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  • 興味深く拝読しました。前回がユニークなキャラクター論だったので、その延長かなと思っていたのですが、こういう方向の考察とは w
    でも、本格的な解説本だと、のっけから枝葉末節の専門的な論議に入って、まさに樹を虫眼鏡で愛でるばかりで森を全然見ていない議論になりがちですので、こういう話も面白いですね。

    で、その姿勢にあやかってというわけでもないのですけれど、前半部分の犬神佐兵衛の遍歴を流し読みしていて、ふと思ったことがあります。それは、横溝正史がこの佐兵衛という人物を、あくまでうっすらとではありますが、光源氏になぞらえていたのではないかということ。
    本人に聞いたら即否定するレベルの関連かもしれませんけれど、今日の我々から見ると、何となくそういうキャラ造形の投影も、あの時代の作家の無意識的な操作として、大いに指摘できることなんではないかと。まあそれを言い出すと、「犬神家」一作だけで、他にも山ほどの過去からの物語類型が含まれているのでしょうけれどね。

    時流におもねるつもりはありませんが「犬神家」と「源氏物語」の比較論、案外面白いものになるかもしれないと、下手の横好きを覚悟で妄想した次第です 笑。

    作者からの返信

    是非やって下さい、「犬神家」と「源氏物語」の比較論。今の人間がアニメ、漫画、ラノベを下敷き(元ネタ)に創作をしているように、かつての創作者は芝居とか講談とか近世以前の読み物とかを源泉にしていた事でしょう。

    急に思い出したんですが、『さらば宇宙戦艦ヤマト・愛の戦士たち』の劇中、斉藤始というキャラが敵陣で「立ったまま戦死する」シーンは「弁慶の立ち往生」だろうと。忠臣蔵とか勧進帳とか、もう引用しても通じない共通ネタに代わって、今は「親父にも殴られた事ないのに!」みたいなサブカル的共通ネタに置き換わったと感じます(もうガンダムすら通じなくなるでしょうが)。

  • この番組、わたしも昔どこかの動画サイトで見ました。
    主人公的な扱いを受けていた森保直哉氏はこの番組と「まんが道」の登場人物としてしか存じませんが、寡作だったけれど作品の評価は仲間うちでも高かったとのこと。赤塚不二夫氏も最初は売れなくて漫画家を辞める直前までいったらしいし、ある程度才能があるのは当然として、売れる売れないは紙一重なのかもしれないですね。

    ドキュメンタリー番組はフジテレビ系列のザ・ノンフィクションが好きでよく見てましたが、十年くらい前にテレビを処分してそれ以降はわからないのだけれど、あれも今はバラエティ的な作りになってるんですかね。

    作者からの返信

    特に印象的なのが――

    森安氏が起死回生で少年ジャンプ編集部に原稿を持ち込み「一緒に頑張って行きましょう」と好感触で進み、が「結局あの話は立ち切れになった」とそれまで通り建築現場で働く氏の姿で番組が終わるシーン。

    赤塚氏が自身の賞の受賞者に「是非もう一作見せて」と声を掛け、一年後にインタビュアーから受賞者の名前を持ち出されて「誰それ、知らない」「あぁ、まぁまぁですね、並みですね」と言い切っちゃうシーン(当の新人が「最近、描いてないです、描けないんです」と涙ぐむシーン)。

    寺田ヒロオ氏が「もうトキワ荘の面々に会いたいと思わない」と言い切るシーン(実際は後年、寺さんの許に集まった事があったけれど、その日を境に完全に「もう会わない」と決別したとの事)。『まんが道』は「美しい部分」に偏っているのでね、手塚氏のドロドロした部分とかないし。

    民法は夜中にしか硬派なドキュメンタリーの放送枠がないようですね(お金がない故に寧ろバラエティ化してない)。今はオフィシャル動画で地方局のドキュメンタリーも観られるので、悪い事ばかりではないと思います。

  • その昔のNHKの教育番組は徹底して地味で、私などは子供視点なりに「ここでコントでも入れりゃ印象がぐっと強くなるのに」「図表のレイアウト、少しは勉強しろや」などと思ってたもんですが、そのほとんどの愚痴は現代の番組制作で現実になってますね。これはこれで感慨深いんですが、演出過剰という印象も確かにあります。すでに視聴者の感受性のキャパは完全飽和してると思うんですが。

    ところで松本清張が「ウォーっ」てのは、トキワ荘のドキュメンタリーの話ではもちろんないんですよね? そっちはそっちで番組を名指ししてよろしいのではないかと思いました。まあどうせNHKの職員がこんなところまで見に来やしないって 笑。

    で、ついでの形で恐縮ですが、「手塚治虫氏他の旧住人達が一同に返す」は「一堂に会す」かと。そうざさんには珍しいタイプの誤変換 w

    ところで「犬神家」の続きはいつですか? 当然今回はその2だろうなと期待してたんですが……。

    作者からの返信

    あれ、以前も同じ間違いを指摘されたような、デジャヴュ、変換候補になっちゃってるし……。

    『NHKスペシャル 未解決事件』シリーズの「下山事件」と「帝銀事件」の回に、大沢たかお演ずるところの松本清張が――「大沢たかおが松本清張だとぉ?」と見くびってたんですけど、そんなに悪くなくて、でも「ウォーッ」は要らないなぁ。

    何だかんだ言っても資金が潤沢なNHKは内容が濃いドキュメンタリーが多いです。海外の野生動物を長期撮影するドキュメンタリーなんて、もう民放にはほとんど無理でしょう。

    今更『犬神家』に需要があるのか、とサボってました。次回はその2にします。

  • 括弧は格好良い方が良いへの応援コメント

    >丸括弧の下の部分が行から少し食み出しているように見える事がある。何よりも窮屈に見えて仕方がない。

    まさに私の文章が、半角カッコにこだわって変な表記になっている非常にわかりやすい例かと。うーん、書かれてしまったかという気分です 笑。
    確かにカクヨムのレイアウトだとちょっと窮屈かなあと思うんで、近作から全角カッコをぼちぼち使いだしてるんですが、私自身はそれだと逆に開きすぎてるような印象が時々あるのですね。あと、縦書きだと「はみ出し問題」は起きてないように見えます。横書きだけなんか妙なことに。

    今更過去作品を全部変換して回ろうとは思わんので、どうせならカクヨムの方でレイアウト規則修正してくれんかなとも思いますが……あと、文字ポイント数、もっと小刻みに調整できんもんかな。

    作者からの返信

    本文にも書きましたが、そもそも半角、全角を気にしていない人が多いようで、とても意外です。数字の半角、全角もそう。

    僕はフォントの種類と、本文内で部分的に変えられる機能が欲しいです。手紙の文面とか過去の台詞とかで使えそうな奴。

  • 乱丁落丁体験への応援コメント

    私の場合、袋とじ状態とか福耳なんかは割とよく見るんですが、ページがごそっとまとめて移動していた、というのはお目にかかったことがないですね。一度見てみたい w

    これから電子出版がじわじわとシェアを上げていくでしょうし、そういうヒューマンエラーの現物って、希少価値が上がりそうな気もします。ぜひ溜め込んでおいて、老後の資産にしては……と言いつつ、見込み違いだったらただのゴミが増えるだけですな。よくいって博打。でも、どうかしてそういう欠陥書籍を稀覯本扱いするような風潮を陰で煽ることができれば……。
    とか、そういう妄想も、小ネタぐらいにはできますでしょうかね 笑。

    作者からの返信

    最初、表題を「乱丁落丁チェケラッチョ~」にしようとしていて、危うく我に返って止めました。末期症状です。

    エラー紙幣や切手は高額なのに、古本屋に「乱丁落丁コーナー」はないし、もしかしたら人知れず闇で取り引きが……なんて発想しても、文章にする気力が湧かない今日この頃です。


