ガラス張りの君へ
火雪
第一話 ペンタプリズム
彼女は
苗字、海向。
カスピ海の海。北海道のド真ん中を担う海。と、書いて、うみ。
何処かに向かうと書いて、一文字でむかい。
名前はそのまんま、ひらがなで、なぎさ。
波が寄せる所、又は波打ち際という意味がある、なぎさ。
彼女を断定し呼称する記号ですら、壮麗で完璧。
物体として認識する容姿は、周囲が虚ろになってしまう程、異次元。
絶対無二。
彼女を褒め称える為に他者が存在するレーゾンデートルだと断言しても、過言ではない。
そう。
彼女は普遍的な世界に舞い降りた天使そのもの。不運な事に、この天使様は舞い降りた世界を間違って、選択してしまった事に気付かない。もしくは幸運に。
・
・
・
・
・
太陽がアスファルトを容易に溶かしてしまいそうな灼熱の日。
僕は見た。
目撃だ。字面通り、網膜に衝撃が駆け抜け、その場から動けなくなり、釘付けだった。磔になったイエスキリストの如く僕は硬質化し、瞬きも惜しい程に見惚れていた。
パリっとした白いワイシャツ。
まるで新品に見える。黒色は光を吸収するらしいが、彼女の真っ白なワイシャツは光が霞むくらい純白そのもので、目が眩みそうだ。
首元の赤いリボン。
真夏の光と融合しているんじゃないかと、錯覚させる程、真っ赤だ。且つ情熱的に見えてしまう。闘牛なら迷う事なく突撃しているに違いない。
赤が基調のプリーツスカート。
変態チックな性癖にはまだ目覚めていない筈なのに、スカートが揺れる度にドキドキしてしまう。スカートの谷と山に、性欲を誘発する特殊効果があるかもしれない。
凛と伸びた背中に、ポニーテールヘアがそっと揺れている。
無防備なうなじに、不思議と生唾を飲み込む。
透き通った湖を連想させる美しく、白い肌。触れなくても、容易に柔らかいのが分かる。爪で引っ掻きたいと思う衝動は、綺麗な物を傷付けたいと思う背徳感から来ているんだろうと納得してしまう。
切れ長で大きな瞳。
気の所為かもしれないけど、青い色をしている。長時間見ていると、空を泳いでいると錯覚してしまいそうだ。
あ、ダメだ。
唐突のギブアップ宣言。もう降参だ。両手を上げて、空を仰ぎたい。
もう彼女をこれ以上、表現する語彙は持ち合わせていない。僕の矮小な脳みそと、微生物並の想像力では言い表せない。だけど、これだけは言える。彼女は世界で1番、美しい。
何より、今日は朝から39℃に達する暑さ。誰でも
暑さもあって、心底、彼女に見惚れてしまっている。
ファインダーも覗かず、アホ面をぶら下げ、たっぷり3分程は見続けた。人間は一点に集中してしまうと、他が疎かになる。僕も例に漏れず、他を疎かにしてしまった。
「
「………」
「
「え、あ、何?」
「今、見惚れてた……よね?」
「え!? あ、え!? あ、違う違う!? 全然違う!」
丁度良い、言い訳が思い浮かばず、慌てる。
暑さで汗が吹き出ている筈なのに、背中に冷たい汗を感じた。
おそらく冷や汗だ。
取り返しの付かない事をしてしまった。完全にやってしまったヤツだ。
問題点を算出しないでも、隣に居る彼女の顔を見れば、一目瞭然だ。
僕の「え!? あ、え!? あ、違う違う!? 全然違う!」という意味不明で取り留めない台詞を噛み締め、彼女の表情が段々と暗くなっていた。影を帯び、表情筋がドンドン死んでいく。太陽が沈む様に周囲にも影を作りそうな勢いだ。
「何が違うの?」
最近、付き合い出した彼女、
納得して付き合い始めたけど、やはり彼女は極度の心配症だ。僕と彼女が通っている高校が違う事も理由の1つかもしれないが、根底の問題はそこではない。
恵の通う高校には、友達が1人も居ないらしい。
俗に言うボッチという生き物だ。ボッチという生物は、親しい人を失う事を極端に怖がる。
現段階も繋いでいる手が小刻みに震えている。
真夏だというのに、彼女の身体だけ北極海に浸かっている様だ。
