飲み友達を、酒抜きで。

時坂咲都

1

 真夜中に、玄関のチャイムが鳴った。

 ドアを開けると、大学生くらいの若い男が立っていた。顔がほんのり赤く、どう見ても酔っ払いだ。明るい茶色に染めた髪はボサボサ、グレーのセットアップはヨレヨレで、ビールらしきシミができている。飲み会でイッキでもしたのだろうか。よくこんなにはしゃげるな……と達樹たつきは思う。まるでボロ雑巾だ。

「よぉ」

 彼はニカッと人懐っこく笑い、コンビニの袋を差し出した。

 あかつき祐介ゆうすけが転がり込んでくるのは一度や二度ではない。遊び疲れて終電がなくなると、ここで始発まで過ごす。同じ学部の同級生というだけでとくに仲が良いわけではないのだが、なにかと都合が良いのか毎週のように泊まりにくる。

 達樹は袋を受け取り、部屋に上がるよう促した。2DKだが、洋室の一つとダイニングを繋げてリビングとして使っている。祐介を泊めるのは何度目だろうか。彼はふらふらと、それでいて慣れた足取りでソファに向かう。

 袋の中身を漁っていた達樹が、ポテトチップスとコーラを発見して嬉しそうな声を上げた。

「いつもありがとう。トリプルコンソメってなかなか売ってないのに、よく見つけたね」

「たまたまだよ。五十嵐いがらしくん、これ好きでしょ?」

「よく覚えてたね。最近はどこもPBばかりで、コンビニ限定ポテチすら売ってないからさ、ほんとうれしい」

「まあな。前に買ってきたとき、普通のコンソメにはない濃さがいいんだ、とか延々と語ってたし。忘れるわけない」

 ジャンクなものが好きな達樹は、深夜に祐介とスナック菓子をつまむ時間を密かな楽しみにしていた。こんな時間に体に悪いものを食べるという背徳感のある行いは、共犯者がいたほうが楽しいに決まっているのである。

「マジ疲れた、だるい」

 ぼすん、とソファにダイブした祐介を、達樹は心配そうに見る。

「体調悪いなら、水かお茶にするかい?」

「いや、コーラがいい。ありがと」

 達樹は氷の入ったグラスを二つ持ってきて、ペットボトルの中身を注ぐ。

 氷と氷がぶつかる音。なみなみと注がれる液体の音。炭酸がはじける些細な音。静寂の中で響く涼しげな音が作り出す、ゆったりとした時間。それが達樹は好きだった。

「はい」

 グラスを差し出すと、祐介は体を起こして受け取り、そっと口をつけた。遊び疲れた身体が冷たくて甘いものを欲していたのだろう。グラスはみるみる空になった。

 再びソファに横になった祐介は、クッションを抱えてうずくまっている。吐くのだけはやめてくれよ、と達樹は心の中で祈った。念のため、黒いビニール袋を持ってきてテーブルに置いておく。

「今日はずいぶんぐったりしてるね」

ソファの向かいにある薄紫のビーズクッションに腰掛けながら言う。重みで少し潰れたそれは、巨大なマシュマロを思わせた。

「……飲まされた」

 祐介はピンクのクッションに顔をうずめながら、ぼそりとつぶやく。

「いつもそうだ……。酒弱いのに、流されて飲んじまう」

 うわごとのようにしゃべる祐介。ため息がクッションに吸い込まれていくのを、達樹はポテトチップスをつまみながら見ている。祐介にも勧めたものの、食欲がないから全部食べていい、と断られてしまった。

祐介はまだ十九歳だが、よく酒を飲んでいる。達樹は成人するまで飲まないと決めているのだが、咎めるつもりはない。

「……飲みたくないなら断れよ、って思うだろ? でもさ、オレの意思なんだよ。酒飲んだり夜遊びしてると大人になった気がしてさ。どーしよーもないよな……」

 達樹は何も言わず、コーラを飲み干した。氷がカランと音を立てる。

 こういうときの祐介は、何をしゃべったのかよく覚えていない。自分だけ大学デビューなのをバカにされてムカつくとか、帰りが遅くなるだけで親が過剰に心配してうるさいとか――。バイト先でクレーマーに遭遇した話や、セフレに粘着されてトラブルになったなんて話もあった。

 友達には言えないような愚痴を、酒の勢いで垂れ流す。力尽きたら電源が切れたように寝てしまい、明け方になったら勝手に起き、始発に乗って帰っていく。

「そうだよね、よくないってわかっていてもやめられないよね……」

 ため息交じりに呟くような返事をしたが、ソファの上に転がっているボロ雑巾から反応はない。そろそろ電池切れかと思われたが、仰向けになってぼーっと天井を見ているだけのようだ。これが、常に友達に囲まれて人懐っこい笑顔を振りまいている、絵に描いたような陽キャの姿とは思えない。さっきまで赤かった顔が、心なしか青白く見えた。

「……暁くん、お酒とコーラの他に飲み食いしたものある?」

 いくらなんでも顔色が悪すぎる。嫌な予感がした達樹は、黒いビニール袋を広げながら訊ねた。

「……あー、エナドリとか……うッ」

 答えると同時に吐き気を催したようで、ガバっと飛び起きた。おそらくトイレに駆け込むつもりだろう。間に合わずにそこら辺で吐かれても困る。すかさず袋を渡してトイレの方を顎でしゃくった。バタバタと走っていく後ろ姿を見ながら、達樹はへなへなとソファに崩れ落ちた。

 なぜ、友達でもなんでもない酔っ払いの世話をしているのだろう。

 最初は祐介の人違いから、今は達樹自身の厚意で続いている関係だ。切りたかったらいつでも切れる。何度酒に飲まれても学習しない酔っ払いなど、その辺の路地裏に転がしておくべきかもしれない。

 でも、放っておけない。祐介が弱ったところを見せるのは、自分の前だけだと知っているから。頼られるのが好きだし、断れない性分なのだ。

 それに、夜ふかしをするなら、隣に誰かがいたほうが良いのである。

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