  • 編集済

    謝辞と忖度への応援コメント


    拝読してちょっと感激しました。「家電に対して不思議な感情を抱き続けている」、いやいや、私もまったくその口で 笑。私の場合は、家電だけじゃなくて、機械とか、なんなら本とか家具まで入る、劣化・摩耗する部分を含むもの全般が気になる症状なんですが。
    基本的にモーターが入ってる機械は無条件で心配してしまいますね。パソコンのハードディスクなんて、最初の頃はアクセス回数を減らせるよう、設定を徹底的にいじり回してました。でも、現在のWindowsなんて得体の知れないツールとかアップデート機構のせいで、ほとんどハードディスクは回りっぱなし、CPUファンも回りっぱなしで、はっきり言って血圧に悪く 笑、頭にきたんでメインマシンはだいぶん前からlinuxにしてます。それぐらい働き続ける機械を心配してしまう性分です。

    と言いつつ、夏場は時に三十三度ぐらいの寝床で睡眠を確保しなければならないこともあり、扇風機は半日ぐらい回しっぱなしです。もう二十年ぐらい前の機械なんですが、火を吹きそうな気配もなく、今日も元気に回ってくれてます。エアコンなしで今の時代を生きていこうとすると、扇風機を酷使するか、冷蔵庫に氷をじゃんじゃか作らせるかの二択になってしまいますよね。肉体そのものを熱帯仕様にチェンジできる技術があればいいんですが。

    作者からの返信

    今月はエッセイ的投稿をお休みする予定でしたが、自動投稿がセットされていた事を失念してました。

    こんな変人が他にも存在するのかと半ば呆れてます、が、もし熱中症で搬送されたら馬鹿呼ばわりされるのは必至なので、覚悟しなければなりません、悪しからず。

    暑いから涼しくする、室外機から熱が出る、更に暑いから涼しくする、室外機から熱が出る、更に……この循環は永遠に断ち切れない、皆分かっているのに止められない。

    やっぱり冬の方が増しだ、着込めば良いんだからなんて思いながら、いざ寒波なんかが来ると、薄着で居られる夏の方が楽だなんて思う、この繰り返しも死ぬまで続く……。

  • 人間ではなくキャラなのだへの応援コメント

    話の趣旨としっかり合致するかどうかはわかりませんが。
    私がちょっと本気で小説の書き方を学び始めた頃、しばしば戸惑ったのが、「この作品の読者対象は男性か女性か?」という問題を明瞭に意識することを求められたことです。
    別に私自身が書いた文章に限らず、他人の書いたもの、もちろんプロ作家の書いたものでさえ、「この展開は男性読者がターゲットだから」「このキャラは女性読者狙いだから」というような批評を頻繁に耳にしました。小説、特にエンタメ系の小説ではそれが当たり前なんだからと。
    言い換えると、たとえば男性目線のひとりよがりっぽい女性像を繰り返し再生成する小説であれ、販売戦略上全く正しい作品ということで、何らかの異議申し立てを行ったとしても、出版社のエライ人からでさえ「確かにリアルではありませんが、それが何か?」と開き直られる可能性が高いということです。
    ただ、これは言論誌などでも同様ですが、「そんなことではいけないのではないか?」という声が増えてきたら、その種の異議申し立てを好む読者あてに、ジェンダー認識をアップデートするような小説が注目される可能性はあります。そのあたりを、しょせん多数決万能の商業原理だと切り捨てるか、自身の問題意識を世に問うチャンスと捉えるかは人それぞれでしょう。

    ちなみに私自身は、八十年代少女マンガ的なストーリーを青年誌風に翻訳した 笑 良くも悪くもターゲット不明な小説を連発していた時期があったので、この手の問題は今でも悩ましいですね。基本、作家は自身のジェンダーから解放されることはないのではないかと思います。でも、好きなように書いてみたらなんだかほんわかしたメルヘンっぽい雰囲気が混ざってきて、それは男性向けの作品では明らかにないんですけれど、女性に読んでもらったら「こんなの女の子向けじゃない」って切り捨てられるし。どないせいと……。

    作者からの返信

    昔に比べてエロコンテンツが容易に手に入る時代でも、わざわざ小説の中にフェティッシュ的設定、描写を求めるのは、突き詰めれば「エロじゃなくて萌えが欲しい」という事でしょうね。

    性的マイノリティー要素を娯楽として享受しているのは、圧倒的にマジョリティー側の人間だろうと想像します。本能を欠いた存在(人間)がそれを埋め合わせるかのように生産し続ける飽くなき妄想、恐るべし。

    いっそ定番のフレーズ「この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません」に「登場人物の言動は現実の人間の価値観に準拠していません、飽くまでも記号としてのキャラです」と書き加えた方が良いのでは、そうすれば一応の「解決」になる気がします。

  • >利用者の中に「★を一つしか付けない奴はブロックする」と公言している人を見付けてしまい、

    これは困りましたね。私など、初回でブロックされそうです w。
    まあ人それぞれ流儀がありますからねえ。

    この頃思うのですが、投稿小説の界隈って、道路の上と同じだなと。
    日頃前後左右を一緒に走ってるドライバー連中など、運転の流儀が全然なってないな、と思うようなのばかりなんですが、あちらからもそう見えてるのかも知れないし、まあ最低限ぶつかってこなきゃいいと割り切るしかないです。
    ドライバー同士、気持ちよくやり取りできることなんて、コマーシャルの中ぐらいなものですし。
    でも傍から見てると面白い車も確かにあるし、見惚れる運転というのも確かにある。
    毎日の運転に感動がほしい、などと期待すると、道路の上なんて何の楽しみもないですが、一万分の一ぐらいの期待値で「笑えるナンバー」とか「自分的に正しいマナーのドライバー」を探すつもりになれば、そう捨てたものでもないのではと。

    そういうわけで、湾多はいつでもそうざさんからの忌憚のないコメントをお待ちしております 笑。
    休養期間・蓄電期間などは往々にして必要なこともあるでしょうが、総じて私とは同じ価値観をお持ちとお見受けするユーザーでいらっしゃるだけに、末永く気長に籍を置き続けていただいたいなあと願う次第。

    作者からの返信

    現在、既出作を別サイトに移動中です。今後は、投稿後に一定期間が過ぎたら引き下げて、他サイトにアーカイブしておこうかと。乱発し過ぎて自分でも把握し切れないので、ここらで整理したくて。

    交通関係には、その県特有のローカルルールまであるとか。件の★ブロックさんに「僕個人の★との付き合い方」的なコメントをした直後、「また持論を押し付ける奴が現れた!」と「お友達」向けにネタのような近況ノートを書かれて(名指しはされてません、思い過ごしかも)、そのモヤモヤを引き摺って今日に至る、という感じです。

    ハートは拒否設定が出来るのに★は出来ない。プラットフォーマー(K川)に良いようにされてる感がね、辟易として来たので、最終的に「評価をしない読み専」になれば良いかと思いつつも、今度は「読んだのに★を付けないような奴はブロックだ!」と言われるか。何れにしろ試行錯誤中です。

  • 「鼠色」は死語か?への応援コメント

    >ピカチュウは横に奥としても、
    「置くとしても」ですね。

    確かに最近聞きませんねえ、ねずみ色。

    >そもそも鼠を目にする機会が減っているからなのか。

    屋根裏とかでネズミが暴れまわっていて、なんてシチュエーションは、今の日本家屋だと少数派ですよね。ドブネズミはそれなりに栄え続けているはずなんですが、まあ目の当たりにする機会は減ってるでしょう。とはいえ、まだ「ねずみ色」という言葉自体が消える段階ではないと思います。むしろ、目の前にネズミがいない分、実物と違う言い回しが当面は続くのでは、とも思います w。
    そういえば、似たような例だと「鳶色」がありますね。私の弱い視力では、トンビの色ってカラスと大して見分けつかないんですけど。あんなに明るい色だったとは。

    あ、今気づいたんですけど、「茶色」ってのも現代人の感覚的にはおかしい 笑。

    作者からの返信

    ありがとあございます(必殺誤字重ね)。

    色名の発祥は自然物からで、社会が自然から切り離される度合いによってグレーとか外来語への置き換えでデオドラント化した気がします。そういう意味では都市生活に適応しようとする「ネズミ」の意味が剥奪される事はないのでしょう。

    そう言えば、僕は庭先でトンビに蹴られた事があります。そんな環境で暮らしてます。今後は「あれが鳶色か」と心して見るようにします。

    茶色は緑茶の前に飲まれていたお茶の色からだそうで、これも意味(由来)が剥奪されたって事でしょうね。

  • そういう会社の書籍の流通ってどうなっているのでしょうか。ふつうの本屋にも置かれる?