と、は言え。
彼女の性質に固執しても意味が無い。彼女の現状を顧みても無意味。
完全に、僕が悪いのだから。
彼女との短い登校時間に、他の女子を見ていた。
正確に述べると、見惚れていた。アホ面で。
何処からどう見ても、僕が完全に悪い。
数分という短い時間だったけど、冷静に分析し、現状を把握しているつもりだ。
反省もしているんだけど……本音は違う。本質的なモノは別だ。
首からぶら下げている一眼レフカメラで
衝動のまま激写したいんだ。
むき出しの足や、うなじを撮影したいんだ。
でも………出来ない。
その行動は、恵を更に傷付けてしまうから。
仮にも彼女だ。
優先順位は言わずもがなだ。
「じゃ、私はこっちだから」
「あ……え、うん」
恵は繋いだ手をそっと解き、反対方向へ歩き出す。
何か言うべきなのに僕の口は準備不足の為、何も発しないまま、恵を見送った。
「駄目な彼氏だよな」と内心、反省をするけど、僕は坂を登る海向 なぎさにカメラを向けていた。
そこには微塵の罪悪感はなく、反省も消えている。
単に衝動的だった。カメラで撮影したいという唯一の欲求。
恵と話をしている間も、彼女は坂を登っていたけど、間に合わない距離ではない。
撮影に至っては、超望遠ズームレンズを取り付ければ、後ろ姿がバッチリ撮影出来る。焦らずとも、シャッターチャンスが訪れる。
そう。今だって歩いているだけで絵になるので、10回だけシャッターを切った。今は、それだけで満足だ。
写真を撮影出来る事でテンションは上がっている筈なのに、見上げる先に続く坂を見て、溜め息が出る。本当に忌々しい坂だ。
リアルタイムで大汗を垂れ流している。背中はビショビショ。下着も汗で皮膚に張り付き、最高に気持ちが悪い。
可能なら、引き返して帰宅したいけど、学校は目と鼻の先だ。
残念な事に僕と
坂の両端には桜の木が植えられ、春季の時は桜の花が散り、美しい風景だった。何度、シャッターを切ったか分からない。
写真を撮る側からしたら、幻想的で魅力的な坂だった。
そう、だった。
過去形だ。
超過去形。
夏季になってみれば、幻想的な坂は地獄坂と化している。全校生徒が汗だくで登校しているのだ。これを地獄と言わずに何を地獄と言えば良いんだ。
セミの合唱も最初は「夏が来た」と風情を感じた。今となっては、セミには大変、申し訳ないけど、多くの人の声を代弁するなら「もう勘弁」だ。
暑い夏もセミの合唱も、勘弁だ。
もう許して欲しい。
特に求めていない。夏の風物詩と言われたセミの鳴き声など、セミの生態を知っていれば、涙を流す方の泣き声に聞こえて、切なくなる。
この感想は僕だけではない筈だ。誰も思うが口に出させず、我慢しているんだ。
僕に至っては、精密機器の一眼レフカメラを持っている身だ。
熱を帯びたカメラが壊れる可能性もある。
冗談ではない。笑えない方のジョークだ。
早く坂を登り、クーラーの効いた校内に逃れたい。
怒気と汗を振り撒きながら、黙々と坂を上がる。
フッと坂の上を見上げると
視線の先には、大きな入道雲が空を占領している。青々とした空に威風堂々と浮かぶ入道雲。それを見上げる
「なんて絵になるんだ」
情景に対しての感想が口からダダ漏れだった。
彼女は、熱波の中だというのに汗一つ流さず、涼しい顔で青空を見上げいている。
とても不思議だ。
彼女は見えないオーラに守られ、熱をガードしているみたいだ。下手すると冬の精が彼女に清涼を与えている可能性もある。
子供じみた空想をしていると、やはり考えてしまう。身体の底から湧き上がる想い。
写真が撮りたい。
あ〜激写したい。
今だったら、撮影は容易に可能だけど距離が近い為、無許可の盗撮がバレる。
同じクラスだから、数回程度は会話を交わした事がある。とは、いえ盗撮している事は打ち明けていない。
駄目だ。駄目だ。駄目だ。
最高のロケーションを見逃す事は出来ない!
