第一章『??の鍵』⑫

「……御前!」

 ナルの意識を深淵から引っ張り出す声があった。

 ベンチから半身を起こしたビアンカが、昼間の仏頂面をすっかり忘れて驚愕を露わにしていた。

「一体、何を」

 端的にそう尋ねてくるビアンカに言い訳をしたかったが、ナルはそれどころではなかった。

 宵闇を振り払う力強いエネルギーの輝きが、ナルの全身を駆け巡っている。

 それはナルの意思で止まってはくれず、ナルはぐちゃぐちゃに心をかき乱してくるその現象に全く抗えなかった。

 ナルの中から無限に湧き出るエネルギーは辺りを煌々と照らし、目を大きく見開くビアンカの顔をそこに現わす。

 どうして、どうしてこんなことに、

 ナルは頭が真っ白だった。

 生まれて初めての感覚に襲われるままになっている自分に、ただひたすら恐怖した。

 だから、ナルは今一度言ったのだ。

「助けて……!」

 本当に助けてもらえる望みは、一つもなかった。

 それでも、ナルにはそれしかできなかった。

「助けて、誰か……」

 あの青年は、ナルの味方のような雰囲気をかもしていたが、ナルを直接救ってはくれなかった。

 そんな人間でさえナルを見捨てるのだから、この女がナルを救う行動をとるなんて万に一つもない――。

 はずだったが、ナルは全身に、母親に抱きしめられるのとはまた異なる、不思議な体温を感じた。

 ビアンカの顔が、再び近い。

 しかし今、ビアンカの黄金の目は、ナルの瞳をまっすぐに見つめていた。

「……心を鎮めろ……己の魂の声と……私の声をよく聞くんだ」

 ナルはぎゅっと目を瞑った。

 そうすると聴覚が研ぎ澄まされて、ビアンカの声がよく聞こえた。

「私を信じろ」

 ビアンカの声が、台詞が、ナルの内側に驚くほど染み渡り、馴染んでいく。

 体内に広がっていくビアンカの感覚が、ナルの千々に乱れた心に形を取り戻させようとしていた。

 ナルの魂から溢れ出ていた光の奔流が、徐々に収まっていく。

 収束が進んでいた。ナルは、辛うじてそれがわかった。

 ナルから迸っていた光に照らされたビアンカの顔に、次第に夜の影が戻ってきた。

「あ……アタシ……」

 完全に自身が地に足をつけている感覚を得たそのとき、ナルはふっと意識を手放した。

 ぐらりと世界が回転し、あわや背中から東屋の固い床に身体を打ち付けそうになった。

 しかしナルが派手に転ぶことはなく、素早く手を伸ばしたビアンカかがナルの身体を優しく受け止めたのだった。


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