    今なら、そういう会社を通さなくても自分で本は作れますよね。売れるかどうかは別として通販もできるし。

    いつか紙や印刷に思い切りこだわった、自己満足盛り盛りの本を作ってみたいですね。
    それで国立国会図書館に納本したい。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    確か出版社ビルの一階が売り場になっていて、他に何ヶ所か提携の売り場があって、残りの在庫は自分で引き受けてね、という感じだったかと。ISBNコードは付くので、後は自分で一般書店に「置いて下さい」と直談判すればもしかしたら(売れっこないので断られそうですが)。

    納本は義務付けされてるみたいですね。『国立国会図書館デジタルコレクション』サービスに筒井康隆のアマチュア時代の同人誌「NULL」が登録されてました。同サービスは知らなかった昔の本が無料で読めるので最近はまってます。

  • ヤマトとガンダムの間がそんなに年月が開いてないことにびっくりしました~。たった5年?
    ファーストガンダムでも15年くらい開いてそうなイメージでした。

    作者からの返信

    『宇宙戦艦ヤマト』1974年10月6日 - 1975年3月30日
    『宇宙戦艦ヤマト2』1978年10月14日 - 1979年4月7日
    『機動戦士ガンダム』1979年4月7日 - 1980年1月26日
    『宇宙戦艦ヤマトIII』1980年10月11日 - 1981年4月4日

    ガンダムは「親父にも殴られた事ないのに」で有名、同じ年の『ヤマトIII』では艦内のストレス解消に殴り合いを推奨するシーンがあります。ガンダムは80年代的、ヤマトは70年代的だなーと思いました(後々観た感想)。

  • 自然は意外と不自然への応援コメント


    めずらしく変換ミス(?)みたいな箇所が。

    >《リアリティー》を度返しした設定が多かったが、

    たぶん「度外視した」だと思います、が、なんとなくこれはこれで文意に沿いそうですね w。

    >登場するほとんどのロボットは自重を考えるとあの脚の太さでは歩く事すら出来ないらしい。

    敵味方とも、そういう無様なロボット同士であれば、一応バトルにはなるんではと思って、リアルロボット系もどきの中編をちょっと前に書いてみましたが、あれはもうバカ話にしかなりませんね 笑。結局ロボットものでできることと言えば、人間の肉弾戦を単純に投影したものとしてのロボットアクションを受け入れるか、所々でツッコミめいたことをネタにしながら「リアルらしい」記述を試すか、というところでしょう。

    とどのつまり、ロボットものってお人形ごっこなんですよね。そんな100%虚構であるにもかかわらず、なんとなく「リアル/非リアル」の見極めが集団の間で固まってくるから不思議です。

    作者からの返信

    あぁありがとうございます、変換トラップかも知れません、書いた記憶すらないけれど。後は妖怪ゴジゴジの仕業。

    某国民的ロボットアニメ監督がスポンサーの要望と闘いながらリアルなストーリーの為にロボットにまでリアルを求めた結果、ロボットではなくモビルスーツだという事になったのでしょう。

    監督がロボットを兵器たらしめる為に某作第一話でやったのは、搭乗口に幌を掛ける事だったと言っていました。そういう細かい工夫を重ねて大嘘をリアルにしてしまうのが手腕なんだと感じ入りました。

  • 西欧でも日本でも、十九世紀ぐらいまで「読む」といえば音読するのが当然で、黙読の習慣はかなり最近になってからできたもの――という学説を聞いたことがあります。目で大量の文字を頭に一括入力するような読み方は、明らかに世の中のスピードが上がって以来に発生した習慣でしょうね。で、目にしわ寄せが全部来ているというわけで。

    つたない読み方の読み上げソフトでも、把握できた文章は、やはり脳が自動的に流麗な音声として(あるいは音声以外の何かとして)認識し直す作業をしてくれているのではないかなと想像しました。そういう意味では、朗読の上手下手は、極端なのを除けば、そう意識せずともいいのかもしれない、とも思います。

    以前どこかの方のコメント文で、「失明すれすれなんだけど、がんばって書きたい」みたいなことを読んでちょっと唖然としたことを憶えています w。まだ無事に執筆続けてくれていればいいんですが……目の健康はほんとに死活問題ですね。お互い気をつけましょう。

    作者からの返信

    印刷技術と識字率、そして読書が広く一般大衆の娯楽となった時に「黙読」も一般化した、という感じでしょうか。

    理想は、どんなテキストもナレーターくらいの声質と適度な感情とで読んでくれるAIです。勿論、無料で利用出来る奴。亡くなった人の声でも再現出来そうだけれど、倫理的問題がどうこうという話になるのか。

    エタるとして、それは遣る気の枯渇が先か、視力の低下が先か、そんな事を思う今日この頃です。

  • 斯くて社会は回っているへの応援コメント

    ああっ、言われてみれば。
    私も「王道」を、威風堂々たる真っ当な態度、の意で使うことがありました。
    「学問に王道なし」という表現を思い出せば、その間違いに気づけたはずですね。

    作者からの返信

    何十年も間違えられ続けたらもう正しい方向に戻る事はないのでしょう。先日1950年代の新聞記者の本を読んでいたら「穿った見方」というお馴染みの誤用が既にありました。


  • 編集済

    俳優は○○が命!への応援コメント

    昔の俳優さんは(声優さんも)舞台出身の方が多いという点も、今と違うのかもしれません。
    伝統演劇にしろ新劇にしろ、発声が非常に大事ですから。萬屋錦之介なんて、まさに典型かと。

    作者からの返信

    『柳生一族の陰謀』の「夢でござる!」のインパクト、そこしか憶えてないくらいです。

  • 初参加に厄介な置き土産への応援コメント

    リンクに飛んで、リンク先の作品を読んでコメントを書いた、そのさらに一日後にやっと気づいたんですが、「女一国一城記」のリンクが「眼鏡は要らない」になってます。ご確認ください。

    ということで、以下、そうざさんの今回の企画作品、全周ツアーでコメント書きますんで、よろしく ^^。

    作者からの返信

    実は敢えてのリンク間違いに大いなるトリックが!な筈もなく、ありがとうございます。

    ストックしたものから使えれば楽だろうと挑みましたが、結局、全て新規で書く羽目になりました。瞬発力こそ命って事で、お手柔らかに。

  • そんな老人は何処に居る?への応援コメント

    わしもそう思うんじゃよ。今は60代でもゆぅちゅうぶとやらで動画を発信し、snsとやらを使いこなし、小型電話機でゲームをし、エーアイとやらで音楽を作る時代じゃからのぅ。

