第七話 黒つぶれ

腰のタオルを巻いたまま、時間が喪失した。彼女は海向 なぎさはスヤスヤと僕のベッドでタオルケットを掛けて眠ている。2週間以上、連続使用し続けたベッドだ。綺麗かどうか、問われれば汚いと思うが、彼女はお構い無く寝ている。猫の様に身体を丸め、文字通り丸くなって寝ている。まるで母胎の中に居る赤ちゃんみたいな安らいでいた。

このまま見ているのも悪く無いけど………なんだ? この臭い? 先程から食べ物が腐った様な臭いが漂っていた。最初は僕の鼻腔に父さんの部屋の臭いがこびり付いていると思ったが違った。臭いの元凶は彼女だった。良く見ると右手に包帯が巻かれ、その部分が茶色に染まっている。血が出た後なのか? それが乾いた? 近くの寄って観察するが、良く分からないけど、カサブタが治り掛けの時に発する臭いがしている。ジクジクして、掻きむしりたくなるアレだ。怪我をしているんだろうか? いや彼女は自称ハーフゾンビと言っていた。まだ2週間でゾンビが進行したって事? 成長率が低下し、腐敗率が上がったのか。彼女は質量保存の法則と言ってた。成長率を止めれば、補完されて腐敗率が上がらないと。良く良く考えれば、成長率を止めるという意味自体が分からない。何をどうすれば、止まるんだろうか? 

僕はしばらく考えた。

虚空を見つめながら、何かヒントのなる物を自らの部屋で探す。視線は自然と彼女へ向く。寝る彼女。眠る彼女。寝る? 寝る子は育つ! あ! 今の状況はヤバいんではないのか? 彼女は熟睡中。学習も寝ている時に定着すると聞く、つまり成長。身体も寝ている事で成長を促す。だから子供は寝るんだ。

じゃ、起こさないと彼女はドンドン、ゾンビに近付いて行く。

僕は着替える事も忘れて、片手で彼女を揺すった。柔らかい二の腕が理性を飛ばしそうになる。


「え?」


僕は後ろに飛び避けた。彼女を揺すった時に掛けていたタオルケットがズレ、下着姿の彼女が顕になった。

白い下着と同じくブラジャーが僕の理性を完全に壊そうとしていた。制服の時は気付かなかったけど、彼女は意外に胸があった。カップ数は分からないけど、谷間が出来る程度はある。僕から見れば、彼女は立派な巨乳だ。このままでは、性犯罪者予備軍になるので逃げようとしたが、思い止まった。勿論、手にはカメラが構え、彼女に向ける。寝ている時に卑怯かもしれないけど、ここは僕の家で僕の部屋だ。母さんの死を知ったばかりで、思考も低下気味。正しい判断なんて出来ない。故に許される。そんな自分勝手な理屈でカメラのファインダーを覗く。ファインダーを覗くと、まるで一人暮らしをしている女性の部屋の壁に穴を開けて、覗いている背徳心に襲われた。犯罪に手を染めているみたいだ。僕はズーム機能を駆使し、胸を拡大して見る。目視では分からなかったけど、彼女の肌は恐ろしい程、白く、キメが細かい。まるでマネキンみたいに艶しか無い。体毛も無いし、女性サイドから見ても完璧。男性サイドから見ても、無敵ではないか。

最初はエロが先行していたけど、大間違いだった。やはり彼女は被写体としては芸術品。美術品なんだ。次にファインダーが下半身に向ける。

下着着衣しているんだけど、そこ凝視するの違うと思い、足の方へ向ける。長い足だった。名画に出て来る女性の様に細く長く、素晴らしい。スカートを履いている時しか、見ていないけどここまで素晴らしいとは。芸能界やモデル業を生業にした方が、良いのでは?


