第五件 いざ潜入せよ邸宅へ

人々が寝静まる夜。

とばりが下りたが如くの闇が街を包む。


月明かりだけが頼りの暗闇は、今はリティとエルの味方だ。


周囲を警戒しながら、下水道から公爵邸に繋がるドアを開く。


ぎぎっ、という、木製のドアの音が無音の邸内に響いた。

少々肝を冷やしつつも、特に誰にも聞かれていなかったようで安堵する。


外からでも分かっていた事だが、やしき途轍とてつもなく大きい。

並の住居が軽々五つは入るであろう。


そして高さもある。

三階建てだが、かなりゆとりのある階高で、天井までが遠い。


流石は貴族の屋敷、と言えるほどの装飾が、壁に天井に施されている。

だが帝家のお膝元である帝都の別宅であるからか、嫌味な豪華さは見られない。


きらびやかだが落ち着きがある、そんな印象だ。


かかとからつま先へ、床に足の裏を吸いつかせるようなイメージで歩く。

ここまで来て、足音で気付かれるのは流石に間抜けである。


二人が目指すのは邸の最上階、の更に上。

天井裏だ。


一般的には、最上階にそこの主の居室があるものだ。

この邸ならば、帝都にやってくる公爵夫妻の居室とその子供の居室である。


一階から二階へ、そろりそろりと誰も下りてこない事を警戒しながら階段を上る。


二階から三階への階段は別の場所にあるようだ。

エルを先に行かせて廊下を確認させ、誰も来ない事を確認して先へと進む。


コソ泥も顔負けの潜入技術。

仕事で必要とはいえ、実に胸を張れない技能スキルである。


「警備がいないっすね。」


口元を布で覆って隠したエルがささやく。


「ええ。門が寝ずの番ですから、邸内はこんなものなのでしょう。」


同じく口元を布で隠したリティが小声で返した。



兵を邸に入れたがらない貴族は多い。

彼らが纏う戦いの気配を嫌う、平和主義者戦いは他人事と考えている連中が多いのだ。


そして今、この邸には公爵夫妻はいない。


彼らの本拠たる領地にいるのが通常であるためだ。

帝家に関する行事などの重要な場合のみ、この別邸は本拠となるのだ。


だが、彼らの娘であるコンスタンツェは違う。

帝都に設置された貴族のための学園に通うためだ。


つまり、この邸の主はうら若き令嬢。

無骨な兵士達を邸内へ入れたくない、と執事長らが考えてもおかしくはない。


そのおかげで、曲者リティとエルが楽に仕事できるのだが。



だが、それは使用人の寝所や応接室がある二階まで。

令嬢が眠る三階は話が違う。


兵士はいない。

だが、彼女の側仕そばづかえがいる。


女性の主君を守る女性の近習きんじゅう

主の良き相談相手であり、友人であり、姉であり。


そして、彼女を守る守護者である。

当然、それ相応の武芸と魔法の才を持っている。


そんな相手に見付かっては大変だ。

三階への階段をゆっくり、今までの倍以上に警戒しながら上っていく。


三階廊下。

壁の陰から廊下をうかがう。


右、異常なし。

左、異常なし。


後、異常なし。

前、壁!