    作者からの返信

    そうそう、やたらと息子が株で大損したとか事故っちゃったとか電話を掛けて来たもんじゃった。

  • 「うむ」の有無への応援コメント

    うむ。吾輩も同感である。

    作者からの返信

    これがうむの顔文字らしい……。

    ( ゚д゚)ウム

  • 「してみえました」の衝撃への応援コメント

    昔名古屋に住んだ時、自分も「〜してみえる」をあまりにもみなさん使われていて衝撃をうけました。

    作者からの返信

    若い人は段々使わなくなってるとも聞いてますが、最後まで残る方言は「地元の人も方言だと思っていない言葉」なのでしょう。


  • 編集済

    三崎亜記氏に捧ぐへの応援コメント

    「となり町戦争」は、「こういう小説もアリか」と感心した作品でした。
    続編、というかスピンオフ的な「逆回りのお散歩」も、「ターミナルタウン」も私には面白かった。不思議な空気感を持った自治体の話を得意とされているので、新作が待たれます。

    作者からの返信

    元役所勤めの経歴からのリアリティーなのでしょう。何度か直木賞候補にも……作家であり続けられるとは、と考えさせられます。

  • 駄洒落で戯れるへの応援コメント

    江戸の地口や雑俳、漢詩の踏韻、フランスのカランブール。
    ダジャレは文章を用いた軽文化だと思います。学生の頃、「クルマが来るまで待とう」といった類のベタなダジャレが好きで、よく口にしていました。あのベタさが、一周まわってむしろ面白いだろ、と周囲の友人に言ってましたが、理解してもらえませんでしたね笑。

    作者からの返信

    ちょっと前に流行った「マジ卍(まじまんじ)」なんて若者言葉も言わば駄洒落じゃんって。

  • とんでもない事柄への応援コメント

    今日の国会中継を聴いていたら、質問に立った議員が
    「総理は以前の答弁で、○○と申し上げて、(間)えー、言っておられましたが……」
    と発言されておりました。

    ご尊顔を洗われたうえで、一昨日出直していただきたいな、と思った次第です。

    作者からの返信

    昔、某芸人が「社会でまともに生きられない奴だから芸人になる。だけど、芸人から政治家になる奴は居ても、政治家から芸人になった奴は居ない。だから政治家の方が下」と言っていた。政治家崩れのタレントは居るけどね。


  • 編集済

    おかしいかしらへの応援コメント

    「かしら」に対しては、まったく同じ印象を持っていました。当時の漫画や児童文学には、割とよく使われていた記憶があります。そしてもちろん、日常的には女子言葉として認識されていました。ピンク・レディーも「♪そうなのかしら〜」と唄ってたし。
    男子は「かなあ」を用いましたね。

    「浮浪児」はうちの母(昭和14年生)もよく言ってました。最初は何のことか分からず、「フロージィ」というアメリカのキャラクターか何かだと思ったものです。

    父はと言えば、パンク・ニューロマンティック(苦笑)っぽい姿の私を見て「ルンペンかヒッピーみたいな格好だな」と不機嫌そうに言ってたのを覚えています。

    作者からの返信

    「かしら」はまだ思う事があるので、改めて書こうかと思ってます。もう口語ではほとんど使わないけれど、文章では生き残ってるので。


  • 編集済

    校正の存在への応援コメント

    記述内容の正確性までチェックするとなると、もはや校正ではなく「校閲」の領域ですね。
    昔の校閲者には、「この地域のこの時間では、ビルの間から月は見えないはずです」と赤を入れた、等のすごい逸話を持つ人たちがいました。
    書く立場の人間は、よほど注意深くないと危ないです。それでも人がやることなので、どうしたって「ヌケ」はあるんですけどね。

    作者からの返信

    結局、信頼関係かなと思います。作品が世に出る前の、読者としての編集者や校正者の客観的な意見を聞きたい作者は居ますし。

    カクヨムでも「粗探しすんな」と反目する声がありますが、そもそも信頼関係がなければ建設的になりようもないと思いますし、自作にどれだけ自信があるかどうかでも変わりますしね。

  • 敬語のお稽古への応援コメント

    敬語における文法と感覚の乖離って、たまにありますね。私が昔から違和感を持っているものの一つに、「申し付け」があります。
    「どうぞお申し付けください」
    「遠島申し付ける!」
    申す、は謙譲的表現だと思うのですが、この場合感覚的には上位から下位の者に対して使われます。
    それとも、「申す」は単に「言う」という動作を主観的に言い換えただけで、上下関係のニュアンスを伴わない言葉なんでしょうか。

    作者からの返信

    ちょっと調べましたら――『敬語の指針』(平成19年2月文化審議会答申)では『謙譲語』を『謙譲語Ⅰ』と『謙譲語Ⅱ』に分ける――との事です。

    『Ⅰ』は一般的にイメージする謙譲語、『Ⅱ』は『丁重語』(自分に対する動作等を丁重にした表現)とも呼ばれる敬語で、「申す」「致す」「参る」「存じる」等がそれに当たるようです。

    「遠島申し付ける!」のニュアンスとしては「お白州という改まった時空間に相応しい丁重な言い方」という事かと(罪人に謙っている訳ではない)。遠山の金さんの本心では「テメーなんぞは遠島にしてくれるわ!」と言いたいところですが。

    敬語は人間(目上、目下)が対象でなくても使う場合がある。勉強になりました。ありがとうございます。

    編集済
  • 「してみえました」の衝撃への応援コメント

    「静岡県は大井川を境に文化が変わる」説は、まさにその地域出身である私にとって「我が意を得たり」です。
    川止めによって往来が難しかった歴史的背景もあり、島田宿までは駿河、川を渡れば遠州文化圏なのでしょう。
    ただ、駿河側でも「よさりかかる」は使います。方言は微妙なグラデーションを示しますね。
    「〜づら」「〜だら」の用法も県外一般には間違って伝わっていますし、方言のニュアンスを他地方に分かってもらうのは、実際至難の業だと思います。

    作者からの返信

    ありがとうございます。「実際に言う」証言は何故か楽しくなっちゃいます。言葉は物流とか人の大規模移住で運ばれる面もあるようです。

    因みに我が地元は「〜じゃん」ですが、関西圏から見た関東圏のイメージにされているような。


  • うん、最終的に口にしたいことは察しますが 笑、まあこのテーマはありとあらゆる芸事なり技能なりの、幅白い階層で存在する問題ですからね。音楽しかり、料理しかり、スポーツなんかもそういう部分があるのかな?

    三島由紀夫と松本清張との確執はまた次元の違う話という気もしますけれど、出版業界がいわゆる「文芸」小説至上からエンタメ路線へと舵を切り出して以来、小説の評価は――少なくともプロの編集レベルでは、「ストーリーの妙」が第一になったような気がします。以前いた小説講座でよく言われたのは、「文の上手下手よりも、話の筋のおもしろさを磨け」ということでした。美文を書ける人間はゴマンといるが、魅力的なストーリーを作れる者はひとにぎりだから、とも。つまりは、文体よりも物語の方に重きを置かれるようになったということなんでしょう。
    結果、「話が面白ければ許す」という、「カワイイから許す」みたいなことが横行するようになって w、度を越えて文章力がなってなくてもデビューさせる(つまり出版社がストーリーごと買い上げる)ことが一般化し、いわゆるヘタウマが増えた、ということなんじゃないかと。一側面の一部分だけの解釈ではありますが。

    作者からの返信

    演者の場合、顔立ち、体格、声等の先天的なものが実力を下支えする事はままあると思いますが、

    作家に先天的な才能はあり得るのか。恵まれた生育環境が物を言う事も多々ある気がします。三島、手塚、宮崎駿みたいな裕福な出とか。あるいは赤貧の出か。

    何れにしろ極端な方が才能を「開花させる」アドバンテージがあるのでしょう。

    平凡な出自は何事も武器にし難いという事で、表現媒体が増えた分、ヘタウマからテンプレまで何でも食い潰さなければ成立しない時代になったのかな。

  • 登場人物の名前への応援コメント

    『パーマン』に触れていただき、ありがとうございます。一つだけ訂正させてください。主人公ミツ夫の名字は「須羽」が正しいです。ネットで検索してみると、わずかですが本名で使っていらっしゃるかたがいますね。