僕は彼女に近付く。生唾を飲み、汗を拭い、声を出した。
「
ちょっと音量を間違えた気もする。叫んだ様な形になってしまった。
完全に威嚇行動だった。
ヤバいと思いつつ、彼女の表情を窺う。
「おはよう。橘」
決して動揺せず、振り返らずに空を見詰める彼女。
透き通った声で、この灼熱地獄を緩和させる様な癒やしがあった。
「お…ぉはよう。しゃ…写…真…良いかな?」
「わたしを? ふ〜ん。いいよ」
顔は向けずに視線だけを僕に合わせて、快諾してくれた。
急いで、超望遠ズームレンズを外して単焦点レンズを取り付けた。
焦っている訳ではないのに、少し慌ててしまっている。快諾の嬉しさと盗撮していた後ろめたさがミックスされた結果だ。
準備が整い、ファインダーを覗き、彼女を見た。
彼女という被写体は、レンズを通過する。
その後は、レフレックスミラーに反射し、像を上下左右に反転させる機能を持つペンタプリズムを経て、ファインダーを覗く僕の瞳へ飛び込んでくる。
カメラを通して見た彼女は、僕だけが独占出来る。今だけは僕の彼女だ。
誰よりも近くに感じているからこそ、痛感する。
綺麗。
とことん綺麗だ。
チープで使い古された単語しか、頭に浮かばないのは残念過ぎるけど、本当に綺麗なモノを見た時は、率直な意見が正しい。
荒唐無稽な言葉を捻出しても、伝わらない。単純明快な言葉が大切で貴重なんだ。
感じたままの想いがカメラマンとしての直感、感性を鍛える。カメラマンとしては、絶対に綺麗という言葉を彼女に伝えるべきだ。
カメラマンだったら、だ。
僕は撮影部だから、厳密にカメラマンではない。自称カメラマンだ。1番、ダサい自称だ。
自称カメラマンはこの世界にごまんと存在する。理由はカメラを持てば、簡単にカメラマンと名乗れる。カメラマンという称号に厳格地位は無い。履歴書には記載出来るだろうけど、趣味程度と認知されるだけ。今ではスマホで写真撮影している人間でもカメラマンを名乗っている。
下手でも、上手でも。
故に言葉を選ぶべきだ。
キザに「綺麗だよ」など口が裂けても言えない。自分に酔っている様で凄く、気持ち悪い。
例え、本当の事象としても、言ってしまえば、人生が終わる。
逆に「可愛いよ」みたいな如何にも、ナンパ野郎のセリフはどうだろうか?
やはり、下心アリアリでちょっと引いてしまう。
じゃ、僕がひねり出す言葉は!?