問題なしと判断し、二人は最大限の警戒と共に屋敷のへと身を屈めて進む。


大体の場合、屋根裏への点検口は目立たない場所にあるものだ。


そう、目立たない物置部屋なんかに。


「うっし、予想的中。」


エルは天井を見上げてニヤリと笑う。

そこには、隠し梯子はしごの目印となる小さな金具穴があった。


「隠すような物でも無いですからね、すぐ見つかって楽です。」


物置部屋の中を見回すと細長く、先端に小さなかぎが付いた金属の棒を見付ける。

その鉤は頭上の金具穴に差し込めそうな形状だ。


布で巻かれた取っ手を持って、天井に腕を伸ばす。

が。


「届か、ない・・・・・・っ。」


あとちょっと、先端の鉤が届かない。


「ぷくく・・・・・変わりましょっか?」

「く、お願いします。」


笑いを堪えてにやけながら、エルが申し出る。

非常に不本意だが、無駄にデカい図体を頼るしかない。


リティは手にしていた金属棒を彼に渡した。


かこっ、と小さな音と共に、いとも簡単に鉤は金属穴に吸い込まれる。


下方向に引くと、弧を描いて木製の隠し梯子が姿を現した。

が、それが接地する床には箱が置かれており、邪魔をしている。


「ちょ、その箱退かしてくれます?ちょっとぶつかりそうっす。」

「分かりました、少しそのままで待機していて下さい。」


隠し階段を支えるエルを尻目に、リティは箱を少し動かす。

あまり極端に移動させると、邸の人間にバレる可能性があるからだ。


障害物が無くなった事を確認し、エルはゆっくりと梯子を接地させる。

ゆっくり、慎重に、音もなく梯子は床へと着陸した。


「さて、では行きましょう。」

「了解っす、こいつは元の場所に戻してっと。」


金属棒を元あった場所に戻す。

そして隠し梯子の金属穴に、鋼線こうせんくくった。


二人で屋根裏へと上り、鋼線を引く。


がたっ、という小さな音と共に、隠し梯子は元の通りに天井へと収納された。


天井裏は普通なら這って進むような狭い空間。

だが流石は公爵別邸、その広さに比例するように屋根裏も背が高く、歩ける程だ。


足音を立てぬようにゆっくり、静かに天井裏を進む。


埃っぽく、暗く、湿っぽい。

この場所が数日間の拠点となる。


全ては皇帝陛下からの依頼を完遂するため自分達の命を守るため


そして、少女がなぜ殺害されたのかを明らかにするために。




探知魔法で階下の気配と音を探りつつ奥へと進む。

人の気配が無い部屋が多い、やはりここはあくまで別邸なのだ。


時折、廊下を歩く気配が感じられた。

令嬢の側仕えだろう。


しかし足音がしない。

武芸者は自然と自身の気配や音を殺す事がある。


階下を行く人物もそうなのだろう。

絶対に遭遇したくない相手である。


(ここですね。)


リティは下を指すハンドジェスチャーでエルに伝える。


(んじゃ、俺は一旦戻ります。回収はいつ頃で?)


自身の胸、そして来た道を指す。


人差し指を立ててリティを指し、手のひらを広げて握った。

そして握った拳を軽く回す。


自分は戻る、あなたを回収、いつ?という事だ。


(五日後に。)


左手を広げ、右手人差し指を親指から小指まで滑らせ、その小指を指す。

親指から数えて五番目、つまり五日後。


それを確認してエルは頷く、来た道を戻って行った。


ここからはリティ一人の戦いである。


(さて、やりましょうか。)


身体を埃っぽい床に横たえた。


軽く息を吸い、魔力を体内に循環させる。

とある魔法を発動させるための下準備だ。


(まったく、こんな事が得意になるのも考えものですね・・・・・・。)


脳内でひとちながら、魔法を発動した。


代謝を極端に制限する省力化魔法。

雪山などで遭難した際に使用する、本来は軍用魔法である。


それを諜報活動に使用する事を思いついたのは第三外局勤務となってから。


邪道も邪道な使い方だが、長期間食事も排泄も睡眠も不要となるのは便利である。

反面、使用後の反動が強いため、万能ではない。


そのためにエルに回収を頼んだのである。


(・・・・・・あと・・・・・・これも・・・・・・必要ですね。)


小さな紫色の魔石を取り出した。


それの周りには金色の金属がつたのようにまとわりついている。

録音用の特殊な魔道具、非常に高価な代物だ。


そして最後に紙を数枚取り出した。

録音では対処できない場合の補助記録用である。


だがペンで書けば音が出る。

そのための対処も抜かりない。


(・・・・・・筆記魔法、使う場合が・・・・・・無ければ楽・・・・・・ですが。)


半分意識を暗闇に沈めながら、リティは指を紙に触れさせる。

魔法を発動すれば、思考した文字が紙に記されるのだ。


ペンが無い時に記録するための、本来は旅人が使う魔法。

蒸気機関車が走る今、もはや不要となった古い魔法である。




暗闇の中、たった一人の戦いが始まった。

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