    作者からの返信

    いつもありがとうございます。訂正しました。割りと最近になって知った由来でした。

    そう言えばミツ夫役の声優さんは三輪勝恵さん。須羽、三輪……。

  • 「始めて行きましょう」?への応援コメント

    今回のテーマとどれだけ噛み合う議論かは定かではありませんが、私が以前から気になっていたフレーズに「言ってきた」という言い回しがあります。「わざわざそんなことを言ってきた」というような文なら、まあ補助動詞「きた」のニュアンスもわからないではないのですが、ほとんど「言った」と同義ではないかと思われる「言ってきた」が、たぶんここ二十年ほどの間にやたら増えたような印象が。
    ただ、確かに「言った」だけだと何か物足りない感じがするので、つい「きた」をつけてしまう、というのはあるのかも知れません。私も迷った末、限りなく意味の薄い「言ってきた」を使ったことが何度か。なんなんでしょうね。やっぱり一度その響きを知ってしまうと、短いほうがなんとなく見劣りするような意識ができてしまうのか。

    それはそれとして、私自身は「始めて行きましょう」「終わって行きましょう」は今のところ耳にしてないです。現状、テレビ局の中だけ? それとも、緩い会社の定例会議なんかでは、ぼちぼち広まってきてたりとか。今日び、そんな会社は長くは持たんだろうなあと思いますが。

    作者からの返信

    「始めて行きましょう」はナインティナインの矢部浩之氏がラジオで多用していた印象です。もしかしたら関西芸人用語的なフレーズかも。

    自分が他人に「言って来た」と他人が自分に「言って来た」とでは意味合いが変わりますね。

    前者は例えば「これからは気を付けるように言って来た」だと、例えば「コンビニに行って来た=コンビニまで行ってそして帰って来た」と同様のニュアンスを感じます。後者の「言って来た」は「わざわざ私の所まで言いに来た」みたいな、想定外的、高圧的ニュアンスを感じます。

    「○○が言って来た」は、話者の感情が伴った一人称小説っぽい気もしますし、三人称の場合は客観的に「○○が言った」で良い気もします。

  • 創作遺跡への応援コメント


    うーん、日頃考えていたいくつものネタをまとめて語られてしまったという感じです 笑。

    >その作品は死後もずっとネット上に存在し続けるのだろうか。

    この件、一度運営に質問してみようかと思ってたんですけれど、なんとなく答えは想像がつくような気がして、途中放棄したままです。あちらは少なくともユーザーの個人特定までやってる感じじゃないし、まあいずれあんまり「放置作品」が膨らんだら、五年なり十年なり経過したものから確認メールを送って、返事がなければその後一定期日を持って抹消、というところでしょうかね。
    私はそんなことより、本人が急死した時に備えた対応をオプションでつけてほしいなと思うんですが。やっぱり「そんなことはそっちでやってくれ」って言われるのかな。やってくれそうな身内がいない人はどうするんだと思うんだけど。
    一方で、優秀作でないにしろ、これだけの文学作品が集まっている電子空間は、一種の文化遺産だという主張もできるわけで、あんまり無思慮に処分してたら、そのうち保護運動なんかが起きてくるんじゃないかという気もするんですよね……いやむしろ、著作権フリーの人間の手による文章ってことで、生成AIのエサになるのがオチか?

    作者からの返信

    或る日「長らくご愛顧頂いたカクヨムでございますが――」なんてお知らせが出る方が早いような気も――でも、出版社がWEB小説から完全撤退する未来はなさそうなので、何かしら続くのでしょう。

    しかし、BANされた人の作品が綺麗さっぱり消されるのは、規約に明記されている事なんでしょうが、抹消権の如き権利を握られていると思うと弱い立場なんだと実感します。

    作品のダウンロード機能があるのは「普段から使っていない方が悪い」と予め布石を打っているようにも……自ら作品を守らないといけない立場こそがアマチュアの定義かも?

  • 感想文の感想への応援コメント


    「まともに読んでまともに感想書く分には、どんなコメントでもいいんだよな?」と、国語教師へ当てつけのごとく書き散らすのが楽しいもんだから、読書感想文を書くのは好き――中学・高校時代の湾多はそんな人間でした 笑。高校時代に関して言えば、まあ校内では入選の常連だったんで、図書券もらえるのがまたうれしくて、それもあって感想文は一層楽しかったですね。
    なんて嫌な奴、とか思われてますでしょうか w。

    もとより、読書感想文は言うに及ばず、原爆の課題作文とか講演会のレポートとか、「どうやったらいい子ちゃんっぽく書けるか」などという発想がほぼなかったんで、ずっと後になって塾講師の仕事をやり始めた時に、面倒見る生徒のことごとくが、その手の忖度しか考えていないのを知って愕然としたもんでした。

    作文なんて書きたいように書けばいいんですよ――というのが一種の理想論だとは分かってるんですが、実際に何人もの子供に作文コーチした経験から言わせてもらうと、今回のエッセイで主張なさっていたような、変な「こういう文にしなくちゃいけない、こんなことを書いちゃいけない」っていう制限を小学生時代から押し付けることで、この国は国民教育においてとんでもない逸失利益を積み上げ続けているんではないかと思います。自分の心の中身と書いている文章がバラバラなのが当たり前になるし、そういうおかしい状態に麻痺してしまうから、学校出ても日本語表現が全然できない。テンプレ文をつぎはぎすることしか。
    あれはもはや「表現」ではなく、ただの「手続き」ですよね。そりゃこんなこと百年も続けてたら、国力も衰退するはずだ、と思うんですが。

    まあでも一方で、湾多みたいな日本語の書き方続けてたら、「空気読めてねえ」とか言われる人間に育ってしまうんですよね……。

    作者からの返信

    僕は一応理系(建築)の方に進んで漫画アシ、校正と年月を掛けて文章の方に接近して行った口なので、未だに自分に合っているか、やりたい事なのか、よく分からないです。

    GHQは日本の国語教育にメディアリテラシーも導入したかったようですね。アメリカ人は「市民が監視しなければ政府も報道も暴走する」という意識が強いからだと思いますが。

    でも、それを指導できる教師が居なかった。一夜明けて軍国主義から民主主義万歳に転向する変わり身の早さはあっても、ディベートとか出来ない。それが現在の上げ足取りマウント論破ゲームに繋がっているような気がします。

    識字率が高くてもね、ヤフコメ等の偏向した持論のぶつけ合いは笑える程に醜悪で、例の「原作と映像化」問題における妄想曲解リテラシーだけは一丁前、さすが異世界転生発祥国だとイライラ、ニヤニヤしながら見てます。

  • 自費出版の裏事情はあちこちから聞きますねー。ので、そっちの関係の話は普通に頷きながら読んでましたが……選評の、校正? 選評そのものでなく? おお、なんか、あとひとひねりしたらプラックなショートショートのネタになりそうな ^^。先行作として何かすでにお書きになってしまたら、ひとことお知らせください。
    覆面調査のレポートの整文、というのも興味深いですね。それってネットの口コミコメントなんかも範囲に入ってたりするんでしょうか。なんか、あの手の文章って、色んな人から寄せられた文章にしては統一感かあるような気がするんですよね……。実は全部そうざさんの日本語であったというオチなら、納得です 笑。

