メタ*ユニバース

ユージ カジ

Fiction 1 新潟県直江津市

「毎度毎度、ご苦労なことね」

 肩より先まで伸びる長い髪を発色のよい金色に染めた少女が片手をあげて言った。

 声をかけられた男はちょうど駅舎を出てきたところだった。彼は寒さに身を縮こめている。

「なんでまた、こんな寒いところに……」

一月のある日。

 その日がとりわけ他の日と比べて寒いわけではなかった。

だが普段東京で暮らしているこの男にとって、日本海側の寒さはその身に耐えかねるのだった。

「私としては、なんでこんな朝早くに、と言い返したいところだね」

 少女はそう返事をした。

 時刻は朝の六時半前。まだ日も昇っておらず、辺りは暗い闇にの中にある。

「そう言われても、俺は君のように金を余らせているわけじゃないからな」

 男は不承顔で言う。「君はその分じゃ、新幹線で来て、ホテルで前泊といったところだろ」

「まあ、そんなところかな」

「ふーん」

 いいご身分だな……、という男のつぶやきは心の内にとどめられた。

 そんな男の寒々しい様子を傍目に少女は、

「まあそれじゃ、こんな朝早くに集合したことだし、早速行こうか」と早朝には似合わない明るい声で言った。

 それから先頭をきって歩いていく彼女を男が追い、二人はJR直江津駅の駅舎をあとにした。

「それで、今日はその分じゃ、忍野忍をイメージしてるってことか?」

 男はずんずんと前を行く少女の背中に声をかけた。暗がりの雪道を、その子はなんの躊躇もなく進んで行っていた。

「正解じゃあ」少女は面倒そうに答えた。

「確かに、君のそのミステリアスな感じは、何百年も生きた吸血鬼の王だったとしても不思議はないね」と、男は軽口を叩いた。

「まあね」

男の言葉を聞いているのかいないのか、少女は生返事で返した。

「……たださすがの君でも、ああまで若くは見えないかなあ」

 続けて言った男のこの言葉をある種の嫌味と受け取って、少女はムッと顔をしかめた。

「私だってわかるよ、あんな小学生みたいに若いフリをするのは現実にはムリだもんね」

 少女はキッと睨みを効かせた視線を男に当てる。

 とはいえ、男の方はどこ吹く風といった様子だ。

「まあな」

「とはいえ……これでも私はロリコンだらけの日本男児には結構モテるのに」

「へえ」

「だからね、あなたにとやかく言われる筋合いはないの!」

 少女はベッと舌を出してみせた。

「はあはあ」男は少しばかりの微笑みを口元に浮かべた。

そういえば、俺はこの子の本当の年齢を知らなかったな、と男は思い返した。

 成り行きでこうして旅のようなものを共にしているが、彼女の個人情報を男は何も知らない。

彼女は高校生なのだろうか。

いやしかし高校生にしては艶やかで大人っぽすぎる。だが、かと言って大人にしてはあどけないのだ。いずれにせよ、見た目や雰囲気から彼女の年齢を正確に判別するのは困難だった。