「うん。いい感じだ」


僕は全体を舐め回す様に、ファインダーで覗き、また彼女の顔面にカメラを向けた。


「!?」


彼女はガッツリ瞼を開いていた。しかも少し怒っている。


「ごめん」

「何に?」

「いや、色々見て」

「何を?」


逃げれないみたいだ。僕の罪を数えるみたいに詰問される。逃げれないんだから、白状しよう。


「……胸とか、勝手に見て」

「どうでもいい。そんな事の謝罪は要らない。もっと謝罪して欲しい事がある」

「え? 何に?」

「私、ゾンビ化が進行した。橘が私を放置して風邪になった。夏休み前に相談したのに」

「いや、でも、インフルエンザだから。僕の意思は関係無いよ。ってか何で家を知ってるのさ?」

「村本に聞いた」

「……アイツ」


最悪だ。僕が休んでいる間に村本が周囲を掻き乱している。しかも村本自体にも家は教えていない。超人的な行動力で僕の自宅を調べたんだと思う。しかもそれを海向 なぎさに言うなんて。


「何度か、家には来た。1週間前に来た時も橘、死に掛けだった」

「そうなの?」

「橘の母さんは、台所にずっと倒れていたけど。病気だった?」

「え? キミは1週間前にも家に侵入したの? いや、それより母さんが倒れてるのを見たのに、助けたなかったの?」

「なんで私が助けるの?」

「あ、うん」


言ってて、八つ当たりになりそうな自分を必死に止めた。多分、海向 なぎさが悪い訳ではない。タイミングが最悪だったんだ。全てのタイミングが最悪で、責めるなら僕自身を責めるべきだ。


「お風呂? 入ったの?」

「借りた。それはごめん」

「いいよ。それより僕に何が出来る? あとベッドに寝ている理由は?」

「夏休み前の話、覚えてる?」

「うん」

「手伝える? 私の命、助けて欲しい」


切実な気持ちみたいだ。必死感がヒシヒシと伝わる。でも僕に彼女が救えるんだろうか? どうやったら、救えるのかも分からない。だが、それよりも彼女の格好が非常に気になって仕方ない。同級生に下着姿を見られているのに、何も動じない。僕なんてパニック状態なのに、制欲するのが必死だ。視線を逸らそうとしても半自動的に下着姿の彼女を凝視してしまう。男の性。男の本能。雄として産まれてきた以上、避けようの無い衝動。敗北するのはいつも純粋を抜く紳士の心だ。


「ん? ねぇ? もしかして、見返りが欲しい?」


彼女は自分のブラジャーの肩紐を引っ張った。どういう事だ? 彼女は何処から見ても清楚。純白の羽衣を纏う様な天使なのに、そっち方面は開放的? いやいや待て。落ち着け僕。そんなご都合展開は男子特有の病気だ。彼女は違う。


「違う?」


!?

いや、もしかして。女子の方が進んでいると聞いた事がある。男子より女子の方がそっち方面は寛容と聞いた事もある。

うーん。

でもなぁ。


「何、ウジウジしてるの? 協力してくれるなら上げるから」

「何を?」

「処女」

「はい?」

「うるさい。別に良いよ。要らないなら」

「頂きます!!!」


飛び付く様に言う。


「橘、彼女居なかった?」

「あ……」


神下の顔が過った。そして電話越しの声も蘇る。あの電話は別れを告げられたと判断して良い材料が揃っていた。村本に操作された感も否めないけど。


「彼女は別れたよ。色々とあって」

「へぇ。じゃ、上げるから手伝って」


ここまで女性に言わせているんだ。断る理由はない。


「分かったよ。とりあえず服、着てよ」

「………」

「何? 海向さん」

「男ってこういうシチュの時、前払いとか言うんじゃないの?」

「なんだよそれ! 僕はそんな野蛮じゃないし。そもそもキミの処女とか要らないよ。どう助ければ良いんだろうって、考えていたんだよ」

「そっか。残念」


残念? 

海向 なぎさはそう呟き、服を着た。何故か、制服だった。


「橘。ここ、汚くない?」

「仕方ないだろ? 僕は寝込んでいたんだし。掃除とか出来ないんだよ」

「で、なんで橘は裸? なんかタオルが盛り上がっているけど?」

「いや、これは何でもないよ。そう。僕も着替えるよ。あと、掃除もするからキミも手伝ってよ」

「私も?」

「と、当然だろ? 前払いと思って手伝ってよ」

「はいはい」


急いで、パンツとボトムを履き、適当にTシャツを着る。彼女は指示していないのに、カーテンを開けて窓を開けた。熱気が部屋に入って来る。

夜通し歩き続けていたが、外はまだ真っ暗だ。それでもこんなに熱気を感じるなんて。人類は今後、生きて行けない気がする。

彼女はそんな事、気にしない感じでベッドの布団を畳み、タオルケットをクルクルと丸めた。

「洗濯して。男の匂いだった」と冷たく言い放ち、僕に投げて来た。素直に「はい」と言いながら、1階へ行く。何だか、夫婦みたいな感じがした。カップルを通り越して、夫婦という感想に自然と笑みが溢れた。