    世の中に満ち満ちているゆがみの一つの実態を、改めて伺った気分です。関係者全員善意でやってるかも知れない話なんですが、出てくるものがなんともいびつですね。

    作者からの返信

    レポートは調査会社を介して依頼企業に納品するかたちなので、一般客側は窺い知れないものでした。

    中にはレポートと関係ない持論を延々語り続ける調査員が居たり、直すのが大変でした。ばっさり削除したいけど大幅に規定字数未満になる〜とか言いながら。

    これは別の校正会社の話ですけど、辛辣な記述を見落としたが為に、納品後、レポートを読んだバイトがショックを受けて辞めてしまった事があり、その会社は校正の契約が終了になったとか。

    今やすっかり誹謗中傷可視化社会になりましたけど、法的措置推進と同時に、メンタルのタフネス化教育も必要ではないかと思うのです。単なる危険からの過保護化は低免疫力化と紙一重ですから……って何の話なんだか。

    今年後半は「物語を読むとは? 書くとは?」みたいなテーマで何本か書いたので、それが校正の話に通ずるかも知れません。

  • 俳優は○○が命!への応援コメント

    近年の俳優は声が今ひとつ、とのご意見に一票。ただし、私の感覚では、萌え声がどうとかいうレベル以前に「滑舌が悪い」というイメージですかね。「え、こんな発声で仕事もらえるの?」という印象がやたら多くなったのはいつぐらいからだったか。そりゃ昔でも、いわゆる舌っ足らずなアイドルタレントは山ほどいましたけど、あの時代は「演技がダメ」「棒読みばっかし」という下手さであって、いつ舌を噛むのかハラハラしながら聞く、なんて喋り方のなってないのは少数派だったように思います。
    やっぱ最初からマイク使うのが当たり前になってからですかね? 地声で観客席に声を届かせる発声法が当たり前だった時代と、それ以降とのズレなのかも、などと考えてるんですが。

    作者からの返信

    大手芸能事務所のゴリ押しのようなキャスティング、国内シェアしか意識しないタレントありきの作品作りが横行すると、全体のレベルが下がって、それを当たり前に享受した世代が次の文化を担うとなれば「このレベルで良いんだ、これがスターなんだ」となりかねないと思います。

    俳優でも歌手でもないアイドルタレントの「俳優やってみた」「歌手やってみた」が余りにもオーバーグラウンド化するのは如何なものかと。飽くまでも「月曜ドラマランド」(懐い!)枠として楽しむレベルだよ、と弁えてもらいたいかな。

  • ご都合主義の都合への応援コメント

    わたしは、虚構は虚構に過ぎないと実人生から切り放してるかも。人生の参考や啓示を小説の中から受けたことがほぼないので、小説とはフィクションとして楽しむものだと最初から想ってるみたいです。
    ご都合主義って、そういえば「ご」までつけて、厭味感満載だったんですね。
    小説についてはどれほどご都合主義な展開であっても平気なんですが、作者の願望がストレートにダダ洩れの作品の場合は「あるわけない」とボソッと云いたくなることもあります。

    作者からの返信

    いっそカクヨムのジャンルに『ご都合主義系』を設けたら良いんじゃないかと……あ、全員がそれしか選択しなくなっちゃう!

  • 「幸せます」とは、しあわせます、と読むのでしょうか。
    はじめて聴きました~。
    半世紀後には全国区で使われているかもしれませんね。

    作者からの返信

    しあわせます、初めて知ったのはテレビ番組だった気がします。

    その後、実際に使われている文章を目にする事があり、そして出身地が山口県と知った時の、答え合わせ的な妙な感動!

    その地ならではの、がなくなって行くのは旅の醍醐味まで薄まりそうで少し寂しくもあります。観光地ではない家並みが押し並べて「住宅街」化、均一化しているように。

  • 三崎亜記氏に捧ぐへの応援コメント

    漫画の世界にも、こんな話が山のようにありそうですね。
    数年にわたって連載をもって単行本も出ていても、その後が続かず、どうなってるのか分からない人が山積してそうです。
    今の時代、ちゃんと本職をもち、かたわらで「書籍化」するのがいいのかも知れませんね。そんなことを作家を目指す若い方々には老婆心ながら云いたいです。

    作者からの返信

    漫画家の場合はアシスタントの給料問題もあり、だから同業者、友達、身内が手伝ってる現場もよくあります。渡り中間みたいなアシスタントも居るし。

    長く銀行員を続けながら歌作りをしてた小椋佳氏みたいな生き方は、一つの理想でしょうね。世の中は副業を推奨する流れがあるんだし、二足の草鞋は格好良いと思うんですけど、人生の大半を創作に使いたいという欲求もむべなるかな、ですね。

  • ある? いる?への応援コメント


    興味深く拝読しました。
    私は親の全国ワイドな転勤(+大学は首都圏暮らし)の影響で、結構あっちこっちの言葉が入り混じった人間なんですが、B以外は違和感ないですね。むしろCこそが本来正しい、というオチかなと思ったぐらい。
    で、振り返ってみると、学生時代に六年間九州北部にいましたんで、やはりそのせいもあるのかなと。
    今すぐに用例は思い浮かばないんですが、そういえばあの地方の締め方は、基本「いる」じゃなくて「ある」だったような気がします。より正確には「おる」ですけれども。やたら補助動詞的に「おる」が濫発されていた印象です。うん、今となっては懐かしいかも 笑。ん十年たった今がどういう言語地図なのかは存じませんが。

    作者からの返信

    言語学の人達にとっくに整理されている事柄かも知れないけれど、その知見が余に知れ渡る事はほとんどない訳で、市井の人達(勿論自分も)は何も知らずに死んで行くのだなぁ……。

    やがて「そんな話し方はしない」世代がどんどん増えて均質になるのか。だけど、ネット時代でも文章と喋りとは未だに混じり合っていないような、「文章内では方言を使わない(共通語にしたがる)」慣例、「公式/非公式」が「共通語/方言」で使い分けられているような印象も受けます。

  • 駄洒落で戯れるへの応援コメント


    おお、全く! と賛同したくなるような一文です。

    ただ、もう一つ外側から話をすれば、「駄洒落は広義の韻(ライム)の一形態」とも言えるわけで。さらに斜め横から言うと、「音声言語のリズム化、ないし音楽化」とかなんとか、色々前向きな解釈は可能なわけで。いずれにしろ、高度な言語的遊戯であるという括り方はできるでしょうが。

    以下、先行コメントに一部かぶったり微妙にすれ違ったりする解釈ですが。

    一昔前のおっさん系駄洒落の何がダサかったと言って、ろくにキマってもいないライムをワンペアそろえただけで、「どうだ!」とぱかり見得を切って拍手を強要するような空気を見せたのがダメだったんではないかと。その程度、聞いてる方は無意識に頭で作って即座に棄却済みなんですよ。それをドヤ顔で持ち出されてもねえ、と。
    つまりは、軽いネタに重量級の拍手を求める、今で言うパワハラ的な行動が「ダサさ」の本体ではなかったかと思います。まあ、そういうのはアメリカでもBoss's Jokeとか言うのがあって、上司のしょうもないギャグというのはそれぞれの文化にあるらしいですから、これはこれでもっと根深いものかも知れません。掘り込んでいったら面白いかもですね。誰か文化人類学とかでバカっぽい論文書いてくれないものか 笑。

    作者からの返信

    欧米、特に英語でしょうか、ラップ以前から吟遊詩人の時代から韻を踏むのは定石ですよね。そして飽くまでも語尾で韻を踏む。日本語は文章や歌詞で韻を踏む事よりも「七五調」等の音数律(と言うらしい)に心地好さを見出す時代が長かったようで、駄洒落はそれとはまた別の言葉遊びのようにも感じます。