「……あり…が…とう」
「うん」
トボトボとカメラを抱え、坂を登る。
チラリと後方を振り返るが、彼女はまだ空を見ていた。
なんて芸術的なんだ。通り過ぎる生徒たちが二度見をしている。僕みたいにカメラが好きじゃない人間でも理解出来るんだ。
中には、恋をしてしまった男子生徒も存在するだろう。
だからだろうか? 負け犬の気分だ。
通り過ぎる有象無象ではない。一歩踏み出したんだ。彼女を僕のカメラで撮影した。
感想を言えた筈なのに「綺麗」と言えなかった。
「………」
暑い。
太陽が僕を焼く。この場から早く退けと言わんばかりの暑さだ。
仕方ない、早く学校へ行こう。
坂を登り切る。
風が吹き、汗を冷やす。
眼前の入道雲が大きい。眼下の海向 なぎさがまだ空を見ている。
坂の途中で空を見上げる彼女。まるで名画だ。
もう一枚、撮影しよう。
カメラを準備し、ファインダーを覗く。
また彼女が僕だけの彼女になる。
写真という形で。
数十枚の写真を撮影し、満足した僕は、灼熱地獄から校内へ入った。暑さから解放されたみたいに、体の火照りが消えていく。
クーラー完備の学校で本当に良かった。廊下にもクーラーが常設させているので、快適だ。
勿論、教室内も快適空間だ。汗が引き始めた所で、自分の席に着席する。
「ふぅ」
「
「あ、
THEオタク外見の
村本くんは撮影部の部員だ。撮影技術は僕の方が上と自負しているけど、彼は芸術家な所があるので、無視出来ない存在だ。
着眼点が僕の想像をいつも超えて来る。
素敵なロケーションや、被写体の良さを引き出す術が長けている。
その才能に嫉妬している所もあるので、村本くんは無視出来ない存在だけど、関わりたくないのが本音だ。理由としては、彼の外見に問題があるからだ。
油質の長い髪。
油の浮いた顔。
油がレンズに付着してヌルヌルになってる眼鏡。
油を溜め込んでそうな太い体。
油っぽい体臭。
全体的に油っぽく不潔だ。
一緒に居る所を見られると、仲間と認知されてしまう。
だから手短に話しを終わらせたい。
「で、どうしたの? 村本くん?」
「橘氏。今度のコンテストの写真、決まったでござるか?」
グサっと胸をナイフで刺された気分だ。コンテストに関しては、後回しにしているつもりはない。
常に被写体と絶好のロケーションを探している。
カメラに携わっている者には、このコンテストは大きな意味を持つ。小さい大会ではないので、尚更だ。
コンテストの参加者は、撮影部の部員全員。学校以外の参加も存在する。無論、プロ、アマのカメラマンも参加している。
デジタル化が進み、ネット投稿者もスマホで参加する時代だ。
怠けていると写真初心者にドンドン追い抜かれ、踏み潰される。
自称カメラマンとは公言しないけど、カメラに対してはある程度のプライドがある。
それに僕は、トレードマークの様に一眼レフカメラをいつも首からぶら下げているんだ。
負ける訳にはいかない。
体育祭や、文化祭。
卒業式から入学式まで、先生から個別に撮影の依頼をされるレベルだ。
つまり生半可な作品を提出すると、学校の沽券に関わる。負けられない戦いだから、プレッシャーが半端ない事になっている。日々、重圧は増加し、この1週間はまともに寝れていない。
分かっている。
焦っているんだ。
他人から言われるまでも無く、焦りまくりだ。
そうだ!? 今朝の写真はどうだろうか?
海向 なぎさの写真だ。
被写体もロケーションも申し分無い筈だ。自分でも光が差し込んだ様な手応えを感じた。彼女を通して、希望を見た。
もしかしたら、大賞に手が届くかもしれない。
良い機会だ。村本くんに意見を聞いてみよう。
「実は……これ、どうかなぁ?」
一眼レフカメラの液晶モニターに、恐る恐る今朝の写真を表示させる。緊張の一瞬だ。
「ムムムっでござる!?」