1階に降りて、脱衣所へ向かう。洗濯カゴが溢れ返っている。それもそうか。母さんが亡くなり、僕も瀕死状態。誰がやるんだって話だ。

僕は適当に洗濯機へ投げ入れ、動き出す洗濯機を見る。重低音を放ち、次第にドラムが水が注がれ、ゆっくり回る。不意に母さんの居ない世界が目の前にある事を突き付けられる。母さんは頑張って、仕事して家事もしていた。僕は気付けば、洗濯機を背にして座り込んでいた。良い振動が伝わり、上半身が揺れる。肩凝りに効きそうだけど、長時間は酔いそうだ。だけど今は立てそうに無い。母さんの居ない世界が目の前に広がり、泣きたいけど海向 なぎさが居る。泣くのはやっぱり恥ずかしい。男として、弱く見られる訳にはいかない。ここで耐えろ。体操座りをして両脚を抱き締める。自分の太ももが胸を押す。柔軟をしている感覚だけど、心は落ち着く。


「自分を自分で抱き締めて、何を我慢出来るの? それは痩せ我慢」


頭から声が掛かる。程なく、冷たい指が首に掠め、僕は彼女に抱き締められる。


「あ」


驚きと同時に涙が流れた。果てしなく、終わる事が無いみたいに涙が流れ、僕の膝に伝う。

彼女は何も言わなかった。

そして何も聞かなかった。

冷たい身体から、少しだけ腐った臭いと石鹸の匂いがした。不思議な気持ちだった。心から安らぎを感じているのに不快で、それでもこの状況が続く事を願ってしまう。頭では、平常心を装う様にカメラを何処に置いたか、記憶を巡っていた。

しばらくすると永遠に流れると思った涙は止まった。


「ありがとう。もう大丈夫」

「そう? あれだったらオッパイでも揉む?」

「え? ええ。キミは何でキャラ崩壊させるんだよ」


ちょっと怒って、彼女のハグから逃れる。実際は揉みたいと思うほど、立ち直っていた。


「キャラは橘が勝手に決めた。男はオッパイ好きでしょ? 揉むと元気が出るらしい?」

「いやいや疑問系だからね! キミはそんな事を色んな男子に言ってるのかい?」

「ふざけてる?」

「え?」

「言わないし。だから人間は」

「キミもだろ?」

「半分ね」


ため息を吐きながら、彼女は立ち上がった。


「どうしたの?」

「橘は忙しそうだからまた来る。全部、終わったら私の家、来て」


そう言うとそのまま、出て行った。ボケっと彼女を見送る。外は朝日が昇り始めていた。


「また暑い日が始まるんだなぁ。あーこういうシーンをカメラに……僕は間抜けか」


そう言っている間に、彼女の姿は消えた。

結局、彼女は何も聞かずに、何も言わずに帰宅した。不器用な優しいだった。その優しさが嬉しかった。これは恩だ。僕が崩れそうになった時、彼女が支えてくれた。じゃ、その恩を返そう。

彼女のゾンビ化を止める。どうして良いか分からない目標を掲げ、僕は大きな欠伸をした。


「さすがに疲れた」


独り言を言いながら、家に戻り寝る事にした。母さんの葬式の事もある。また警察にも呼ばれるだろうし。やる事はいっぱいだ。僕は再び、欠伸をしてリビングのソファで倒れ込んだ。数秒後、僕は深い夢に堕ちてい行った。


