』に対抗するかのように駄洒落をぶち込んでも「さむい」のは当たり前だ。


 以前、某ラッパーが「ライムと駄洒落は違う」と言っていた。言外に「あんなオッサン臭い、さむいもんと一緒くたにすんな」があるように感じた。でも、ライムも広義では駄洒落の一種だろう。


 駄洒落を言うのはオジサン――この社会的コンセンサスが駄洒落を貶めてしまったと断言して良い。オジサン=考え方が古い、頭ごなし、偉そう、臭い、脂ぎっている、中年太り、格好悪い、男性社会の権化――オジサンへの忌避を象徴させられたのが駄洒落なのだろう。


 その癖、企業名や商品名、サービス名等には今でも公然と駄洒落的センスが息衝いている。『のどぬーる』『アラウーノ』『アスクル』『草刈機まさお』『ウカール(受験シーズン限定の「カール」)』『駅すぱあと』、交通系ICカードなんて全国で駄洒落合戦だ。結局、駄洒落は記憶に残り易く、親しみ易ささえも醸し出すという事か。縷々挙げた例も「若い女子社員達が名付けました」となれば「さむ~」とはならないのだろう。


 以前テレビ番組で、オジサンが駄洒落を口にしてしまうのは『脳が我慢出来なくなるから』と説明していた。連想記憶能力と理性コントロール能力とのバランスがどうとかこうとか。そう言われてみれば、乳幼児が初めて口にした言葉が駄洒落だったという話は終ぞ聞かない。語彙が豊富でなければ駄洒落は生まれない。やっぱり知的作業である事は間違いない。


 娯楽が少なかった時代、語彙さえあれば誰でも楽しめる娯楽としての(広義の)駄洒落だったのではないかと思う。『洒落』に『駄』を付けるところに、誰でも参入OKの気概を感じなくもない。


 古人は駄洒落でじゃれていた訳である。

 ――誰じゃ、さむいと言ったのは。




 


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