村本くんが眼鏡を掛け直す。若干、眼光も鋭くなり、プロフェッショナルの顔付きだった。
「コンテストの写真にしようと思うんだけど……」
「あ〜橘氏。悪くないでござるが………薄い。非常に希薄。コンテストの入賞するのはインパクト不足でござる。良くて参加賞でござるな」
「え。うん」
ちょっとだけイラっとしている自分が居る。
自信があったから、尚更だ。思わず、下唇を噛んでしまう。
「カール・マイダンスやディミトリ・バルターマンツを参考にするでござるよ」
「!?」
写真をやっている者だったら知らない訳が無い。
カール・マイダンスの「日本軍の重慶空爆によるパニックで死傷した人々」という作品が印象的だ。
日本軍が中国にした残虐行為の一コマを撮影した写真。中国人の複数、死体。
芸術という一言では消化出来ない。だが残すべき写真という認識は、根強いモノにした。
次にディミトリ・バルターマンツは「悲しみ」という題材で、老人や女性、子供が容赦なく殺されたシーンの写真が1番、有名だ。
衝撃過ぎて、この写真を知った時はトラウマだった。
村本くんはそんな有名な写真を参考にしろと言うのだ。なるほど。瞬時に理解した。村本くんの感性から見れば、僕の写真は平凡過ぎなんだ。彼の目の前では僕の写真なんて、セピア色に霞んでいるんだろう。
疑問だ。村本くんと感性には勝てない事が分かった。
でも参考にすると言っても、何処をどう、参考にするんだろうか? 日本はなんだかんだ言っても平和だ。銃社会でも無い。戦争が勃発する兆しもない。
死体なんて、見る機会なんて、早々無い。死体の写真撮影なんて、絶対に不可能だ。
「橘氏! 疑問に思っているでござるな! 分かってるでござる! 了解でござるよ。無いなら探すでござる」
「探す?」
村本くんは何を言っているんだろうか? 理解が追い付かない。彼のテンションが上がっているのは分かるけど、ニヤついた笑顔が生理的に無理だった。視線を外し、彼の言葉を待つ。数秒、勿体ぶった仕草で両手を広げ、話し出した。
「そうでござる。コロナショック後の超が付く不景気が超え物価高騰。人間性が低下した日本国民の死に体状態の昨今。死を選ぶ人間はゴロゴロ存在するでござるよ」
鼻息がとても荒い。ふがふが言っているのが豚を彷彿させる。下手をすれば豚の方が可愛い位だ。話題を広げたく無いが、仕方ないので反応する。
「死体なんて、さすがに無いよ」
完全に疑っている。
人間はそこまで弱いだろうか? 確かに景気は悪いままだ。物価高騰も止まらない。資源不足や食糧不足の懸念が拭い去る事は不可能だ。
だから強く生きようとするのが人間だと思う。
学生の僕でも社会の厳しさが、増している事は理解している。挫折する人間やこの世界とお別れをする人も中には存在するかもしれないけど、そんな簡単に人が死ぬのは嫌だ。現実的に人が死んでいるんだったら、僕は自ら目を閉じる。
「有るでござるよ。これを見るでござる!」
村本くんは自身のスマホを取り出し、とある画面を見せた。
「来世にジャンプ? 何、このサイト?」
「アングラサイト。つまり闇サイトでござるな。そこの掲示板でござるが、ここのサイトは自殺志願者が非常に多いでござる。しかも今夜、◯✕山でOLさんが来世にジャンプするでござる」
「いやいや、待ってよ。それは駄目。そんなの撮影出来ないよ」
頭と手をブンブンと横に振る。
村本くんの思考回路が急に、恐ろしいと感じてしまった。
お世辞でも名案とは、言えない。確かに◯✕山は、僕の住んでいる街から近い。
自転車を乗って25分程度の所にある。そこから徒歩で進む事、1時間。自殺の名所がある。
感覚的には分からないけど、人が自殺した場所に人が集まってしまうらしい。どういう心理でそこを選択して、人生最後の決断を下すんだろうか?
