僕は魔法を使えない
人生を振り返ってみるに、僕はほとんど魔法に縁のない生活を送って来た。
確かにテレビアニメでは『魔女っ子モノ』をよく見掛けたが、後は『ドラえもん/のび太の魔界大冒険』くらいしか馴染みがない。
何が分岐点になったのかと言えば、ファミリーコンピューターなるものを親におねだりしなかった事が大きいと思う。
ゲームウォッチなるものはそれなりに遊んだ。その後にファミコンが友達の間で流行り始めた。
そう言えば、従兄の家にはその前の世代のテレビゲーム(ブロック崩し)があった。家族旅行先の旅館にあったインベーダーゲームに夢中になった事もある(既にブームは去っていた頃)。
でも、ファミコンには何故か懐疑的(?)だった。
あの頃から既にブームには乗りたくないという天の邪鬼が始まっていたのかも知れない。コンピューターだなんてそんな高そうな物を買って欲しいと言えない――別に貧困家庭ではなかったが、そんな風に天の邪鬼気質を発露していた。
なので、現在に至るまでゲームの隆盛からは全く蚊帳の外の人生である。
魔法の話に戻ろう。
『魔女っ子』に代表されるように、嘗て魔法は女の子向けで(日本に於いて)、対する男の子にはロボット(科学)があった。
魔法も科学も子供の限界から解き放たれ、大人顔負けの力を発揮する為の『背伸びアイテム』で、願望を充足させる装置だった。
魔法は元々、西洋のファンタジーに源流がありそうだが、ゲーム世界との親和性が高く、殊にゲームに親しんで来た人にとって魔法は余りにも定番的な要素なのだろう。
だから、カクヨムでも魔法という単語があちらこちらで踊っている。早晩SFと置き換わるのではないかという侵食振りだ(もう物語の中ではほぼ等価のアイテムにも感じる)。
僕は、SF的な要素、超常的な要素、不条理な要素、少し不思議な要素は好きだけれど、魔法だけは抵抗を感じてしまう。
以前、キーワードの中に『魔法』が混入しているお題系企画に投稿した事があったが、最終的には魔法を否定する作品にしてしまった。「例え魔法が存在しても、魔法なんかに頼るな」という趣旨である。その意味で気に入っている。
本当に『魔法』を使い熟せている書き手は、どれだけ居るだろうか。どうも便利に使い過ぎているように感じる。
『魔法』という単語を見ただけで脳内に快感物質が迸る書き手や読み手が居て、そこに共犯関係、共同幻想が成り立っていると感じる。
本当の『魔法使い』はほとんど居ない。
大半は『魔法の無駄使い』に過ぎないのではないか。
そんな結論。
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