時間にして、4時間程度。

体感では30分程度で僕は飛び起きた。起こされた時は自分が何処に居るのか、把握するのに時間を数秒、要した。

部屋の中には呼び鈴が、止まる事無く鳴っていた。玄関の扉も叩かれている。

何事? と思いながら玄関に近付くと「開けて下さい」「橘さん」「居るなら開けて下さい」と声がしていた。


「はい?」

「あー橘 純平さん? 開けてくれる? お母さんの件ね。事件になったわ」

「え!?」


僕は急いで開錠した。


「君が息子さんの純平さん? 自分は刑事やっちゃってる秋山ってモンなんだけど。ぶっちゃけ母ちゃん、ヤっちゃった?」


扉を開けるなり、顔を捻り込ませて来た。ボサボサの髪の毛に無精髭。タバコの臭いが口臭からした。

多分、刑事さんだと思うけど、僕の想像する刑事ドラマのその人では無かった。投げやりで、ちょっとふざけてる感じで高圧的にも感じた。圧倒されているとダメだと思い、僕も対応する。


「僕は見付けた時はもうダメでした」

「ホントに? 頭、ぶん殴ったんじゃないの? えぇ? お母さんね。頭にタンコブ二つあったわ。1つは倒れた時に床にぶち当たったみたいだね。えっと」


秋山という自称刑事は、小さいメモ帳を見ながら、言う。目が悪いのか、メモ帳にメンチを切りまくっていた。


「ちょっと中、良い? あとで検視が入るけどさぁー。俺も現場見たいじゃん? 昨日だっけ? 君を連行しなかったバカが居るんだよねぇーマジ、俺の仕事増えるわ。君が犯人だったりするのにねぇー」


メモ帳から目を離さず言う。

この秋山の刑事は僕を疑っているという事は分かった。断りたい気分ではあるけど、国家権力に逆らう程、バカではない。


「どうぞ」

「どうも」


秋山はビジネスシューズを乱暴に脱ぎ、家に上がった。


「いやー母子家庭にしては大きい家だねぇ。別居中の父ちゃんからたらふく金ぶん取ったのかねぇ?」

「はぁ」


今の父親を見せて上げたい。ホームレス一歩手前みたいな父親で、到底この家を購入したとは思えない筈だ。


「でねーお母さん。格安のウリしてたの知ってた?」

「……いえ」

「若い子が好きだったみたいでねぇ。格安だったみたいよ。若い燕を摘みたくなる気分は、分からんけど。あーすまんすまん。女って色々あるから。気にすると負けよ」


秋山はそのまま、母さんが倒れていた所へ向かった。

それより頭が真っ白だった。あの母さんがウリ? 若い子が好きだった? 秋山の言葉が反芻する。けれど、その理解に感情が追い付かない。死んだ事がとてもショックだったが、超える勢いだ。


「あーあとタンコブの原因は殴打らしいんだよね。君、お母さんを殴ったりする子?」

「いえ」

「そっかそっか。でも勢いで殺しちゃうとか日常的にあるんだよねぇ? 君はどうだった?」

「僕は何もしていないです。僕が見た時には母さんはうつ伏せ床に倒れて死んでいました」

「へぇ。ん? なんだこの臭い!? なんか腐ってる?」

「多分、冷蔵庫の中の食材と思います。僕も2週間、インフルエンザで倒れていたので」

「ふーん。まぁ良いか」


すると電話の呼び鈴が鳴った。僕のじゃない。すると秋山が1人で話し出した。

内容は良く分からないけど、部分部分で「分かった。少年は確保するか?」というキーワードを拾い上げた。

僕は不味いと思い、周囲をキョロキョロする。探しているのは一眼レフカメラだ。記憶を遡る。最後に見たのは部屋だった。海向 なぎさを撮影した時だ。しかし2階に上がれば、逃げ場が無い。

いや何を逃げようとしているんだ。母さんの死因は分からないけど、僕ではない。でもここで連れて行かれたら、海向 なぎさのゾンビ化が進む。

僕は音を立てない様に、階段へ移動する。運良く秋山は気付いていないので、2階へ上がり部屋に入った。とりあえずスマホと財布、カメラを装備する。あとは決断だ。ここで警察から逃げると母さんを殺した容疑が明確に疑われる。もしここで、事情聴取の為に警察へ行くといつ、解放されるか分からない。そのまま拘留されるパターンになったら最悪だ。