知りたいとは、思わないし、知りたくない。
写真コンテストで他を出し抜く為とはいえ、非常識に思える。
例え……いや例えで考えるだけでも、嫌悪してしまうけど、その写真が撮影出来たとして、入選は出来ない。事件性だけが悪目立ちするのみだ。
やはり、現実的てはない。
断ろう。
「……僕は辞めるよ」
「カッカッカ。橘氏は物事の本質を理解していないでござる」
「本質?」
ドヤ顔で、変な笑い方が苛立たせる。
「来世にジャンプしようとしてるでござるよ?」
「う…うん?」
「鈍いでござる」
「…悪かったね」
さすがにムカついた。
席を立って、トイレに行こうかと思った。
「ヒーローになるチャンスでござる」
「あ!」
「分かったでござるな」
「うん!」
話しが完結した所で、チャイムが鳴った。話しに夢中だったので、席の持ち主が殺意むき出しで村本くんを睨んでいた事に気付かなかった。
村本くんは「ひぇええ」と漫画でも見掛けない声を上げて、退散した。
授業中。
僕は、カメラをイジりながら、窓の外を見ていた。
海向 なぎさが見ていた夏の空だ。
薄青色の絵の具をぶちまけたみたいな空だった。授業を受けているのが馬鹿らしい。あの空の下を歩き、良いロケーションの良い被写体を撮影したい。
段々と心が疼き出す。
カメラを構えて、ファインダーを覗きたい。でも、今は授業中だ。
カメラを構えた瞬間に、先生にカメラを没収される。
1週間前も没収を食らっている身だ。コンテストも近いので、没収という最悪なシナリオは避けたい。
黒板の方を見る。
正確には席の一番前に座っている
真っ直ぐ伸びた背中。姿勢の良い座り方。座り方の教科書が存在するなら、彼女が掲載されているに違いない。
猫背気味で母から良く「姿勢が悪い」と言われる身からすると、眩しい存在だ。
うーん。
こんなにも綺麗で尊い存在なのに、村本くんの評価は辛口だった。
僕の中では、優勝なのに………。
評価されるのは、難しい。
モヤモヤを抱えたまま、放課後を迎えた。
海向 なぎさは2時間目に早退した。
「橘氏の熱い視線が苦痛だったでござるな」
「…」
シャレにならない事を言う。トラウマになってしまうので止めて欲しい。
あと、村本くんのニタニタ顔は正直、夢に出そうだ。
「今日は行くでござるな?」
「…うん。人助けだもんね」
「………そ、そうでござったな」
ちょっと怪しい返事だった。
目が笑っている。
口角は上がっていないけど、目が完全に笑っている。もしもの場合は、僕がOLさんを助けよう。写真より人命が優先だ。
「じゃ、このまま◯✕山へ行くでござる」
「え? 制服で? ライトとか必要じゃない?」
「家に帰る時間は無いでござるよ。自殺決行時間は18時でござる。夏だから山も明るいでござる」
「そうなんだ?」
先入観なのかもしれないけど、自殺する時間は人目の付かない深夜と勝手に思い込んでいた。
夕暮れ時なのか。
少し寂しい時間だ。
夏は日の入りが遅い分、一日が長く感じる。夕暮れのオレンジ色の世界は、どの季節より寂しさを孕んでいる。
昼間がジメジメとしていた分、日暮れは熱が引いて行く感じに少しだけ、恐怖を抱いてしまう。
あ、そういう事なのか。理解してしまった。
明日の光を見たくないから、今日という日を焼き付ける為に、日暮れ時に人生を終わらせようとするんだ。
悲し過ぎる。
切な過ぎる。
同時に馬鹿げている。
何不自由なく、生きている僕だから、そう思うのかもしれないけど。
今日はOLさんを止める。
止めた後、OLさんのその笑顔を撮影する。
題名は「 生きる 」だ。
そんな志しを胸、村本くんと教室を出て、御坂高校の門を通ろうとした時だった。
校門の前で、彼女が待っていた。
身長の小さい彼女。
神下 恵だ。
どうしたんだろうか? 今日は帰る約束をしていない。普段は、校門の所まで来た事が無いのに……?
疑問が頭を支配して、真っ白だ。
完全に思考停止状態で自然と足が止まった。
村本くんは、汗を流しながら怪訝にこちらを見ている。
「…ちょっと先に行ってて」
「了解でござる……?」
不思議そうに彼は了解して、先へ行った。
彼の姿が完全に消え、呼吸を整え、平静を取り戻してから、彼女の所へ向かう。
「神下」
彼女の苗字を呼ぶ。
まだ付き合ったばかりだ。名前を呼び捨てで、呼ぶ事は照れくさい。何度か挑戦はしたけど、呼ぼうとする度に、首の後ろが痒くなった。
いつかは無くなるだろうと思うけど、タイミングを見付けられずにいた。
神下 恵は地面を見ていた。暑いのに、いつから待っていたんだ。
僕に呼ばれた上げた顔は、額に汗を浮かばせていた。
目も充血している。
涙を流した?