    昨今は見過ごされていたパワハラや差別発言が問題視されるようになって、駄洒落そのものが槍玉に挙げられていた時代は暢気だったのかも知れませんね。駄洒落はアイコンとしての役割を終えたとも、解放されたとも言えるかも知れない。

    そう言えば、鳥取県の知事だったか「我が県にスタバはないけど砂場はある」みたいな発言が良い方向で話題になりました。今でも可能性を秘めている駄洒落、何だかんだで意識に残るんですな。斯く言う自分も「近況ノート」で駄洒落を試みてます。

  • 駄洒落で戯れるへの応援コメント

    こんにちは。

    僕としては、中年男性がみんな駄洒落を言いたがるものだとか、中年男性のジョークはすべてオヤジギャグとして嫌われるとか、いわゆるオヤジギャグを言うのは中年以上の男性に限られるなどとは思っていませんが、人から聞いてなるほどと思ったのは、いわゆるオヤジギャグは、発言者が口に出した瞬間に本人が満足して完結してしまうもので、そもそも相手の反応を求めていないという話です。厳しい言い方をすると、オヤジギャグ(として忌避されるジョーク)は、会話のキャッチボールではなく一人で明後日の方向にボールを投げているだけであり、その意味で、コミュニケーションではなく独り言の域を出ないのかもしれません。
    お笑いコンビ・サンドウィッチマンのコントを見ていると、片方が駄洒落を言った時点で既に観客の何人かは笑っていますが、それに対してもう片方が「面倒くせぇ」、「全然面白くねぇ」、「それはいいから話進めてもらえます?」など醒めた反応をしてみせることで、さらに大きな笑いが起こっています。おそらくこれが、オヤジギャグがコミュニケーションの一部として成立している状態です。
    もちろん、思いつきや自分の楽しいと感じたことを口に出すのは悪いことではありませんが、オヤジギャグとして忌避されるジョークは、会話の相手が共有しているつもりの文脈とは関係ないところから言葉だけを引っ張ってくることが多いように思います。というか、そうでないと嫌われないはずです。たとえば、『ダーウィンが来た』のひげじいはいつも、少々無理やりな駄洒落を言っていますが、あれが心底嫌いという人はあまりいないと思います。その理由は、先ほどまでの動物の解説にちなんだ言葉遊びになっていて、視聴者と文脈を共有できていることと、あれが彼なりの話の終わらせ方であって、誰かを笑わせたり会話を広げたりする気がないことを相手(視聴者)と共有できているからだと思います。
    世の中年男性(オジサン)が駄洒落を言いたがるものだと仮定して、もしかすると彼らも相手からツッコミを入れてもらったり、さらりと流してもらったりすることを意図しているのかもしれませんが、世間的にそれは難しい場合が多いと思います。ある程度の年齢以上の男性はそれなりに社会的な地位があったり、周りに若い人が多かったりする状況のはずで、この男性が(相手からすると唐突に)オヤジギャグを発したときに、「くっだらねぇ!」、「黙れよ!」などと威勢よく言える立場の人間(だと自分で思っている人)はなかなかいません。いきなり(いかにも楽しそうに)変なこと言い始めた、とりあえず笑っておくしかない、それでオジサンは調子に乗って駄洒落をくり返す……、だから嫌われるのではないかと思います。

    実は、僕の周りには(中高年の男性を含めて)駄洒落を言いたがる人がいないのですが、ちょっと困るのは、真面目な話をしている最中に同音異義語を捕まえて、茶化したり忍び笑いを始めたりする人です。個人的な印象では、オジサン・ご婦人ではなく圧倒的に若い人が多いです。おそらく話に退屈しているのだと思いますが、こちらが意図しないところで空気を壊されるので、正直、まず思うのは不快感ですね。駄洒落は良くも悪くも言葉遊びとして強力すぎて、時と場合をきちんと選ぶ必要があるのかな、と思います。

    長文失礼しました。

    作者からの返信

    駄洒落を熱く語る御仁が居られるとは……ありがとうございます。

    駄洒落は洒落と違って文脈無視なのは仰る通りで、知的水準が下がり「言葉遊びの自由化(誰でも参入出来る)」が起きた結果んじゃないかと、それで「駄」が付く。辞書にも「少しも感心出来ない、つまらないしゃれ」とあるようです。「気の利いた事を言いたい」という欲求の歪なアウトプットとも思います。

    若い世代に言葉尻を捕らえるようなコミュニケーションがあるとすれば、昨今の「マウント取り」「論破」に通じるような気がしますね。言葉を「噛む」事を茶化すとか、文脈無視の詭弁同然ですし。

    ヒゲじいで気になるのは、よくナレーターの説明に割って入るように登場しますね、「あぁ、またですかぁ」とか言われて。あの辺に「面倒臭い(何なら駄洒落も言う)オヤジ」のニュアンスを感じます。オヤジイメージは今でも共有されてるからなのでしょう。

    因みに、僕は近況ノートに自作駄洒落スタンプを定期的に上げてます。嫌いではないかも。


  • 編集済

    「してみえました」の衝撃への応援コメント

    静岡県ですが私の地元でも使います。「みえる」に関しては言葉の上では共通語と同じなので方言だと気づいていない人も多いと思います。
    例 明日社長がみえるので、(=いらっしゃるので)
    似たような例で「潰れる(=壊れる)」があって、「携帯・車・洗濯機が潰れた」とか言ったりしますが、「潰れる」自体が共通語にもあるので私もうっかりすると言ってしまいますね。


    ほとんどの人は厳密に方言と共通語の区別なんてしていなくて、混ざった状態で話しているのが普通だと思います(「ネオ方言」とか呼ばれているものです)。
    私も人生の大半を静岡県で過ごしているのですが、地元にずっといるとそもそも何か特定の言い回しが方言だと気づく機会自体あまりないです。

    作者からの返信

    ありがとうございます。

    「おみえになる=いらっしゃる」はまだ馴染みがあるんですけどね。

    静岡は愛知の隣県ですけど、神奈川(当方)とも隣県で、もしかしたら大井川辺りで文化が分かれてるのかなと思ったり。県境より川や山が境になるようですし。

    「潰す」は関西圏で優位なイメージがありますが、似たような理由なんですかね。

    静岡で印象的だったのは「よさりかかる」です。浜松辺りが優位なようですが、「寄り掛かるでいいじゃん」と思った記憶がw

  • 幻の短編への応援コメント

    後半の猫の話は、私も確かに読んだ記憶があります。たぶん、ここ4、5年の間に読んだ本の中で。
    なにからなにまでズボラな私ですが、読書記録だけは割合きちんとつけていて、4、5年のうちに読んだ本も一応書名は書き残してあります。でも仁木悦子って名前はないんですよね。
    手が届く範囲のショートショート集なんかの中にはなかったので、次に図書館行った際に、近年読んだそれっぽい本が並んでいたら、確認してみようかと。まああてにしないでいてください w。

    作者からの返信

    今読んでも面白い旧作はあると思いますが、すっかり埋もれた作家も沢山居ますよね。特に短編、ショートショートはその場限りになりがち……正に自分が目指す方向性だ。

    見事発見出来たら全湾多作品に★3つ進呈します!
    駄目かこんな確約w

  • >漢字+の+カタカナ=アニメ

    おお、まさしく!