やはり逃げるしか無い。


「おいおい。逃げる気か? 少年? オッチャンは逃げる者を追う習性があるんだけど、良いか? 今だったら、許せっけど?」


スマホを片耳に押し付けた状態で、秋山が部屋入り口に立っていた。彼の中では完全に僕は容疑者の1人で有力候補みたいだ。口調は柔らかい。警戒心を解除させるのに、貢献している様子だけど目は殺し屋。射殺すといった感じで、眼光が鈍く深い。僕がどう転んでも、締め上げられそうだ。海向 なぎさには悪いけど、僕の無実が証明されるまで、ゾンビ問題は後回しだ。ん? って事は? カメラのコンテストの写真も後回し? いやいやいや無い無い。それは無い。既に2週間は無駄にしている。こんな感じで、ダラダラしているとコンテストなんて、あっという間だ。


「秋山さん。僕の無実はどうやったら、証明されますか?」

「あぁん? 多分、検察と鑑識の結果が出てからだろうなぁ。とりあえず家の中の指紋という指紋の照合か? 俺も詳しくは知らねぇけど。1週間は、容疑者じゃね? 最近、自殺とかこの辺、物騒だからなぁ」


簡単に言ってくれる。1週間も無実の罪を被らないといけないのか。

え? いや、ヤバいヤバい。

家の中の指紋って言ったよね? つまり彼女の指紋を検出される。つまり自殺したOLさんと繋がるんじゃ無いの?


「どうした? どうした? なんか思い出したか? 母ちゃん、嫌いだったか?」


何処まで行っても、彼は僕を犯人にしたい様子だ。不味い。海向 なぎさがOLさんの自殺に関与していないけど腕を引き千切ったのは正真正銘彼女だ。自殺と処理されているみたいだけど、OLさんの腕から指紋を採取していたら、彼女はアウトだ。そこでこの家の中の指紋。彼女に行き着いてしまう。

かなりピンチなんじゃないぁかコレ?


「お? マジで考え込んでじゃん? やっぱ息子が母親殺す時代かあー世知がれーなぁーオイっ」


黙っているとドンドン話すタイプらしい。こういう刑事は冤罪でも、自分の主観のまま裁くタイプだ。そこに真実があっても見向きしないだろう。僕も無実を主張しても、無意味っぽいなぁ。


「んじゃ、警察署行くか?」

「………」

「下、向いてどうした? 怖いか?」

「本来はこういう使い方は、冒涜しているみたいで嫌です」

「はぁい?」


秋山は口先を尖らせて、威嚇した。

僕はそのタイミングでシャッターを切る。フラッシュのオマケ付きで。窓のカーテンが締まっていたら、威力倍増だったけど、彼女が開けたままだ。威力は高が知れている。「マブっ」となり、一瞬だけ瞼を閉じる程度。それで良い。瞼を閉じてくれれば、後は簡単だ。

そのまま、体当たりをすれば良いんだ。

僕は直ぐ、次のアクションに移る。身体を丸めて、肩を先頭に秋山へ突撃した。


「あん? おっ!?」


秋山は、眩しい顔のまま、後ろに吹き飛んだ。思ってもいない攻撃だったんだろう。


「イテェ。暴行しやがったなぁ! あれ?」


そこまでバカではない。秋山が吹き飛んだ瞬間、そのままの勢いで階段を転がり降りて、靴を履いてから外へ飛び出た。昼間の日差しに猛攻撃される。背中には冷や汗が流れ、倍増する様に発汗し続ける。

そのまま、道路を走る。灼熱のアスファルトが太陽を照り返し、僕を下からも焼く。

走りながら後ろを振り向くけど、秋山は追って来ない。


「クソ」


汚い言葉が口から漏れた。一応、カメラを見る。外傷は無い。けどカメラを持ったまま、アクションスタント顔負けの動きをしてしまった。内部で故障が起きていたら最悪だ。カメラはデリケートな生き物だ。何も考えず、放置すればカメラの中にカビが生える時もある。オートフォーカスが狂ってしまうとカメラは終わりだし、ペンタプリズムが割れたら、もうカメラでは無い不燃ごみだ。