「橘くん…」
「どうした?」
「一緒に帰りたい……と。駄目?」
「あ。ごめん。今日は用事あって。せっかく、来てくれたけど……ごめん」
神下 恵は、切なげに何も言わず、帰って行った。
構図は朝と全く一緒だ。
日に二回も同じ別れた方をしてしまった。罪悪感を感じつつ、僕は村本くんが待つ◯✕山へ向かう事にした。
「あれは誰でござるか?」
「見てたの?」
校門を出た直ぐの所で、村本くんが待っていた。
驚いた。村本くんから女性ネタを振って来るとは思わなかった。女性には興味が無く、女性はみんな同じ顔とかいう種類の人だと、身勝手に断定していた。
意外過ぎたので、少し喋るか迷った挙げ句、話す事に決めた。
「彼女…だよ」
「ほうほう。彼女持ちだったでござるか」
意外と言わんばかりの言い方だった。
続いて、何故か目を細め、睨まれた。次は、僕の頭からつま先まで、舐め回す様に見ている。
なんだ?
何が珍しいんだ? 僕に彼女が居るだけで、そこまで不快だったのか?
凄まじい嫉妬だ。
え? 待てよ。この視線は本当に嫉妬? いや違う! この視線は、疑問だ。
「では、何故、自分の彼女を被写体にしないでござるか?」
やっぱり。
カメラを携わる者なら、そういう結論になる。
立ち話は説教されている様で嫌なので、僕は歩を進めた。
「最初は彼女だったよ。自分の彼女を撮影しないカメラマンなんて居ないでしょ?」
「自分はその感覚は分からないでござる」
「え? だったら、なんで彼女を撮影しないの? っていうの?」
「海向氏を執拗に撮影していたからモデルが居ないのかと思ったでござるよ」
「あ、いや、うん。でも最初は彼女を撮影してたんだよ」
墓穴を掘った気分だ。
村本くんに一般恋愛感情の話が通用する訳が無い。しかも、失礼な事に彼女が居る前提の話を振ってしまった。
村本くんは多分、彼女が出来た事が無いのに、大変失礼な事を言ってしまった。謝罪をしたい。
「それに彼女とは、一緒に写真は撮るものでござる。ツーショットが基本でござる」
「え、いや、うん。だね」
まさかの彼女が居た経験があったみたいだ。
重ね重ね、失礼な僕だ。
しかもまともな意見だった。
「村本くん、彼女居るの?」
「当然でござるよ。コスプレ会場では人気者でござるよ。彼女なんて直ぐに出来るでござる」
「へ、へー。凄いんだねぇ」
カメラマンってモテるんだ。知らなかった。
一眼レフを購入して、もう5年近いけど、カメラ繋がりで女性と知り合った事が無い。村本くんには言わないけど、人物撮影が好きではない。
彼女を撮影しない理由もそこにある。
最初は恵を撮影する事に全力を注いだ。
当然だ。彼女だから。綺麗に撮ると意気込んでいた。
バンバン、シャッターも切った。
綺麗には撮影出来る。仮にも一眼レフだ。スマホには出せない味がある。
けど、綺麗なだけ。
満足が出来ない。
恵の表情が人間味に溢れているが、満足な写真は一枚も撮影出来なかった。
人間は良い意味で不完全だ。
そしてカメラマンっていう生き物は、悪い意味で完璧に拘る。
この2つはミスマッチだ。相容れない。
恵は喜怒哀楽が激しい方だけど、その一つ一つの完成度が低い。いや恵が悪い訳ではない。僕が求めちゃっている。
完璧を。
完全を。
笑顔がこうだとか。
悲しい顔はコレだとか。
僕の中で世界が出来上がっていて、恵に必要以上に要求してしまう。
要求が大きくなり過ぎた事で、気付いてしまった。
僕の世界に、恵は立ち入れては行けない。下手をすれば、恵を傷付けてしまう。
結論が出てしまって、撮影を止めた。
村本くんには、話さないけど、それが理由だ。
話しそこそこに目的地である山の麓に来た。