「で、今日の目的地はいくつあるんだ?」男が少女に尋ねた。

「実は今日は事前リサーチ、サボってきちゃったの」

「じゃあその場で決めるってことか?」

「そうね……」少女はスマホを片手に冬の歩道を歩く。「まあ、とりあえず日本海の方に出ればなんとかなるかと思ってたんだけど」

 おや、と男は思った。

 少女の口ぶりがおとなしくなった。

彼女が勝ち気な性格をしているのは、これまでの会話や態度を見れば間違いないと言える。

ただその奥には慎ましい性分もあるのかもしれない、と男は推測し始めていた。

「まあなんでも。俺は君についていくだけだから」

 男は特に不満も見せず、迷いながら行く道を決める少女の後をついていった。


 そのまま二人はそこまで速くはない歩みを重ねて、海岸までたどり着いた。

 二人の目の前には日本海が視界いっぱいに広がる。

「しっかし、冬の日本海は本当に寒そうに見えるね」

「そうだな……」男は気のない返事をしながら、頭の内で想像力を働かせた。少女が今までどんな経験を積み重ねてきたのか、なんとか掴めないものか。

「君は日本海側生まれってわけじゃないんだな。やっぱり東京出身か?」

「……。秘密」恥じらいを見せるかのように少女は答えた。

「……そうか」男は頭を掻いた。「まあ今はいいや。——それじゃ始めようか」

 男は上空を見つめて、体の力を抜き、集中力を高める構えを見せた。

「ちょっと待った!」

「ん?」

「……『化物語』の世界ってそういえば、こんな雪積もってたかな」

 少女は再びスマホを手に取った。

 男の方は、ふう、と息をついた。手をポケットに入れる。

 彼は手持ち無沙汰に海の方を眺めながら、ひとり『化物語』のストーリーを頭の中に思い起こした。

「ぎゃー!」少女が叫ぶ。

 その声で男の想像は一時中断される。

「どうした?」

「ほら、ほら」少女はスマホを見せた。

 そこには、

《化物語の直江津は新潟県直江津市ではない》というネット記事が映されていた。

「おいおい。じゃあ、なんだ。今日は完全に無駄足か」

「……」

 少女はしゅんとしおらしくなっていた。それに面白みを見出した男は言葉を連ねた。

「わざわざこんなクソ寒い季節に新潟まで来たのに?」

「……」

「スキーしに来たわけでもなく?」

「……」

「そんな物好きなやついるのか?」

「……」

男のからかいへの反発なのか、肩を落としていた彼女の体に徐々に力が巡り出した。

そして、少女は堰を切らしたように大声を出した。

「うるさい!」

 ぶるっと体を震わせた少女は、「もう! カニでも食べに行こう!」と続け、踵を返した。

 その苛立ちはつまるところ自分自身へ向けられているのだろう、男への反発はそれ以上なかった。

男は苦笑しながら、少女の失態を煽りすぎたことを反省する。


  *


「それにしても、こんなパターンは初めてだな」

「ええ、そうね」

 和風な座敷で、少女は足を崩さず綺麗に座っている。その髪はもうすでに地毛であろう黒色に戻っていた。

カニ料理を出すこの旅館を見つけるまでに、少女は一度駅前のホテルに引き返し、髪を整え直してきたのだった。その間、男はホテルのロビーで待ちぼうけを喰らわされた。

「まさか、直江津高校の直江津が直江津じゃなかっただなんて……」

 少女は重厚な机に肘を乗せ、手首をふらふらと揺らしていた。彼女は自分の失態に滅入って、気が抜けてしまっていた。その結果、彼女は思いついたことをそのまま口に出しているかの様子でだらだら話していた。

「まあ確かに、アニメでは、都会っぽい風景とか出てたもんな」

「しかも、アニメ版の直江津高校のデザインのモデルは名古屋にあるらしいよ」

「これまた、全然違う場所だな」

「高校くらいは現地の風景を使っているかと思ったのに……」

「でも、なんでまた、そんなややこしいことになってるんだ?」

「それがさ、西尾先生が直江津に来て、カニを食べている時に、たまたま戦場ヶ原ひたぎの《ひたぎクラブ》のストーリーを思い立ったんだって。それで、直江津って地名を高校の名前として拝借したとか」

「へえ。面白いな」

「創作論としてはね。でも今の私たちにとっちゃ納得できないよね。直江津にはない直江津高校だなんて」

「ああ」男はそんな少女の言葉を半分聞かずに、手を打った。「……それを知ってカニを食べようって、なったわけか」

そんな小さなやりとりに男はすっきりしたような表情を見せた。

「……そうね」

 ちょうどその時、二人の席に豪勢なカニすきセットが運ばれてきた。

「まあ、俺としちゃ別にどこ行こうが、そこで何をしようが関係ないし、こうやって人の金で旨いカニを食えれば文句はないよ」

 少女はぼうっとした顔を崩さず、机に着いたばかりのカニを貪るように勢いよく手に取った。

「君。それ、生で食うんじゃないだろうな」

 男はそんな様子に軽く注意を与えた。すると、少女は突発的な怒りをあらわにした。

「そんなわけないでしょ!」

「……そんな怒らなくても」

それが失敗を引きずるが故の強気であればカワイイらしいものだ、と男は心の内で彼女の心情についての解釈を考えた。

「次は来週」カニを持っていた左手を男の方に指した。「土曜日。朝八時。兵庫県の西宮に集合ね!」

 男は茹で上がったカニを掬い上げながら頷いた。


【en hommage à『化物語』par 西尾維新】

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