高学歴系クソニートは家無し所持金542円でも絶対に働きたくない

瑞木千鶴

「いい加減働け、クソニート」


 据わった目で、長谷川優香はソファにふんぞり返る「クソ野郎」を睨みつける。

 虫でも見るかのような冷たい目を向けられた「クソ野郎」こと葛谷文哉くずたに ふみやは、まず無言で視線だけを優香のほうへ向けた。そして、思わせぶりに溜息を吐き、読んでいた本(『人間の条件』ハンナ・アレント著)を机の上に置き、タバコを灰皿で揉み消し、もったいぶった仕草で組んでいた足を解くと、ようやく口を開く。


「……君の気持ちはわかる。君だけが働き、僕が働かないという不平等。そこに不満を感じるというのも……まあ、現代日本の平均的価値観で生きる君にとっては無理からぬことだ。それでも。これだけは言わせてほしい――僕には、働くわけにはいけない理由がある」


 無駄に整った顔面を悲痛に歪め、開いた右手で苦し気に胸を押さえる葛谷。そして、


「僕は理性と良識を持つ一人の人間として——労働という社会悪に与(くみ)することができないだけなんだ!」


 背景にキラキラと謎の光が浮かびそうな迫真の表情で、葛谷は叫ぶ。


「……………………………………………はぁ?」


 愕然とする優香を無視し、葛谷はおもむろに立ち上がると、バッと大仰な仕草で腕を広げ、大衆を扇動する革命家のように悠々と語り始める。


「(以下妄言→)労働、その本質は搾取だ。使用者が命令し、労働者は定められた労務に従事する。そして生産された利益を享受するのは常に使用者だ。会社にどれだけの利益が出ようとも、労働者は使用者有利の力関係の下で結ばされた労働契約によって定められた賃金しかもらえない。金を持ち、権力を持つ使用者たちは直接に何も産みだすことなく利益だけを受け続ける一方で、労働者は自らの生活を保証するために生涯労働という苦役を強いられ続ける。こんな一方的な関係は理不尽だと不満を抱いても、使用者は表向きだけは対等な立場で結んだ契約を盾に労働者の権利を制限し、労働者たちに服従を強いることができる。実質的に、労働者がより良い境遇を手に入れるためにできることといえば、会社の命令に逆らわず、求められる役務だけを愚直にこなし続け、上司に都合よく振る舞い、人事権を握る上役に媚びを売ることで、昇進という会社内の歪な支配権力構造における上位の地位を得ることだけ。その過程で労働者という個人は希釈化され、どこまでも会社にとって都合の良い労働力という一単位に成り下がる。労働という行為は、「人格」というまさに人間本性を蹂躙する最大の暴力なんだ」


「……………………ちっ(また始まったよ、と嫌な顔をする優香)」


「(まだまだ妄言→)このような人道に悖る罪を放置すること自体、許されざる行為だ。中世市民革命を経て、人は相互に基本的人権を保障することを確認しあい、すべての人が「人」として生きると約束したはずだ。中世以前の原始的暴力による封建社会と決別し、新たに理性と対話によって形成される近代社会を作った。しかし今の社会はどうだ? 自由資本主義の名を借りた拝金主義は新たな支配構造を生み出し、人々はまたしても尊厳を脅かされている。このままでは、再び暗黒時代へと戻ってしまう。労働という在り方は時代に逆行する暴力の再生産でしかないんだ」


「………ふぅ~(そろそろ腹立ってきたので深呼吸で心を落ち着かせようとしている優香)」


「(もうずっと妄言→)それどころか、不自由・不平等を礎として成立する労働というシステムは新たな弊害を生み出している。富は一部の者にだけに集中し、持たざる多くの者たちは貧困に喘いでいる。自らを勝者と過信する者は、己の幸福を自分自身の努力の成果だと誇るだろう。敗北は当人の責任だと断じるだろう。当然の権利として敗者を見下し、搾取し、人格を凌辱することを由とする。それこそが差別の根源だ。一方で、幸福を奪われ、権利を侵され、尊厳すらも踏みにじられた敗者はどうなると思う? 明日をも知れぬ身の彼らにとって、死は恐れにならない。失うべき財産も名誉もないのだから当たり前だ。希望を奪われたことよる自暴自棄こそが、人々を凶行へ駆り立てるんだ。愛のないところには、良識もまた育たない。わかるかい? 歪(いびつ)な競争原理を騙る労働システムこそが、差別・貧困・犯罪、あらゆる社会悪を生み出す元凶なんだよ」


「…………………っ~~~(いい加減本気でイライラしてきた優香)」


「(『以下略』→)自由・平等……現代において多くの人が正しいと認識する普遍的理念を否定する最大の敵は、労働という現代の奴隷制度だ。古代ギリシアに遡れば、現代における使用者こそが市民であり、労働者は当時でいうところの奴隷であったのだから、さもありなんといったところか。結局のところ何千年経とうが人の本質など変わらないとしたり顔で宣(のたま)う連中からすれば当然かもしれないが、僕に言わせればそのような反知性的思考自体が——」


「…………………—————ぶちっ」


 優香は、キレた。


「長いっ‼ 一行っ‼」

「僕は絶対に働きたくないっ‼」

「ハロワ行ってこいクソニートぉ‼」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る