時間は16:00だけど、周囲は少し薄暗くなっている。セミの鳴き声も気持ち大人しくなり、気温も下がっている。
「村本くん、本当に行くの?」
「ここまで来て、行かない選択肢は無いでござる」
そう言うと、村本くんは山へ入った。道は整備されているけど、草は乱雑に生え、獣道と言っても過言では無い。歩き辛いし、虫が時々、顔に飛んで来る。気温は下がっているけど、暑い事には変わり無い。
村本くんは体型に似合わず、ドンドン進む。若干、僕が遅れ気味だ。
「村本くん、ちょっと休もうよ」
「何を言ってるでござるか! 撮影の瞬間を見逃すでござるよ!?」
「でも人命優先だよね?」
「そこは橘氏に任せるでござる」
「村本くん、本気で言ってるの?」
「………」
村本くんはこちらを見ようとしなかった。
2人の間にピリ付いた空気が流れる。
「別れよう。場所は分かるし。ここは圏外じゃないから、迷わないよ」
「そうでござるな」
その言葉を待っていたと言わんばかりに村本くんは歩行スピードを上げ、山の中に消えた。
あまり想像したくないけど、村本くんが人命優先ではない。最初から怪しい空気だったから、ここに来て確信と変わった。
こうなったら、僕が村本くんより先にOLさんを発見して説得すれば良い。
そうなれば、ハッピーエンドだ。
と、やる気満々だったが、15分歩いただけで完全にへばっていた。
ベンチがあるなら、休みたい。
小さい山だけど、ここで人を1人探すのは無謀だった。木の影に隠れていたら見付けるのは困難だ。先程から昆虫の気配はするけど、人の気配はない。このまま見付けられず、終わるパターンを考えていなかった。書き込みがフェイクな事もある。ある一定数からの注目が欲し、敢えて自殺を仄めかす手法。俗に言うメンヘラがやる処世術だ。
最悪な事を想像して、足を止めている間に辺りは、闇の影が濃くなっている。
ひとまず、来ていない前提で思考を巡らすには止めよう。気持ちが萎えてしまう。
長期戦を予期していなかったけど、装備を整えて山に来たら良かった。
虫の鳴き声はするけど、セミの声はいつの間にか消え、気温も下がっている。だけど、歩いているので汗だくだった。時々、風が吹き、草木が揺れる。
僕はそれだけで、少し恐怖している。
恐怖するという事は、生命の危機を感じている事になる。でもここに来ているだろうOLさんは恐怖していないんだろうか? 僕だったら引き返す。恐怖して、そこで死のうとは思えない。この思考回路は生存したいと思うからこそ、生じる思考だ。OLさんには共感して貰えないかもしれない。
でも、僕は思うんだ。
辛い事や悲しい事が人生では、大半を占めている。だけど物語は、その先にハッピーエンドが待っているんだ。
OLさんにそれを教えたい。
僕みたいなガキに言われてムカ付かれるかもしれないけど。
「よし。行こう。僕しか救えないんだ」
僕は物語の主人公になった様に歩を進めた。
そしてしばらく歩くと人に気配がした。
道では無い箇所だったので、草を掻き分け無理矢理、進んだ。顔に草木がバシバシ当たったがお構い無しに進むと、彼女が立っていた。
「海向 なぎさ」
思わず声を出してしまった。
オレンジ色の光が彼女を照らされ、眩しいくらいに綺麗だった。
まるでガラスに光が当たり、乱反射しているみたいに幻想的風景だ。
夕日に目が慣れた時、幻想的な風景が一瞬で変貌した。
彼女は汚れていた。
その汚れは、見間違う事なんて出来なくて。直視するには残酷で、誰が見てもそれは血だった。
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