表現のきざはし

そうざ

「してみえました」の衝撃

 前々から不思議に思っている事がある。各地方に色んな方言があるけれど、各人が日常的にテレビやネットで所謂、標準語に接している。基本的にはニュースも各番組もCMも標準語で作られている(全国の人々に向けて発信しているコンテンツとなれば尚の事)。


 でも、日常会話は大抵、方言を使っている。標準語と方言とが入り混じった日常を生きる、或る意味でバイリンガル的な人々だなと、方言が強くない土地に生まれ育った人間としてはそう感じる。


 昔、全国各地の一般人の食レポ的な文章を校正するアルバイトをしていた際、色んな方言に触れた。これまた不思議な事に、どんな地方の人も、話す時は方言でも文章を書く時は標準語(やっぱりバイリンガル!)。頭が混乱しないのかな、なんて思ったりする。


 昨今は若者を中心にあんまり昔ながらの方言を使わなくなっているだろうけれど、それでも他の土地の人が聴くと、明らかに方言が紛れていると判る。標準語を心掛けて書いていても、うっかり方言を使っている、或いは方言とは知らず(標準語だと思って)使っている場合が結構あるようだ。


 よく見掛けたのが「してみえました」という敬語。愛知県、滋賀県、岐阜県辺りの人の文章によく見受けられた。標準語で言うところの「していらっしゃいました」。偶々現地人に尋ねた際、100%「標準語じゃなかったんだ!」という反応だった(飽くまでも僕調べ)。昔、全国の「アホ」と「バカ」の分布調査がなされた時、基本的には西は「アホ」、東は「バカ」だったけれど、その境(関ケ原辺り)は「タワケ(田分け)」だったとか。東海地方には独自の文化圏を感じる。


「〇〇して頂けたら助かります」という標準語が、地方によっては「〇〇して頂けたら喜びます」「〇〇して頂けたら幸せます」と言うと知って驚いた事があり、校正の文章の中で実際に見掛けた時は「本当に言うんだ!」と妙な感動を覚えてしまった。あと、関西の人は標準語で書いている時でも思わず「居る」を「居てる」にしてしまう傾向があると思う(私見ね)。


 斯く言う僕も普段よく「〇〇じゃん」と言うが、大人になってからこれも元々は方言だと知った。お互い様、というお話でした。



 ※追記※

 生まれも育ちも名古屋の若者と話をした際、「してみえました」は敬語だとしてもカジュアルな雰囲気、もっと畏まる時は「していらっしゃいました」を使うと言っていた。世代が下るとニュアンスも変わると言う事かも知れない。

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