出来る事なら、何処かで写真を撮影してカメラの健全性を確かめたい。

不安から、僕は止まれなかった。

呼吸が乱れ、汗を滝の様に流しても、走るペースを落とさなかった。

僕は、目指していた。

彼女の家だ。海向 なぎさの家。あそこだったら、身を隠せる。あと彼女にもこの事を言わないとダメだ。


「はぁはぁはぁ。遠いなぁ」


遂に力が尽きた僕は、歩いていた。灼熱のアスファルト地獄を走るのは自殺行為だ。そのまま、溶けて無くなりそう。

でも、頑張った甲斐もあり、彼女の家が見えた。

チャイムは多分、壊れているだろうから、何も躊躇無く扉を開けて中に入る。相変わらず、廃墟の様な室内だった。前回も土足だったので、今回も土足で上がる。


「お邪魔しまーす。海向さんー」


室内は不思議なくらい、シーンとしていた。静か過ぎて、耳が痛いくらいだ。


「居ないの?」


独り言みたいになっているが、そのまま進む。ここはクーラーが効いていないので、少し暑い。早く彼女の部屋で涼みたい。その時だった。何処かでシャッター音がした。カメラマンを自称する者として、シャッター音を聞き間違いはしない。あれは間違いなくシャッター音だった。

何処だ? 僕は彼女の部屋に向かわず、1階でシャッター音の居場所を探す事にした。広い家ではあるけど、探せない広さではない。

階段は真っ直ぐ行った所にあるが、そこに行かず扉が半分開いている部屋があった。隙間から見ると台所みたいだ。丁度、シンクと蛇口が見えた。僕は音を立てない様に、扉まで行き、中を覗いた。6人用くらいのダイニングテーブル。破壊されている椅子。時が止まった様な惨状がそこにはあった。そして、それを撮影する1人の人物。後ろ姿で、半袖のトレーナーを着ている。トレーナーはグレーだったが、汗で色が濃くなっていた。


「あのー」

「うわあぁあーえ? 嘘でござる! 橘氏ではないか!」

「………」


まさかの村本だった。汗だくの顔面。眼鏡にも汗が付着し「フガフガ」言って呼吸している。興奮しているんだろう。


「橘氏、体調は如何でござるか?」

「………」


色んな事を言いたいが、その場になると頭の中で言葉が渋滞したみたいに出て来ない。神下 恵の件もあるし、家の住所を海向 なぎさに勝手に教えた事も頭に来ている。OLさんの自殺した時も、その写真を僕に見せようとした時も、僕がずっとイライラを溜め込んでいた。今も彼女の家に無断侵入しているんじゃないか? 

………それは僕もそうだけど。


「橘氏、ここは廃墟としては、最高でござるな。時間が動かぬ室内。カメラマンとしては腕が鳴るでござるよ。橘氏もここに写真の可能性を感じ、足を踏み込んだ事は、同じカメラマンとして嬉しいでござるよ」

「村本くん」

「どうしたでござるか?」

「僕の彼女に何を言ったの?」

「ムムムっ? 何も言っておらんでござる」

「神下は君しか、居ないって言ってたけど」

「あ!」


村本は手を叩き、思い出したみたいな顔をしていた。するとニタリと笑顔を作った。汗だくで、その汗を度外視で作る笑顔は、サイコパス感があった。ここが廃墟である理由も相まって、殺人鬼に出会した気分だ。僕は背中に嫌な汗を流しつつ、退路を確認する。


「恵殿とは、何度か会ったでござるよ。連絡先も聞いたでござる」

「だから、何を言ったか教えてよ」

「何もでござる。男は他の美しい者に惹かれる。それがこんなにも美しい花が近くに咲いていても気付かず、時には踏み付ける。と、詩人っぽく呟いただけでござる」

「君は、僕と神下の関係を壊して、楽しいのかい?」

「ニタリ」


へばり付く様なコールタールを彷彿させる笑顔を見せる。それが答えだった。それが全てだった。


「橘氏は、ヤレる女子が目の前に来たら、努力しないでござるか?」

「しない」

「嘘でござる。男は性欲まみれでござるよ。高校生など男女問わずにそれだけ。恵殿もおそらく、望んでいるでござる 」

「うるさいよ。黙ってよ」

「既に恵殿は―――――――――――― 」


村本が言い切る前に、僕が耳を塞いで目を閉じた。聞かなくても、その先は分かったし、理解出来た。何も思わないと思ったけど、心が身体が拒否した。


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