    実は手前どもの蔵に、まさにこのタイプのタイトルのミリタリー小説があるんですが、うん、当初はほんとにアニメ化目指して書いてました 笑。いずれ蔵出ししたいと思いつつ、世界情勢がどんどん変わっていくんで、初期設定から固まりきれないままです。
    それらしい潜水艦ものがアップされたら、ああこれか、とニヤリとしていただけましたら。

    ところでさっそく拝聴しました。いやはや、こういう趣味をお持ちだったとは。しかもこのアップ量。
    ピアノアレンジでもいけるかなあと思いつつ、純ピアノだと音のぶつかりが耳障りだろうかと考えたり。ちなみに私は誰も聞きたがらないピアノアレンジでチャンネル持ってますが、宣伝は控えます ^^。
    どこでどんな趣味の人とどうつながるかわからんですね、このサイトは。

    作者からの返信

    全てコロナ禍のお陰(?)で、色々と止めていた事柄(小説、音楽)が再開してしまった、という口です。流石にまた漫画を描こうとは……そう、漫画志望でアシスタントをやってた時期もありました。

    それは兎も角、SNS登場以前、以後ではかなり人々の行動原理が変わっちゃった気がして、寝かし過ぎたネタの中には大幅に手を加えないと使えそうもないのもありますね。プロトタイプは残して、それがどう変わったを比べられると、また面白そうですが。大長編でなければ何れ拝読をw

  • おかしいかしらへの応援コメント


    ああ、それ、私もありました。小学校の時、たしか隣の家の年下の娘とバドミントンやってた時に、ついぽろっと出て、「それ女の子のしゃべり方」みたいなことを言われて(しかしよく覚えてるなあ)。
    そういえばそのきっかけも、藤子不二雄の何かのコミックで(ドラえもんではなかったような)「~かしら」というセリフを見て、あ、使ってもいいんだ、と記憶していたから、でした。意外とそういう男子、多かったかもしれませんね w。
    でも、そもそもわれわれの時代からすでに、「~かしら」などと口にしている女子は皆無だったように思います。いったいいつの時代の役割語だったのやら。

    作者からの返信

    当時の女の子自体がもう、前世代の創作者が物語内等で用いているのを読んで知っている、という感じだったのでしょう。

    人は言葉を学ぶ過程で必ず前世代の物言いがベースになるでしょうから、昔、母が「そんな浮浪児みたいな髪の毛をして」とよく言っていて、戦後から間もない頃のイメージが言語感覚に残ってたんだなぁって、既に死語だったような。

    祖父はよく「ハバハバ」って言ってたなーって、これは「ハバさんと自転機」という拙作の源泉に、という珍しく宣伝。


  • 編集済

    ゴジゴドクへの応援コメント


    わかるわかる……と頷きながら読んでましたが、「関わらず・拘わらず」は私もどこかでやらかしてたかも。
    「こじんまり」は昔どこかで書いたな。こういうの、日本語IMEが警告なり出してくれる仕様ならいいのに……と機械のせいにしてしまう湾多であります 笑。いや、一太郎の日本語チェッカーならその程度きっちり指摘してくれると思うんですが。

    まあ、今の日本語にも、誤字・誤用が定着して辞書のトップ項目に昇格してしまったものもたくさんありますから……端境期に生きる者は居心地悪いんですけど、仕方のないことじゃないでしょうか。

    ところでこれは誤字じゃなくて誤用の話ですれど、私は「ブラスバンド」とニュースに出るたび、「違うだろう!」と突っ込んでしまう口です w。正式なブラスバンドなんて、日本になんぼも存在しないんですが、これももう、「日本ではこう言い倣わされている」ってことで、ほぼ市民権得てますからねえ。

    作者からの返信

    「ブラスバンド」ってそうなんですか? 昭和時代に「○○ブルース」という歌が軒並みブルースじゃないみたいな?

    嘗て「だらしない」は「しだらない」だった、「新しい」は「あらたしい」だったみたいに、いつの時代も記憶なき世代が大勢を占めるまでは僕みたいwにどや顔で指摘する奴が居るという事で――でも、カクヨムユーザーみたいに文章で表現しようとする人間は承知しておいても良いとは思うんです。

  • 校正の存在への応援コメント

    私も昔々に校正のアルバイトをしていたことがあります。と言っても、中身は広告の校正で、依頼元からの文の並びと全く同一の記事内容になっているかどうかのチェックでした。いわば、単なる間違い探しです。それでも、内容によっては一文字のミスで重役が菓子折り持って謝りにに行かなきゃならなかったそうなんで、責任は重大でしたが。
    たまに、元の原稿そのものに間違った日本語を含んでることがあるんですけれど、それはそれとして出力するのがマナーなんだとか(直すこともありましたが)。

    普通の投稿小説の誤字脱字レベルなら、ワープロソフトの日本語チェッカーでたいがい話が済むんですけれどね。それが証拠に、一太郎を使ってた私の十数年前の作品は、そのままそっくりアップ出来そうなほど、ミスがないんです。おかしいのは最近修正を入れたところだけ 笑。
    暇があったら、昔のワープロソフトを今のシステムで使えるよう、パソコンをいじりまわすんですけれど、そのシステム自体、一定周期で別物になりますからねえ。

    作者からの返信

    ありがとうございます。

    昔の作家の文章に「簡単な単語なのに何で漢字にしないんだろう」という箇所がしばしばあります。もしかしたら、作家の個性として敢えて原稿のまま活字にしているのかなと思う事も。

    もしかしたら手書きの時代の方が誤字脱字率が低かったのでは、と思ってしまいます。今は語彙と共に誤変換というトラップが常に付き纏うので。

    「こんな字も知らないのか」
    「いや違うんだ、指先が馬鹿なんだ」
    と言い訳したくなりますw

  • 「だそう」だそうへの応援コメント

    『○○だそう』はたぶん書いて……ない。と思いたい。『そうだ』『~そう』は、書いてる、かならず。

    >別の意味で面白そうだそう。
    (;´_ゝ`)

    作者からの返信

    物語の中で「だそう。」を使うのは難しいと思いますね。作品内でネット記事を引用している場面とか、限定されそうです。

  • 「してみえました」の衝撃への応援コメント

    著名な先生が『片す』って使われてて、ああ~市民権? 全国区になったんだ? って思いました。
    調べる(検索)と認知度はかなりになってるようで、まあいいかと思いました。

    また、ある作家様は『とっこする』って使ってたのでやんわり指摘(『なろう』様誤字報告)したんですけど、ダメでした。
    『飛び越える』とか『追い越す』って意味らしいけど。
    最近、『つっかける』って書かれてて……ど~しようって思い早一月。

    (応援コメになってね~)

    作者からの返信

    昔、千葉県民が『片す』を使ってるのを聞いて初めて知りました。辞書を引いたら載っていたので、もう堂々と使って良いのでしょう。

    『つっかける』は使うかも。履き物をつっかける。辞書にもあります。

    最近はネット発の新語もあるので混乱は増すばかりですね。

  • 敬語のお稽古への応援コメント


    え、こんなものも書いてるんですか、という感じで読み始めて、即読み切りました。この手のエッセイは正直なところ、内容自体は目新しくなくて、語りの巧みさとか話の載せ方に個性が出ていて、時々ユニークな視点が入る、というぐらいのものが大半なんですが、この連載は結構新奇な内容が多くて驚かされました。「だそう」ってのは今の所目にしたことがないですが、興味深い論考ですね。「艦長!」「うん」には爆笑しました。「CM系」という括り方は面白いですね。これも私ははっきりそれと解る現物を読んだことがないのですが、なんだかオチも描写もいまいちなんだけどやたらと星が多いな、というのはよく見ますね。そういう「気分のみ」の需要があるということですか……。

    まだまだ続くということだそうなんで、これから楽しみに読ませていただきます!

    作者からの返信

    毎度ご贔屓ありがとうございます。

    箸休め、骨休め、馬鹿も休み休みという感じで、小説に行き詰まった時の保険のように大体週一ペースで投稿してます。批判とか愚痴とかも紛れ込むと思いますが、どうぞ宜しく。

    CM系を補足すると――「好きな映画は好きなタレントが出てる映画」的感覚とか、特定のシーン(イチャイチャ等)だけでドーパミンが出るシチュエーション萌的感性があるあるんだなーと思った次第です。